Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『中山成彬はなぜ日教組と戦うのか』 伊藤 玲子

中山成彬はなぜ日教組と戦うのか中山成彬はなぜ日教組と戦うのか
(2008/11/26)
伊藤 玲子

商品詳細を見る


卒業・入学シーズンになると、我が子の小学校の入学式を思い出す。「懐かしく」とか「微笑ましく」といった感情ではなく、背筋がぞっとするような感覚と共に、である。

入学式だから当然「君が代斉唱」の場面がある。式次第に「斉唱」と書かれていたかどうか定かではないが、ともかく伴奏が始まった。私も歌い始めようと口を半分開きかけたが、左右の保護者はピクリとも動かない。次の瞬間声を出して歌い始めたのは、校長先生と一人の父親だけであった。生徒などまるでいないかのように子供の声はひとつも聞こえない。以前から日教組の強い地域であることはわかっていた。だからこそ、こういう場面では必ず声に出して歌おうと考えを固めていたのに、いざその異様な雰囲気に身を置くと、金縛りにあったように、動くことも声を出すこともできなかった。
さらに不可思議なのは、「校歌斉唱」になると子供達も先生方も保護者もみんな大きな声で堂々と歌うのだ。これが先ほどまでしーんと押し黙っていた人たちかと驚くほどの大声で。ここが母校である保護者が多いこともあり、多くの父母が校歌を歌える。そして君が代は歌わない。普通は逆なのに。
普段日教組は「国歌・国旗の強制はいけない。」というが、あの時、私は「歌わないことを強制されている」と感じた。

歌う、歌わないの問題より(これももちろん大切だが)、このように知らず知らずのうちに、子供達が特定の、それも反国家的な思想に染まっていくということに私は恐怖を感じた。

たかが入学式で何を大袈裟なと思う方も多いだろう。
何か過激で嫌ね、と感じる方もいらっしゃるだろう。
しかし、そう思った方にこそ、この本を読んでいただきたい。
著者の伊藤玲子氏は、長い間ごく普通の専業主婦でいらした。お孫さんの学校での通信簿のつけかたに疑問をもったのがきっかけで、日教組の実態を知ることになり、市議となり実態調査や教育改革に取り組まれてきた。
普通の主婦で、もう子育ても終わり、おばあちゃんになっていた女性をここまでの行動に駆り立てるほどの「悪」とは何なのか。

この本には、もしも自分の子供がこのような学校に通っていたら・・・とぞっとするような事例が、これでもかこれでもかと出てくる。日教組だけでなく共産党系の全教の例も含まれているが、思想的にもやることもほぼ同じである。

小学校の音楽の授業に突然チマ・チョゴリを着た女性が現れ、朝鮮語の謎の歌を一緒に歌わされる。真面目に歌わないと、普段以上にひどく怒られる。その挙げ句、教員がこう語り始める。

「日本がかつて朝鮮を支配していた時代に、その悔しさと苦しみの中で朝鮮の人たちが歌っていた歌です。皆さん、そのときの朝鮮の人たちの気持ちになって歌いましたか」

その後、どのような背景があるのかの説明もなく、本当にあった事かどうかもわからない話が披露される。

「この女性(チマチョゴリの女性)のお父さんの知り合いは、戦前に日本の統治下でひどいことをされました。みな道路わきに並べられ、順番に鉄砲で撃たれていったんです」

溺れた子供を大学生が助けようとして二人とも亡くなってしまったニュースに対して、こう語る社会科の教員。

「この大学生は命を大切にするということさえ分かっていれば、こんな結果にならなかったはずだ。自分の命を大事にするということさえわかっていれば、川に飛び込まなかったはずだ。君たちは自分の命をもっと大切にしなければならない」

自衛隊員の子供がクラスメートの前で、教員からこういわれた例がいくつもあるという。

「○○ちゃんのお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが職業です」

これらのことが、「平和教育」「人権教育」などといういかにも子供にとっても社会にとっても大切であるかのようなスローガンの下で行われているのだ。「生徒の人権」の具体的な内容にはこんなことまで掲げられている。

『遅刻しても授業を受ける権利』『飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利』『セックスするかしないかを自分で決める権利』『子供を産むか産まないかをきめるのは女性自身の権利』・・・

伊藤玲子氏が、日教組の教育で育った人が権利ばかりを主張するモンスターペアレンツになり、今になって自分たちのしたことが跳ね返っていると指摘するのはもっともだ。きちんとした教育をされている先生方がお気の毒でならない。

この他、授業を疎かにした組合活動、労働者の権利への執着、選挙活動に組織を利用する実態、教員同士のいじめ、校長先生を何人も自殺に追い込むような吊し上げ・・・などが事細かに書かれている。
日本の教育問題の根幹は日教組(と全教)の「反国家の政治活動」と「まともな人間をつくらない教育」だという伊藤氏の分析が、決して荒唐無稽でなく、いかに的を射たものかがよく分かる。

これらの実態を知った伊藤氏が、平成六年から歴代の文部・文科大臣に
「日教組支配を断ち切らなければ日本の教育はよくならない」
と訴え続けて十年、初めて、それに応えて真剣に取り組んだのが中山成彬元大臣だったという。大蔵畑で何もわからないからと、現場に足を運び、全国からの報告に目を通し、教育改革に道筋をつけた。
その後、国交大臣に就任された際に「失言」問題で辞任されたのは周知の通り。辞任をしてでも、言わなければならないことを言い続けると決意されたそうだ。

私は、文部科学大臣在職中も含めて何度も日教組について発言しているのに、マスコミは全く採り上げてくれませんでした。しかし、「失言」にして叩けると思った瞬間に、食いついてきましたね。

マスコミだけでなく、日教組については、文部科学省も各地の行政機関や教育委員会も、気を使ったり恐れたり取り込まれたりして、問題点を指摘することが少ない。教育の実態も、政治家との癒着も、酷いことになっているのに、報道されることがない。
中山氏が、国交大臣を辞してまで国民に伝えたいと思った教育の実態を、私達はきちんと知っておくべきではないかと思う。教育が、未来の日本をつくっていくのだから。


※以下は日教組と戦う阿比留記者の記事の一部です。
民主・輿石氏「教育の政治的中立などありえない」
輿石氏の政治信条「逃げない、ウソつかない」と過去エントリ
ミスター日教組、槇枝元文氏と北朝鮮の関係について
日教組女性部によるPTA工作と石坂啓氏の講演



スポンサーサイト

『飛翔する日本』 中川 昭一

飛翔する日本飛翔する日本
(2008/09)
中川 昭一

商品詳細を見る


中川前財務・金融担当大臣は、以前からネット上では親しみを込めて「中川(酒)さん」と書かれることがあった。ここに非難のニュアンスは全くなく、「お酒好きだが頼りになる親分」という思いでこう書いていた人がほとんどだろう。実際、中川氏はとても頼りになる政治家だからだ。
誰も気にも留めていなかった頃から、拉致問題や歴史教育問題に取り組まれていた。BSE問題ではアメリカに対し、東シナ海のガス油田問題では中国に対し、一歩も引かない姿勢を貫いてくださった。憲法改正、核保有の是非、日教組の弊害等、口に出すことさえタブーとなっている政治課題について、議論することの重要性を説いていらした。「事を荒立てて選挙に影響したらまずい。」と他の政治家なら二の足を踏むような発言や行動もなさっていて、政治屋とは一線を画した本物の政治家だと思っていた。
中川氏が昨年出された『飛翔する日本』を読むと、ますますその思いを強くする。

中川氏の政治信条は、はっきりとしている。一言で言えば「国益を守る」、ということだ。中川氏が「国益を守る」と発言すると、タカ派だという人たちがいる。しかし中川氏の考える国益とは、

国益追求の究極の目的は、日本が独立を守り、安全で豊かな国である続けることにある。逆に、国益を損なう究極の事態は、日本が独立国家として自由な意志を発揮できなくなることを意味する。

だという。至極真っ当な考えではないだろうか。
そしてどんな国も「国益を守る」のが当たり前なのだから、外国と対峙したときはお互いの国益と国益がぶつかり合い、そこから話し合いをスタートするのが当然だという。そして、数々の外国との交渉を行ってきた実感として、日本人の美徳である「譲り合い」は外国には通用しないそうだ。ご自身の好きなテニスに例えて、日本の外交はそんなルールはないのに「これ以上強い球を打ったら相手に悪い」「これ以上、走り回ったら駄目だ」という謙虚な態度で臨み、そのうち舐められてしまうことが多いという。
中川氏は、それでは国益を守れないと考え、理不尽な要求はしないが譲れないところは決して譲らないという交渉を心がけているという。その結果「ニュイサンス・バリュー」(嫌がらせになるくらいの効果)だと言われたこともあるそうだ。だから日本にとっては「頼りになる」のだ。

そんなタフネゴシエーターの印象とはちょっと違う面も、この本からは感じられる。思っていたよりずっと、寛容で柔軟だということだ。

例えば、東シナ海のガス油田問題では決して中国には譲らないという姿勢を貫く一方で、環境汚染に悩む中国の指導者に求められて環境問題に関する三つのレポートを提出したという。二酸化炭素の排出量にしても、中国のような発展途上の国には一時的にはエネルギーを非効率に使うことも認め、日本の技術で改善を支援しようという協力的な考え方だ。

この本では、中川氏が扱うテーマとしては目新しい環境問題や水の問題についていろいろと言及している、「国益を守る」こととともに「地球を守る」ということも行っていかねばならないと強く思っていらっしゃるようだ。頑固な印象を持っていたが、重要だとなれば、ご自分の専門外の分野も勉強し、発言し、行動していく、という柔軟性もあるのだと感心した。これまでも、その柔軟性をもって、農水大臣、経産大臣、財務・金融大臣と、さまざまな分野の大臣を歴任していらしたのだろう。

この他、経済問題については一章分を割いている。女性の働き方については、多少私は考えを異にするが、労使関係、日本の得意な輸出だけでなく「買い負け」に目を向けるなどバランスのとれた見方をしていると感じた。
教育、医療、憲法、防衛については、従来の考え方が書かれているが、中川氏をあまりご存じない方は、ぜひともこの機会に読んで欲しいと思う。
そして、合わせて『閉ざされた言語空間』を読んだり、数年前のNHKや朝日新聞が安倍・中川両氏を貶めようとした事件について調べていただければ、マスコミがなぜ中川氏のちょっとした不手際に大騒ぎして、無垢な国民感情まで煽って辞任にまで追い込んだか、想像がつくだろう。・・・と思っていたが、マスコミはもうそんな難しい事を画策しているレベルではないのかもしれない。中川氏はこう書いている。

・・・特に政治部の人たちは、政局に関係がないと、大事な国家的政策でもあまり記事にしなかった。中には、政策を語った後の質問で、「大臣を辞めるのか」「総理に文句をつけるのか」などと尋ねて、話を政局に持っていこうとする記者もいた。こういう人たちのやりとりは、歯車がかみ合わない感じで苛立ちを覚えた。
 最近は政治をゲームのように捉える傾向が強くなり、「瞬間的に面白い」「瞬間的に腹が立つ」という話題に人の目が向かう。それだけに、地味な議論より派手でわかりやすい動きをマスコミは求めるのだろう。マスコミもビジネスだから、視聴率を上げたり、売り上げを伸ばすという意識が働く人を否定するつもりはない。古代ローマの時代から「今度の法廷がどうした」と人の口にのぼったそうだが、いつの時代でも支配階級や政治家のゴシップは関心が高い。それはある意味で人間の性かもしれない。その性を商売にするのがマスコミであり、仕方がないと思う半面、何によってビジネスが成り立っているのか、ジャーナリズムの本質とは何かという点を忘れずに仕事をして欲しいと願う。何百人、何千人の人たちが新聞、テレビを通じて、情報を入手する。その情報がゴシップ刹那的に面白いことばかり目立つのはいかがなものかと首をひねりたくなる。


政策より政局、政局よりゴシップと、情報内容が劣化しているマスコミによって、辞任に追い込まれた本物の政治家(政治屋ではなく)は、どんなに悔しかったことか。
「日本の醜態」は会見の模様などではなく、くだらないゴシップで自国の大事なネゴシエーターを国際交渉の場から引きずり下ろしてしまったことではないのだろうか。海外の政治家は、手強い相手がいなくなったことにほっとしたり、ほくそ笑んでいるに違いない。

※追記(平成21年10月6日)
10月4日、中川昭一さんはお亡くなりになってしまいました。
追悼の気持ちをこめて新しい記事を書きましたので、よろしかったらそちらもご覧下さい。
「中川昭一氏の言霊-『飛翔する日本』を思い出して・・・」

『つるばら村のはちみつ屋さん』 茂市 久美子・作/柿田 ゆかり・絵

つるばら村のはちみつ屋さん (わくわくライブラリー)つるばら村のはちみつ屋さん (わくわくライブラリー)
(2005/03)
茂市 久美子柿田 ゆかり

商品詳細を見る


バレンタインデーが近くなると、駅ビルやデパートの食品売り場はチョコレートを求める人で黒山の人だかりになる。人伝に聞いた話では、以前フランスから呼んだチョコレート職人(ショコラティエというらしい)のサイン会(!?)なるものが企画され、そこに若い女性が列を成したことがあるらしい。最近では女の子同士でチョコを交換する「友チョコ」も恒例らしく、そして今年話題になっているのは男の子から女の子に渡す「逆チョコ」だとか。
チョコレートは大好きだけど、あまり情緒のない盛り上がり方に、ちょっとうんざりという気分になっている。「バレンタインデーなんて、そもそも日本の行事じゃないのに!」なんて堅いことは言わないにしても、もう少し奥ゆかしく、微笑ましい雰囲気があってもいいのではないかと思ってしまうのは、つるばら村のバレンタインデーを知ってしまったからだろうか。

『つるばら村のパン屋さん』に始まるこのシリーズ前半の主人公はパン屋のくるみさんだ。
くるみさんは、わらぶき屋根の農家の台所でパンを焼いている宅配パン屋で、いつか自分の店を持ちたいと頑張っている。そこに時々訪れる、動物や精霊たちとの温かい交流とその物語にぴったりと合ったおいしそうなパンの数々。念願のお店を開店する『つるばら村の三日月屋さん』、ライバル店が現れる『つるばら村のくるみさん』と、次々読み進んでしまうのは、本当につるばら村があって、くるみさんもいて、おいしいパンを焼いてくれそうな気がするから。動物や精霊が出てきても、「嘘っぽい」とは感じないのは、登場人物(生物?)、筋書き、小道具が、「なるほど」と思うようなことばかりだからだ。読んでいる間の私の心の声をちょっと書いてみよう。

(カッパにふさわしいパンといったら、そりゃあキュウリのパンでしょう。納得。でも普通のキュウリサンドとはちょっと違った味付けをするのね。これは日本古来の生物カッパにはたまらないだろうなぁ。ああ私も食べたい。)

(節分の黒豆あんパンて、おいしそうだなぁ。でもこんなかわいい鬼の子に、「鬼は豆が嫌いだから黒豆あんパン食べさせてみよう。」なんて、くるみさんひどいっ。と思ったけど、へぇ鬼の子は豆を必要としていたのね。)

と、まぁこんな感じ。

物語が進むにつれ、作者の茂市久美子さんのスクラップブックや取材も充実していくとみえ、四作目の『つるばら村のはちみつ屋さん』には、養蜂や食べ物の説明に専門的な知識の片鱗が窺える。子供向けのお話だから、わかりやすく簡単に書いてあるが、その知識の裏付けが、より「嘘っぽくない」上質なファンタジーを作り上げている。

(ミツバチの巣から作った蜜ロウを型に塗って焼いた黒いお菓子って、カヌレ(ボルドーの郷土菓子)のことだ!)

と、食いしん坊の私は心の中で興奮して叫んでいたりする。このような実在する物になぞらえた描写、技術的な本当の話などが書き込まれていったところに、動物や精霊が登場すると、彼らも実在するもののような気がしてくるのだ。

つるばら村のバレンタインデーのお話は、『つるばら村の三日月屋さん』にも出てきて、こちらもほろりとする良いお話なのだが、私が好きなのは『つるばら村のはちみつ屋さん』のバレンタインデーの方だ。
最初の三作でちょっと気になる存在の脇役だったはちみつ屋さんのナオシさんが、「冬将軍」という紳士から、くるみさんに関する「すてきなもの」を贈られる。それはバレンタインデーの前夜のことだった・・・。
そして一ヶ月後、今度は「南風」の女の子がナオシさんの元へ、やはり贈り物を届けにやってくる。
粋な精霊たち、そしてなんてかわいらしいバレンタインデーの物語だろう。

「そもそも日本の行事じゃないのに!」という言葉を飲み込んで、「つるばら村のバレンタインデーってちょっといいかも?」と思ってしまうのは、茂市さんによる和魂洋才ファンタジーの魔法にかかってしまったからかもしれない。


  

Appendix

本のブログ

にほんブログ村 本ブログへ

プロフィール

milesta

Author:milesta
◇これまでに紹介した本の一覧は下の「全タイトルを表示」の文字をクリックすると、ご覧になれます。
◇コメントとTBは承認制にしました。
◇記事に関係がなかったり、このサイトにふさわしくないコメントやTBは削除することもあります。

全記事(数)表示

全タイトルを表示

最近の記事+コメント

カテゴリー表示

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。