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『富士山頂』 新田 次郎
![]() | 富士山頂 (文春文庫) (1974/01) 新田 次郎 商品詳細を見る |
富士山頂に気象レーダーを設置するという計画は、当時国家的な大事業であった。
昭和三十八年、建設資材の運搬は当初、馬方組合と強力組合に依頼された。富士山での荷物の運搬は馬力と人力に頼っていた、そんな時代である。積雪や雲による視界の悪さからすると、年間の作業可能日数は四十日と推定され、二年の建設期間延べにしても八十日しか実働日数がとれない。しかも「日本の象徴」である富士山の頂上に、「世界一」のレーダーを設置するというのは、国内外から注目されており、失敗は許されない。
新田次郎は、気象庁に在籍中、この仕事に関わっていた。それで、この小説には自伝的な要素もあるのだが、この事業を幅広い視野で客観的に描き出しているところは、一般的な自伝とはかなり趣が違う。
新田次郎がモデルだと思われる葛木測器課長は、レーダー完成後、謙遜気味に「ただ見ていただけだった」と言う。測器課長の仕事は、この事業の方向付けをすることで、業者の選定、他官庁との交渉、マスコミ対策などを、一手に引き受けていた。「日本一」の仕事に関わりたい業者の売り込み、面子と権限にこだわる他官庁からの干渉、作業に支障を来す内容だろうがスクープを取りたがるマスコミ、これらを全て間近で「見ていた」ことが、この事業を俯瞰図的に書くことに繋がったのではないだろうか。
俯瞰とはいっても、具体的に動いているのは個々の人間だ。人間同士の会話から協力体制が生まれたり、逆に不信感からその人間の所属する組織を排除することになる。困難な作業も、優秀な技術を持つ個人に当たらせることで、不可能が可能になる。
そして、山頂近い作業現場の監督が重視するのは、人の数でも技術でも金の力でもなく、人の気持ちであった。高山病や過酷な労働に耐えかねて下山する建設作業員が続出する中で、そう悟ったのだ。
「私は毎日、作業員たちに、お前達は富士山に名を残すために働けと云っているんです。なぜ、そんな気持ちになったか申しましょうか。測候所員の生活を見たからです。驚くべきほどの安月給で食費は自弁で危険手当さえなく、生命を的に一年中ここで働いている所員たちを支えているものは富士山頂で働いているという使命感なんです。これは全く二十世紀の奇蹟のようなものですよ。私はその奇蹟を、私の仕事に持ち込もうと考えたのです。ここで働けば、お前達の名は、銅銘板にきざまれて、レーダー観測塔の壁に残るぞと云ってやっているのです。初めのうちは彼らは半信半疑で聞いていましたが、今はそれを信用して働いています。彼等にやろうという気が起きたのは、このことを云い出して以来なんです。」
作業員には名誉を与えられるということだ。
果たして、今の社会で、金銭より、安楽より、名誉のために過酷な労働を選ぶ人がどれくらいいるだろう?
名誉ある仕事とは何だろう?
名誉を与えられるべき仕事に対して、世の中の人々は敬意を払っているだろうか?
測候所員の生活の部分を読みながら、ふと自衛官のことが頭に浮かんだ。彼らはろくに名誉も与えられていないのに、厳しい生活環境に身を置き、過酷な労働に従事している。二十一世紀の奇蹟である。
ともあれ、富士山レーダーの作業員たちは、幸運にも名誉を約束され、懸命に働くようになった。
人間と技術との結集により、二年かかってレーダードームが完成し、実用に向けて、電波庁からの厳格な実地検査にも合格した。関係者が涙を流すほど喜び、ホッとしているところへ、大自然からの検査官が訪れる。台風の襲来だ。大事業を成し遂げた人間達へ、奢りの気持ちを芽生えさせないための計らいのようにも感じる。
この事業を完成させた後、葛木課長、つまり新田次郎は、気象庁を退職し、執筆活動に専念することになる。この仕事に関わった人々の多くが、同じように満足感と虚脱感を抱いていたに違いない。誰にとっても、一生に一度の大仕事であっただろう。困難な仕事だというだけでなく、日本の象徴「富士山」に関わるということが、人々をここまで熱中させたのだ。
気象衛星の出現によって富士山頂気象レーダードームは引退した。現在は、富士吉田市に博物館として残っているそうだ。
14件のコメント
[C3030] 新田次郎の真骨頂!?
- 2007-11-15
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[C3031] unam
あの富士山の山頂で作業をするなんて?!
のぼったことがあると大変さがなんとなくわかります。
富士山レーダーのところにもいきました。
最後がとても急な坂になっていているうえに地盤がゆるくて足がすべって怖かった記憶があります。
一生に一度の大仕事って今の日本にどれくらい残されているのだろうと想ってみたりします。
のぼったことがあると大変さがなんとなくわかります。
富士山レーダーのところにもいきました。
最後がとても急な坂になっていているうえに地盤がゆるくて足がすべって怖かった記憶があります。
一生に一度の大仕事って今の日本にどれくらい残されているのだろうと想ってみたりします。
- 2007-11-15
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[C3032] 測候精神
新田次郎さんが気象庁OBとは知りませんでした。
富士山レーダーや測候所の廃止を惜しんでいる人は、職員の中にも多いようです。富士山測候所はその過酷な労働条件にも関わらず、希望する職員が多かったそうな。富士山で殉職された気象庁職員も少なくなかったのですが・・・。
気象庁というと、なんとなく地味な官署というイメージですが、結構プロジェクトX的なドラマが沢山あるんですね。
富士山レーダーや測候所の廃止を惜しんでいる人は、職員の中にも多いようです。富士山測候所はその過酷な労働条件にも関わらず、希望する職員が多かったそうな。富士山で殉職された気象庁職員も少なくなかったのですが・・・。
気象庁というと、なんとなく地味な官署というイメージですが、結構プロジェクトX的なドラマが沢山あるんですね。
- 2007-11-15
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[C3033] >山本大成さん
山がお好きだと、新田次郎の小説は堪らないでしょうね!私はどちらかというと海派ですが、新田次郎の小説には引き込まれます。それにドキュメンタリー的な作品が多いので、好きなジャンルなのです。印象に残っているのは『アラスカ物語』と『聖職の碑』。明暗対照的な作品ですけど。
藤原正彦さんとは、一本筋が通っているところや、理系なのに文章が上手いというところが似ていますね。藤原ていさんの本は読んだことがありません。
藤原正彦さんとは、一本筋が通っているところや、理系なのに文章が上手いというところが似ていますね。藤原ていさんの本は読んだことがありません。
- 2007-11-16
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[C3034] >unamさん
登ったことがあるのですか!
従妹の友人が登った感想が「出産より辛かった。」だそうで、その一言で大変さがわかりました。(笑)
>一生に一度の大仕事って今の日本にどれくらい残されているのだろうと想ってみたりします。
例のセレブな光った建物は、こんなに羨望のまなざしで見られたり、名誉ある仕事だとはあまり思われないですよね。やはり「何のために」ということが大切なのかも。
従妹の友人が登った感想が「出産より辛かった。」だそうで、その一言で大変さがわかりました。(笑)
>一生に一度の大仕事って今の日本にどれくらい残されているのだろうと想ってみたりします。
例のセレブな光った建物は、こんなに羨望のまなざしで見られたり、名誉ある仕事だとはあまり思われないですよね。やはり「何のために」ということが大切なのかも。
- 2007-11-16
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[C3035] >cyber_bird さん
富士山の測候所には、興味深い歴史があって、明治時代に野中到という人が私費で富士山頂に観測小屋を建て、高山病と寒さで倒れるまで、夫婦で観測をしていたそうです。
その後に続いた気象庁の職員の方々も、きっと使命感に燃えていらしたのですね。この本にも少し書かれていますが、お役所といっても、権限を持ち許可を出す官庁(大蔵省など)と、現場を持ち実務を行う官庁とは、雰囲気が違う感じですね。気象庁の職員がある業者のことを「あの会社はお役所仕事だからなぁ。」と言う場面は笑ってしまいました。
その後に続いた気象庁の職員の方々も、きっと使命感に燃えていらしたのですね。この本にも少し書かれていますが、お役所といっても、権限を持ち許可を出す官庁(大蔵省など)と、現場を持ち実務を行う官庁とは、雰囲気が違う感じですね。気象庁の職員がある業者のことを「あの会社はお役所仕事だからなぁ。」と言う場面は笑ってしまいました。
- 2007-11-16
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[C3036] ファンでした
ずっと以前ですが、本書も読みました。
新田次郎ファンで、大学生の時にはよく読みました。
「八甲田山死の彷徨」なども、映画とともに記憶に残っています。
息子さんの藤原正彦さんもいいですね。
新田次郎ファンで、大学生の時にはよく読みました。
「八甲田山死の彷徨」なども、映画とともに記憶に残っています。
息子さんの藤原正彦さんもいいですね。
- 2007-11-16
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[C3037] 藤原ていさん
(追加コメントで失礼します)
藤原ていさんは、たしか「流れる雲は生きている」と言う題名の本だったと思いますが、敗戦後の満州からの引き上げについて書いた本がとても印象に残っています。
夫である新田次郎さんが引き上げ時には別行動で、3人の子供を抱えて悪戦苦闘しつつ帰国するまでの物語が飾らない口調で生々しく書かれていました。
たしか藤原正彦さんが一番下の子供で手を引っ張られて引きずられながらあるいたようで、38度線を越える際に川を渡るのに何度もおぼれかかり、藤原正彦さんは未だに川が怖いとのトラウマを持っているようです。
藤原正彦さんの本の方でも、米国留学時に新田次郎が訪ねてきてアメリカを案内した記述や、母親である藤原ていさんと一緒にその後向かい死んでいた家を探しに満州に行った話などが納められていた記憶もあります。
藤原ていさんは、たしか「流れる雲は生きている」と言う題名の本だったと思いますが、敗戦後の満州からの引き上げについて書いた本がとても印象に残っています。
夫である新田次郎さんが引き上げ時には別行動で、3人の子供を抱えて悪戦苦闘しつつ帰国するまでの物語が飾らない口調で生々しく書かれていました。
たしか藤原正彦さんが一番下の子供で手を引っ張られて引きずられながらあるいたようで、38度線を越える際に川を渡るのに何度もおぼれかかり、藤原正彦さんは未だに川が怖いとのトラウマを持っているようです。
藤原正彦さんの本の方でも、米国留学時に新田次郎が訪ねてきてアメリカを案内した記述や、母親である藤原ていさんと一緒にその後向かい死んでいた家を探しに満州に行った話などが納められていた記憶もあります。
- 2007-11-17
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[C3038] >ぜんさん
新田次郎ファンて多いのですね。
八甲田山の話はもの凄く興味があるのですが、テレビでやっていた映画を苦しく辛い場面に耐えられずに途中で観るのをやめて以来、本を読もうか読むまいかと悩み続けています。
読んだらきっと引き込まれて、また怖い思いをするのでしょう。読むべきか読まない方がよいか・・・悩みます。
八甲田山の話はもの凄く興味があるのですが、テレビでやっていた映画を苦しく辛い場面に耐えられずに途中で観るのをやめて以来、本を読もうか読むまいかと悩み続けています。
読んだらきっと引き込まれて、また怖い思いをするのでしょう。読むべきか読まない方がよいか・・・悩みます。
- 2007-11-17
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[C3039] >山本大成さん
解説を有難うございます。
満州に行った話は『祖国は国語』に載っていましたね。そこに『流れる星は生きている』のことも少しだけ書いてありましたが、そんなに過酷な引き上げだったのですね。何度も溺れそうになったとは!強いお母さまだという印象がありますが、その通りなのですね。
この『富士山頂』にも葛木の奥さんか出てきますが、飄々としていておもしろい女性に書かれていて微笑ましく感じました。
藤原ていさんの本も読んでみようかしら・・・。
満州に行った話は『祖国は国語』に載っていましたね。そこに『流れる星は生きている』のことも少しだけ書いてありましたが、そんなに過酷な引き上げだったのですね。何度も溺れそうになったとは!強いお母さまだという印象がありますが、その通りなのですね。
この『富士山頂』にも葛木の奥さんか出てきますが、飄々としていておもしろい女性に書かれていて微笑ましく感じました。
藤原ていさんの本も読んでみようかしら・・・。
- 2007-11-17
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[C3040] 「葛木の奥さん」
今、milestaさんのコメントを読み、「富士山頂」に書かれている葛木の奥さんは、藤原ていさんを頭に置いて書かれているのかもしれぬと、思い当たりました。
新田次郎さん自身は、これだけの記録的な文学の名手であるにも関わらず、敗戦後の引き上げについては一切書いていらっしゃいません。
口に出して直接仰ることはなかったのでしょうが、何か、新田次郎さんの奥さまへの「深い愛情」をそこに見るような気がしました。
「富士山頂」も、また読んでみます!
新田次郎さん自身は、これだけの記録的な文学の名手であるにも関わらず、敗戦後の引き上げについては一切書いていらっしゃいません。
口に出して直接仰ることはなかったのでしょうが、何か、新田次郎さんの奥さまへの「深い愛情」をそこに見るような気がしました。
「富士山頂」も、また読んでみます!
- 2007-11-17
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[C3041] 失礼しました
すいません。
上のコメントなのですが、改めて考えると「野中到の奥様」と勘違いしていました。
私の記憶では新田次郎の本だったような記憶があるのですが、明治時代の最初の測候所開設時の野中到の奥様と藤原ていさんが、私の頭の中で重なりました。
上のコメントなのですが、改めて考えると「野中到の奥様」と勘違いしていました。
私の記憶では新田次郎の本だったような記憶があるのですが、明治時代の最初の測候所開設時の野中到の奥様と藤原ていさんが、私の頭の中で重なりました。
- 2007-11-17
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[C3042] >山本大成さん
そう言えば、野中ご夫妻のことを書いた『芙蓉の人』、未読ですが読んでみたいと思っていたところでした。
以前プログで紹介した和歌の本に、千代子夫人が天長節に詠った歌が載っていて、興味をもちました。
「けふこそは御代の祝ひの時なれやいざや御旗を打ち揚げぬべし」
烈風の中富士山頂に国旗を掲揚を試みた際の歌だそうです。『芙蓉の人』にも載っているのかしら・・・?
以前プログで紹介した和歌の本に、千代子夫人が天長節に詠った歌が載っていて、興味をもちました。
「けふこそは御代の祝ひの時なれやいざや御旗を打ち揚げぬべし」
烈風の中富士山頂に国旗を掲揚を試みた際の歌だそうです。『芙蓉の人』にも載っているのかしら・・・?
- 2007-11-17
- 編集
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[T395] 人生は一度しかない。嫌いなことはすぐにやめよう。
「人生は一度しかない」とは良く聞く言葉ですが、あなたは常に意識していますか?私は読書が好きで、自...
- 2007-11-18
- 発信元 : 日経225先物取引でがっつり稼ぐ方法
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剣岳(点の記)や槍ヶ岳開山などが印象に残っています。
それぞれ何の脈絡もなく個別に読み始めた、藤原正彦さんであったり藤原ていさんだったりしたのですが、それぞれを読み進むに従い、家族だったと知ったとき、お互いの人間性に何か共通のものを見つけ、興味深く感じたのを思い出しました。