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『サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争』 牧 久

サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争
(2009/05)
牧 久

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妙な言い方だが、子供の頃、ベトナム戦争は私にとって最も身近な戦争だった。新聞の文字が読めるようになった頃、紙面に表れる「戦争」の文字にはたいてい「ベトナム」という言葉が枕詞のようについていた。「べ平連」「ベトコン」などという単語も、意味もわからないまま聞き覚えていた。この頃の私のベトナム戦争に対するイメージは、「よくわからないけれどアメリカの戦争らしい」だった。

高校生か大学生になって、ベトナム戦争の本を何冊か読んだが、もともとの知識の無さと、ある時期を堺にベトナムから世界への情報がぷっつりと途絶えていたこともあって、きちんと理解したとは言い難かった。

大人になり、海外で暮らすベトナム出身者数人と知り合いになった。生粋のベトナム人だけでなく、父親が日本人だというベトナム人女性、ベトナム生まれだが中国人だという男性もいた。いずれも私と同年代の彼らは、いったいどんな人生を経て、なぜ海外で暮らしているのだろう?
特に私はベトナム生まれの中国人という存在を不思議に思った。
ベトナム戦争では、結局北が勝ち社会主義国になったのではないか。とすると、その中国人は国外に「逃げた」わけではないだろう。中国人は社会主義側の人なのだから。なぜ家族で海外に暮らしているのだろう?・・・こんな私の考えは、無知もいいところだったと『ベトナムの火焔樹』を読んだ後では、非常に恥ずかしく思う。
ベトナム戦争は「北対南」とか「ソ連対アメリカ」とか「共産主義陣営対資本主義陣営」とか、そんな単純な図式では語れないものだったのだ。

かつて日経新聞のベトナム特派員であった牧氏が先頃出されたこの本で、私の頭の中は整理され、次のようなことが印象に残った。

・「ベトコン」とアメリカと南ベトナム政府が呼んでいた解放民族戦線の人たちは、最初は「北」でもなく、「親米」でもなく、「社会主義的」でもなかった。いつのまにか「北」に乗っ取られ、利用され、捨てられた。
・「中国人華僑」は南側で商売をしていた人が多く資産を持っているので、サイゴンが陥落し社会主義国となれば、「資本家」である中国人は財産を剥奪されたり迫害されることになる。本を読む前の私のように、中国人と中国とを一緒くたにしてはならない。また同じ共産主義陣営でも、当時ソ連と中国は反目し合っていた。
・南ベトナムの人々にとっては、戦争が終わった後の徹底した共産主義化の方が遙かに過酷な日々であった。資産剥奪、思想改造・・・そしてそれは文化大革命にそっくりである。
・ボートピープルがベトナム社会主義共和国の犠牲者だという世界共通の認識はあるが、それ以外のさまざまな犠牲者についてはあまり知られていない。
・ベトナム戦争には第二次世界大戦後もベトナムに残った元日本兵も関わりが深かったという推測も書かれていて、フランスによる統治まで遡り、また大川周明の名前まで出てくる、その歴史的な流れは非常に興味深い。

これらのことが、当時の新聞記事と、戦後だいぶ経ってから公開された情報や、牧氏が最近になって個人的に体験したことや取材したことを交互に並べて、とても分かりやすく書かれている。
個人的な体験の部分は、よくぞここまでと感心してしまうほど、牧氏にとってはあまり嬉しくないだろうことまで明らかにされている。その象徴的なものが、本書の最初に置かれた口絵である。かつての助手兼通訳であったベトナム人チャン・バン・トアン氏が、牧氏に贈った絵である。ボートピープルとなってオーストラリアに渡り、画家となったトアン氏の描いたこの絵の題名には、牧氏の名前が付けられている。牧氏はこれを見て、かなり苦しまれたのではないかと思う。その理由は、本書を読んでいただきたい。このような個人的なことまで公にして、ベトナム戦争の真実を明らかにしようとする牧氏の姿勢には心を打たれる。

最近はインターネットの普及により、「情報は早い程良い。」というような風潮があるが、過去のことを振り返って、今しかできない視点でじっくりと捉え直すということに高い価値がある場合もあるのだと、改めて気づかされた。


※こちらも読みやすい本です。ベトナム料理の記述も多く、学生の頃は、そんなところにばかり気をとられていたような覚えがあります。
牧氏の本の中で、近藤氏はフランス語が堪能な記者として登場します。
 


※こちらは誰にでも読みやすいとは言えませんが、ベトナム戦争を詳細にわたって報告している重厚な本です。当時、毎日新聞を購読していた我が家では、既に古森記者から送られてくる記事をリアルタイムで読んでいましたが、父はこの本が出版されるとすぐに購入して読んでいました。古森記者のベトナム報道に信頼を寄せていたからです。
牧氏の本の中でも、古森氏の辣腕ぶりが垣間見られます。



※牧氏はこの他のジャーナリストについても、いくつかの出来事を書かれています。
本多勝一氏と日本の某党機関誌の記者が北から取材にやって来て、牧氏と言葉を交わす場面は、ジャーナリストのあるべき姿を問う、貴重な記録だと思います。


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『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』 辺見 じゅん (新しい戯言+過去記事)

今日(平成21年7月24日)の朝刊で、ロシアの国立軍事公文書館に第二次世界大戦後シベリアなど旧ソ連に抑留された日本人約76万人分の資料が収蔵されていることが分かった、という記事を見つけた。日本の厚生労働省の見解では、重複する資料があるとしても70万人分ほどにはなるのではないかとしており、これまでの同省の推定人数56万人を大幅に上回っている。

これだけ多くの日本人が抑留され、抑留中に死亡した方も4~5万になるとされているが、その全容は未だ明らかにされていない。ロシアは資料を日本に提出し、抑留の実態解明を進めて欲しい。そして70万人もの人々が、この時期に、どんな根拠があって(または根拠もなく)、どのように抑留されていたかということは、世界が共有すべき歴史的事実ではないかと思う。

しかし現状では、日本においてさえ、抑留の事実が共通認識となっているとは言い難い。私も歴史の授業で「シベリア抑留」について習った記憶はなく、自分で本を読むまでは、その名称くらいしか知らなかった。
本を読み、シベリア抑留の実態を初めて知ったとき、同じ日本人がこんなに酷い目にあっているのに、それを知らないというのは「恥」であると思った。教育の場で教えてくれなくても、シベリア抑留について知っておくべきだと思う。ロシアの政治的な狡猾さ、過酷な収容所生活、暴力的な思想改造・・・これらを知れば、今の日本人がいかに平和ボケで、危機感がなく、お人好しかがよく分かる。

といっても、過去に起こった難しそうなことををわざわざ本で読むなんて・・・と躊躇する人の気持ちもよく分かる。
そこで、難しくなく読みやすい『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』を紹介したい。学術書とは違い、ドラマがあり、「人間」が描かれており、感動もある。また考えさせられることも多い。

高校生くらいであれば、夏休みの読書感想文にいかがだろうか?学校で学べない自国の歴史を知ることで、物の見方や考え方の幅が広がるのではないかと思うので、是非一度手に取ってみて欲しい。

以下は過去に書いた紹介記事です。

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収容所(ラーゲリ)から来た遺書  文春文庫 収容所(ラーゲリ)から来た遺書 文春文庫
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あの敗戦の8月から数えて丁度9年後にシベリアの収容所で亡くなった山本幡男氏の遺書を、仲間が手分けをして記憶したり洋服の縫い目に隠して持ち帰り、家族の元に届いたのが昭和62年、何と戦後42年も経ってからである。

昭和20年8月15日で戦争は終わって、直ちに日本は平和への道を歩んできたように思ってしまうが、それから先も日本はアメリカの占領下にあったし、戦地から日本に帰るまでの間に命を落とした人達もいる。ロシアでは60万人とも言われる人々がシベリアの収容所に送られ、厳寒の中過酷な労働を強いられて、7万人以上が亡くなったという。

この本には、シベリアの収容所での生活が詳細にわたって書かれている。自由を奪われ、食料は生きていけるかどうかのぎりぎりの量しか与えられず、労働のノルマを達成できなければ更に減らされる。こんな生死の境目のような日々を、希望を捨てずに過ごした日本人たちがいた。自分の力では何ひとつ自由にならないように見える収容所生活だが、そんな中からも自由になるものを見つけ出し、仲間たちにもその術を教えて励まし続けたのが山本幡男氏である。自由になるもの・・・それは頭の中である。物を考え、言葉を駆使して何かを表現することは、誰にも妨げることはできない。

文学とか教養というものは、実社会では「何の役に立つのだ?」という目で見られがちだ。裕福で余裕のある人の道楽ではないかと思う人もいるだろう。しかし、それとは正反対の状況-物質的なものが最小限しか与えられない極限状態の中で、生きている喜び、生きる希望を捨てずにいられるのが文学や教養の力であったことを、この本は教えてくれる。
そして、それだけの教養を持つ日本人が戦時中にはたくさんいたのだということも知らされる。今の私たち日本人が、同じようにシベリア抑留の憂き目にあっていたなら、為すこともなく夢も希望も失い、命を落とす人の数はもっと多くなるかもしれない。

山本氏のおかげで精気を取り戻すことができた収容所仲間が、必死の思いで、山本氏の遺書を日本に持ち帰ったのは、本人たちにしてみれば「当然の恩返しだ。」という思いがあったのかも知れない。彼らのうちの何人もが、山本氏に教えられた「喜び」や「希望」が命を繋ぎ日本に帰ってこられたと感じているのではないだろうか。

さて、山本氏の遺書は「お母さま!」「妻よ!」「子供等へ」の三通で、どれも家族への感謝やこの先も生きていく者への励ましの言葉に満ちている。この中で「子供等へ」は、もちろん自分の子供達に語りかけているものだが、その内容は、収容所仲間の子供達や日本復興の柱となっていく子供世代の日本人全て、更には後世の私たちにまで向けている言葉のような気がしてならない。他の自由が奪われた分、研ぎ澄まされた頭で熟考した言葉は、なんと普遍性があって気高く説得力があるのだろう。無念にも日本の地を踏めずに亡くなった方々の思いが、この遺書に凝縮してるように思える。

戦後、戦争から学ぶと称して「平和教育」なるものが行われてきた。しかし理念が先走り、過去への反省ばかりが強調されてきた。そこには後世の者が安全な場所から勝手なことばかり言う批評家的な空虚さを感じる。本当に戦争から学ぶのなら、家族や祖国への思いを残して亡くなっていった人達の、最期の言葉にも耳を傾けるべきではないだろうか。

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