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[C3429] 多分読んだのでしょう・・・。

どうも、いい加減な記憶です。3,4年前、文庫本を持ち歩いていて、デパートの開店時間待ちで、警備員さんや掃除人さんの姿をチラチラ見ながらから、読んでいた記憶まではあるのですが。中味はぼんやり、です。
メディアからの情報があふれ出てくる昨今と、口授伝授の文さんの頃との違いを思いながら、読んだ覚えがあります。
あの時代で、ああ生きた彼女だと、今の時代でも、今の時代に即した、彼女らしい暮らし方のエキスパートとして生きていらっしゃるでしょうか。
18才で親元を離れてから、常に遠くでしか暮らしたことがないので、死に行く父親に添う事もしていません。未明に危篤の電話を受け、夫子供を残して、早朝に列車で郷里へ向かいました。
「みちのくの母のいのちをひと目見んひと目みんとぞただに急げる」ー斉藤茂吉ー
危篤の主は父でしたが、その歌が思い浮かびました。

[C3434] >街中の案山子さん

家事も看護も、かつてはこんなに手がかかったのかと、改めて驚きます。

私も遠かったので、最後は間に合いませんでした。
  • 2008-06-22
  • 投稿者 : milesta
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[C3435] 理不尽な父親

 例によって本稿の趣旨とは関係のないコメントで失礼します。
 昨今、子供を叱るときにはちゃんと理由を説明しなくてはならない風潮が広がっていますが、昔の父親や近所のお年寄り(場合によっては教師などでも)など理不尽に起こったりする大人が随分いて、その環境が子供を強くしたのかもしれぬと思うことがあります。

 幸田露伴。
 口の達者な屁理屈を言う父親像が見えてきました。
 娘である文さんもその父親の言葉を素直に聞く辺り、独自の存在感をキチンと持った父親でもあったのでしょうね。
 こんな父親に育てられると、深みのある人間が育つのかもしれません。

[C3436] >山本大成さん

小学生の時、理不尽に怒る教師を見て、いろいろなことを学びました。大人と子供の隔たりとか、正義が勝つとは限らないとか・・・。

幸田露伴は理不尽というか、むしろ理路整然と押しつけてくる感じですね。この本によれば、本人が押しつけてくることはちゃんと自分ができることなので、文も何も言い返せないのです。それに耐えるには、抜粋した箇所のように、茶化してみたり、冗談にしてみたり、「笑い」に変えてしまうしかなく、そうすることによって文は我慢強くかつ洒落のわかる人間になっていったのだと思います。
  • 2008-06-26
  • 投稿者 : milesta
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[C3437] 人を作る

お久しぶりです。
私の子供の頃はまだ、このような教育の仕方が残っていたように思いますし、人間、最終的には情で動くことを考えれば、このような教育そが大切なのでしょう。
今の親の中には、子供を大人にさせないためとしか思えない、教育とは言えない接し方が見受けられます。
親自身が子供に嫌われたくないという利己心のためでしょうか。

[C3438] >小楠さん

ご無沙汰しています。

以心伝心とはこのことでしょうか。数ヶ月前に

>今の親の中には、子供を大人にさせないためとしか思えない、教育とは言えない接し方が見受けられます。
親自身が子供に嫌われたくないという利己心のためでしょうか。

と強く感じる出来事があり、以来折に触れてそのことに関連しそうな本を読んだり、ご紹介したりしてきました。
こうした親子関係は増えているように思え、今後の日本社会に深刻な影響を与えるだろうと憂慮しています。
  • 2008-06-26
  • 投稿者 : milesta
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[C3439] 親の圧力

>幸田露伴は理不尽というか、むしろ理路整然と押しつけてくる感じ

 たしかにその通りだと思います。それが文さんを強くしたのでしょう。子供は理不尽かどうかは肌で感じます。あまり理路整然だと逃げ場がなくなるかもしれませんが、親の圧力は、あった方が子供のためですね。
  • 2008-06-27
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C3440] >のらりひょんさん

最近は親の圧力がない分、自分の権利ばかり主張する我が儘で理不尽な子供が増えてきたように思います。

理路整然として押しつけても子供が曲がらないためには、ユーモアと真剣に子を思う心が必要だと思います。露伴にはそれがあったのだと感じました。
  • 2008-06-27
  • 投稿者 : milesta
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[C3442] ユーモア

 たしかに引用された箇所からもユーモアが感じられますね。おっしゃるユーモアは、たんに可笑しさを引き出すものではなく、少し違った視点から見ることを楽しむもののような気がします。そう言えば、イギリス人がユーモアを好むのも、少し違った視点を楽しむという風情がありました。これは子供の教育にとって大事なことですね。
  • 2008-06-28
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C3444] >のらりひょんさん

「違った視点」は大事ですよね。特に、追い詰められたとき、煮詰まってしまったときに、気分や発想を変えられる人とそうでない人で、人生の明暗が分かれてしまうこともありそうですね。
  • 2008-06-29
  • 投稿者 : milesta
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[C3511] こちらも・・・

このエントリを読んだのはだいぶ前だったのですが、コメント忘れていたようで・・・。

わたしも幸田文さんの随筆は好きで何冊か読みました。この本も、読後感の良い本で気に入っています。父に反発しながらも、心から父君を慕っておられる様子が素敵だと思いました。子供から、こういう風に愛される親って幸せでしょうね。
  • 2008-09-15
  • 投稿者 : cyber_bird
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[C3512] >cyber_birdさん

>父に反発しながらも、心から父君を慕っておられる様子が素敵

そうなんですよね。とても素敵ですね。父親べったりの娘というのも自律していないようで嫌ですし、しかし反発ばかりでは親子の愛情は無いのかと思ってしまいますし、幸田父娘はちょうど良い加減なのですよね。
  • 2008-09-16
  • 投稿者 : milesta
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『父・こんなこと』 幸田 文

父・こんなこと (新潮文庫)父・こんなこと (新潮文庫)
(1967/01)
幸田 文

商品詳細を見る


この本に収録されている二つの随筆、『父』では「死」を、『こんなこと』では「生」を、題材にしている。この二つは対を為しており決して別つことのできない組み合わせだと思う。
幸田文は、自分の生活の中の生と死に真っ向から挑み、がっぷり四つに組み戦っている。そして、過ぎるほどの鋭敏な感受性と、並みではない体力と、露伴の娘ならではの言語感覚で、幸田父子の生と死の記録を残したのだ。

高名な父親の死を、後世の研究者のために書き留めておくべきだと考えたと、幸田文は『父』の中に書いている。発端は「公」の精神であった。しかし、露伴の死の兆候に誰よりも早く気づき、それにとまどい、呆れるほどの献身的な看護をする文子(文)の視点や行動は「私」のそれであり、その為に読む人の心を捉え、死と向き合うことの苦しみに読者は伴走することになる。
特に父露伴の死期が近いことにただ一人気づいてしまうくだりは、息を詰めて一気に読み進み、私まで動揺し、動揺していることを悟られぬよう必死に取り繕う文子の姿が自分に重なる。私にも同様の経験があるからだ。

一方『こんなこと』では、文子は「生」と戦っている。生と言っても大げさなことではなく、日常の家事全般である。生母を早くに失った文子に家事を教えたのは、露伴である。文が「稽古」と書くほどにその教えは厳しく、文子はことごとく戦っている。掃除、草取り、障子の張り替え、薪割り・・・、理にかなったやり方で、美しい所作で、徹底的にやらなければならない。その厳しさに不満を持ちながらも、いつでも父は一枚上手で正しかったから、文子は戦っていた。
障子張りで指が赤くふくらんで痛くなっても、不平を言えば、余計に厳しい言葉を投げかけられる。

「一人前でないやつが指の痛いのは言う方は馬鹿で、痛くなくっちゃ覚えるやつは無いよ」というからたまらない。二度目には歯ぎしり噛んでも、痛いとは云わない。ちいさい時にはおとうさんだって痛かったんだろうと思えば、ヤイミロという微笑がわいて我慢しちまうのである。

と、不満を独特のおかしみに換えて、黙々と稽古に励む。
気を回したつもりで自己判断で事を急くと失敗し、

「余計な自分料簡を出してサルをやったのは、孔子様のおっしゃった退いて学ぶに如かずという訓えを蔑ろにするものだ」

と言われ、そうか孔子様の教えを守ればいいのだと会得したかと思うと、

「孔子様なんぞにふんづかまえられて一生うごきのとれないけちくそでいいのか」
と変化してくる。


父に押しつけられ、あらがいながらの生の日々があったからこそ、死にゆく父への思慕が募り、動揺が走る。生の実感が強ければ強いほど死の実感も強くなるのではないか。私が、この二つの随筆が対であり分かち難いと考える理由は、そこにある。

現代の「生」と「死」もやはり対を為しているのだと思う。
家に籠もってゲームやテレビやネットの画面上の疑似体験に多くの時間を費やし、身体を伴った「生」の体験をしていない人たちは、「死」を現実の物として捉えにくいのではないだろうか。
社会に出て一見活発な生活をしている人だって、他者と心の交流のない上滑りな日々を送っていれば、「生」の実感は薄いかもしれない。
「生きている」という実感の薄い人は、「生きていない」状態との距離が近く、その境界を簡単に乗り越えてしまえるのではないかという気がしてならない。
そういえば、『父』では、父が生命力を失っていく象徴として何度も「眼」が描写されている。

表情のどこにも畏れとか失望とか緩みとか、もちろん喜びというものがなかった。ただ見る眼だけだった。

私はここ十数年、危篤でもなく歳も若い男の人の顔に、この「ただ見る眼」を感じることが時々ある。こういう人は生と死の距離が近い気がして、体を揺さぶって「眼」を覚まさせたくなる。この本を片手に、草むしりをしてみればいい、薪割りをしてみればいい、掃除をしてみればいい・・・と言いたくなるけれど、もしもそれがいいとなったら「露伴の草むしりゲーム」とか、「文の掃除ゲーム」を作ってしまう時代だ。自分料簡でサルをやるのは止めておこう。

12件のコメント

[C3429] 多分読んだのでしょう・・・。

どうも、いい加減な記憶です。3,4年前、文庫本を持ち歩いていて、デパートの開店時間待ちで、警備員さんや掃除人さんの姿をチラチラ見ながらから、読んでいた記憶まではあるのですが。中味はぼんやり、です。
メディアからの情報があふれ出てくる昨今と、口授伝授の文さんの頃との違いを思いながら、読んだ覚えがあります。
あの時代で、ああ生きた彼女だと、今の時代でも、今の時代に即した、彼女らしい暮らし方のエキスパートとして生きていらっしゃるでしょうか。
18才で親元を離れてから、常に遠くでしか暮らしたことがないので、死に行く父親に添う事もしていません。未明に危篤の電話を受け、夫子供を残して、早朝に列車で郷里へ向かいました。
「みちのくの母のいのちをひと目見んひと目みんとぞただに急げる」ー斉藤茂吉ー
危篤の主は父でしたが、その歌が思い浮かびました。

[C3434] >街中の案山子さん

家事も看護も、かつてはこんなに手がかかったのかと、改めて驚きます。

私も遠かったので、最後は間に合いませんでした。
  • 2008-06-22
  • 投稿者 : milesta
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[C3435] 理不尽な父親

 例によって本稿の趣旨とは関係のないコメントで失礼します。
 昨今、子供を叱るときにはちゃんと理由を説明しなくてはならない風潮が広がっていますが、昔の父親や近所のお年寄り(場合によっては教師などでも)など理不尽に起こったりする大人が随分いて、その環境が子供を強くしたのかもしれぬと思うことがあります。

 幸田露伴。
 口の達者な屁理屈を言う父親像が見えてきました。
 娘である文さんもその父親の言葉を素直に聞く辺り、独自の存在感をキチンと持った父親でもあったのでしょうね。
 こんな父親に育てられると、深みのある人間が育つのかもしれません。

[C3436] >山本大成さん

小学生の時、理不尽に怒る教師を見て、いろいろなことを学びました。大人と子供の隔たりとか、正義が勝つとは限らないとか・・・。

幸田露伴は理不尽というか、むしろ理路整然と押しつけてくる感じですね。この本によれば、本人が押しつけてくることはちゃんと自分ができることなので、文も何も言い返せないのです。それに耐えるには、抜粋した箇所のように、茶化してみたり、冗談にしてみたり、「笑い」に変えてしまうしかなく、そうすることによって文は我慢強くかつ洒落のわかる人間になっていったのだと思います。
  • 2008-06-26
  • 投稿者 : milesta
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[C3437] 人を作る

お久しぶりです。
私の子供の頃はまだ、このような教育の仕方が残っていたように思いますし、人間、最終的には情で動くことを考えれば、このような教育そが大切なのでしょう。
今の親の中には、子供を大人にさせないためとしか思えない、教育とは言えない接し方が見受けられます。
親自身が子供に嫌われたくないという利己心のためでしょうか。

[C3438] >小楠さん

ご無沙汰しています。

以心伝心とはこのことでしょうか。数ヶ月前に

>今の親の中には、子供を大人にさせないためとしか思えない、教育とは言えない接し方が見受けられます。
親自身が子供に嫌われたくないという利己心のためでしょうか。

と強く感じる出来事があり、以来折に触れてそのことに関連しそうな本を読んだり、ご紹介したりしてきました。
こうした親子関係は増えているように思え、今後の日本社会に深刻な影響を与えるだろうと憂慮しています。
  • 2008-06-26
  • 投稿者 : milesta
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[C3439] 親の圧力

>幸田露伴は理不尽というか、むしろ理路整然と押しつけてくる感じ

 たしかにその通りだと思います。それが文さんを強くしたのでしょう。子供は理不尽かどうかは肌で感じます。あまり理路整然だと逃げ場がなくなるかもしれませんが、親の圧力は、あった方が子供のためですね。
  • 2008-06-27
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C3440] >のらりひょんさん

最近は親の圧力がない分、自分の権利ばかり主張する我が儘で理不尽な子供が増えてきたように思います。

理路整然として押しつけても子供が曲がらないためには、ユーモアと真剣に子を思う心が必要だと思います。露伴にはそれがあったのだと感じました。
  • 2008-06-27
  • 投稿者 : milesta
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[C3442] ユーモア

 たしかに引用された箇所からもユーモアが感じられますね。おっしゃるユーモアは、たんに可笑しさを引き出すものではなく、少し違った視点から見ることを楽しむもののような気がします。そう言えば、イギリス人がユーモアを好むのも、少し違った視点を楽しむという風情がありました。これは子供の教育にとって大事なことですね。
  • 2008-06-28
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C3444] >のらりひょんさん

「違った視点」は大事ですよね。特に、追い詰められたとき、煮詰まってしまったときに、気分や発想を変えられる人とそうでない人で、人生の明暗が分かれてしまうこともありそうですね。
  • 2008-06-29
  • 投稿者 : milesta
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[C3511] こちらも・・・

このエントリを読んだのはだいぶ前だったのですが、コメント忘れていたようで・・・。

わたしも幸田文さんの随筆は好きで何冊か読みました。この本も、読後感の良い本で気に入っています。父に反発しながらも、心から父君を慕っておられる様子が素敵だと思いました。子供から、こういう風に愛される親って幸せでしょうね。
  • 2008-09-15
  • 投稿者 : cyber_bird
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[C3512] >cyber_birdさん

>父に反発しながらも、心から父君を慕っておられる様子が素敵

そうなんですよね。とても素敵ですね。父親べったりの娘というのも自律していないようで嫌ですし、しかし反発ばかりでは親子の愛情は無いのかと思ってしまいますし、幸田父娘はちょうど良い加減なのですよね。
  • 2008-09-16
  • 投稿者 : milesta
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