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[C3465] 多感な頃

 もう20年も経って忘れてしまいましたが、十代半ばの時期は自分自身様々なことに揺れ動きあれこれと思い悩んでいたように思います。
 同時に始めて見るものに感動して涙をこぼしたり、今も続く友情のゆりかごだったような感じも持っています。

 恐らく「経験」の絶対量が足らず、今であれば何の気無しに流していることでも、それを流して良いものかどうかの判断がつかずに初めて経験することや情報の長に戸惑っていたと言うことなのかもしれませんね。

 今の自分に足らないものを考えると(足らないものばかりではありますが)、当時持っていたひたむきさや、ものに感動する心や、何にでも興味を持ち挑戦する気持ちではないかと思った場合に、当時と比べて失ったもののあまりの多さを思わずにはいられません。

 出来ることなら、14歳の頃の多感な自分に戻りたい...。

PS.
 自分自身の子育てで、「自分が失ってしまったもの」を改めて感じることが多々あります。
 子供を通してそれに気づく機会を与えていただいているわけで、子育ては自分自身を育てることだと思うようになりました。
 悩みが深いほど得るものも大きく、自分の子供は「真っ直ぐ悩む子供」に育ってほしいです。

 余談で失礼いたしました。

[C3466] 考えることはおもしろいです

そうですね、考えることはおもしろいことです。私の場合は、難しく頭をひねって考えている時より、ぼーっと自然に考えているときの方が、素朴な疑問を思いついたり、面白い答えが思い浮かびます。まあ、ゴミ箱に直行する答えも多いですけど。
人の考えを聞いたり読んだり、それを考えることも面白いですね。
  • 2008-08-01
  • 投稿者 : さんぼ
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[C3467] >山本大成さん

大人になって得たものと、失ったもの、両方ありますよね。
山本大成さんのお子さんたちは、実に「真っ直ぐ」そうですね。子供らしい子供で、写真を拝見しながら思わず笑みがこぼれてしまいます。
  • 2008-08-04
  • 投稿者 : milesta
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[C3468] >さんぼさん

私は主婦になってから、家事をしながら気がついたら考え事をしているという時間が増えました。それまで仕事で無理矢理いろいろと考えていたのと違って、「自然に」考えるようになっていました。何からも束縛されずに自然に考えるって、本当におもしろいですね。
  • 2008-08-04
  • 投稿者 : milesta
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[C3470] 考えることと悩むこと

 こんばんは。たまたまかもしれませんが、14歳シリーズ、面白いですね。

>考える事って、なんておもしろいんだろう。

 ほんとにそうですよね。所謂「ゆとり」教育も、教える内容を減らした分、子供たちが考えられるように教育してくれたら、意義のないものにはならかったのでしょうが、考えるための材料を減らしただけのような気がします。教えるほうも、考えることの楽しさを知らなければ、子供たちに考えさせることはできないでしょうね。

 あと思うのは、一般に考えることは悩むことと同じだと思っている人がけっこう多いことです。考えることの楽しさを知ったら、悩みがちっぽけなものになるということは、悩むような考え方から脱却するということでもあるのかもしれません。
  • 2008-08-08
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C3471] >のらりひょんさん

14歳に注目したきっかけは、父親を殺めてしまった少女や、家族に叱られてバスジャックをした少年など、このくらいの年頃の子による、どう考えても短絡的な事件が続けて起こったからです。
以前14歳が問題になった時とは、何となく変わってきているような気もしています。

子供が考えなくなったのは、仰るようにゆとり教育の質の問題もあるでしょうし、また家庭での生活にも原因があるのではないかと思っています。ゲームとテレビ、そして勉強といったら暗記中心の受験勉強・・・いつじっくり考える時間があるのだろう?と思います。
すこし前に、高学歴なのに想像力や自分の考えを持たない若者に出会って、なぜ???と疑問に思い、せっかく良い素質を持って生まれてきた子供たちがこんな勿体ない育ち方をしてはいけないと感じました。そして、何とかそのことをブログを通じて伝えていきたいと思っておりました。そのことは、今後も機会がある毎に書いていきたいと思います。

  • 2008-08-08
  • 投稿者 : milesta
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[C3472] 同感です

男女の論、まさにそうだと思います。
むかし、「男」あるいは「女」なるものが存在しないことを、証明してやろうなんて考えたことがあったなあ。

不思議なんですけど、「自由」なんて叫んでいる左の人たちの方が、よほど世の中をステレオタイプに見ていて、不自由な思想にがんじがらめになっているように見えるのはなんなんでしょうねぇ。
  • 2008-08-08
  • 投稿者 : cyber_bird
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[C3473] >cyber_bird さん

「左の人たち」は、「自由」とは革命を起こして初めて得られるものだと思っているのですよね。
だから革命の種になりそうな「不自由」や「差別」や「弱者」を次々と作り出していくわけです。池田氏の書いている「敵と味方」に分けるのも同じ理由ですよね。そして結果的にがんじがらめになって、幸福感の薄い人生を送っているのではないかと感じます。
  • 2008-08-08
  • 投稿者 : milesta
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[C3475] 一口に「子ども」と言い切ることって・・・

<子供が考えなくなったのは、仰るようにゆとり教育の質の問題もあるでしょうし、また家庭での生活にも原因があるのではないかと思っています。ゲームとテレビ、そして勉強といったら暗記中心の受験勉強・・・いつじっくり考える時間があるのだろう?と思います。 >

「考えることはなんとおもしろい」と書いて、子供が考えなくなったと論証するは、まったくの大人目線で、子供のほうは、大人は考えてない、なんて思っていると思いますよ。多くの大人もステレオタイプの行動で暮らしているのではありませんか。
子供の環境は大人社会が作っているのであり、育ちきっていない大人が、子供に「木を見て森を見ず」的な子育てをしているのだろうと思います。
そして、こんな傾向はいつの時代にもあったのだと思うのです。
そうそう人間の質って変わらないと思うのです。マスコミがこぞって報道するようになった、という面では変わったかもしれません。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : 街中の案山子
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[C3476] >街中の案山子さん

仰るように

>大人目線

かもしれませんね。実際私が14歳の頃は、こんなに哲学的なことは考えてはいなかったと思います。
私自身が、苦しく辛いときに考え、それで成長することができたと実感したのは、社会人になってからですが、悩んだり苦しんでいる人には年齢にかかわらず(子供にも)、そのことを教えてあげたいと思ってしまい、こういうことを書いてしまいます。老婆心ですね。(笑)

また

>多くの大人もステレオタイプの行動で暮らしているのではありませんか。
子供の環境は大人社会が作っているのであり、育ちきっていない大人が、子供に「木を見て森を見ず」的な子育てをしているのだろうと思います。

も、その通りだと思います。
だからこそ、電車に乗っても食事中でも、子供はDS、大人は携帯を見てばかりの様子や、大人も子供も話題が「お笑い」のことばかりという場面に遭遇すると、「みんないつ考えているんだろう?」と思ってしまいます。大人も子供もです。
人間の質というより、時間の使い方が変わってきているというふうに感じています。もう少し「何もしない」時間があっても良いのではないかという気がします。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : milesta
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[C3477] 亡くなった頃の新聞記事で・・・

確か池田さんは、子供は産まないという条件で結婚なさったと、いう内容の身内の方の文章を新聞で読んだことがあります。だから、孫を抱くことはないことは判っていた、と。
どんな夫婦の形も「あり」なのですが、初めから家庭の中に幼子の介在を除いてしまう意思の強さ、自分の思うようにならないものを排除して、思索の方を選択なさったのでしょうか。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : 街中の案山子
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[C3478] >街中の案山子さん

そうなのですか。

私の読んだ著書には家族というものについてはほとんど書かれていおらず、特に『41歳からの哲学』を読んで、あまりに孤高な、思惑中心の姿勢に、私には理解できないものを感じました。「哲学者とはそういうものなのか・・・。」と。
それが、本文最後に書いた「そうでもないこと」(賛同できないこと)のひとつでした。私なら、このような寂しい生き方はできないと思いました。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : milesta
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[C3479] 大人目線

 やはりエントリが面白いとコメントも盛り上がりますね。これまで幾度もそういうことがあったように思います。

 池田さんが哲学者かどうかは分かりませんが、考えることの楽しさを伝える貴重な存在だったことはたしかだと思います。そういう意味では、個人的な生活がどうだったかということは、少なくとも僕にはあまり興味がわきません。ただ、子供に話しかけるような本を書くからには、何らかのかたちで子供と接触がないといけないのではないかという気もします。

 子供は考えていないと思う大人は昔からいました。それは「大人目線」ですよね。だけど今は親も考えていないから、当然子供も考えていないし、それを問題視する人も少数派です。これで考える力を育てることができるのか、それが問題じゃないかと思います。
  • 2008-08-10
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C3480] >のらりひょんさん

考えていない大人が増えたのは、忙し過ぎたり、暇つぶしの手軽な機器-古くはウォークマンからケータイ、DS、小型DVDプレーヤー-ができて、「手持ちぶさた」の時間がなくなったこともあると思います。
暇な時間に手軽な小道具やイベントがないと過ごせない大人は、子供に暇な時間ができることを「かわいそう」とか「無駄だ」としか思えないのかもしれません。
暇でかわいそうだからゲーム機を買ってやろう、休みだからディズニーランドに連れて行ってやろう、ボーッとしている間があるなら勉強しなさい・・・そんな家庭ばかりではないかもしれませんが、子供は大人によって絶え間なく忙しくさせられているような気がすることがあります。
  • 2008-08-10
  • 投稿者 : milesta
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[C3481] 人それぞれなのですね。

「大人は考える、子供は考えない、」とか、「○○だから、近頃の大人も考えない」とか、こんな把握の仕方は、当たっていないように思えるのです。
私が本を読む日々を送ったのは高校1年からで、遅めなのですが、日々の生活に明け暮れている大人って、考えていない、なんて生意気に考えて(笑)いました。だから、子供でも大人でも、多様で、そのもの思う年頃、抽象思考の世界がぐんと広がる年頃の世代に向かって、かつてそこを通り過ぎてきた大人である著者が、とば口になれば、という思いで書かれた本なのでしょう。
で、「哲学」をかじろうと思っても歯が立たなかった、かつての14歳たち(私など)が購入したから結構ベストセラーになったのでは、と考えるのは穿ちすぎかしら。
  • 2008-08-11
  • 投稿者 : 街中の案山子
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[C3482] >街中の案山子さん

私は抽象的な思考は未だに苦手で、純粋な哲学の話はちんぷんかんぷんだったりします。
それよりも、「○○だから、近頃の大人も考えない」というような考え方をすることの方が多いです。きっと頭が哲学的でなく、社会学やマーケティング寄りなのでしょう。(だから「大人は・・・、子供は・・・」という大雑把な分け方は、あまり好きではありません。)
本当に人それぞれですね。

14歳シリーズは、amazonのレビューを見ても、大人に多く読まれているようですね。
  • 2008-08-11
  • 投稿者 : milesta
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[C3483] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2008-08-11
  • 投稿者 :
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[C3484] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2008-08-12
  • 投稿者 :
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[C3720]

14歳というのはこの本で述べられているような疑問に対して、今まで自分が社会から手に入れてきた常識から出る答えをとりあえず提示し、それを反駁して、自分の頭で一から考えた(と自分では思われる)思想を紡ぎだしていく年ごろだと思うんですが、そうでもないんですかね
正直にいえば、この本を読んだ時、こんな事お前にいわれんでもわかっとるわい!14歳なめすぎちゃうか?
ってな感想を抱きましたが、冷静に考えればそうでもない今日この頃。
  • 2009-03-27
  • 投稿者 : yuusaki
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[C3722] >yuusakiさん

ご訪問とコメントを有難うございます。

>こんな事お前にいわれんでもわかっとるわい!14歳なめすぎちゃうか?

と思われる方は、よく考えているしっかりした方なのだと思います。
私はこの中に書かれていること、14歳で考えていたようなこともあり、全く頭になかったこともありました。また、14の頃は真剣に悩んだり考えたりしていたけど、今はどうでもいいやと思うようになったこともありますね。
その年齢によって、状況によって、関心のあることは変わってくるし、考えた答えも変わってくるのが、人間なのかもしれません。

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『14歳の君へ―どう考えどう生きるか』 池田 晶子

14歳の君へ―どう考えどう生きるか14歳の君へ―どう考えどう生きるか
(2006/12/23)
池田 晶子

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中学生の頃、心が不安定になるきっかけは、至る所に転がっている。友人関係、勉強、親、お金、将来・・・、ちょっとしたことが気になって気になって、誰にも相談できずに悩みが深まるというのは、この,年代にはよくあることだ。

でもその気になった事って本当に重要なこと?
悩みの本質は何?
視点を変えて、ちょっとじっくり、自分のことや世の中のことを考えてみない?

と、哲学者の故池田晶子氏が呼びかける。

池田氏にかかると、どんな悩みも「な~んだそんなちっぽけなこと」に変わってしまう。
例えば、「成績下がっちゃった。」「勉強っておもしろくねぇ。」なんてところから始まって、「そもそも今やってる勉強って、知らなくても生きていけるよね。」と思い至った人へは、次のような言葉を紹介しよう。

勉強をするのは、いい学校に行って、いい生活をするためではなくて、賢い人間になって、賢い人生を送るためだ。賢い人間になることこそが、人生の目的だ。

今の学校は、いい学校に行くための勉強が多いから、成績がよいからといって賢くなるわけではないという。

 文法や年号を覚えて、試験でいい点をとることなんか、その意味では簡単だ。自分で考える必要がないからだ。だから自分で考えずに覚えただけのことなんか、試験が終われば忘れちゃうんだ。それで賢くなっているわけがないじゃないか、だって忘れちゃうんだから。
 自分で考えたこと、自分の頭を使って自分でしっかり考えたことというのは、決して忘れることがない。その人の血となり、肉となり、本当の知識となって、その人のものになるんだ。人間が賢くなるということは、こういうことだ。


そう聞くと、成績がちょっとくらい下がっても、「なんだそんなこと。」と少し気分が楽にならない?
だからといって学校の勉強をしなくていいというわけではなくて、同じ勉強をするにしても、成績や暗記という憂鬱なことを忘れて、考える楽しさを知ろうということだ。

友人関係については『友愛』の章が、自由やうるさい決まりについてのことは『道徳』の章が、何か大事なことを気づかせてくれるだろう。

この本を読んで何かを気づくのは、子供だけとは限らない。むしろ大人が読むと、ズキンと胸に突き刺さったり、へぇこういう発想もあるのかと、とても考えさせられる。そして、今の大人のようになったらダメだよ、というメッセージのように聞こえる部分さえある。

例えば、『個性』の章では「自分探し」をする若者や大人を「不毛」だと断じている。

「本当に好きなこと」「本当の自分」というのがどこかにあって、それを探さなくちゃいけないのだと最近の大人は思っている。・・・

・・・でも、本当に好きなものが、きっとどこかにあるに違いないと探し続けて、結局何が好きだったかわからずに終わる人生というのは、何だか空しい人生じゃないか。


「本当の自分」は、どこかよそにあるのだろうか。

悩んだり、文句をいったり、自分を探したりしているその自分、自分探しをすることができるのは、まさに自分がいるからだという、ものすごく当たり前なことに君は気がつかないか。

つまり、探さなくても「自分」は今ここにこうしているのである。

全ての事柄をこのように突き詰めて考えていくと、「お金儲け」や「男か女か」などということも、たいした問題ではなくなるという。

ラクしてもうけられるなら、その方がいいに決まってるじゃーん。君はそう思うかな?それなら考えてごらん?

せっかくだから、ここから先は自分で考えよう!

「男か女か」は、十四歳よりずっと大人の、特に女性がよく問題視するテーマだ。

 人間にはそれぞれ個性があるのに、男、女の型にはめるのはよくないと主張する女性がいる。型にはめるのは男の発想で、女の個性を無視しているというんだ。だけど、おかしいね。「女はこれこれと思う」という言い方で、女の個性を無視しているのは、他でもないその人だ。「女はこれこれと思う」と思っているのはその人であって、すべての女がそう思っているわけじゃないからだ。だいいち、主語になっている「女」なんて、この世のどこにも存在しない。存在するのは一人一人の個性を持った女だけだ。

私は生まれてこの方「女らしい」と言われた記憶がなく、型にはめられたくない方だ。しかしそれは「女だからと差別しないで!」と叫ぶ人々の感覚とは全く違うのだ。私はその人々の決めた「男に見下され、虐げられ、自由がないと感じる」という女の型からも逸脱している。その私の気持ちを、ここで池田氏が代弁してくれているように感じる。。
このような女性の意見というのはあまり公になる機会がないようなので、もう少し引用しておこう。

 女は男に差別されていると主張する人は、男か女かは、敵か味方だと思ってるみたいだ。
女の敵は男であり、男の味方は女の敵だって具合にね。敵か味方でしか人間を見ることができないのは、これはすごく貧しいことだ。とても貧しい人生だ。
 女は子供を産む道具じゃないなんて、必ず損か得かで発想する。でも、女が産むんでなけりゃ、男が産むと言うのかな?
 たまたま肉体の自然がそうなっているというそれだけの事実に、敵か味方か、損か得かのものさしを持ち込んでいるのは、その人でしかない。「差別」というのは、外にあるものではなくて、その人の心の中にあるもの、そう見るその人の心の中にしかないものなんだ。
 だけど、差別を外にある、女性は差別されていると見る人は、だから「自由」を外に要求する。女を不自由にしているのは男だ、男が作った社会のせいだ、女にも自由をよこせってね。
 でも、君にはもうわかるだろう。男、女にこだわることで、自分を不自由にしているのは他でもないその人だ。人間は本来同じ人間であり、男、女は偶然そうであるにすぎない。偶然そうであるにすぎないことにこだわると、人は必ず不自由になる。自分で自分を不自由にしているのに、社会に自由を要求するのは無理なことだ。


池田氏の主張は、この例のように強く賛同できることが多いが、そうでもないことも時々ある。それは個性であり、考えていることは一人一人違うからだ。
他人の考えていることを知り、そしてまた自分が考える。
考える事って、なんておもしろいんだろう。
その繰り返しで、自律した、ちょっとやそっとのことでは動じない、個性的な自分ができていく。そのおもしろさを知ったら、これまでの悩みなんて、ちっぽけなものに思えてくるのではないだろうか。

20件のコメント

[C3465] 多感な頃

 もう20年も経って忘れてしまいましたが、十代半ばの時期は自分自身様々なことに揺れ動きあれこれと思い悩んでいたように思います。
 同時に始めて見るものに感動して涙をこぼしたり、今も続く友情のゆりかごだったような感じも持っています。

 恐らく「経験」の絶対量が足らず、今であれば何の気無しに流していることでも、それを流して良いものかどうかの判断がつかずに初めて経験することや情報の長に戸惑っていたと言うことなのかもしれませんね。

 今の自分に足らないものを考えると(足らないものばかりではありますが)、当時持っていたひたむきさや、ものに感動する心や、何にでも興味を持ち挑戦する気持ちではないかと思った場合に、当時と比べて失ったもののあまりの多さを思わずにはいられません。

 出来ることなら、14歳の頃の多感な自分に戻りたい...。

PS.
 自分自身の子育てで、「自分が失ってしまったもの」を改めて感じることが多々あります。
 子供を通してそれに気づく機会を与えていただいているわけで、子育ては自分自身を育てることだと思うようになりました。
 悩みが深いほど得るものも大きく、自分の子供は「真っ直ぐ悩む子供」に育ってほしいです。

 余談で失礼いたしました。

[C3466] 考えることはおもしろいです

そうですね、考えることはおもしろいことです。私の場合は、難しく頭をひねって考えている時より、ぼーっと自然に考えているときの方が、素朴な疑問を思いついたり、面白い答えが思い浮かびます。まあ、ゴミ箱に直行する答えも多いですけど。
人の考えを聞いたり読んだり、それを考えることも面白いですね。
  • 2008-08-01
  • 投稿者 : さんぼ
  • URL
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[C3467] >山本大成さん

大人になって得たものと、失ったもの、両方ありますよね。
山本大成さんのお子さんたちは、実に「真っ直ぐ」そうですね。子供らしい子供で、写真を拝見しながら思わず笑みがこぼれてしまいます。
  • 2008-08-04
  • 投稿者 : milesta
  • URL
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[C3468] >さんぼさん

私は主婦になってから、家事をしながら気がついたら考え事をしているという時間が増えました。それまで仕事で無理矢理いろいろと考えていたのと違って、「自然に」考えるようになっていました。何からも束縛されずに自然に考えるって、本当におもしろいですね。
  • 2008-08-04
  • 投稿者 : milesta
  • URL
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[C3470] 考えることと悩むこと

 こんばんは。たまたまかもしれませんが、14歳シリーズ、面白いですね。

>考える事って、なんておもしろいんだろう。

 ほんとにそうですよね。所謂「ゆとり」教育も、教える内容を減らした分、子供たちが考えられるように教育してくれたら、意義のないものにはならかったのでしょうが、考えるための材料を減らしただけのような気がします。教えるほうも、考えることの楽しさを知らなければ、子供たちに考えさせることはできないでしょうね。

 あと思うのは、一般に考えることは悩むことと同じだと思っている人がけっこう多いことです。考えることの楽しさを知ったら、悩みがちっぽけなものになるということは、悩むような考え方から脱却するということでもあるのかもしれません。
  • 2008-08-08
  • 投稿者 : のらりひょん
  • URL
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[C3471] >のらりひょんさん

14歳に注目したきっかけは、父親を殺めてしまった少女や、家族に叱られてバスジャックをした少年など、このくらいの年頃の子による、どう考えても短絡的な事件が続けて起こったからです。
以前14歳が問題になった時とは、何となく変わってきているような気もしています。

子供が考えなくなったのは、仰るようにゆとり教育の質の問題もあるでしょうし、また家庭での生活にも原因があるのではないかと思っています。ゲームとテレビ、そして勉強といったら暗記中心の受験勉強・・・いつじっくり考える時間があるのだろう?と思います。
すこし前に、高学歴なのに想像力や自分の考えを持たない若者に出会って、なぜ???と疑問に思い、せっかく良い素質を持って生まれてきた子供たちがこんな勿体ない育ち方をしてはいけないと感じました。そして、何とかそのことをブログを通じて伝えていきたいと思っておりました。そのことは、今後も機会がある毎に書いていきたいと思います。

  • 2008-08-08
  • 投稿者 : milesta
  • URL
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[C3472] 同感です

男女の論、まさにそうだと思います。
むかし、「男」あるいは「女」なるものが存在しないことを、証明してやろうなんて考えたことがあったなあ。

不思議なんですけど、「自由」なんて叫んでいる左の人たちの方が、よほど世の中をステレオタイプに見ていて、不自由な思想にがんじがらめになっているように見えるのはなんなんでしょうねぇ。
  • 2008-08-08
  • 投稿者 : cyber_bird
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[C3473] >cyber_bird さん

「左の人たち」は、「自由」とは革命を起こして初めて得られるものだと思っているのですよね。
だから革命の種になりそうな「不自由」や「差別」や「弱者」を次々と作り出していくわけです。池田氏の書いている「敵と味方」に分けるのも同じ理由ですよね。そして結果的にがんじがらめになって、幸福感の薄い人生を送っているのではないかと感じます。
  • 2008-08-08
  • 投稿者 : milesta
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[C3475] 一口に「子ども」と言い切ることって・・・

<子供が考えなくなったのは、仰るようにゆとり教育の質の問題もあるでしょうし、また家庭での生活にも原因があるのではないかと思っています。ゲームとテレビ、そして勉強といったら暗記中心の受験勉強・・・いつじっくり考える時間があるのだろう?と思います。 >

「考えることはなんとおもしろい」と書いて、子供が考えなくなったと論証するは、まったくの大人目線で、子供のほうは、大人は考えてない、なんて思っていると思いますよ。多くの大人もステレオタイプの行動で暮らしているのではありませんか。
子供の環境は大人社会が作っているのであり、育ちきっていない大人が、子供に「木を見て森を見ず」的な子育てをしているのだろうと思います。
そして、こんな傾向はいつの時代にもあったのだと思うのです。
そうそう人間の質って変わらないと思うのです。マスコミがこぞって報道するようになった、という面では変わったかもしれません。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : 街中の案山子
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[C3476] >街中の案山子さん

仰るように

>大人目線

かもしれませんね。実際私が14歳の頃は、こんなに哲学的なことは考えてはいなかったと思います。
私自身が、苦しく辛いときに考え、それで成長することができたと実感したのは、社会人になってからですが、悩んだり苦しんでいる人には年齢にかかわらず(子供にも)、そのことを教えてあげたいと思ってしまい、こういうことを書いてしまいます。老婆心ですね。(笑)

また

>多くの大人もステレオタイプの行動で暮らしているのではありませんか。
子供の環境は大人社会が作っているのであり、育ちきっていない大人が、子供に「木を見て森を見ず」的な子育てをしているのだろうと思います。

も、その通りだと思います。
だからこそ、電車に乗っても食事中でも、子供はDS、大人は携帯を見てばかりの様子や、大人も子供も話題が「お笑い」のことばかりという場面に遭遇すると、「みんないつ考えているんだろう?」と思ってしまいます。大人も子供もです。
人間の質というより、時間の使い方が変わってきているというふうに感じています。もう少し「何もしない」時間があっても良いのではないかという気がします。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : milesta
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[C3477] 亡くなった頃の新聞記事で・・・

確か池田さんは、子供は産まないという条件で結婚なさったと、いう内容の身内の方の文章を新聞で読んだことがあります。だから、孫を抱くことはないことは判っていた、と。
どんな夫婦の形も「あり」なのですが、初めから家庭の中に幼子の介在を除いてしまう意思の強さ、自分の思うようにならないものを排除して、思索の方を選択なさったのでしょうか。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : 街中の案山子
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[C3478] >街中の案山子さん

そうなのですか。

私の読んだ著書には家族というものについてはほとんど書かれていおらず、特に『41歳からの哲学』を読んで、あまりに孤高な、思惑中心の姿勢に、私には理解できないものを感じました。「哲学者とはそういうものなのか・・・。」と。
それが、本文最後に書いた「そうでもないこと」(賛同できないこと)のひとつでした。私なら、このような寂しい生き方はできないと思いました。
  • 2008-08-09
  • 投稿者 : milesta
  • URL
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[C3479] 大人目線

 やはりエントリが面白いとコメントも盛り上がりますね。これまで幾度もそういうことがあったように思います。

 池田さんが哲学者かどうかは分かりませんが、考えることの楽しさを伝える貴重な存在だったことはたしかだと思います。そういう意味では、個人的な生活がどうだったかということは、少なくとも僕にはあまり興味がわきません。ただ、子供に話しかけるような本を書くからには、何らかのかたちで子供と接触がないといけないのではないかという気もします。

 子供は考えていないと思う大人は昔からいました。それは「大人目線」ですよね。だけど今は親も考えていないから、当然子供も考えていないし、それを問題視する人も少数派です。これで考える力を育てることができるのか、それが問題じゃないかと思います。
  • 2008-08-10
  • 投稿者 : のらりひょん
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  • 編集

[C3480] >のらりひょんさん

考えていない大人が増えたのは、忙し過ぎたり、暇つぶしの手軽な機器-古くはウォークマンからケータイ、DS、小型DVDプレーヤー-ができて、「手持ちぶさた」の時間がなくなったこともあると思います。
暇な時間に手軽な小道具やイベントがないと過ごせない大人は、子供に暇な時間ができることを「かわいそう」とか「無駄だ」としか思えないのかもしれません。
暇でかわいそうだからゲーム機を買ってやろう、休みだからディズニーランドに連れて行ってやろう、ボーッとしている間があるなら勉強しなさい・・・そんな家庭ばかりではないかもしれませんが、子供は大人によって絶え間なく忙しくさせられているような気がすることがあります。
  • 2008-08-10
  • 投稿者 : milesta
  • URL
  • 編集

[C3481] 人それぞれなのですね。

「大人は考える、子供は考えない、」とか、「○○だから、近頃の大人も考えない」とか、こんな把握の仕方は、当たっていないように思えるのです。
私が本を読む日々を送ったのは高校1年からで、遅めなのですが、日々の生活に明け暮れている大人って、考えていない、なんて生意気に考えて(笑)いました。だから、子供でも大人でも、多様で、そのもの思う年頃、抽象思考の世界がぐんと広がる年頃の世代に向かって、かつてそこを通り過ぎてきた大人である著者が、とば口になれば、という思いで書かれた本なのでしょう。
で、「哲学」をかじろうと思っても歯が立たなかった、かつての14歳たち(私など)が購入したから結構ベストセラーになったのでは、と考えるのは穿ちすぎかしら。
  • 2008-08-11
  • 投稿者 : 街中の案山子
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[C3482] >街中の案山子さん

私は抽象的な思考は未だに苦手で、純粋な哲学の話はちんぷんかんぷんだったりします。
それよりも、「○○だから、近頃の大人も考えない」というような考え方をすることの方が多いです。きっと頭が哲学的でなく、社会学やマーケティング寄りなのでしょう。(だから「大人は・・・、子供は・・・」という大雑把な分け方は、あまり好きではありません。)
本当に人それぞれですね。

14歳シリーズは、amazonのレビューを見ても、大人に多く読まれているようですね。
  • 2008-08-11
  • 投稿者 : milesta
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  • 2008-08-11
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  • 2008-08-12
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[C3720]

14歳というのはこの本で述べられているような疑問に対して、今まで自分が社会から手に入れてきた常識から出る答えをとりあえず提示し、それを反駁して、自分の頭で一から考えた(と自分では思われる)思想を紡ぎだしていく年ごろだと思うんですが、そうでもないんですかね
正直にいえば、この本を読んだ時、こんな事お前にいわれんでもわかっとるわい!14歳なめすぎちゃうか?
ってな感想を抱きましたが、冷静に考えればそうでもない今日この頃。
  • 2009-03-27
  • 投稿者 : yuusaki
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[C3722] >yuusakiさん

ご訪問とコメントを有難うございます。

>こんな事お前にいわれんでもわかっとるわい!14歳なめすぎちゃうか?

と思われる方は、よく考えているしっかりした方なのだと思います。
私はこの中に書かれていること、14歳で考えていたようなこともあり、全く頭になかったこともありました。また、14の頃は真剣に悩んだり考えたりしていたけど、今はどうでもいいやと思うようになったこともありますね。
その年齢によって、状況によって、関心のあることは変わってくるし、考えた答えも変わってくるのが、人間なのかもしれません。

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