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『鯨は国を助く』 小泉 武夫

鯨は国を助く鯨は国を助く
(2010/04/01)
小泉 武夫

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シー・シェパードによる調査捕鯨船へのテロ行為によって、それまで無関心だった日本の世論も、捕鯨に関心を持つようになってきたように見える。しかし、どちらかというとその関心は「反捕鯨活動」への関心であるような嫌いもある。
日本人として捕鯨をどう捕らえるのか、それを学ぶ機会はあまりにも少ない。以前私が紹介した『最近捕鯨白書』にしても、国際捕鯨委員会(IWC)を中心とした国際的な動きが中心に書かれていた。

そこへ現れたのが「箸を持った憂国の士」小泉武夫氏である。
「もやしもん」のモデルであると言われる発酵学の権威が、日本における鯨食の歴史、捕鯨に関する科学的な分析、捕鯨・反捕鯨を取り巻く国際政治、栄養学や医学、鯨料理のレシピ・・・とまさに縦横無尽に鯨を語ってくださる。

今の日本では捕鯨は特定の地域だけの伝統産業のように言われているが、実は古事記には、神武天皇が鯨を食べたという記述があり、万葉集には「いさなとり」という捕鯨を意味する歌が12首もあるという。
江戸時代の料理書には鯨料理が何品も載っており、井原西鶴が「クジラ突き」の話を書き、歌舞伎でも上映された。
戦後になると、日本の肉類からの蛋白質摂取量のうち、多いときで七割をクジラが占めていたときもあるのだ。
鯨は明らかに、日本の歴史と共にあり、日本の文化の一部であることがわかる。

しかし小泉氏は、文化保護ということだけで、捕鯨を擁護しているわけではない。小泉氏には『いのちをはぐくむ農と食』という著書があるように、世界で今後深刻になるだろう食糧不足問題や日本の自給率の問題にも取り組まれており、「鯨は貴重な食糧資源だ」という観点も重視している。

現在、日本は孤立無援で反捕鯨と戦っているように見えるが、実は、国連食糧農業機関(FAO)は2002年の水産委員会で、

鯨類への過剰な保護は、海の生態系の変化につながりかねないと警告を与え

ているのである。
これは、調査捕鯨によって得られた、現在の鯨の種類別頭数や鯨が食べる魚類の量から導き出された結論なのだ。
商業捕鯨の一時停止によって鯨は保護され頭数が増え続け、今となっては、鯨は人間の3~5倍もの魚類を食べる、補食者としてのライバル的存在になっている。
実際に漁業の現場では、タラや鰯が鯨に食べられて、水揚げ高が激減しているという。それを数値で示したのが、調査捕鯨による緻密な調査だったのであり、FAOは調査捕鯨を止めてしまうことには懸念を示している。

そもそも、国際捕鯨委員会(IWC)発足の目的は、「鯨類の保存と適切な利用」「捕鯨産業の秩序ある発展」であったのに、本書に書かれているさまざまな政治的な理由から、まるで「捕鯨を禁止する委員会」のようになってしまった。
『最近捕鯨白書』の紹介の中でも書いたが、IWCでは、いくつもの科学的データが、情緒的、政治的な理由で葬り去られているのだ。

今後の食糧危機を考えると、捕鯨は「国を助く」どころか「世界を助く」鍵にもなる。魚類の補食者を増やしすぎないためにも、鯨そのものの栄養学的にも優秀な蛋白源を利用するためにも、捕鯨は必要である。
この本を読んだ人なら、誰しもがそう思うに違いない。しかしそれは日本人だけとは限らない。アメリカの民間会社のアンケート調査でも、きちんと科学的な条件を提示して捕鯨の是非を問うと、捕鯨に賛成の人がアメリカ、イギリス、フランス、オーストラリアどの国でも過半数を超したという。また、アメリカCNNとイギリスBBCの世論調査でも、同様の反応だったそうだ。

捕鯨の正しい知識を世界に広めていくのは、私たち日本人の役割かもしれない。いつ外国人に(もしかしたら日本人にも)訊かれてもよいように、この本を読んでおこう。GW中の海外旅行に携えていくのもお薦めだ。
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『台湾人生』 酒井 充子

台湾人生台湾人生
(2010/04)
酒井 充子

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台湾の人たちは日本の統治に苦しめられたとか恨んでいるという声がある。
一方で、台湾の日本語世代はとても親日的だと言うことも言われている。
この二つは矛盾するようだが、どちらも本当で、この二つの思いを二つとも抱えたまま六十年以上も過ごしてきた人がたくさんいる。そして、その思いの複雑さは本人達も上手く整理して説明できない。けれども、抱えてきた思いを、現代の日本人や台湾人にどうにかして伝えたいという気持ちが、切々と伝わってくるインタビュー集である。

このインタビューは、著者がドキュメンタリー映画を撮影するために行ったもので、映画なら台湾の人たちの思いがもっと直接伝わってくるのだろう。しかし、文字で読むだけでも、胸が締め付けられるような何とも言えない気持ちになる。
日本語で話す台湾のおじいさん、おばあさん達の話は、まるで昔の失恋を、多少の恨みと、切ないような懐かしさと、今でも抑えきれずに溢れ出てくる恋心とともに語っているかのようだ。

「多少の恨み」に焦点を当てれば「日本は台湾人に酷いことをした」ということになるし、「切ないような懐かしさ」を掘り下げていくと「日本は台湾で感謝されることをした」となる。私たち現代の日本人は、そのどちらともを知り、今でも日本に熱い視線を投げかけてくる「恋心」にどうにかして応えなければならないと思う。

台湾の日本語世代の方々の複雑な思いは、インタビューからそれぞれの読者が感じ取るべきだと思うが、台湾人が日本人に抱いている「恨み」は日本への「恋心」の裏返しでもあるということは、ここに記しておきたい。
統治時代、学校では成績がよくても台湾人は表彰されなかったり、給料体系が違ったり、そういう区別や差別があったのは確かなようだ。しかし、そのことが恨みの元となっているのではない。

「今の若い人よりわたしは日本人。なんでその子を捨てたの?そして情けもないの?それがわたし一番悔しいの。台湾人のね。悔しさと懐かしさとそれから何と言いますか、もうほんとうに解けない数学なんですよ。」

「確かに僕たちは血統的には違うけど、国を思う、国を守る心は同じですよ。日本人以上の日本人だとぼくは信じておりますよ。」

「ぼくたちは日本に捨てられて、そして敵対国の支那人に押し込まれていやな国に籍を置かなきゃいけなくなっちまって。」

「わたしは日本人に対して自分の家族、兄弟みたいに思って、日本人を見たら楽しかった。ところが今の日本人は冷たいような気がする。いまはまだ先輩たちがおられるからいいんだけど、いなくなったら最後。」


つまり、私たちがこれだけ日本を思い日本に尽くしてきたのに、戦後の日本は台湾に対してずいぶん冷酷な仕打ちをすると、恨んでいるのだ。

この本を読んで、台湾の方々の思いを知ると、
日本はもっと台湾への関心を持って欲しい。
日本も台湾も、若者達が日台関係を含めた正しい歴史を知って欲しい。
日本と台湾は、兄弟のような絆を取り戻して欲しい。
日本は台湾の国際社会への復帰を応援して欲しい。
という望みの一つでも叶えて差し上げたいと思う。

私には、このように本を紹介するくらいのことしかできないが、これをきっかけに、一人でも多くの方が台湾に関心を持ってくださるよう願っている。

※これまでに紹介した台湾関係の本。
『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸を張りなさい』 蔡 焜燦
『台湾の主張』 李 登輝
『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論』 小林 よしのり

※同じく日本に統治されていた朝鮮の方々へのインタビュー。台湾人の方々が、心を開いて話されている様子なのに対して、本音を言えないような雰囲気が感じられます。
『生活者の日本統治時代―なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか』 呉 善花

『非常識家族』 曽野 綾子

非常識家族 (徳間文庫 そ 5-5)非常識家族 (徳間文庫 そ 5-5)
(2010/04/02)
曾野 綾子

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主人公の大介は浪人生。
大介が言う「変わっているうちの一族」の筆頭は、祖父である。
電車に乗れば大声でさまざまな品評を行う。女子中学生を見て
「まだルーズソックスなんてはいてるんだな」
レギンスをはいた女性が乗ってくると
「股引きだ」
二人分の席を占領している若者には、一歩も譲らず、席を詰めるよう交渉する。
セールスの電話に何と言って撃退しようかと、楽しみに待ちかまえている。
振り込め詐欺さえ、このおじいちゃんにかかるとタジタジだ。
そんな元気なおじいちゃんなのに、
「駅の階段を駆け上がると最後の五段で息が切れる。」
と言って病院に診てもらいに行く。

これが自分の祖父だったら、ちょっと恥ずかしいかもしれないが、でもこのおじいちゃんは「非常識」なのだろうか?
靴下をグズグズに弛ませているセーラー服姿、怪しい相場物を薦めてくるセールス、老人が前に立とうと席を譲らない若者・・・非常識なのはどちらだろう。
ユーモア溢れる曽野綾子さんの書かれたものだから、「非常識」なのは家族の方ではないでしょう?と思わせる、逆説的な題名になっているのである。

しかし、これを読む人の中には、なぜこれが面白いのかわからない若者もいるかもしれない。「こんな失礼なおじいさん、非常識ねっ。」と思う人がいるかもしれない。
そういう人が何割かでもいるから、このような小説、このような題名が成り立つのだ。
塩野七生の『サイレント・マイノリティ』、三島由紀夫の『不道徳講座』『反貞女大学』、などに似たコンセプトと名付け方だ。どの作品にも、「本当はこちらが常識なのにこんな世の中になってしまって・・・」という作者の自負と憂いとアイロニーが感じられる。

とはいっても、上から見下した堅苦しい論評などではなく、ユーモア小説に仕上げたのがすばらしい。

大介たち「変わってる一族」に最もバカにされているのが、「東大」である。
大介の伯母の夫は、東大工学部電気科卒なのに家のヒューズが換えられない。
もう一人の伯母の夫は、東大法学部卒なのにトマトケチャップとトマトジュースの違いがわからない。
そして伯母さんたちから「東大」は、こんなふうに言われている。

「東大は決して反省なんかしませんよ。あの大学の特徴は、決して反省しないところだからね」

祖父は大介に、東大法学部の悪口を法学部卒の人に言っても大丈夫だと言う。

「大丈夫だ。法学部には何を言っても平気だ。」
「やっぱり秀才なんだね。」
「違う、奴らは自分がバカかもしれないと思ったことが一度もないから、人が何を言っても平気なんだ。相手の方が間違っていると思っているから鷹揚にニコニコしてる」


進学する中学や高校を選ぶときに、東大合格率が目安となり、週刊誌までが特集を組む昨今である。その週刊誌の代わりに、この『非常識家族』を読んでみると、もしかしたら人生は変わるかもしれない。それも楽しい方へ!

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