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『葡萄色のノート』 堀内 純子・作/広野 多珂子・絵

葡萄色のノート (あかね・ブックライブラリー)葡萄色のノート (あかね・ブックライブラリー)
(2002/09)
堀内 純子広野 多珂子

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『葡萄色のノート』、なんて素敵な響き!
「葡萄色」のイメージといったら甘くてちょっぴり渋い。題名と葡萄色の表紙の美しさに惹かれてこの本を読んでみると、その葡萄色はますます深みを増して感じられてくる。
ノートを書き繋いでいった六人の少女たちの十四歳という年齢をこの複雑な色が表しているのだろうか。彼女たちの人生を取り巻く懐かしく甘い思い出と、自分にはどうすることもできない苦い歴史の採り混ざった色が葡萄色なのだろうか。

梢は、十四歳の誕生日に、おばあちゃんからソウル旅行をプレゼントされる。それも一人旅だ。早速親友のすみれちゃんにメールで報告。「キャー、ウソ、すごいじゃないの。・・・」と喜んでくれたのに、ソウル行きが近づいたある日、すみれは「やめてほしいの。」と言い出す。すみれが大好きな塾の川瀬先生に大変なことを聞いたからだった。

「川瀬先生がね、話してくださったの。あのね、コッペ、びっくりすると思うけど聞いて。日本はね、昔、韓国をひどい目にあわせたの。もう九十年も前のことだけど、武力で押さえつけて、無理やり自分のものにしたんだって。三十五年間も。そりゃあひどいやり方だったんだって。コッペ、そりゃあひどかったの。」

そんなことがあったところに梢が行くなんて、こわいから止めて欲しいというのだ。ショックを受けた梢は、家に帰ってお父さんにそのことを話してみる。

「梢は、おばあちゃんがソウルで生まれたんだってこと、知らなかったのか?」

おばあちゃんは韓国人?お父さんは、いや日本人だという。ということは、おばあちゃんは「韓国を奪った悪い日本人」のひとりだったのだ。動揺する梢は、おばあちゃんがソウル行きの準備のために届けてくれた荷物をほどく。その中に葡萄色の古い革表紙が入っていた。

「このノートは、龍兄様から贈られた。
 一九一一年 九月十三日 松田すず 十四歳」


梢は、自分と同じ十四歳の聞いたこともない「松田」という人のノートを読み始める。
「母さま」「母さま」と何度も呼びかけるようにして書かれた手記には、日本の甲府から朝鮮の京城へ一人で行かなければならなかった少女の寂しく悲しい気持ちが溢れている。
しかし、ノートは京城に着いたところで途絶え、次のページには別の筆跡がある。

「一九三一年 五月二十七日 高見園子」

園子は、押し入れにあった母のノートを偶然発見し、母すずがどんな思いで京城に来たかを知ることになる。それを読んでいるのを見つけたすずは、

「さぁ、次は園ちゃんの番よ。どんなことでもいいから、このノートに書いてちょうだい。そして千草に渡すのよ。千草が園子ちゃんくらいになったときにね。」

と妹への引き継ぎも含めて、園子にノートの続きを依頼する。こうして、松田すずに連なる一家四代六人にわたる十四歳の少女たちの手記リレーが始まったのだ。

京城の女学校から日本へ修学旅行に行った園子。戦争前の平和な時代だ。

家族に起こった不幸そして戦争開始、不安な時代に思い悩む千草。

続くユキは、敗戦後の日本で、死を待つだけの結核病棟に入れられたことを喜ぶ。「とにかく私は生きていてはいけない人間なのだ。」、そんな思いを十四歳の少女がしなければならないなんて!

ここまでが二代目で、次は三代目のマミ。後にアメリカに渡り、事業を興して成功した人だ。戦後の日本で何を見て何を考え、なぜ日本を出て行ったかがよくわかる。

それぞれの少女に投影された歴史、その時代の雰囲気。日本に残した家族との別れの悲しみを押し殺しつつ朝鮮の植林事業に打ち込んだのに、同じ日本人から「ヒトハタ組」だの「侵略者」だの言われ、自分たち一家は良いことをしたのか悪いことをしたのか、少女たちは皆考え込み、悩んでしまう。

そして、とうとう梢の番になったのだ。ソウルで、先に来ていたおばあちゃんと再会した梢は、おばあちゃんに訊いてみる。

「どうしておばあちゃんが侵略者なの?生まれたら朝鮮だけだったじゃない。どうしてそんなふうに思うのかわからないよ。」

その後に続くおばあちゃんの答えには、言葉がない。

「でもね、みんながみんな、そういうんだよ。まわりにいるふつうの日本人も、本や新聞やラジオの人たちも。世論というのかねえ。ともかく繰り返し繰り返し、みんなにいわれ続けていたら、わたしは悪い存在なんだわ、と思うようになってしまうよ。まだコッペぐらいの子どもだったんだから。もうこっちはギブアップしているのに、まだ打ちのめし続ける。そりゃ、もう圧倒的な力だもの、さからいようもなかった。」

おばあちゃんから、いろいろな話を聞いて、梢は自分を打ちのめす言葉をぶつけてきたすみれに何と言えば良いかを知る。それは決して自己を正当化する言葉ではなく、とても友好的な言葉である。

作者の堀内純子氏の経歴を見ると、「京城第一高等女学校卒」とある。この本にあるすずの京城行きの原稿は、ご母堂の遺品の中から出てきたのだそうだ。あとがきには

そして、母がこれほど悲しみながら韓国に行ったのだということも、私はそのとき初めて知ったのです。深く考えもせず、人の口真似をして「日本の侵略」を言い立て、母を悲しませることの多かったそれまでの私でした。

とある。それがきっかけとなって一家の歴史を書く決心をして、三十年後にようやく書き上げることができたのだそうだ。そんな執筆の背景があるせいか、この小説には一貫して当事者の視点を感じる。
朝鮮統治を巡る議論は、とかく傍観者的であったり、学者的であったり、政治的であることが多く、当事者から離れれば離れるほど、はっきりとした物言いをするように感じられる。しかし、そこには抜け落ちている視点がたくさんあるように思う。
この本では特に、朝鮮を統治した日本人たちが、同胞である内地に住む日本人から「ヒトハタ組」だとか「朝鮮人」だとか「侵略者」だと言われていたという部分に当事者の心の傷を感じた。
それと、「侵略者」の呼称はいじめに近いと言いつつも、「国が決めたことに従っただけの自分たちは悪くない」「自分を犠牲にして朝鮮に尽くしたのだから悪くない」とは言い切れないとしているところも、当事者でなければなかなか言えないことかもしれない。

歴史小説家の塩野七生さんは、歴史学者よりも歴史小説の方が真実に迫ることも少なくないというようなことをしばしば書かれている。この、あっという間に読める児童小説には、たくさんの真実が書かれているような気がしている。

※日韓の当事者たちへのインタビューの本を紹介しています。↓
『生活者の日本統治時代-なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか』 呉 善花
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『父・こんなこと』 幸田 文

父・こんなこと (新潮文庫)父・こんなこと (新潮文庫)
(1967/01)
幸田 文

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この本に収録されている二つの随筆、『父』では「死」を、『こんなこと』では「生」を、題材にしている。この二つは対を為しており決して別つことのできない組み合わせだと思う。
幸田文は、自分の生活の中の生と死に真っ向から挑み、がっぷり四つに組み戦っている。そして、過ぎるほどの鋭敏な感受性と、並みではない体力と、露伴の娘ならではの言語感覚で、幸田父子の生と死の記録を残したのだ。

高名な父親の死を、後世の研究者のために書き留めておくべきだと考えたと、幸田文は『父』の中に書いている。発端は「公」の精神であった。しかし、露伴の死の兆候に誰よりも早く気づき、それにとまどい、呆れるほどの献身的な看護をする文子(文)の視点や行動は「私」のそれであり、その為に読む人の心を捉え、死と向き合うことの苦しみに読者は伴走することになる。
特に父露伴の死期が近いことにただ一人気づいてしまうくだりは、息を詰めて一気に読み進み、私まで動揺し、動揺していることを悟られぬよう必死に取り繕う文子の姿が自分に重なる。私にも同様の経験があるからだ。

一方『こんなこと』では、文子は「生」と戦っている。生と言っても大げさなことではなく、日常の家事全般である。生母を早くに失った文子に家事を教えたのは、露伴である。文が「稽古」と書くほどにその教えは厳しく、文子はことごとく戦っている。掃除、草取り、障子の張り替え、薪割り・・・、理にかなったやり方で、美しい所作で、徹底的にやらなければならない。その厳しさに不満を持ちながらも、いつでも父は一枚上手で正しかったから、文子は戦っていた。
障子張りで指が赤くふくらんで痛くなっても、不平を言えば、余計に厳しい言葉を投げかけられる。

「一人前でないやつが指の痛いのは言う方は馬鹿で、痛くなくっちゃ覚えるやつは無いよ」というからたまらない。二度目には歯ぎしり噛んでも、痛いとは云わない。ちいさい時にはおとうさんだって痛かったんだろうと思えば、ヤイミロという微笑がわいて我慢しちまうのである。

と、不満を独特のおかしみに換えて、黙々と稽古に励む。
気を回したつもりで自己判断で事を急くと失敗し、

「余計な自分料簡を出してサルをやったのは、孔子様のおっしゃった退いて学ぶに如かずという訓えを蔑ろにするものだ」

と言われ、そうか孔子様の教えを守ればいいのだと会得したかと思うと、

「孔子様なんぞにふんづかまえられて一生うごきのとれないけちくそでいいのか」
と変化してくる。


父に押しつけられ、あらがいながらの生の日々があったからこそ、死にゆく父への思慕が募り、動揺が走る。生の実感が強ければ強いほど死の実感も強くなるのではないか。私が、この二つの随筆が対であり分かち難いと考える理由は、そこにある。

現代の「生」と「死」もやはり対を為しているのだと思う。
家に籠もってゲームやテレビやネットの画面上の疑似体験に多くの時間を費やし、身体を伴った「生」の体験をしていない人たちは、「死」を現実の物として捉えにくいのではないだろうか。
社会に出て一見活発な生活をしている人だって、他者と心の交流のない上滑りな日々を送っていれば、「生」の実感は薄いかもしれない。
「生きている」という実感の薄い人は、「生きていない」状態との距離が近く、その境界を簡単に乗り越えてしまえるのではないかという気がしてならない。
そういえば、『父』では、父が生命力を失っていく象徴として何度も「眼」が描写されている。

表情のどこにも畏れとか失望とか緩みとか、もちろん喜びというものがなかった。ただ見る眼だけだった。

私はここ十数年、危篤でもなく歳も若い男の人の顔に、この「ただ見る眼」を感じることが時々ある。こういう人は生と死の距離が近い気がして、体を揺さぶって「眼」を覚まさせたくなる。この本を片手に、草むしりをしてみればいい、薪割りをしてみればいい、掃除をしてみればいい・・・と言いたくなるけれど、もしもそれがいいとなったら「露伴の草むしりゲーム」とか、「文の掃除ゲーム」を作ってしまう時代だ。自分料簡でサルをやるのは止めておこう。

『和菓子のほん』(たくさんのふしぎ傑作集) 中山 圭子・文/阿部真由美・絵

和菓子のほん (たくさんのふしぎ傑作集)和菓子のほん (たくさんのふしぎ傑作集)
(2008/01)
中山 圭子

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今日六月十六日は「和菓子の日」である。
数年間住んでいた海外から最近帰国し、嬉しいことの一つに和菓子が頻繁に食べられるようになったことがある。六月には一年でこの月にしかお目にかかることのできない「水無月」が店頭に並ぶ。食べ損ねてはならないと、六月に入って早々に家族揃って頂いた。

子供たちも和菓子が大好きなのだが、同級生に和菓子の話をしたら、「和菓子って何?」と訊く子がいたと驚いて帰ってきた。海外での話ではない。帰国してからの日本の学校でのことである。
「和菓子」という言葉に馴染みがないだけかもしれない。お団子やお饅頭は知っているだろう。けれども、給食に出る草団子や煮豆を嫌う子供が多いのだそうだ。そういえば、私の友人の家でも、雛祭りには雛ケーキを食べたと言ってたっけ・・・。
私は子供たちの話を聞いて言いようのない寂しさを感じ、「和菓子の日」には子供向けの和菓子の本を紹介しようと決めていた。

『和菓子のほん』は絵本であるが、本格的な和菓子の知識がわかりやすく学べる「はじめての和菓子本」とも言える良書である。大人が読んでも、私たちって和菓子のこと意外と知らないのね、と思うのではないだろうか。
たとえば、
「柏餅のお餅と普通のお餅は原料が違うの?知らなかった。」
とか
「お花の形の生菓子(ねりきり)って外側の生地はただの餡じゃなかったのね。」
とか
「形を作るのにこんな道具を使うのね。へぇ、これお裁縫の和ばさみじゃない?」
とか。
たかが絵本と侮ってはいけない。

この本を書かれた中山圭子さんは、意匠(デザイン)の研究から和菓子の世界に入られた方なので、デザインや色についての説明もある。昔から伝えられてきた着物や器の紋様をおいしそうに工夫して取り入れたり、自然の風物をイメージして見立ての意匠をこしらえたり。和菓子職人には高度な感性が必要とされてきたことがわかる。

外国暮らしをして気づいたのは、「香り」の記憶というものの存在感。「ゆず」「しそ」「よもぎ」「桜」、これらの香りは、遠い異国で日本のことをあっという間に思い出すことのできる魔法の薬のようなものだった。その「香り」についても見開き一ページを使って書かれている。

そして、和菓子を語るときに忘れてはならないのは季節感である。季節ごと月ごとの様々なお菓子とそれにふさわしい名前がふんだんに紹介されている。「野あそび」「花ぐもり」「草ぼたる」「ふきよせ」「初霜」・・・。四季の移ろいに敏感な日本人の感覚、それを表す語彙が豊富な日本語、こういうものを大切にして行かなければならないとしみじみ思う。

「和菓子って何?」という子供がこれ以上増えませんように。日本の伝統行事をケーキで祝う習慣がこれ以上広まりませんように。そんな悲壮な思いを込めて、『和菓子のほん』を紹介した。

『「北方領土」上陸記』 上坂 冬子

「北方領土」上陸記「北方領土」上陸記
(2003/10/09)
上坂 冬子

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「Japan is still occupied. (日本はまだ占領されている。)」
一九七九年のニューヨークタイムズに出された広告の見出しである。この広告は、「北方領土返還要求国際アピール委員会国連要請団」が、国際世論喚起のため渡米するのに合わせて出したものだ。それから約三十年、最近の報道を見ていると、
「Still Japan is occupied. (まだ日本は占領されている。)」
と強く訴えたくなる。ロシアのメドベージェフ新大統領が、「他国の内政干渉の試みには注意しなければならない。特に、国境線の見直しの試みはもってのほかだ」と述べたという記事には愕然としながらも、「またか。」という思いも抱いた。

北方領土返還は、何度も、前進したかと思わされては振り出しに戻るというのを繰り返している。上坂冬子氏のこの本には、旧島民などの民間人の返還活動や日露政治家の駆け引きの歴史が網羅されていて、どの島の領土問題よりも、政治も民間も大掛かりに熱心な活動をしてきていることがわかる。

敗戦の年にはもうGHQのマッカーサーに宛て、ソ連からの北方領土の返還を直訴した当時の根室町長安藤石典。彼は、アメリカに占領されたらいずれ返還されるだろうが、ソ連の場合はそうはいくまいという考えの下に、三度も陳情書や日露間の過去の条約の資料を提出し、生涯かけて返還活動を行った。陳情書は、北方領土が日本の領土である根拠を理路整然と述べ、それと同時に、旧島民の置かれた切迫した状況も訴えかける、熱のこもったものである。その熱意は、北方領土への関心の薄い国民へも向けられる。

「四島といへば大豆粒の如く小さな島と思つて」いるかもしれないが、総面積は沖縄の二倍ほどあるし、福岡県や京都府より広く千葉県とほぼ同じだと述べて、「房総半島を占拠させられて居れば国民は誰も黙しては居らぬでせう。国民肺腑より迸る熱血心を以て輿論を高調し、国際正義に訴ふるに於いては必ず復帰するものと確信します、否復帰せしめばならぬのであります。」

と熱く訴えかけている。

冒頭に挙げた「北方領土返還要求国際アピール委員会国連要請団」の広告と彼らの活動は、国際世論を盛り上げ、各国の国連大使から日本を支持するというコメントを得ている。
しかし、二〇〇一年外務省の調査によると、各国の教科書で北方領土を「日本領」としているのは、イギリス、ドイツ、フランス、中国、「ロシア領」としているのはアメリカ、カナダ、イタリア、と二分しており、国際的にあいまいな認識となっている。
これまでの日露首脳の会談も一進一退であるから、他国から見たらわかりにくいのであろう。

この本では最後の章は、ロシアに父上の分骨したお墓があるという森元首相とプーチン前大統領の親密な外交により「四島の帰属に関する交渉を促進する」という合意を得たが、その後何の進展もない状態を危惧して終わっている。
その危惧の通り、ロシア政府は一昨年、プーチン政権下で北方領土と千島列島への約807億円にも及ぶ投資を決め、島の基盤整備を進めて、島民の人心を掴んでいるという。
そうこうしている間に、ロシア側に「国境線の見直しの試みはもってのほかだ」という新大統領が登場してしまったのだ。

洞爺湖サミットで、日本政府は北方領土返還を採り上げ、説得力のある内容と毅然とした態度で国際世論を喚起してくれるかどうか、注視したいと思っている。


※他の離島の領土問題についてはこちら↓
『日本の島々、昔と今。』 有吉佐和子

Appendix

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