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『テロルの決算』 沢木 耕太郎

テロルの決算 新装版 (文春文庫 さ 2-14)テロルの決算 新装版 (文春文庫 さ 2-14)
(2008/11/07)
沢木 耕太郎

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元厚生事務次官宅の襲撃事件は、テロであるのか、個人的な恨みなのか、偶発的な二つの事件なのか、今はまだわかっていない。しかし私はこの事件から、山口二矢を思い出した。今回の事件がテロでないとしても、今の日本は、山口二矢のような普通の少年や青年がテロリストになってしまうような状況にあるのではないかと思った。

『テロルの決算』は、政治的関心の強い少年山口二矢が、社会党の浅沼委員長を暗殺した事件を題材にしている。山口二矢は日本の赤化を阻止しなければならないという理由で、浅沼委員長の中国に迎合した発言や行動に抗議して暗殺を謀った。
この小説には、山口二矢の生い立ちや浅沼委員長の政治的態度や人となりが詳しく書かれており、世間で言われている「二矢が右翼団体に煽動された」という見方に疑問を投げかけている。そしてまだ十代という若い考えであったが故の稚拙さや視野の狭さも描き出している。
浅沼委員長は、社会党の中では右派であり、また人柄も良く多くの人に親しまれていたという。経験豊富な思想家や活動家なら、浅沼委員長を暗殺してしまうことの弊害も充分考え、暗殺には至らなかっただろう。しかし二矢は、浅沼委員長の訪中前後という短期間の言動に強く反発し、暗殺を決意したようだ。

近年の日本国内のテロ事件は、プロのスナイパーによる犯行だと思われるものを初めとして、一般の人には不可能な手口や入手の難しい凶器による事件であることが多かった。しかし私は昨日の刺殺事件によって、二矢のような「素人」によるテロが起こってもおかしくない閉塞感が日本を覆っているのではないかと気づき、恐ろしくなった。

今回の事件がテロではないかと疑われている背景には、あまりにも杜撰な年金の管理にある。データが消滅していたり改竄されたりと、国民には想像もできない事態が起こっていた。被害を防ぐことも、気づくことも、一般の国民にはできなかったのだ。

国民が気づかないうちに大変な事態になっているのは、行政だけではない。
「国籍法」という国の根幹に関わる大切な法律について、国民の知らないうちに改正案が出され、充分に検討されないまま、昨日衆議院で可決されてしまった。
国民の意思表示をする場は選挙であるが、一つの政党に相反する考え方の政治家が同居しており、投票に意味があるのかと真剣に悩む。
今や、「与党対野党」という図式も不明確で、政府の見解に反することや与野党問わず各政党の勘に障る発言をすれば、辞職を促されたり更迭されたりしてしまうのを見ると、対立軸は「政治対良識」ではないかと思ってしまう。良識が政治に参加する手だてが無くなりつつあるという思いは、大袈裟だろうか。

司法の分野でも、無かったことを証明できなければ「有った」と書いても罪にならないというような理不尽な判決があったり、マスコミによる情報操作も、一般の国民がそれを正すことは容易ではない。

「国内でテロ事件?」というニュースが流れて、多くの人が「さもありなん。」と思ったのではないだろうか。しかし、民主主義国家であり、世界一平和な国だと言われていた日本が、テロでしか国民の意思を表現できないような国になりかけていることを、私は見過ごすことができない。
事件の真相は明らかになっていないが、一日でも早くこの閉塞した空気を取り払ってほしいと四権(含マスコミ)を担う方々に訴えたく、急いでこれを書いた。本当に読んで欲しい人には、読んでいただけないでしょうけれど・・・。
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田母神空幕長の論文と『亡国のイージス』

先日、『真の近現代史観』というテーマの懸賞論文で最優秀賞を受賞した、防衛省の田母神俊雄航空幕僚長が更迭されました。更迭の是非については、多くの方がブログ等に書かれているので、そちらをご覧下さい。

私がこのニュースを知ったとき、すぐに連想したのが『亡国のイージス』でした。あの小説では、防大生の書いた「論文」が重要な役割を果たしていました。我が国の現状を憂い自衛隊の無力さに危機感を抱く防大生のその論文は、フィクションでありながら、日本の置かれた危うい立場を普通の国民である私にもわかりやすく教えてくれました。今回の田母神空幕僚長の論文を拝読しましたが、こちらも専門家の論文であるのにわかりやすく、穏やかな筆致ではありますが、やはりこのままでは日本は「亡国の危機」に直面するであろうという思いが伝わってきます。

『亡国のイージス』では、その論文を書いた防大生の死がきっかけで、日本は戦争に巻き込まれていきます。その時、自衛隊にはどれだけ日本を守る力があるのか。海外で戦うことは無理だとしても、日本の国土を守る力はそこそこ有るのだと思っていた自分の無知を、この小説によって知らされることになりました。少なくない防衛費をかけているのに、このような惨状になるのは、ハード面の不備だけではなく、防衛に対する考え、さらには「国とは何か」という理念の欠如によるものだということもわかりました。

田母神空幕僚長もまた、防衛の専門家として、日本の平和のためには、物理的な力(武力)だけでな
く、精神的な支柱やしっかりとした国家観が必要だと感じられていたのではないでしょうか。

《参考サイト》
「空幕長・田母神空将の論文」 新・へっぽこ時事放談
「田母神空幕長の告発を封殺する、恐ろしい全体主義」 酔夢ing Voice


以下は過去に書いた『亡国のイージス』に関する記事です。

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先週末に『亡国のイージス』のDVDを観て日本の防衛は大丈夫なのか?と思っていたところへ、北朝鮮が日本海にミサイルを撃ち込んだ。『亡国のイージス』の小説は映画より前に書かれている。映画化が決まった時に石破防衛庁長官(当時)と福井晴敏氏の対談で、お二人の共通認識として次のようなことが話されていた。

今の法律で有事に対処するのは難しい。法律を変えるにしても、現行法の中での対処法を決めるにしても、国民共通の認識が必要だ。共通の認識とは、自衛隊が存在しないと、国の独立や平和、世界平和が犠牲になるということや、自衛隊の出来ることには法的制限がかなりあること。

そして自衛隊協力の下、『亡国のイージス』は映画化された。しかし、あの時から日本の防衛体制は改善されただろうか?国民の共通認識は変わっただろうか?

今回DVDを観て、映画版『亡国のイージス』では伝わらないだろうと感じた。時間制限、海外への営業を考えると、これが限界なのかも知れないが、石破元長官が目論んだような国民の意識改革には至らなかっただろうと思う。

まず、映画では北朝鮮という国名も出しておらずリアリティに欠ける。また、小説では登場するアメリカ政府、国防関係者たちの日本の防衛に対する嘲笑の場面が全く抜け落ちている。私にはここが一番恐ろしく感じられた箇所だ。アメリカに頼っているばかりでよいのか?そういう問題提起をしている重要な場面で、これを扱わないのは致命的だと思う。
そして自衛官たち、一人一人に物語があり、心があり、誇りがある、というところも映画の限られた時間の中では、あまり感じられなかった。自衛官の「公」や「仲間」を大切にするモラルの高さも、あれだけではわからない。
辛うじて「防衛に対する考えが甘い、平和ボケの日本」ということだけは、伝わってきただろうか?

自衛官たちが、個人的にどんなに頑張って、どんなに多くのものを犠牲にしても、日本を守りきれない。北朝鮮からも、アメリカからも、まるで無邪気な赤ん坊のように思われている日本。そんな防衛体制でよいのか?それを切実に感じるには小説版『亡国のイージス』を読むしかない。全ての日本人に読んで欲しい。国民全体の危機感と総意でしか、法律も防衛体制も変えられないのだから。

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