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[C2712]

ルターのやっていたことは個人と神を直接につなげることで、
すごくシンプルで分かりやすい発想なんですけど
ゆとりというかそういうものがない感じがしますね。
そこから発生している資本主義と民主主義もなんらかの関係があるかもしれません。
カトリックのあの大きなサンピエトロ大聖堂とか見ると
他にもっとお金掛けるべきことがあったでしょう!
とも思えるのは確かなんですけど
人々を熱狂させる仕組みというか
気軽に参加できるクッション性というか
そのあたりがいいのかもしれませんね。
  • 2007-08-02
  • 投稿者 : ウナム
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[C2713] ルネサンスの歴史

 塩野七生の本は面白そうですね。ローマの歴史シリーズも、本屋に並んでいるのを見ると壮観です。

 ルネサンス時代の法王は、とりわけ人間くさい印象があります。それはモンタネッリというイタリアのジャーナリストが書いた『ルネサンスの歴史』から受けた印象です。宗教界をも巻き込んだ小さな国同士の争いと、ハイレベルの芸術作品の同居。それだけでも、イタリア・ルネサンスがヨーロッパ史上まれに見る現象だったことを思い知らされます。

 カトリックとプロテスタントの印象の違いも、同感です。ローマで確立したキリスト教は、多神教ローマの儀式をとり入れたために、荘厳感があるのだとも言われます。プロテスタントの方は、キリスト教の原点に帰れという思想であることもあって、儀式よりも内面の信仰に重きを置く傾向があります。そういうこともあって、懐の深さは違う感じがします。
  • 2007-08-02
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C2714] >ウナムさん

>あの大きなサンピエトロ大聖堂

は、まさにここに出てくるジュリオ2世の手がけた仕事ですね。

以前ウナムさんのブログでマリア像のことを書かれていましたけれど、シチリアでは、路地の奥とか家の外壁をくり抜いたところとかに、小さなマリア像が飾ってあるのです。まるでお地蔵さんみたいで、ついつい手を合わせたくなっちゃう。あれが「人間の自然な感情」なのかもしれません。

ルターの理想は神と個人は直接繋がることだけど、この本にも書かれているように人間は弱いものだから、何かに頼りたくなる。そしてプロテスタントの頼っているのは「聖書」だと思うんです。でも「聖書」も結局は神の代理の人間の書いたものなんですよね・・・。

[C2715] >のらりひょんさん

私は塩野七生さんの本が大好きで、このブログでも「塩野七生」のカテゴリーを設けているくらいです。
ルネッサンスについては、この他に『チェーザレ・ボルジア』『わが友マキアヴェッリ』『ルネッサンスの女たち』などがあり、いろいろな視点から書かれていますね。
ローマはカエサルまで読んで、出産・子育て期となり中断してしまい、その間にどんどん新刊が出て、新たに読み始めるのには勇気がいります。

>ローマで確立したキリスト教は、多神教ローマの儀式をとり入れた

この影響は大きいようですね。レオーネ10世の物語には、オリンポスの神々が何度も出てきます。カルネヴァーレ(カーニバル)の仮装姿に、ジュピター、バッコス、マルスなどがありましたし、法王の行列を迎える凱旋門にもオリンポスの神々の像が飾ってあり、「ヴィーナスは統治した、マルスも統治した、そして今、アテネの御大がきた」と書かれていて、それは歴代法王のことを表しているそうです。

[C2716] カトリック

 レオーネ10世の物語にオリンポスの神々が出てくるのは、さすがにルネサンスという時代だからではないでしょうか。

 カトリックでは、マリアも神格化されるし、聖人も日本人の感覚だったら神社に祀られるぐらいの神格化がされていて、そういう感覚は多神教と通じるところはあるような気がします。カトリックという言葉自体、普遍的な、万人向けのという意味があって、民衆の習俗や感覚をとり入れながら受け入れられたという側面が(仏教にも当てはまりますが)あるのでしょうね。
  • 2007-08-02
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C2717] >のらりひょんさん

>聖人も日本人の感覚だったら神社に祀られるぐらいの神格化がされていて

町の守護聖人の名前を冠した教会があり、守護聖人の日にはお祭りで賑わい、氏神様と一緒ですね。

>カトリックという言葉自体、普遍的な、万人向けのという意味があって

そうだったのですか!良いことを教えていただきました。今、辞書で調べてみたら、多様な、さまざまな、という意味まであって驚いています。なるほど、いろいろなものを取り込むはずですね。

[C2718] 勉強不足で

おはようございます。
恥ずかしながら私はこの分野はほとんど無知なので、皆さんのやりとりで学ばせて頂いてます。
ただ神については、人類の力や知識ではどうすることもできない自然界の法則を、哲学でいう本体や実体よりも親しみやすいように人格化した呼称だと考えています。

[C2719] 勉強になりました。

トラックバック有り難う御座いました。

私自身、海外での宗教行事に参加した経験が殆どありませんので、milestaさんが感じられたプロテスタント社会での疎外感という表現は思わず「なるほど」と勉強させていただきました。

プロテスタントの所謂「信仰こそ全て」の精神性がそういった疎外感を生み出す要因となっているように思いました。
山本七平氏が言っておられた「臨在感の差」とでも表現したらよいのでしょうか・・・。

偶像崇拝という意味では日本の神道はまさにそれで、彼ら一神教の世界では大罪となりますよね。
然し乍ら、カトリックでは教会を通じ、人を通じ、その空間を通じてその背景にある「神」への臨在感を得る訳ですから、そういった意味では寛容にならざるを得ません。

それはある意味で、拙ブログでの前論で取り上げた、16世紀中葉に初めて日本が出逢ったキリスト教は旧教であったこと、近世末期に再会したキリスト教は新教であったこと、という点も大きく日本の将来を変えたと言えるのかも知れません。

いまいち伝わりにくそうな文章になってしまったことをお許し下さい。
また整理がついたら拙ブログにて記事として取り上げたいと思います。

長文駄文を乱筆にて失礼致しました。
いつも興味深い内容の記事を有り難う御座います。
  • 2007-08-03
  • 投稿者 : 田舎の神主
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[C2720] >小楠さん

>人類の力や知識ではどうすることもできない自然界の法則を、哲学でいう本体や実体よりも親しみやすいように人格化した呼称だと考えています。

私も同様に考えています。同じ一神教でもイスラム教徒の友人は「神は人ではない」と言い、似たような宗教観を持っているように感じます。

[C2721] >田舎の神主さん

私がプロテスタントに感じる疎外感の最たる物は、偶像崇拝の禁止なのです。
日本では万物に神が宿るので、「物」に対して感謝したり、「物」のお祓いをしたりしますが、これを奇妙だと笑われることがあり、その度にちょっと嫌な気分になります。その延長で、プロテスタントは何でも神に感謝し、人に感謝する気持ちが薄いようなところがあって、これも人間関係が冷たいような感じがして違和感があります。
神道については神主さんのブログでいろいろと勉強させてももらっており、一方では異教を知ることで、神道が私たち日本人の心の中に根付いているのを気づかされることもあります。海外で、神道について考えることになるとは思ってもいませんでした。

[C2722]

参院選に関する小生の記事、大分評判がよく、自分ではどう書くか苦労して、上手く書けず苛立つてゐただけに、皆さんのお褒めの言葉が身に染みます。有難うございます。でも、尊敬などと、照れ臭いこと仰らないで下さい。穴があつたら入りたくなります。
 
 まさに全体主義ですね。最近、たとへば小泉といふとわっと揺れ、年金だ「政治とカネ」だで、わっと揺れる、しかもマスメディアに乗せられてゐる。かなり本気で危険を感じ出してゐます。戦時中もかうだつたのか、それとも当時はメディアのみで、案外国民は冷静ではなかつたのか、考へてしまひます。
茗荷の花、家内が時々、大きくなりすぎた花芽をそのまま咲かせて、もいで来てはテーブルに飾ります。爽やかです。

[C2723] >dokudankojiさん

新聞の社説などの政局分析とは違う、国民の態度の解説に、すっと胸のつかえが下りたような感じがしました。

塩野七生さんの別の本で、全体主義的空気の中で育った人は自分の頭で考えることができなくなると書かれていました。そうだとすると、これからの有権者にはもう期待できないのかと憂鬱になります。

茗荷の花の淡黄色が上品ですてきですね。

[C2724] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2007-08-06
  • 投稿者 :
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[C2725] 面白そうですね

今度読んでみます。
聖人を多神教的感覚で捉えるのはおおいに賛成。

以下、独白。絶対神が人を造ったのなら、人だけでなく(下位の)神も造りそうなものだ…日本人の感覚なのかも知れません。
  • 2007-08-06
  • 投稿者 : 練馬のんべ
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[C2726] 宗教芸術

信仰とは別にカトリックの宗教芸術が好きで、イタリア旅行もしたことがあります。フィレンツェのドゥオモ(教会)に入った時にはその荘厳さに思わず感動の涙g
  • 2007-08-06
  • 投稿者 : ハハサウルス
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[C2727] 宗教芸術2

すみません、コメントの途中で誤って投稿してしまいましたので、続きを書かせて頂きます。

ー感動の涙が出ていました。あの芸術にかけるエネルギーの凄さ、その精神的土台になっている信仰の力には圧倒されます。プロテスタント系の教会のピアノコンサートに行った時には、殺伐さを感じました。偶像云々の問題ではなく、「見て理解できる」ということは大切だと思います。ちなみにお寺さん巡りも好きなのですが、仏像に込められた思いを感じ、それぞれの形、持ち物、ひとつひとつにちゃんと意味のあることを考えると、偶像を禁じることが果たして信仰的に正しいことなのか、私には疑問です。ただ、あまりに堕落し過ぎたカトリックの反動として興ってきたことなので、仕方ないのかもしれませんね。

イタリア行きのツアーで一緒になった高齢のおじいさんとその息子さん、なんでもおじいさんが熱心なカトリック信者で、一度バチカンに連れて来てあげたかったのだそうです。親孝行な方だなぁと心が温かくなりました。信仰に拠り所は必要だと思います。
  • 2007-08-07
  • 投稿者 : ハハサウルス
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[C2728] >練馬のんべさん

面白いですよ。お薦めです。最初の一人を除いて、それぞれが薄い文庫本一冊になるくらい充実した内容で、それぞれに日記の寄せ集めあり、舞台風あり、と書き方も違って、いろいろと楽しめます。

私としては、全人類の神(自然や大宇宙のようなもの)は一つで、それを伝える人たちは、ジーザス(イエス)や聖人だったり、日本の神々だったり、地域性があるということで、お手討ち願いたいと思っているのですが、敬虔なプロテスタントには通じない話のようです。

[C2729] >ハハサウルスさん

カトリックの教会は美しく荘厳ですね。また信仰の心がこもった仏像も、ただの「人形」「銅像」ではないものを感じますよね。キリスト教の像でもマリア様なんて、守ってくれそうな、ありがたい感じがして、手を合わせたくなってしまいます。

仰るようにプロテスタントの教会は殺伐としているというかシンプルなので、信仰という繋がりが無い者には、あまり居心地が良いところではないですよね。その点カソリックは、異教徒でも、ステンドグラスを観るなどの目的で入りやすいですよね。

[C2730] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2007-08-07
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[C2735] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2007-08-08
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[C2809] はまりそうな面白さ

神の代理人というよりまさに人間の代表、人間らしくて楽しい!この本を読んだ直後(8/25)にブログ記事を書いたら、表題、「…社説読み比べ」のつもりが「…読みクラーベ」と書いてしまってそのままです…(苦笑)
  • 2007-08-29
  • 投稿者 : 練馬のんべ
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[C2812] >練馬のんべさん

はまりそうですか!それは紹介した甲斐があるというものです。
塩野さんは、この時代の伝記物をたくさん書かれていて、相互に同じ人物が登場するので、いろいろお読みになると楽しいですよ。『チェーザレ・ボルジア』『我が友マキアヴェッリ』『ルネッサンスの女たち』など、お薦めです。

塩野さんの政治や社会を見る目も鋭いですよね。社会というのは人間の集まりなのだから「人間」を理解している人ほど、社会のことも理解しているのだなぁと思わされます。そして、人間がどう感じるか、人間がどういう行動をとるか、を度外視した制度(=共産主義)は、うまく機能するわけがないと納得するのです。

紹介した本の感想を頂くのは、とても嬉しいことです。有難うございました。

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[T293] タイトル変更&お知らせ

 8月に入り、新しい生活がスタートしましたので、気分を一新し、タイトルとテンプレートを新しくしました。 今も自分の中ではいろいろと構想を練っているところですが、よりわかりやすく読んでいただけるブログを目指

[T301] 「生きる糧」というもの

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『神の代理人』 塩野 七生

神の代理人 神の代理人
塩野 七生 (1996/03)
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「神の代理人」とはカトリック界の頂点に立つローマ法王のことである。この本で四人のローマ法王を知ると、彼らは「神の代理人」というより「人間の代表」といった方が良いのではないかと思えてくる。それくらい、さまざまな型の人間を見せてくれる。

ピオ2世-教養があり洞察力に優れ現実的な人間も、頂点に立つと大きな夢を見てしまうことがある。
アレッサンドロ6世-血縁を重視し、自分たちの一族が世の中に君臨するためには、どんな邪魔者もあらゆる手を使って排除する。
ジュリオ2世-理想に燃え、信仰のため、教会のため、と盲目的になり、状況判断のための視野と耳を持たず、気づいたときには取り返しの付かないことになっている。
レオーネ10世-人間の欲望、享楽を知り尽くし、神の代理人とてまずは民心を掴むべしと、贅沢の限りを尽くした策を次々と繰り出す。

この中で、最も神の忠実なしもべであろうとしたのは、恐らくジュリオ2世だ。キリスト教界での法王庁の独立と栄光を確固たるものにするため、まずは法王に不従順なイタリアの都市を服従させることにする。最初はボローニャを征服するために、フランス勢と同盟国ヴェネツィアを導入。ここから、戦いに勝利した国や都市の勢力を牽制する、もぐら叩きゲームのような政策が始まる。
対ヴェネツィア戦に、フランス勢と同盟国ドイツ、スペイン、フェラーラ、マントヴァ、フィレンツェを導入。
対フランス、フェラーラ戦に、スペイン勢と同盟国ヴェネツィア、スイスを導入。
対スペイン戦に、ドイツ勢導入を画策。
こうしてイタリアの国土は、近隣国を引き込んだ戦場となり、法王は自分で蒔いた種を必死に刈り続けることになる。このジュリオ2世の物語の書き出しはこうである。

 動機が純粋で真面目であり、利己的でなかったという理由だけで、その行為の結果に対する人人の評価が驚くほど寛容になるのには、暗澹たる気持ちにさせられる。
 そういう人は、一私人として見れば、善人で尊重すべき人物で済むのである。だが、彼が、多くの人の生活に影響を与える立場と力を持つ人物であった場合、はたして、その動機の純粋さを誉め称えるだけで済むであろうか。利己的でないということは、それほど立派な免罪符であろうか。


この言葉の裏には、ジュリオ2世とは対照的なアレッサンドロ6世の姿がある。
チェーザレ・ボルジアの父親であるアレッサンドロ6世は、親子でイタリアに君臨しようとしていた。親は宗教界の、息子は世俗界の頂点に立ち、ボルジア家の繁栄に貢献したかったのだ。
動機は利己的であるが、目的の達成のためには慎重に計略を練り、あらゆる策を弄する。自分が損をしたくないという、よくいる型の人間の代表だ。イタリアが他国に支配されることを許さず、フランスの介入を断固として阻止しようとして、それに成功する。
塩野氏は、イタリアにとって、動機が崇高なのと、結果が円満なのと、どちらが良かったのだろうかという投げかけをしている。

このアレッサンドロ6世の物語には、ある修道士との書簡を通じた戦いが描かれる。フィレンツェの修道士サヴォナローラは教会改革に邁進し、フランス軍と手を組んで法王アレッサンドロ6世の退位を目論む。それを知った法王があの手、この手でサヴォナローラを懐柔しようとする。
ここで私が関心をもったのは、法王の懐柔策ではなく、フィレンツェ市民の態度である。サヴォナローラは演説によってフィレンツェ市民の熱狂的な支持を取り付け、フィレンツェ全体が反法王の様相を呈する。しかし、法王が仕掛けてきた「火の試練」から、のらりくらりと逃れようとするサヴォナローラの姿に市民が失望し、激怒し、暴徒と化し、死者まで出してしまうことになる。愚かしいほど単純で熱しやすく醒めやすいことに呆れながら読んでいたが、私たち日本人だって似たような国民性だと思い出し、呆れるのをやめた。

 だが、民衆のこの畜生性を軽蔑してみたところで、またそれを嘆いてみたところで、いったい何になろう。現実は、それを直視するしかない。
 民衆をある事柄に熱狂させることは、さほどむずかしいことではないはずだ。なぜならば、民衆は、常に何かに熱狂することを欲しているのだから。ただし問題は、民衆のその熱狂を続けさせることである。それはむずかしい。


この民衆の熱狂を、祭りや芸術に向けさせたのが、レオーネ10世だ。
彼の贅沢な宗教行事に反発するかのように、ドイツではマルティン・ルターが出てくる。神と人間は直接結ばれているから「神の代理人」は不要であるという考え方だ。
しかしレオーネ10世は、この新しい潮流は、個人主義的で、単眼的で、人間の感情にそぐわないと語る。ルターは聖人信仰や偶像崇拝も禁じている。しかし、それらは民衆の欲していることで、自然な信仰ではないのか、無理矢理禁じていいものかと。その話を聞いた法王の話し相手は言う。

「それは大変だ。フィレンツェ生れのわたしは、市の守護聖人洗礼者聖ヨハネ様と、生まれ日の聖人マリアーノ様に守られ、床屋の守護聖人聖トマソ様の守護もあるし、旅にでる時は聖クリストファロ様にお祈りすれば、旅の間中守ってくださるし、何か物を失くした時は、聖アントニオ様にお願いすれば、失くし物も早く見つかるというのに、そういう聖人を皆、いけないっていうんですか。私らとしては、とても親しみを感じている聖人様たちなのに」

日本の「学問の神様」や「とげ抜き地蔵」などに相通じるところがあり、聖人信仰には共感できる。
私は、カトリックの国では宗教的なストレスをほとんど感じず、カトリックの行事も気軽に見物できたのに、プロテスタントの国では「神は唯一」という言葉を何度も聞かされ、宗教行事にはほとんど参加したことがない。カトリックには多分に多神教的要素と人間重視の信仰が感じられ、プロテスタントには疎外感を抱かされる。

これからは、殉教か勝利かを、むりやり選ばせられる世の中になるだろうよ。

むりやり選ばせられることはないけれど、常に「二つに一つ」という価値観を突きつけられているような感じがして、落ち着かないのは確かである。
カトリック教会が「人間の代表」を「神の代理人」に据えることの意味が、何となくわかったような気がする。

22件のコメント

[C2712]

ルターのやっていたことは個人と神を直接につなげることで、
すごくシンプルで分かりやすい発想なんですけど
ゆとりというかそういうものがない感じがしますね。
そこから発生している資本主義と民主主義もなんらかの関係があるかもしれません。
カトリックのあの大きなサンピエトロ大聖堂とか見ると
他にもっとお金掛けるべきことがあったでしょう!
とも思えるのは確かなんですけど
人々を熱狂させる仕組みというか
気軽に参加できるクッション性というか
そのあたりがいいのかもしれませんね。
  • 2007-08-02
  • 投稿者 : ウナム
  • URL
  • 編集

[C2713] ルネサンスの歴史

 塩野七生の本は面白そうですね。ローマの歴史シリーズも、本屋に並んでいるのを見ると壮観です。

 ルネサンス時代の法王は、とりわけ人間くさい印象があります。それはモンタネッリというイタリアのジャーナリストが書いた『ルネサンスの歴史』から受けた印象です。宗教界をも巻き込んだ小さな国同士の争いと、ハイレベルの芸術作品の同居。それだけでも、イタリア・ルネサンスがヨーロッパ史上まれに見る現象だったことを思い知らされます。

 カトリックとプロテスタントの印象の違いも、同感です。ローマで確立したキリスト教は、多神教ローマの儀式をとり入れたために、荘厳感があるのだとも言われます。プロテスタントの方は、キリスト教の原点に帰れという思想であることもあって、儀式よりも内面の信仰に重きを置く傾向があります。そういうこともあって、懐の深さは違う感じがします。
  • 2007-08-02
  • 投稿者 : のらりひょん
  • URL
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[C2714] >ウナムさん

>あの大きなサンピエトロ大聖堂

は、まさにここに出てくるジュリオ2世の手がけた仕事ですね。

以前ウナムさんのブログでマリア像のことを書かれていましたけれど、シチリアでは、路地の奥とか家の外壁をくり抜いたところとかに、小さなマリア像が飾ってあるのです。まるでお地蔵さんみたいで、ついつい手を合わせたくなっちゃう。あれが「人間の自然な感情」なのかもしれません。

ルターの理想は神と個人は直接繋がることだけど、この本にも書かれているように人間は弱いものだから、何かに頼りたくなる。そしてプロテスタントの頼っているのは「聖書」だと思うんです。でも「聖書」も結局は神の代理の人間の書いたものなんですよね・・・。

[C2715] >のらりひょんさん

私は塩野七生さんの本が大好きで、このブログでも「塩野七生」のカテゴリーを設けているくらいです。
ルネッサンスについては、この他に『チェーザレ・ボルジア』『わが友マキアヴェッリ』『ルネッサンスの女たち』などがあり、いろいろな視点から書かれていますね。
ローマはカエサルまで読んで、出産・子育て期となり中断してしまい、その間にどんどん新刊が出て、新たに読み始めるのには勇気がいります。

>ローマで確立したキリスト教は、多神教ローマの儀式をとり入れた

この影響は大きいようですね。レオーネ10世の物語には、オリンポスの神々が何度も出てきます。カルネヴァーレ(カーニバル)の仮装姿に、ジュピター、バッコス、マルスなどがありましたし、法王の行列を迎える凱旋門にもオリンポスの神々の像が飾ってあり、「ヴィーナスは統治した、マルスも統治した、そして今、アテネの御大がきた」と書かれていて、それは歴代法王のことを表しているそうです。

[C2716] カトリック

 レオーネ10世の物語にオリンポスの神々が出てくるのは、さすがにルネサンスという時代だからではないでしょうか。

 カトリックでは、マリアも神格化されるし、聖人も日本人の感覚だったら神社に祀られるぐらいの神格化がされていて、そういう感覚は多神教と通じるところはあるような気がします。カトリックという言葉自体、普遍的な、万人向けのという意味があって、民衆の習俗や感覚をとり入れながら受け入れられたという側面が(仏教にも当てはまりますが)あるのでしょうね。
  • 2007-08-02
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C2717] >のらりひょんさん

>聖人も日本人の感覚だったら神社に祀られるぐらいの神格化がされていて

町の守護聖人の名前を冠した教会があり、守護聖人の日にはお祭りで賑わい、氏神様と一緒ですね。

>カトリックという言葉自体、普遍的な、万人向けのという意味があって

そうだったのですか!良いことを教えていただきました。今、辞書で調べてみたら、多様な、さまざまな、という意味まであって驚いています。なるほど、いろいろなものを取り込むはずですね。

[C2718] 勉強不足で

おはようございます。
恥ずかしながら私はこの分野はほとんど無知なので、皆さんのやりとりで学ばせて頂いてます。
ただ神については、人類の力や知識ではどうすることもできない自然界の法則を、哲学でいう本体や実体よりも親しみやすいように人格化した呼称だと考えています。

[C2719] 勉強になりました。

トラックバック有り難う御座いました。

私自身、海外での宗教行事に参加した経験が殆どありませんので、milestaさんが感じられたプロテスタント社会での疎外感という表現は思わず「なるほど」と勉強させていただきました。

プロテスタントの所謂「信仰こそ全て」の精神性がそういった疎外感を生み出す要因となっているように思いました。
山本七平氏が言っておられた「臨在感の差」とでも表現したらよいのでしょうか・・・。

偶像崇拝という意味では日本の神道はまさにそれで、彼ら一神教の世界では大罪となりますよね。
然し乍ら、カトリックでは教会を通じ、人を通じ、その空間を通じてその背景にある「神」への臨在感を得る訳ですから、そういった意味では寛容にならざるを得ません。

それはある意味で、拙ブログでの前論で取り上げた、16世紀中葉に初めて日本が出逢ったキリスト教は旧教であったこと、近世末期に再会したキリスト教は新教であったこと、という点も大きく日本の将来を変えたと言えるのかも知れません。

いまいち伝わりにくそうな文章になってしまったことをお許し下さい。
また整理がついたら拙ブログにて記事として取り上げたいと思います。

長文駄文を乱筆にて失礼致しました。
いつも興味深い内容の記事を有り難う御座います。
  • 2007-08-03
  • 投稿者 : 田舎の神主
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  • 編集

[C2720] >小楠さん

>人類の力や知識ではどうすることもできない自然界の法則を、哲学でいう本体や実体よりも親しみやすいように人格化した呼称だと考えています。

私も同様に考えています。同じ一神教でもイスラム教徒の友人は「神は人ではない」と言い、似たような宗教観を持っているように感じます。

[C2721] >田舎の神主さん

私がプロテスタントに感じる疎外感の最たる物は、偶像崇拝の禁止なのです。
日本では万物に神が宿るので、「物」に対して感謝したり、「物」のお祓いをしたりしますが、これを奇妙だと笑われることがあり、その度にちょっと嫌な気分になります。その延長で、プロテスタントは何でも神に感謝し、人に感謝する気持ちが薄いようなところがあって、これも人間関係が冷たいような感じがして違和感があります。
神道については神主さんのブログでいろいろと勉強させてももらっており、一方では異教を知ることで、神道が私たち日本人の心の中に根付いているのを気づかされることもあります。海外で、神道について考えることになるとは思ってもいませんでした。

[C2722]

参院選に関する小生の記事、大分評判がよく、自分ではどう書くか苦労して、上手く書けず苛立つてゐただけに、皆さんのお褒めの言葉が身に染みます。有難うございます。でも、尊敬などと、照れ臭いこと仰らないで下さい。穴があつたら入りたくなります。
 
 まさに全体主義ですね。最近、たとへば小泉といふとわっと揺れ、年金だ「政治とカネ」だで、わっと揺れる、しかもマスメディアに乗せられてゐる。かなり本気で危険を感じ出してゐます。戦時中もかうだつたのか、それとも当時はメディアのみで、案外国民は冷静ではなかつたのか、考へてしまひます。
茗荷の花、家内が時々、大きくなりすぎた花芽をそのまま咲かせて、もいで来てはテーブルに飾ります。爽やかです。

[C2723] >dokudankojiさん

新聞の社説などの政局分析とは違う、国民の態度の解説に、すっと胸のつかえが下りたような感じがしました。

塩野七生さんの別の本で、全体主義的空気の中で育った人は自分の頭で考えることができなくなると書かれていました。そうだとすると、これからの有権者にはもう期待できないのかと憂鬱になります。

茗荷の花の淡黄色が上品ですてきですね。

[C2724] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2007-08-06
  • 投稿者 :
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[C2725] 面白そうですね

今度読んでみます。
聖人を多神教的感覚で捉えるのはおおいに賛成。

以下、独白。絶対神が人を造ったのなら、人だけでなく(下位の)神も造りそうなものだ…日本人の感覚なのかも知れません。
  • 2007-08-06
  • 投稿者 : 練馬のんべ
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[C2726] 宗教芸術

信仰とは別にカトリックの宗教芸術が好きで、イタリア旅行もしたことがあります。フィレンツェのドゥオモ(教会)に入った時にはその荘厳さに思わず感動の涙g
  • 2007-08-06
  • 投稿者 : ハハサウルス
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[C2727] 宗教芸術2

すみません、コメントの途中で誤って投稿してしまいましたので、続きを書かせて頂きます。

ー感動の涙が出ていました。あの芸術にかけるエネルギーの凄さ、その精神的土台になっている信仰の力には圧倒されます。プロテスタント系の教会のピアノコンサートに行った時には、殺伐さを感じました。偶像云々の問題ではなく、「見て理解できる」ということは大切だと思います。ちなみにお寺さん巡りも好きなのですが、仏像に込められた思いを感じ、それぞれの形、持ち物、ひとつひとつにちゃんと意味のあることを考えると、偶像を禁じることが果たして信仰的に正しいことなのか、私には疑問です。ただ、あまりに堕落し過ぎたカトリックの反動として興ってきたことなので、仕方ないのかもしれませんね。

イタリア行きのツアーで一緒になった高齢のおじいさんとその息子さん、なんでもおじいさんが熱心なカトリック信者で、一度バチカンに連れて来てあげたかったのだそうです。親孝行な方だなぁと心が温かくなりました。信仰に拠り所は必要だと思います。
  • 2007-08-07
  • 投稿者 : ハハサウルス
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[C2728] >練馬のんべさん

面白いですよ。お薦めです。最初の一人を除いて、それぞれが薄い文庫本一冊になるくらい充実した内容で、それぞれに日記の寄せ集めあり、舞台風あり、と書き方も違って、いろいろと楽しめます。

私としては、全人類の神(自然や大宇宙のようなもの)は一つで、それを伝える人たちは、ジーザス(イエス)や聖人だったり、日本の神々だったり、地域性があるということで、お手討ち願いたいと思っているのですが、敬虔なプロテスタントには通じない話のようです。

[C2729] >ハハサウルスさん

カトリックの教会は美しく荘厳ですね。また信仰の心がこもった仏像も、ただの「人形」「銅像」ではないものを感じますよね。キリスト教の像でもマリア様なんて、守ってくれそうな、ありがたい感じがして、手を合わせたくなってしまいます。

仰るようにプロテスタントの教会は殺伐としているというかシンプルなので、信仰という繋がりが無い者には、あまり居心地が良いところではないですよね。その点カソリックは、異教徒でも、ステンドグラスを観るなどの目的で入りやすいですよね。

[C2730] 管理人のみ閲覧できます

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  • 2007-08-07
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  • 2007-08-08
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[C2809] はまりそうな面白さ

神の代理人というよりまさに人間の代表、人間らしくて楽しい!この本を読んだ直後(8/25)にブログ記事を書いたら、表題、「…社説読み比べ」のつもりが「…読みクラーベ」と書いてしまってそのままです…(苦笑)
  • 2007-08-29
  • 投稿者 : 練馬のんべ
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[C2812] >練馬のんべさん

はまりそうですか!それは紹介した甲斐があるというものです。
塩野さんは、この時代の伝記物をたくさん書かれていて、相互に同じ人物が登場するので、いろいろお読みになると楽しいですよ。『チェーザレ・ボルジア』『我が友マキアヴェッリ』『ルネッサンスの女たち』など、お薦めです。

塩野さんの政治や社会を見る目も鋭いですよね。社会というのは人間の集まりなのだから「人間」を理解している人ほど、社会のことも理解しているのだなぁと思わされます。そして、人間がどう感じるか、人間がどういう行動をとるか、を度外視した制度(=共産主義)は、うまく機能するわけがないと納得するのです。

紹介した本の感想を頂くのは、とても嬉しいことです。有難うございました。

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