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[C801] 手前勝手な話に

なりまスが。
うちのオヤジもでスねー。
あちしが小さい頃に卒中で倒れたでスよ。
以来まあ20年近く家にいたんでスけど、
病気するとニンゲン変わりまスね。
うちのばわいは悪い方に変わりまスたなあ。
ものスゲクね。
まあそれは置いといて。
岸本さんみたいに、最期まで頑張りたいもんでス。
お目汚し、失礼しまスた。
  • 2006-09-20
  • 投稿者 : かっぱやろう
  • URL
  • 編集

[C802]

こんにちは。
この本は現代の宗教学を考えるとき、よく宗教に於ける「死生観」の対比という点で使われる文献になっています。

もしも、私がこの本の紹介をブログにてしたならばもっと、違う書き方になっていたことでしょう。
milestaさんにご紹介差し上げて、エントリにしていただけて、とてもよかったなぁと心から感謝申し上げます。

私の視点からは出て来得ない発想で、着眼点が私からすると斬新でありました。

今の日本に於いて考えてみても、こういった「死生観」になかなかお目にかかることは出来ません。
何故なら、以前コメントでも申し上げましたが、この方の「死生観」が果たして、本当に宗教的でなかったかどうか、議論の分かれるところなのです。

実際に岸本氏のこの論考では「自分の生に変わる永遠の生命」を残そうと様々な事柄に没頭されます。
これは考え方によっては充分に宗教的な行為でもあると考えられるのです。

そして神道神学的に考えても、こういった概念は若干、形は異なりますが存在します。

こういった意味でも彼の「死」に対する心持ちは、自己の精神性に於いて或る種、ごく日本人的な考えの持ち主であったことも否定できないのです。
彼の思考においては宗教的な色彩はなかったが、一般的日本人としての死生観、即ち「記紀」の時代から連綿と続く「共同体」の中の連続する「個」としての感覚をお持ちであったのかも知れません。
これは現代の日本人の生き方を根本的に考え直すための出発点と同位置に在るものなのでは無かろうかとも私は思うのです。
特にmilestaさんの結びの言葉にある

>岸本英夫さんが「よく生きて」くださったおかげで、40年も経ってからでも、岸本さんの死生観を知ることができる。本当に有り難いことだ。

ここに我々が感じ取らねばならないものが在ると思っています。

大変興味深いmilestaさんの論考に私も思わずキーボードを叩く指が走ってしまいました。
長文乱筆にて失礼致しました。
こちらこそ紹介させていただいた本を題材として取り上げてくださって有難う御座いました。
  • 2006-09-20
  • 投稿者 : 田舎の神主
  • URL
  • 編集

[C803] >かっぱやろうさん

そうでしたか・・・。
うちの父は闘病三年あまりでしたが、あまり変わらず、かえってどうして穏やかでいられるのか不思議なくらいでした。でも今回この本をよんで、本人の心中は、恐怖感や喪失感があったのかもしれないと、気づきました。

岸本さんは出張先で倒れられながらも、お仕事を続けられ、本当に最期まで全力を尽くしていらしたそうです。

お忙しいのにコメントをありがとうございます。

[C804] >田舎の神主さん

>私の視点からは出て来得ない発想で、着眼点が私からすると斬新でありました。

そうなんですか?宗教の専門家だと視点が違うということでしょうか・・・。何だか、変なことを書いていないか心配になってきました。

ご本人は宗教に帰依していないと書かれていますが、私も宗教的なものを感じた箇所がありました。
一つは、人間は死ぬと宇宙に溶け込むとお考えのところで、神道に近いと思いました。
もう一つは、記事中にある第四の道で、こちらは仏教の悟りに似ていると感じました。
そして神主さんがご指摘の、

>一般的日本人としての死生観、即ち「記紀」の時代から連綿と続く「共同体」の中の連続する「個」としての感覚をお持ちであったのかも知れません。

というのも、たいへん納得しました。
詳しく、ご丁寧なコメントをどうもありがとうございました。

[C805] 宗教学者

私も以前に本書を読みました。
といっても、20年以上前になると思います。
内容もはっきりとは覚えていないのですが、死を意識して生きることの、すごさを学んだようなきがします。
さすがに宗教学者だと思いました。

[C806]

よく死ぬということはよく生きるということ。

まとめてしまえばこんなことだろうけれど、それって本当に難しいなぁと思います。
余命を知らされればそういう気持ちになれるかもしれないけれど
漠然と生きている今、交通事故で死ぬかもしれないし、
お風呂でころんで死ぬかもしれない。
死を予期せずして死ぬ場合、はたして自分はちゃんと生きていたといえるのかといえば
ちょっと疑問が残る。
今からはじめないといけないと思いました。
  • 2006-09-20
  • 投稿者 : ウナム
  • URL
  • 編集

[C807] >ぜんさん

ぜんさんなら、きっと読まれているだろうと思って、貴ブログで探したのですが、そんな昔に読まれていたのでは記事に無いはずですね。

>死を意識して生きることの、すごさ

感じましたね。そして、意識していない私たちにも「少しは意識した方がいいよ。」と教えてくださっている気がしました。

[C808] >ウナムさん

何もなく平穏に暮らしているときに、

>よく死ぬということはよく生きるということ。

ということを真剣に考えることはあまりないですよね。
私は父の死によって、少しだけ考えるようになりました。身内が亡くなることで、生命の連鎖を意識したのと、父はその連鎖をきちんと繋げていって欲しいという信号のようなものを遺してくれていたからです。

[C809]

こんにちは。
少し加筆させてください。
milestaさんからのレスポンスで

>何だか、変なことを書いていないか心配になってきました。

と仰っていましたが、そういう主旨のコメントではありませんのでご理解下さい。
説明不足で申し訳ありませんでした。

私の着眼点はどうしても「神道神学的見地」であるのでこういった書籍を前にしたとき、その視点から脱却し得る発想がなかなか出てこないのです。
そういった意味でmilestaさんのお書きになった内容が非常に読みやすく、その真っ直ぐな感性が伝わってくる文章であったと感じたのです。
ニュートラルというか、妙なこだわりのない、ごく自然に受け入れることの出来るものだと感じ、このような意見に触れられた御縁に感謝を申し上げたかったのです。

またしても長文失礼致しました。
それと本当に有難う御座います。
  • 2006-09-21
  • 投稿者 : 田舎の神主
  • URL
  • 編集

[C810] >田舎の神主さん

ご説明いただき恐縮です。
私は、宗教の知識があまり深くないので、岸本さんの書かれていることを曲解したりしていないか、ちょっと心配でした。

ご丁寧にどうもありがとうございました。

[C811] いつもながら

良い本を紹介されますね。
これも読んでみたいです。
でも中々時間が無いのです…

私は、
『死ぬ時に後悔したくない』と思って生きています。
人の人生が良かったか悪かったかなんて、
その結論は死ぬ時、或いはその後に出る結論だと思っています。

一生懸命『生きたい』です。

[C812] おじゃまします

こんにちは、今記事を拝読して、そうだな、自分も理由は深く考えていませんでしたが、闘病記というと、一、二冊しか読んでいないかもしれません。

きっと、何となく見たくないという気が働くのでしょう。気合入れないと読めない気がしますし。

でも本書は、闘病記という以前にというか以上にというか、宗教的、哲学的な本なんですね。milestaさんの書評を拝見していると読みたくなります。毎度のことですが(笑)。

[C813] >刀舟さん

>『死ぬ時に後悔したくない』と思って生きています。
>一生懸命『生きたい』です。
というお気持ちなら、この本は読まれなくても大丈夫かもしれませんね。

確か藤原正彦さんだったと思いますが、父親は死んだ後に「いい親父だった。」と思って貰えればいいというようなことを書かれていました。

[C814] >VIVAさん

この本は具体的な闘病のことは少しで、多くは宗教的、哲学的な考察です。すごいのは、その考察が机上論でなく実体験から出てきているというところです。

[C820]

僕はかつて死というものを身近に感じたことがあるので、普通の健康な人よりは生死に敏感ではないかと思います。宗教は病気になったから必要になるものではなく、人間いかに生きるかという指針を示すものであると思います。人間はすべて生まれたときから死へ向かっているという矛盾を悟ることだと少林寺の教義にもあります。
  • 2006-09-22
  • 投稿者 : HIRO。
  • URL
  • 編集

[C822] >HIROさん

健康に恵まれていても

>人間はすべて生まれたときから死へ向かっている

と意識することで、「いかに生きるか」を考えるきっかけになるかもしれませんね。

少林寺には、教義があるのですね。知りませんでした。

[C826]

こんにちは。拙ブログへのコメントありがとうございました。

>連鎖の中の小さいけれど必要不可欠な自分

私の「阿弥陀堂だより」の感想とつながる部分ですが、おそらくこのような意識を持つことが必要なのでしょうね。

こちらのブログをざっと見させていただきました。今後の本選びの参考にさせていただきます。
よろしくお願いします。
  • 2006-09-24
  • 投稿者 : usagi-kani
  • URL
  • 編集

[C827] >usagi-kani さん

こんにちは。ご訪問とコメントありがとうございます。
この本を読んだ後だったので『阿弥陀堂だより』は、とても興味があります。

こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。

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[T124] 祖先から繋がる命の大切さ

このところ、少年少女の自殺が相次いでいます。昨日も岐阜で14才の少女が自殺をしたというニュースが伝えられました。そこで、今回は、命の大切さについて、産経新聞(平成18年10月29日)より、長野県立こども病院院
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『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』 岸本 英夫

死を見つめる心―ガンとたたかった十年間 死を見つめる心―ガンとたたかった十年間
岸本 英夫 (1973/03)
講談社
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私は闘病記というものがあまり好きではない。たぶん辛い話もあるだろうし、それに対して一読者である私は何もできないことが空しい。また、辛い思いや頑張っている姿に共感しているようでも、自分が同じ病気にならない限りは他人事で、興味本位で読むことになるかもしれないという嫌悪感があった。

この『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』は、闘病記でありながら個人の闘病に留まらず、現代人の生き方、死に対する考え方を教示してくれるすばらしい本であった。

著者の岸本英夫さんが繰り返し書かれているように、生への執着や死への恐怖は、死を宣告されてからでないと実感できないという。確かにそうだ。漫然と、そう簡単には死にたくないとか、子供を残して死ねない、とは思っているが、本当に死の恐怖を想像できるかと聞かれれば、全く想像できないに等しい。
死を想像できない私たちに、余命半年と宣告された人の気持ちや、その差し迫った立場から考えた死への恐怖を克服する方法を、教えてくれる。

岸本さんは宗教学者であるので、各種宗教を研究されていて、宗教の歴史や変遷、宗教のもたらすものについて、客観的によくご存じだ。その知識をもって、死への考え方や対処法を、驚くほど冷静に述べていく。時には死への恐怖の苦しみを吐露する場面もあるが、総じて研究者としての姿勢を保ち、死生について考察を重ねている。

宗教学者ではあるが、死に際に宗教に頼るのは難しいと考える岸本さんの辿り着いた先は、「よく生きる」こと。
死んでしまえば肉体はなくなる。魂が天国や浄土などの別世界へ行くというのも科学的に考えると信じられない。それに代わる第三の道として「自己に代る限りなき生命」に我が生命を託すことが、現代の死生観に合っているのではないかと説く。
例えば、芸術家であれば自分の生命にも代え難い作品をこの世に遺し、母親は子育てに粉骨砕身して子供につながる我が生命を見いだす。

一個の人間としての自分が現れるためには、その背後にいかに永い歴史がつづいていることか。生物の、人類の、民族の、無限に長い生成変化の歴史がある。その連鎖は、ほとんど無限といってもよいほどの長さを持っているが故に、その中の自分は、無にも近い極微の一点である。しかし、この一点は、極微ながら、全体の連鎖を構成する、欠くべからざる一点である。この一点を無視して、全体は成立しない。この関係に心打たれて、小さな自分も、全体を支える支柱の一本であることを感ずる場合に、自己の生命と無限につながる生命との間には、一脈の相通うものができて来る。

まずは、連鎖の中の小さいけれど必要不可欠な自分を見いだす。そして、それを永遠の生命に繋げるためには・・・

永遠の生命を把握するためには、適当なる対象を持つ必要がある。しかし、ただ単に対象が普遍的な永遠性を持っているということだけでは、未だ永遠の生命はない。自分がそれに向かって心血を注ぎ、全生命を投じ尽くすことにおいて、はじめて、対象は輝かしき生命の対象となる。そして人間の肉体的生命を超えた永遠なる生命を勝ち得るのである。

そうして、岸本さんは「仕事に心血を注ぎ、全生命を投げ尽くす」ことを実践していた。度重なる手術に耐え、体中傷だらけになりながらも、講演などのため世界を飛び回る。そこで話された内容が、宗教学の分野で、又こうした本によって一般の日本人に広められ、「岸本さんに代る限りなき生命」が人々の間に生き続けている。

この第三の道を選び、自分の生命に代わる仕事に集中していると、雑念が消え、澄み切った心境になり、永遠感、超絶感、絶対感のようなものが得られるという。「悟り」のようなものだろうか。これが第四の「永遠の生命」であり、今後はこの第三・第四の死生観が優位を占めるようになってくるだろうと予想している。

現代社会は「死」が身近になく、「死」について考える機会がないことも、岸本さんは指摘している。人間は「死」が目の前に突きつけられないと、第三の道に挙げたような生き方はできないのだろうか。
今の日本では「お金が全て」「個人の自由」「個人の権利」「今さえ楽しければいい」「先祖?見たこともないし関係ない」「子供の世話や教育より自分の生き甲斐」というような風潮が顕著だけれど、そうして生きていって、死の間際に後悔したりしないだろうか。胸を張って「よく生きた。」と言えるだろうか。

生き方は人それぞれで、自分が決めればよいことだが、何も考えずに生きて最期に失敗したと思うほど人生の無駄遣いはない。「死」を目前にした人の考えたことを知って、残りの人生の生き方を検討し直すことで、人生の無駄を減らすことができるかもしれない。
岸本英夫さんが「よく生きて」くださったおかげで、40年も経ってからでも、岸本さんの死生観を知ることができる。本当に有り難いことだ。


※自分で本選びをしたら、闘病記のジャンルに入るこの本を選ぶことはなかったでしょう。コメント欄にこの本を紹介してくださった田舎の神主さんに感謝いたします。ありがとうございました。





18件のコメント

[C801] 手前勝手な話に

なりまスが。
うちのオヤジもでスねー。
あちしが小さい頃に卒中で倒れたでスよ。
以来まあ20年近く家にいたんでスけど、
病気するとニンゲン変わりまスね。
うちのばわいは悪い方に変わりまスたなあ。
ものスゲクね。
まあそれは置いといて。
岸本さんみたいに、最期まで頑張りたいもんでス。
お目汚し、失礼しまスた。
  • 2006-09-20
  • 投稿者 : かっぱやろう
  • URL
  • 編集

[C802]

こんにちは。
この本は現代の宗教学を考えるとき、よく宗教に於ける「死生観」の対比という点で使われる文献になっています。

もしも、私がこの本の紹介をブログにてしたならばもっと、違う書き方になっていたことでしょう。
milestaさんにご紹介差し上げて、エントリにしていただけて、とてもよかったなぁと心から感謝申し上げます。

私の視点からは出て来得ない発想で、着眼点が私からすると斬新でありました。

今の日本に於いて考えてみても、こういった「死生観」になかなかお目にかかることは出来ません。
何故なら、以前コメントでも申し上げましたが、この方の「死生観」が果たして、本当に宗教的でなかったかどうか、議論の分かれるところなのです。

実際に岸本氏のこの論考では「自分の生に変わる永遠の生命」を残そうと様々な事柄に没頭されます。
これは考え方によっては充分に宗教的な行為でもあると考えられるのです。

そして神道神学的に考えても、こういった概念は若干、形は異なりますが存在します。

こういった意味でも彼の「死」に対する心持ちは、自己の精神性に於いて或る種、ごく日本人的な考えの持ち主であったことも否定できないのです。
彼の思考においては宗教的な色彩はなかったが、一般的日本人としての死生観、即ち「記紀」の時代から連綿と続く「共同体」の中の連続する「個」としての感覚をお持ちであったのかも知れません。
これは現代の日本人の生き方を根本的に考え直すための出発点と同位置に在るものなのでは無かろうかとも私は思うのです。
特にmilestaさんの結びの言葉にある

>岸本英夫さんが「よく生きて」くださったおかげで、40年も経ってからでも、岸本さんの死生観を知ることができる。本当に有り難いことだ。

ここに我々が感じ取らねばならないものが在ると思っています。

大変興味深いmilestaさんの論考に私も思わずキーボードを叩く指が走ってしまいました。
長文乱筆にて失礼致しました。
こちらこそ紹介させていただいた本を題材として取り上げてくださって有難う御座いました。
  • 2006-09-20
  • 投稿者 : 田舎の神主
  • URL
  • 編集

[C803] >かっぱやろうさん

そうでしたか・・・。
うちの父は闘病三年あまりでしたが、あまり変わらず、かえってどうして穏やかでいられるのか不思議なくらいでした。でも今回この本をよんで、本人の心中は、恐怖感や喪失感があったのかもしれないと、気づきました。

岸本さんは出張先で倒れられながらも、お仕事を続けられ、本当に最期まで全力を尽くしていらしたそうです。

お忙しいのにコメントをありがとうございます。

[C804] >田舎の神主さん

>私の視点からは出て来得ない発想で、着眼点が私からすると斬新でありました。

そうなんですか?宗教の専門家だと視点が違うということでしょうか・・・。何だか、変なことを書いていないか心配になってきました。

ご本人は宗教に帰依していないと書かれていますが、私も宗教的なものを感じた箇所がありました。
一つは、人間は死ぬと宇宙に溶け込むとお考えのところで、神道に近いと思いました。
もう一つは、記事中にある第四の道で、こちらは仏教の悟りに似ていると感じました。
そして神主さんがご指摘の、

>一般的日本人としての死生観、即ち「記紀」の時代から連綿と続く「共同体」の中の連続する「個」としての感覚をお持ちであったのかも知れません。

というのも、たいへん納得しました。
詳しく、ご丁寧なコメントをどうもありがとうございました。

[C805] 宗教学者

私も以前に本書を読みました。
といっても、20年以上前になると思います。
内容もはっきりとは覚えていないのですが、死を意識して生きることの、すごさを学んだようなきがします。
さすがに宗教学者だと思いました。

[C806]

よく死ぬということはよく生きるということ。

まとめてしまえばこんなことだろうけれど、それって本当に難しいなぁと思います。
余命を知らされればそういう気持ちになれるかもしれないけれど
漠然と生きている今、交通事故で死ぬかもしれないし、
お風呂でころんで死ぬかもしれない。
死を予期せずして死ぬ場合、はたして自分はちゃんと生きていたといえるのかといえば
ちょっと疑問が残る。
今からはじめないといけないと思いました。
  • 2006-09-20
  • 投稿者 : ウナム
  • URL
  • 編集

[C807] >ぜんさん

ぜんさんなら、きっと読まれているだろうと思って、貴ブログで探したのですが、そんな昔に読まれていたのでは記事に無いはずですね。

>死を意識して生きることの、すごさ

感じましたね。そして、意識していない私たちにも「少しは意識した方がいいよ。」と教えてくださっている気がしました。

[C808] >ウナムさん

何もなく平穏に暮らしているときに、

>よく死ぬということはよく生きるということ。

ということを真剣に考えることはあまりないですよね。
私は父の死によって、少しだけ考えるようになりました。身内が亡くなることで、生命の連鎖を意識したのと、父はその連鎖をきちんと繋げていって欲しいという信号のようなものを遺してくれていたからです。

[C809]

こんにちは。
少し加筆させてください。
milestaさんからのレスポンスで

>何だか、変なことを書いていないか心配になってきました。

と仰っていましたが、そういう主旨のコメントではありませんのでご理解下さい。
説明不足で申し訳ありませんでした。

私の着眼点はどうしても「神道神学的見地」であるのでこういった書籍を前にしたとき、その視点から脱却し得る発想がなかなか出てこないのです。
そういった意味でmilestaさんのお書きになった内容が非常に読みやすく、その真っ直ぐな感性が伝わってくる文章であったと感じたのです。
ニュートラルというか、妙なこだわりのない、ごく自然に受け入れることの出来るものだと感じ、このような意見に触れられた御縁に感謝を申し上げたかったのです。

またしても長文失礼致しました。
それと本当に有難う御座います。
  • 2006-09-21
  • 投稿者 : 田舎の神主
  • URL
  • 編集

[C810] >田舎の神主さん

ご説明いただき恐縮です。
私は、宗教の知識があまり深くないので、岸本さんの書かれていることを曲解したりしていないか、ちょっと心配でした。

ご丁寧にどうもありがとうございました。

[C811] いつもながら

良い本を紹介されますね。
これも読んでみたいです。
でも中々時間が無いのです…

私は、
『死ぬ時に後悔したくない』と思って生きています。
人の人生が良かったか悪かったかなんて、
その結論は死ぬ時、或いはその後に出る結論だと思っています。

一生懸命『生きたい』です。

[C812] おじゃまします

こんにちは、今記事を拝読して、そうだな、自分も理由は深く考えていませんでしたが、闘病記というと、一、二冊しか読んでいないかもしれません。

きっと、何となく見たくないという気が働くのでしょう。気合入れないと読めない気がしますし。

でも本書は、闘病記という以前にというか以上にというか、宗教的、哲学的な本なんですね。milestaさんの書評を拝見していると読みたくなります。毎度のことですが(笑)。

[C813] >刀舟さん

>『死ぬ時に後悔したくない』と思って生きています。
>一生懸命『生きたい』です。
というお気持ちなら、この本は読まれなくても大丈夫かもしれませんね。

確か藤原正彦さんだったと思いますが、父親は死んだ後に「いい親父だった。」と思って貰えればいいというようなことを書かれていました。

[C814] >VIVAさん

この本は具体的な闘病のことは少しで、多くは宗教的、哲学的な考察です。すごいのは、その考察が机上論でなく実体験から出てきているというところです。

[C820]

僕はかつて死というものを身近に感じたことがあるので、普通の健康な人よりは生死に敏感ではないかと思います。宗教は病気になったから必要になるものではなく、人間いかに生きるかという指針を示すものであると思います。人間はすべて生まれたときから死へ向かっているという矛盾を悟ることだと少林寺の教義にもあります。
  • 2006-09-22
  • 投稿者 : HIRO。
  • URL
  • 編集

[C822] >HIROさん

健康に恵まれていても

>人間はすべて生まれたときから死へ向かっている

と意識することで、「いかに生きるか」を考えるきっかけになるかもしれませんね。

少林寺には、教義があるのですね。知りませんでした。

[C826]

こんにちは。拙ブログへのコメントありがとうございました。

>連鎖の中の小さいけれど必要不可欠な自分

私の「阿弥陀堂だより」の感想とつながる部分ですが、おそらくこのような意識を持つことが必要なのでしょうね。

こちらのブログをざっと見させていただきました。今後の本選びの参考にさせていただきます。
よろしくお願いします。
  • 2006-09-24
  • 投稿者 : usagi-kani
  • URL
  • 編集

[C827] >usagi-kani さん

こんにちは。ご訪問とコメントありがとうございます。
この本を読んだ後だったので『阿弥陀堂だより』は、とても興味があります。

こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。

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このところ、少年少女の自殺が相次いでいます。昨日も岐阜で14才の少女が自殺をしたというニュースが伝えられました。そこで、今回は、命の大切さについて、産経新聞(平成18年10月29日)より、長野県立こども病院院
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