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[C2658] 三島由紀夫 食わず嫌いでした

昭和四十五年だったのですね。自決されたの。あのとき私は地元で開かれた万博に夢中の小学生だったのです。
中学生で「潮騒」「金閣寺」くらいしか知らず、そのころは三島さんって右翼!なんて思ってました。
演劇も黒蜥蜴とか、サド公爵夫人とか題聞くだけでこわいって感じだったので敬遠していました。
milestaさんの解釈ユニークですねえ。でも言い得て妙だと思います。
ジーザスですか。また読みたい本が増えてしまいました。夏中に読めるかしら?!
  • 2007-07-13
  • 投稿者 : さくらこ
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[C2659] 宴のあと

高校生の頃、三島由紀夫ファンの先輩がいらして、(半ば強制的に薦められ)『宴のあと』を読んだのが三島作品で私が唯一読んだ本です。ただ、その後三島由紀夫について書かれた本を読んだ中で、痩せた自分の身体を嫌い筋肉質に鍛えていたこと、「肉欲は虚しい」と言っていたことなどが、何故か印象に残っています。
割腹自殺をされる前の演説写真を見、その行為に対し、“果たしてその切なる思いをどれだけの人が理解してくれるのだろう”と思い、虚しさ、悔しさ、“やっぱり死んじゃダメだよ”…など、複雑な感情を抱いたことを思い出しました。稀有な方だと思います。

話はすごく飛んで申し訳ないのですが、大江健三郎がノーベル賞を受賞できたのは、それ以前に三島作品が翻訳されその評価が高かったお陰と、(大江作品の)翻訳者が優秀だったからだと、読んだことがあり、何だかすごく腹立たしかった覚えがあります。大体文化勲章を「要らないよ」って言ったのなら、ノーベル賞も「要らない」って言ったらいいのに、とも憤慨していた私です。(大江ファンの方には申し訳ありませんが)

今の日本を三島由紀夫はどう思われるのでしょうね。
  • 2007-07-14
  • 投稿者 : ハハサウルス
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[C2661] >さくらこさん

私もこわそうなもの、毒のありそうなものは避けて『潮騒』とか『宴のあと』など、わかりやすそうなものしか読んでいませんでした。そして、やはり「右翼?」というイメージを持っていました。

学生時代、三島由紀夫の昔の演説の原稿か論文が雑誌に掲載されていて、題名は忘れましたが、「世界の中の日本」というようなテーマで、日本は日本のアイデンティティーを持つべきだというようなことが書かれていました。それを読んで、とても納得して、右翼ではなく日本を愛しているんだとイメージが変わりました。

この本のように、遊び半分で書かれたようなものの中にも、鋭い現代批判が見え隠れしているのだと気づくのも、その論文を読んだからだと思います。

[C2662] >ハハサウルスさん

『宴のあと』はジャーナリスティックな内容で、私も好きなジャンルです。他の文学作品は、解釈が難しいような気がしていましたが、この本を読んで、人間の中身をどのように捉えて、どのように表現しているのか、興味が沸いてきました。

「ボディビルで鍛えた肉体」については、この本の「三島由紀夫」の章にも何やら自嘲的な記述があっておもしろいです。

大江健三郎氏のノーベル賞には、そんな話があったのですね。何となくあの受賞は、「唐突」という感じがしていましたが。

[C2663] なるほど

「三島=イエス」説、面白いですね。
わたしも三島は死を選ぶことで未だに生きている、という思いがあります。ライバルの大江は生きながらえたことで、嘘つきだとバレたし無残な老後ですが、三島は30年以上前に死んだにも関わらず、未だに映画化もされるし、若い評論家からも彼の文学は議論されています。

といいつつ、三島由紀夫は興味ありつつもあまり読んでいません。しかし、彼のこういうエッセイは逆説とユーモアが面白いですよね。

今、雑誌の正論で、遠藤浩一さんが福田恒存と三島由紀夫の比較論を連載しているのですが、これも面白いです。
  • 2007-07-14
  • 投稿者 : cyber_bird
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[C2664] 本当にユニークですね

トラックバック有り難う御座いました。
早速拝読させて頂きました。

先日拙ブログに頂いたコメントが理解できました。
なるほど、「伝道師」或いは「預言者」として理解すると納得がいきますが、大変ユニークな考察ですね。

しかし私の考察は若干異なります。
本文中の熱心なクリスチャンの方の元をお借りするならば、三島が本質的に理解していた日本の「文化性」というものに根ざし、「日本人」全体に警鐘を鳴らしていたのに対し、イエスは我が儘になってしまった「人間」に対し警鐘を鳴らしていたと考えます。

この様な見解が許されるとするならば、「日本人」という「民族」の危惧を抱いた三島と、「人類」という「普遍的存在」への危惧を抱いたイエスと本質的に違うようにも理解出来ます。

斯様な論はいずれ拙ブログでも取り上げようと思っておりますが、結論だけ先に申しますと「相対的存在である日本人」という観念を持った三島と、「絶対的(唯一的)存在である人類」という観念のイエス、という相容れない要素が私の中にあるのです。
三島のそれは極めて「日本人的」な感性であり、決して普遍性を持ったものではないと思うのです。
この微妙なニュアンスの違いが現代の諸問題を紐解く、重要なキーワードであるように思っております。

その部分的顕現はmilestaさんの本文にある

>「三島由紀夫は『日本にとって』、キリスト教国のジーザスのような存在で、その言葉には『日本人』が耳を傾けるべきものがたくさんある」

の私が二重括弧で括らせていただいた部分のニュアンスがそれであると思います。

勢いにまかせて書いてしまったせいか、文章が批判的に読み取れなくもないようなものになってしまったご無礼をお許し下さい。
決してそのような意図は御座いませんのでご理解を賜れれば幸いと存じます。

長文を駄文乱筆にて失礼いたしました。
  • 2007-07-15
  • 投稿者 : 田舎の神主
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[C2665] >cyber_birdさん

>わたしも三島は死を選ぶことで未だに生きている、という思いがあります。

先日紹介した『閉ざされた言語空間』で、江藤淳氏が「閉ざされている」と感じ始めた起点として「三島由紀夫の自裁」を挙げていました。それがきっかけとなり江藤氏が占領軍による言論統制の実態調査を始められ、今の私たちが知ることができるようになったのです。これも三島由紀夫が死をもって気づかせてくれたことの一つだと思います。

>彼のこういうエッセイは逆説とユーモアが面白いですよね。

そうなんですよ,ね。この本もきっとcyber_birdさんもお好きなのじゃないかと思います。

>今、雑誌の正論で、遠藤浩一さんが福田恒存と三島由紀夫の比較論を連載しているのですが、これも面白いです。

そうなんですか!読みたいなぁ。とても読みたい!日本に帰ったとき読めるかなぁ。『正論』は図書館でも置いているところが少なくて、読み逃すと後で捜すのに難儀するんですよね。

[C2666] >田舎の神主さん

神主さん同様、私も「気づかせようとした内容」については違うと思っています。それも180度に近いくらい。
本文には書きませんでしたが、そのクリスチャンはこうも言いました。
「ユダヤ人だけが救われるのではなく、全民族が救われねばならないと、ジーザスは教えてくれた。」
と。つまりユダヤ人だけが救われるという我が儘な考えは許されないというニュアンスでした。
対して、三島由紀夫は日本が日本らしさを失ってはならないと訴えているわけですから、全く逆の方向ですね。
それで
「その時代、その地域に起こっている精神的な問題」
と書きました。

神主さんの付けてくださった二重括弧は、まさに私の強調したいところで、そこを読み取ってくださったと嬉しく思っています。

神主さんの考察もブログに書かれるということなので、楽しみにしております。

[C2667] 今の時代に生きていて欲しい人

最近、つくづくそう思います。
何故?死んだんだよって・・・・・

私は三島氏の作品は恥ずかしながら
「潮騒」しか知りませんが・・・・・
市谷駐屯地での三島氏の演説は・・・
泣けてきます。
10年以上前、テレビ朝日系の三宅祐司
さん司会の番組で特集され、その様子を
噛り付いて観ました。
あの演説中、罵声を浴びせていた奴らに
腸煮えくり返った記憶が蘇りました。
やはり、あの時に三島氏は死ななけれ
ばならなかったのでしょうか・・・(涙)
キリスト=三島氏・・・
milestaさんの分析には脱帽です。
長文にて失礼しました。
  • 2007-07-15
  • 投稿者 : お竜
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[C2668] >お竜さん

>やはり、あの時に三島氏は死ななければならなかったのでしょうか・・・(涙)

どうなのでしょうね。これは私などにはわからない永遠の疑問のような気がします。
今のようにだんだん皆が目を醒ましてくると「ああ、今言論界にいてくれたら。」と思うけれど、あの当時の日本は、死をもってでも訴えなければ「おかしさ」に気づけないような状態だったのかもしれない・・・本当にわかりません。

亡くなってしまったけれど、作品や論文はたくさん遺されているので、それらから読み取れることは読み取っていきたいですね。

[C2669] 不道徳教育講座

 作者の生前に読んだ本の中に、表題のものがあります。同じ著者だから当然ですが、今回とり上げて下さった本と、読後感が似通っていると感じました。と言っても、小生の感想は単純で、三島って道徳的な人なんだなぁといったものでした。

 もともと虚弱体質だったのに、ボディビルで引き締まった身体を造り、文体も同時にボディビルしたと言われるように、禁欲的な意志の強さも真似できないところがあります。

 彼の死を知ったのは、中国語の先生(中国古典の専門家)が、授業のときに、今日はとてもショックなんだと言われたことからでした。先生と同い年だったということもあったようです。

 七十年安保の前にいわゆる学生運動が盛り上がったあとの時期でした。肝腎の自衛隊員からも冷たくあしらわれ、時代から理解されずに逝った観がありますが、そういう時代だったからこそ、ショッキングな行動で日本人を覚醒させようとしたのだろうと、今になって思います。

>死をもってでも訴えなければ「おかしさ」に気づけないような状態だった

というのは、その通りでもあり、そういう手段でも当時は理解されなかったということでもあると思います。
  • 2007-07-15
  • 投稿者 : のらりひょん
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[C2670] >のらりひょん

いつも貴重なコメントを有難うございます。当時は、そのような雰囲気だったのですね。
私はあの頃まだ子供で、三島由紀夫の自決の他に、よど号乗っ取りとか浅間山荘とか、事件の度に祖父がテレビにかじりついていた姿は覚えているのですが、それぞれどの事件だったのか明確ではありません。

『不道徳講座』も読んでみたいです。ご紹介有難うございます。

[C2671] 無念

三島由紀夫の最後の時を、テレビで見ておりましたが、率直に感じたことを言うと、「急ぎ過ぎた」という思いで、残念無念というのが正直な感想でした。
あの頃のまだ左翼全盛の世情では、彼の行為は特異なものに見えた国民のほうが多かったのではないでしょうか。
だからこそ危機感が強かったのだろうと思いますが。
彼ほどの影響力ある人物が、今の日本正論のリーダー的存在でいてくれたらと、それが残念でなりません。

[C2672] >小楠さん

小楠さんも、当時を覚えていらっしゃるお一人ですね。残念無念の心境でいらっしゃいましたか。

>彼ほどの影響力ある人物が、今の日本正論のリーダー的存在でいてくれたら

本当ですね。石原都知事のご活躍ぶりを見ると、もしも三島由紀夫も生きていたら・・・と思ったりしますね。

[C2708]

milestaさん、こんにちは。

図書館で借りてきて読みました。
ずっと昔『金閣寺』を買ったのすが、途中で投げ出した
経験があったので、もうそれからは三島由紀夫の本からは
遠ざかっていましたが、エッセイはともてユーモアがあって面白いですね。
ブログ上で出会った人に、今の日本は、侍が持っていた嘘をつかない、
約束を守るというルールが外国からのずるいルールに変わってきているという
メッセージをもらって、その意味が気になっていたんですけど、
この本が面白かったので別のエッセイも手にとってみたんですけど、
『新恋愛講座』の~若きサムライのための精神講座~という章を見つけて、
信義、礼法等の項目をみつけることが出来ました。
日本がなくしてきたもの客観的に見つめるために、
もう少し、三島由紀夫の本を読んでみたいなと思うこの頃です。

いつもいい本を紹介して下さって感謝してます。
  • 2007-07-31
  • 投稿者 : Yuka
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[C2711] >YUKAさん

こんにちは。
またまた紹介した本を読んでくださったんですね。本選びのお役に立てたと思うと嬉しくなります。

私もあまり文学的すぎる作品は理解できなかったりしますが、エッセイはおもしろいし読みやすいですよね。茶目っ気があって、三島由紀夫ってこんな人だったのか、と意外なところも見えたりして。
『新恋愛講座』なんていうのも書いているのですか。それも良さそうですね。
  • 2007-08-01
  • 投稿者 : milesta
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[C3078] TBありがとうございました

 どえらいこと、しでかしましたね。
 高校生の私には、何か衝撃があったのですが、それが何か未だに分かりません。
 今分かるのは、三島由紀夫はもののふであった。
 国を憂いて、駆け抜けてしまった。
 早すぎた!

 憂国忌、参列して良かったと思います。

[C3079] >tonoさん

しでかしましたね。
憂国忌は福岡でも行われていたのですね。tonoさんのブログで初めて知りました。
檄文も、ここに挙げた産経新聞に寄せた一文も、最近になってそれがどういうことか、真に迫った世の中になってきましたね。あんなに早くに訴えかけてくれたのに!
  • 2007-11-29
  • 投稿者 : milesta
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[T284] 若きサムライのために

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[T286] 脱少子化は命と心の復活から3

 少子化の基盤的条件に関して、具体的に述べたい。 (1)敗戦による民族の劣化  わが国は、大戦で男子を多く失った。子孫を残すことなく亡くなった若者が、靖国神社に多数祀られている。わが国の場合、戦争では指揮官が隊を率いて先頭に立って命を捧げる。心身ともに優秀

[T287] 死後36年。ますます重要性を増す、三島由紀夫。

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[T406] 「福岡憂国忌」に参列して思うこと

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『反貞女大学』 三島 由紀夫

反貞女大学 反貞女大学
三島 由紀夫 (1994/12)
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この大学で、三島由紀夫教授が、「反貞女はいかにあるべきか」を教えてくれる最初の講義は、「姦通学」である。
「ただの火遊びや、つまみ食いでなく、グラン・プリ級の」姦通を全うするには、十六、七歳の頃から綿密な計画をたて、夫は威風堂々、鈍感で、権勢欲が強く、健康で、生活力がある人を選ばなければならない。夫はあなたを狂的に愛し、しかしあなたは夫を決して愛してはいけない。結婚後は日々の態度や表情にも気をつけ、不貞の相手をきちんと選び、その相手へ効果的なセリフを言う・・・と全部が計画通りにいって初めて、姦通のダイゴ味が味わえる。従って

「現代ではほんとうの姦通は九十九パーセントまで不可能である。しかし、もしそれが可能になったときは、あらゆる恋愛の中で最高のものとなるであろう。」

という結論になる。これを読んで
「ははぁ、反貞女大学とは反語なんだわ。本当は貞女とはどうあるべきかを講義したいのね。」
などと決めてかかると、「空想学」では貞女がよいのか反貞女がよいのかわけがわからなくなってくる。

貞女型の空想は、愛する夫や子供のために「すてきなカーテンがあったらいいわね。」から始まり、カーテンが冷房装置になり、冷房装置がマイカーになり、マイカーが住宅になり・・・夫を食いつぶし、早死にさせる。
一方反貞女の空想には一文もかからない。夫の早死を空想し、いつかどこかの街角でぶつかった男と恋に落ちることを空想する。物質的なユメは見ないので無駄な出費を嫌い、夫の靴下に穴があいても勿体ないからと繕って履かせる。それを見た社長から夫は「感心した。」と言われ、知らず知らずのうちに内助の功をしていることになり、夫は長生きする。

このように、何が貞女で何が反貞女なのかわからない話が次々と出てくる。しかし、よくよく読んでみると、ユーモアの衣を纏わせながら、「今時の女」を嘆いているのではないかと感じられるところが多い。「経済学」や「技巧学」など複数箇所に出てくる家庭内貞女に関する記述には、かなり本音がでているのではないかと思う。

 戦争前まで、家庭の貞女であるのは、簡単なことでした。つまり、「よいお母さん」になれば、それでよかったのでした。なるたけお化粧をせず、ひっつめ頭で、いい着物も着ず、どこへも遊びに行かず、いつも家にいて、裁縫や洗濯に精を出し、・・・そうしていれば、人も貞女と思い、自分もそのつもりでいられたのでした。
 しかし、戦後、家庭制度が崩壊して、アメリカ風の夫婦単位、夫婦中心の生活が一般的になってくると、貞女たる条件は、だんだんむずかしくなりました。
 第一に、夫を愛し、夫に尽くし、精神的にも肉体的にも、十分その愛にこたえることが、貞女の条件になってきた。そのためには、結婚してからも、「女」であることをないがしろにできないし、したがって女の技巧も忘れてはならない。昔なら、夫への愛はともかくとして、姑と子供に一心に尽くしていれば、あっぱれ貞女で通ったものが、今は、それだけではすまなくなった。このごろの若い奥さんたちの服装はますます派手になり、商売女と区別がつきにくくなった。昼間からチャラチャラ、イアリングを下げて歩いているのも珍しくない。


突然だが、三島由紀夫の自決は、自衛隊の駐屯地で行われた。演説の内容も、自衛隊について語っているところが多い。それで、あの事件は女性には関係のないものだったのだと、あまり関心のない女性がほとんどだろう。しかし自決数ヶ月前の下の一文はどうだろうか。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口もきく気になれなくなっているのである。(産経新聞、昭和45年7月7日)


私はこれを読んだときに、三島由紀夫は、あの自決で、女性も含めた日本人全員に訴えたかったことがあったのだと実感した。

そして、その思いを強くしたのは、オーストラリアで熱心なクリスチャンにキリスト教誕生の話を聞いたときである。彼女はこういった。
「世の中の人たちが、どんどん我が儘になって、自分のことしか考えなくなっていったから、神様は地上にジーザス(イエス)を派遣したの。そしてジーザスは人々に“我が儘はいけない。我が儘は罪である。”と説いた。そして、そのことを多くの人に知らしめるために、自分は犠牲になって皆の罪を被って死んだのよ。」
それを聞いた私は、口に出しては言わなかったが、
「三島由紀夫だ。」
と思ったのだ。
ジーザスも三島由紀夫も、その時代、その地域に起こっている精神的な問題に早くから気づき、それを人々に知らせてまわった。最後には命をかけて、知らせようとした。何だか似たような役回りだ。
三島由紀夫が神だというのではない。逆である。ジーザスは、本当はキリスト教では預言者とか伝道師と言われる「人間」だったのに、弟子や後世の人たちが唯一絶対神と重ねて普遍性を求めたのではないか。非キリスト教徒から見ると、そこに無理がある。そんな感じがした。
それ以来、私は三島由紀夫とジーザスは同列に置いて理解している。

というように非常に勝手な解釈をした私は、三島由紀夫は日本にとってキリスト教国のジーザスのような存在で、その言葉には日本人が耳を傾けるべきものがたくさんあるような気がしている。
そして、この本を読んでみて、三島由紀夫が日本のことを真剣に心配するに至ったのは、神だからなどでなく、優れた小説家だったからなのではないかと思った。小説家らしい洞察力で、女性の嫌なところを、面白おかしくではあるが、これでもかこれでもかと書き連ねている。女性が普通の人の前でなら隠し通せてしまう深層心理までも、三島由紀夫には見えてしまうらしい。「日本」がなくなってしまうという危惧も、こうした日常の観察と洞察の積み重ねから生まれてきたものなのだろう。

この本の中で、もう一つおもしろいのは、男性について書かれた後半部分『第一の性』で、「三島由紀夫」について論じているところだ。第三者のふりをして書いているのだが、当時の世間での三島由紀夫像を踏まえた、ユーモア溢れる表現には笑ってしまう。女性の嫌な姿をあれだけ書いておいて、自分のことは美化していたら女性読者にそっぽを向かれるだろうが、自分のことを茶化しているのだから憎めない。ここに「書かれている三島由紀夫」は変わり者だが、それを「書いている三島由紀夫」は機知に富んでいてとても魅力的である。最後がこう結ばれているのも興味深い。

 この男は、考えてみると、今まで男性人物講座をつづけて来た中で、一番下らない人物のように思えますが、しかし彼も亦、一個の男子である。何かそのうち、どえらいことを仕出来すこともあるでしょう。読者諸君と共に、気永に見守ってやろうではありませんか。

18件のコメント

[C2658] 三島由紀夫 食わず嫌いでした

昭和四十五年だったのですね。自決されたの。あのとき私は地元で開かれた万博に夢中の小学生だったのです。
中学生で「潮騒」「金閣寺」くらいしか知らず、そのころは三島さんって右翼!なんて思ってました。
演劇も黒蜥蜴とか、サド公爵夫人とか題聞くだけでこわいって感じだったので敬遠していました。
milestaさんの解釈ユニークですねえ。でも言い得て妙だと思います。
ジーザスですか。また読みたい本が増えてしまいました。夏中に読めるかしら?!
  • 2007-07-13
  • 投稿者 : さくらこ
  • URL
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[C2659] 宴のあと

高校生の頃、三島由紀夫ファンの先輩がいらして、(半ば強制的に薦められ)『宴のあと』を読んだのが三島作品で私が唯一読んだ本です。ただ、その後三島由紀夫について書かれた本を読んだ中で、痩せた自分の身体を嫌い筋肉質に鍛えていたこと、「肉欲は虚しい」と言っていたことなどが、何故か印象に残っています。
割腹自殺をされる前の演説写真を見、その行為に対し、“果たしてその切なる思いをどれだけの人が理解してくれるのだろう”と思い、虚しさ、悔しさ、“やっぱり死んじゃダメだよ”…など、複雑な感情を抱いたことを思い出しました。稀有な方だと思います。

話はすごく飛んで申し訳ないのですが、大江健三郎がノーベル賞を受賞できたのは、それ以前に三島作品が翻訳されその評価が高かったお陰と、(大江作品の)翻訳者が優秀だったからだと、読んだことがあり、何だかすごく腹立たしかった覚えがあります。大体文化勲章を「要らないよ」って言ったのなら、ノーベル賞も「要らない」って言ったらいいのに、とも憤慨していた私です。(大江ファンの方には申し訳ありませんが)

今の日本を三島由紀夫はどう思われるのでしょうね。
  • 2007-07-14
  • 投稿者 : ハハサウルス
  • URL
  • 編集

[C2661] >さくらこさん

私もこわそうなもの、毒のありそうなものは避けて『潮騒』とか『宴のあと』など、わかりやすそうなものしか読んでいませんでした。そして、やはり「右翼?」というイメージを持っていました。

学生時代、三島由紀夫の昔の演説の原稿か論文が雑誌に掲載されていて、題名は忘れましたが、「世界の中の日本」というようなテーマで、日本は日本のアイデンティティーを持つべきだというようなことが書かれていました。それを読んで、とても納得して、右翼ではなく日本を愛しているんだとイメージが変わりました。

この本のように、遊び半分で書かれたようなものの中にも、鋭い現代批判が見え隠れしているのだと気づくのも、その論文を読んだからだと思います。

[C2662] >ハハサウルスさん

『宴のあと』はジャーナリスティックな内容で、私も好きなジャンルです。他の文学作品は、解釈が難しいような気がしていましたが、この本を読んで、人間の中身をどのように捉えて、どのように表現しているのか、興味が沸いてきました。

「ボディビルで鍛えた肉体」については、この本の「三島由紀夫」の章にも何やら自嘲的な記述があっておもしろいです。

大江健三郎氏のノーベル賞には、そんな話があったのですね。何となくあの受賞は、「唐突」という感じがしていましたが。

[C2663] なるほど

「三島=イエス」説、面白いですね。
わたしも三島は死を選ぶことで未だに生きている、という思いがあります。ライバルの大江は生きながらえたことで、嘘つきだとバレたし無残な老後ですが、三島は30年以上前に死んだにも関わらず、未だに映画化もされるし、若い評論家からも彼の文学は議論されています。

といいつつ、三島由紀夫は興味ありつつもあまり読んでいません。しかし、彼のこういうエッセイは逆説とユーモアが面白いですよね。

今、雑誌の正論で、遠藤浩一さんが福田恒存と三島由紀夫の比較論を連載しているのですが、これも面白いです。
  • 2007-07-14
  • 投稿者 : cyber_bird
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[C2664] 本当にユニークですね

トラックバック有り難う御座いました。
早速拝読させて頂きました。

先日拙ブログに頂いたコメントが理解できました。
なるほど、「伝道師」或いは「預言者」として理解すると納得がいきますが、大変ユニークな考察ですね。

しかし私の考察は若干異なります。
本文中の熱心なクリスチャンの方の元をお借りするならば、三島が本質的に理解していた日本の「文化性」というものに根ざし、「日本人」全体に警鐘を鳴らしていたのに対し、イエスは我が儘になってしまった「人間」に対し警鐘を鳴らしていたと考えます。

この様な見解が許されるとするならば、「日本人」という「民族」の危惧を抱いた三島と、「人類」という「普遍的存在」への危惧を抱いたイエスと本質的に違うようにも理解出来ます。

斯様な論はいずれ拙ブログでも取り上げようと思っておりますが、結論だけ先に申しますと「相対的存在である日本人」という観念を持った三島と、「絶対的(唯一的)存在である人類」という観念のイエス、という相容れない要素が私の中にあるのです。
三島のそれは極めて「日本人的」な感性であり、決して普遍性を持ったものではないと思うのです。
この微妙なニュアンスの違いが現代の諸問題を紐解く、重要なキーワードであるように思っております。

その部分的顕現はmilestaさんの本文にある

>「三島由紀夫は『日本にとって』、キリスト教国のジーザスのような存在で、その言葉には『日本人』が耳を傾けるべきものがたくさんある」

の私が二重括弧で括らせていただいた部分のニュアンスがそれであると思います。

勢いにまかせて書いてしまったせいか、文章が批判的に読み取れなくもないようなものになってしまったご無礼をお許し下さい。
決してそのような意図は御座いませんのでご理解を賜れれば幸いと存じます。

長文を駄文乱筆にて失礼いたしました。
  • 2007-07-15
  • 投稿者 : 田舎の神主
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  • 編集

[C2665] >cyber_birdさん

>わたしも三島は死を選ぶことで未だに生きている、という思いがあります。

先日紹介した『閉ざされた言語空間』で、江藤淳氏が「閉ざされている」と感じ始めた起点として「三島由紀夫の自裁」を挙げていました。それがきっかけとなり江藤氏が占領軍による言論統制の実態調査を始められ、今の私たちが知ることができるようになったのです。これも三島由紀夫が死をもって気づかせてくれたことの一つだと思います。

>彼のこういうエッセイは逆説とユーモアが面白いですよね。

そうなんですよ,ね。この本もきっとcyber_birdさんもお好きなのじゃないかと思います。

>今、雑誌の正論で、遠藤浩一さんが福田恒存と三島由紀夫の比較論を連載しているのですが、これも面白いです。

そうなんですか!読みたいなぁ。とても読みたい!日本に帰ったとき読めるかなぁ。『正論』は図書館でも置いているところが少なくて、読み逃すと後で捜すのに難儀するんですよね。

[C2666] >田舎の神主さん

神主さん同様、私も「気づかせようとした内容」については違うと思っています。それも180度に近いくらい。
本文には書きませんでしたが、そのクリスチャンはこうも言いました。
「ユダヤ人だけが救われるのではなく、全民族が救われねばならないと、ジーザスは教えてくれた。」
と。つまりユダヤ人だけが救われるという我が儘な考えは許されないというニュアンスでした。
対して、三島由紀夫は日本が日本らしさを失ってはならないと訴えているわけですから、全く逆の方向ですね。
それで
「その時代、その地域に起こっている精神的な問題」
と書きました。

神主さんの付けてくださった二重括弧は、まさに私の強調したいところで、そこを読み取ってくださったと嬉しく思っています。

神主さんの考察もブログに書かれるということなので、楽しみにしております。

[C2667] 今の時代に生きていて欲しい人

最近、つくづくそう思います。
何故?死んだんだよって・・・・・

私は三島氏の作品は恥ずかしながら
「潮騒」しか知りませんが・・・・・
市谷駐屯地での三島氏の演説は・・・
泣けてきます。
10年以上前、テレビ朝日系の三宅祐司
さん司会の番組で特集され、その様子を
噛り付いて観ました。
あの演説中、罵声を浴びせていた奴らに
腸煮えくり返った記憶が蘇りました。
やはり、あの時に三島氏は死ななけれ
ばならなかったのでしょうか・・・(涙)
キリスト=三島氏・・・
milestaさんの分析には脱帽です。
長文にて失礼しました。
  • 2007-07-15
  • 投稿者 : お竜
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[C2668] >お竜さん

>やはり、あの時に三島氏は死ななければならなかったのでしょうか・・・(涙)

どうなのでしょうね。これは私などにはわからない永遠の疑問のような気がします。
今のようにだんだん皆が目を醒ましてくると「ああ、今言論界にいてくれたら。」と思うけれど、あの当時の日本は、死をもってでも訴えなければ「おかしさ」に気づけないような状態だったのかもしれない・・・本当にわかりません。

亡くなってしまったけれど、作品や論文はたくさん遺されているので、それらから読み取れることは読み取っていきたいですね。

[C2669] 不道徳教育講座

 作者の生前に読んだ本の中に、表題のものがあります。同じ著者だから当然ですが、今回とり上げて下さった本と、読後感が似通っていると感じました。と言っても、小生の感想は単純で、三島って道徳的な人なんだなぁといったものでした。

 もともと虚弱体質だったのに、ボディビルで引き締まった身体を造り、文体も同時にボディビルしたと言われるように、禁欲的な意志の強さも真似できないところがあります。

 彼の死を知ったのは、中国語の先生(中国古典の専門家)が、授業のときに、今日はとてもショックなんだと言われたことからでした。先生と同い年だったということもあったようです。

 七十年安保の前にいわゆる学生運動が盛り上がったあとの時期でした。肝腎の自衛隊員からも冷たくあしらわれ、時代から理解されずに逝った観がありますが、そういう時代だったからこそ、ショッキングな行動で日本人を覚醒させようとしたのだろうと、今になって思います。

>死をもってでも訴えなければ「おかしさ」に気づけないような状態だった

というのは、その通りでもあり、そういう手段でも当時は理解されなかったということでもあると思います。
  • 2007-07-15
  • 投稿者 : のらりひょん
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  • 編集

[C2670] >のらりひょん

いつも貴重なコメントを有難うございます。当時は、そのような雰囲気だったのですね。
私はあの頃まだ子供で、三島由紀夫の自決の他に、よど号乗っ取りとか浅間山荘とか、事件の度に祖父がテレビにかじりついていた姿は覚えているのですが、それぞれどの事件だったのか明確ではありません。

『不道徳講座』も読んでみたいです。ご紹介有難うございます。

[C2671] 無念

三島由紀夫の最後の時を、テレビで見ておりましたが、率直に感じたことを言うと、「急ぎ過ぎた」という思いで、残念無念というのが正直な感想でした。
あの頃のまだ左翼全盛の世情では、彼の行為は特異なものに見えた国民のほうが多かったのではないでしょうか。
だからこそ危機感が強かったのだろうと思いますが。
彼ほどの影響力ある人物が、今の日本正論のリーダー的存在でいてくれたらと、それが残念でなりません。

[C2672] >小楠さん

小楠さんも、当時を覚えていらっしゃるお一人ですね。残念無念の心境でいらっしゃいましたか。

>彼ほどの影響力ある人物が、今の日本正論のリーダー的存在でいてくれたら

本当ですね。石原都知事のご活躍ぶりを見ると、もしも三島由紀夫も生きていたら・・・と思ったりしますね。

[C2708]

milestaさん、こんにちは。

図書館で借りてきて読みました。
ずっと昔『金閣寺』を買ったのすが、途中で投げ出した
経験があったので、もうそれからは三島由紀夫の本からは
遠ざかっていましたが、エッセイはともてユーモアがあって面白いですね。
ブログ上で出会った人に、今の日本は、侍が持っていた嘘をつかない、
約束を守るというルールが外国からのずるいルールに変わってきているという
メッセージをもらって、その意味が気になっていたんですけど、
この本が面白かったので別のエッセイも手にとってみたんですけど、
『新恋愛講座』の~若きサムライのための精神講座~という章を見つけて、
信義、礼法等の項目をみつけることが出来ました。
日本がなくしてきたもの客観的に見つめるために、
もう少し、三島由紀夫の本を読んでみたいなと思うこの頃です。

いつもいい本を紹介して下さって感謝してます。
  • 2007-07-31
  • 投稿者 : Yuka
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[C2711] >YUKAさん

こんにちは。
またまた紹介した本を読んでくださったんですね。本選びのお役に立てたと思うと嬉しくなります。

私もあまり文学的すぎる作品は理解できなかったりしますが、エッセイはおもしろいし読みやすいですよね。茶目っ気があって、三島由紀夫ってこんな人だったのか、と意外なところも見えたりして。
『新恋愛講座』なんていうのも書いているのですか。それも良さそうですね。
  • 2007-08-01
  • 投稿者 : milesta
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  • 編集

[C3078] TBありがとうございました

 どえらいこと、しでかしましたね。
 高校生の私には、何か衝撃があったのですが、それが何か未だに分かりません。
 今分かるのは、三島由紀夫はもののふであった。
 国を憂いて、駆け抜けてしまった。
 早すぎた!

 憂国忌、参列して良かったと思います。

[C3079] >tonoさん

しでかしましたね。
憂国忌は福岡でも行われていたのですね。tonoさんのブログで初めて知りました。
檄文も、ここに挙げた産経新聞に寄せた一文も、最近になってそれがどういうことか、真に迫った世の中になってきましたね。あんなに早くに訴えかけてくれたのに!
  • 2007-11-29
  • 投稿者 : milesta
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