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『日本の島々、昔と今。』 有吉 佐和子

日本の島々、昔と今。 (集英社文庫)日本の島々、昔と今。 (集英社文庫)
(1984/01)
有吉 佐和子

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もしも私が高校の社会科の先生だったら、生徒たちに、この本の一読を勧めたい。
旅行記のような読みやすい体裁であるが、日本の産業、外交、エネルギー、環境、など様々な現代の問題、そして辺境である離島にも教科書に書かれているような日本史との繋がりが種々あること、その歴史の積み重ねが今の領土・領海問題を生み出してもいること、などを考えるきっかけとなる、社会科の総合学習のような本であるからだ。

有吉佐和子氏が、この離島を巡る取材を行ったのは、昭和五十四年から五十五年にかけての、今から約三十年も前のこと。当時世界の海は二百カイリ問題に揺れ、また第二次石油ショックの真っ最中でもある。このような背景もあり、当初有吉氏は、「今」の題材として漁業問題を中心に取材を行おうと考えていたようだ。どこの島でもまず漁業組合を訪れ、熱心な取材をしている。

一方、種子島、隠岐島などが取材先に選ばれているのは、「昔」の方への関心からであろう。この二島に限らず、島々の歴史について、古い文献や公文書を細かく調べ、中央では見落とされがちな離島の歴史を、誰にでもわかりやすく整理してくれている。あんなに小さな島や、あんなに遠くの島でも、誰もが知っている日本史と繋がっているのだという感慨を抱くような史実がいくつも取り上げられているのだ。

私も学生時代に離島に興味を持ち、少しばかり調べ物をしたことがあるが、「小さな離れた島」についての関心は官民共に高くなかったものとみえ、文献が少なかったり、あってもその島に行かなければ目にすることができなかったり、資料を捜すことからして大変難しい。この有吉氏の一冊は、そんな資料探しの中で見つけて読んだため、これだけの文献を見つけ出し、借り出し、読み解いた有吉氏には、プロとはこういうものかと感嘆した。

漁業と歴史を軸にした取材を続けて、焼尻島・天売島、種子島、屋久島、福江島、対馬・・・と回り隠岐島にやってくる。
漁業の現状を訊いてまわり、史跡を巡り、聖武天皇の時代からの隠岐の歴史を紐解き、隠岐に流刑になったいにしえの人々の歌に悲哀を感じながらフェリーに乗る。
隠岐島行きは、この本の中で最も情緒豊かで、歴史の数奇についても考えさせられる、格調高い章となっている。取材中の有吉氏も同じような思いであっただろう。

私は、感情移入を始めると激しい方なので、フェリーで帰る途次、心は七百有余年の昔にこもっていたが、西郷港に降り立つと、目の前に大きな看板が見えて、愕然とした。

かえれ!竹島 われらのもとへ
 竹島は日本の領土
 (島根県隠岐郡五箇所村に属します)
 竹島は水産物の宝庫
 一日も早く
領土権の確立と
安全操業を! 
島根県・島根県竹島問題解決促進協議会

 私は息を止めて、看板に叩きつけられている文字を読んでいた。文字の横には二種類のイラストが描かれ、本土から隠岐まで百七十キロメートル、隠岐から竹島まで百六十七キロメートルという地図と、竹島だけを拡大した地図で、そこには面積「後楽園球場の約五倍」と書かれてあった。
 いきなり七百年の昔から現代の熱い争点に引き戻され、私はしばらく看板の下に立ちつくしていた。


本書の三分の二ほどを読み進んだところで、このような有吉氏の関心領域の転換を思わせる場面があり、その後「番外編」と称して、「竹島」「択捉・国後・色丹・歯舞」「尖閣列島」の章が設けられている。どれも他国が領有を主張してくる島々である。
例によって、足を使った取材と、公文書等の読み込みで、それぞれの島の領有問題の実態と歴史が明らかになっていく。そして、どの島の問題にも顔を出す日本政府の弱腰・遠慮には歯がゆい思いをさせられる。それは何も現代だけの話ではなく、江戸時代においても、徳川幕府に譲歩の姿勢が見られる。当時「竹島」と呼ばれていた朝鮮で言うところの「鬱陵島」の領土権を巡って、徳川幕府は次のような措置をとる。

「一小島の故を以て隣交に支障を来さんは策の可なるものに非ず。ことに現時はともあれ往時は正に彼の版図たりしなるべし。故にすみやかに彼に還付し、もって長く我が恩徳を知らしむべし」と議決し、老中より竹島に我国人の往航を禁ずる旨を朝鮮に告げしめて「一件まつたく解決す」ということになっている。

この場合の「竹島」は現在の竹島のことではないが(その辺りの事情もこの本に詳しく書かれている)、「もって長く我が恩徳を知らしむべし」というのは、現在の竹島対する韓国の行動を見れば、まったく楽観的すぎる外交感覚だったと言えるのではないだろうか。そして昭和に入り戦後になっても、近隣国の理不尽な振る舞いに対して「我が恩徳」を以て対応しており、その結果、日本の領土がするすると日本から取り上げられそうになっているというのが現状だ。

最後の最後で明らかになるのだが、有吉氏は憲法九条を容認するという姿勢をもっている。では、領土・領海問題はどのように解決したらよいのか、という話に触れた部分も興味深い。以下は尖閣諸島の章から、幾箇所かを抜粋したものである。

近いうちに、日本にも大地震が来るという学者の予想は、きっと大当たりするだろう。そのとき地殻変動が起こり、一夜にして尖閣諸島が海の下に消えてなくなったら、どんなにいいだろう。無人島だから、人身事故は起こらないし、領土問題でどの国と争うこともない。

私は、掘っても、掘っても、一滴の石油も出てこなければいいと思っている。学者がこの地域に油田があると言いだしたばかりに、こんな厄介な問題が生まれたのだ。

憲法九条で戦争放棄をしている日本は、絶対にこういう揉め事にまきこまれてはならないのだ。日本が平和国家として生きのびて行くためにも、尖閣地域からは決して石油が出ない方がいい。
 
 神様が知恵者で、極東の平和を望んでおいでになるならば、きっと第二の方法(※)を選んで下さるだろうと思う。
(※「第二の方法」とは「石油が出ない」、「第一の方法」は「地殻変動で尖閣諸島が消滅」)

それまで多角的な視点で離島を捉えてきた現実主義の著者が書いたとは思えない文章に、こちらが戸惑ってしまう。領土・領海問題は、神頼みで何とかなるものなのか。
しかし、有吉氏の動揺ぶりが、それまで日本の社会では領土・領海と防衛について話題になることなどあまりなかったのだということを物語っている。それから三十年も経っているが、まだまだ多くの国民がこの問題に無関心であるように思う。

島国日本に住む私たちは、国境の島々についてもっと関心を持つべきではないだろうか。

※北方領土についての本の紹介記事もあります。
『「北方領土」上陸記』 上坂冬子
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『友だちいないと不安だ症候群につける薬』 齋藤 孝

友だちいないと不安だ症候群につける薬友だちいないと不安だ症候群につける薬
(2005/08/05)
齋藤 孝

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子供たちがオーストラリアの学校で、のびのびとおおらかな友人関係を築いているのを見るにつけ、日本で起こる友人同士のトラブルや陰湿ないじめ、果ては学校時代のことを逆恨みして「復讐」を図る事件、これらは子供たちの学校では起こりにくいのではないかと思っていた。

何が違うのか、それは「ひとりでも平気」かどうかだ。
日本では当たり前の光景である、トイレには必ず友達と行ったり、遅刻しそうになっても一緒に登校する友達を待っていたり、ということは子供たちの学校ではほとんどない。
一人でいることが、辛いことや同情されることだというような意識が薄いから、一人になりたくなくて友達を束縛したりされたりということがない。束縛しないから、さまざまな「ユニット」があり、今日はこちらのユニット、明日はあちらのユニットと、自分の居場所を替えられる。友人関係が硬直しておらず、何かトラブルがあっても「あそび」の部分に逃げられる。そんな中で徐々に本当に気の合う親友を見つけていくという感じなのだ。

日頃そんなことを考えていたので、『友だちいないと不安だ症候群につける薬』という題名に惹かれて読んでみた。
斉藤孝氏は、『声に出して読みたい日本語』など国語関係の著書が有名なので、文学の先生なのかと思っていた。ところが、本当は教育学の先生なのだそうだ。この本にはその本業の「技」がしっかりと披露されていて、確かに教育学の先生なのだと納得した。

斉藤氏は、「友達がいないと不安だ。」と考えるのは止めよう、一人の時間も大切だし、一緒にいて楽しい友達がそうそう簡単に見つかるわけではないという。しかし、それなら一人のままで良いのかというと、これも違う。一人の時間も大事にしながら、友達を作る力を磨いていこうというのだ。
そこで、斉藤氏の「技」が発揮されるのは、実際にある中学校で行った「偏愛マップ」を作成するという授業だ。自分の好きなことを何でもかんでもたくさん書き出して、それを見ながら友達と共通の話題を見つけていくという作業を行う。

子供のコミュニケーション力がなくなっていると言われている。しかし、具体的にどのようにコミュニケーション力を高めていくのかという「技術」を論じているものはあまり見たことがない。「友達に親切に。」とか「誰とでも仲良くしましょう。」などという精神論を言われても、子供だってどうしたら良いのかわからないのだ。この授業では、まずは自分のことを自分で知ろう、お互いの興味のあることを見せ合って共通の話題を見つけよう、それを元に話をしてみよう・・・という具体的な手法を、より具体的な作業を通じて教えてくれる。

その上で、友達との付き合い方の助言をしていて、どれも頷けることばかりだ。
様々なタイプの友達を持とう。
時と場合によって、友達との距離を変えながら柔軟な関係を築こう。
もしも友達がいない時期があっても、充電期間と捉えて、一人でしかできないこと、たとえば読書やスポーツなどを楽しもう。

この充電期間が自分の引き出しを増やし、「様々なタイプの友達を持つ」ことに繋がり、好循環が生まれるのではないかと思うので、「友達がいない時」=「充電期間」という発想には大変共感できる。子供だけでなく、子育てに忙しくて友達づきあいが希薄になる時期の女性なども、そう考えることで孤独感や閉塞感が緩和されるのではないだろうか。

もう一つの「技」は、いじめ問題を考えさせるには、説得力のある「テキスト」を利用するというやり方だ。
かつて、クラスで自分の葬式ごっこをされて中学生の男の子が自殺した事件があった。斉藤氏は、その男の子のクラスメートが大学生になって当時を振り返って書いた手記を、説得力のある「テキスト」だとして、本書で紹介している。
これはとても衝撃的な「テキスト」だった。それまでは、教科書(テキスト)を読んでいじめがなくなるわけがないと思っていたが、その考えを改めた。いじめを傍観し、見方によってはいじめに加わっていた当事者が、八年間悩み考え抜き、事件を総括した内容だけあって、胸に突き刺さってくる。斉藤氏も書かれていたが、これが事件のことを客観的に報じた新聞記事では、説得力のある「テキスト」にならない。人が悩みに悩んだ心の声は、こんなにも説得力があるものかと感動さえ覚えた。これは、できるだけ多くの子供たち、いや大人にも是非読んで欲しい手記だと思う。

「テキスト」選びに心への訴えかけを重視していることからもわかるように、「技」を教える本であり論理的に書かれているにもかかわらず、無味乾燥でなく、生身の人間に何とか働きかけたいという情熱を感じる。そして、その情熱は「友達がいないと不安な子供」だけでなく、多くの人々に届き、人間関係の築き方を教えてくれるだろう。

『赤い大地黄色い大河―10代の文化大革命』 アンコー チャン・作 絵/稲葉茂勝・訳/青野 繁治・監修

赤い大地黄色い大河―10代の文化大革命赤い大地黄色い大河―10代の文化大革命
(2005/08)
アンコー チャン、青野 繁治 他

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オリンピックの聖火リレーが行われた世界各地で、沿道に終結し、旗を振る中国人留学生たち。ネットでの言論を見ていると、彼らの行動を「まるで文化大革命だ」と感じた人もいたようだ。本当の文化大革命では、多数の中国人が、命を奪われたり、人前で辱めを受けたり、いわれのない拘束を受けたり、強制労働をさせられた。今回の留学生の行動に、そこまでの過激さはないが、全体主義国家に煽動された若者の集団という点では、やはり文化大革命を思い起こさずにはいられない。

あの留学生たちの多くは、自ら人権蹂躙に加担しようと思っているわけではないだろう。純粋な愛国心や中国人同士の仲間意識が行動の発端になっている人たちが多いのではないだろうか。しかし、その純粋な者たちが間違った指導者を頂くとどうなるか、それを教えてくれるのがこの絵本である。

作者である画家のアンコー・チャン氏は、北京で生まれで、ティーンエイジャー(13歳~19歳)という多感な時期のほとんどを文化大革命の渦中に過ごした。
この時期、若い世代は思想的な洗脳を受け、4つの「旧」を取り除く革命に競うようにして参加する。4つの旧とは「旧文化」「旧思想」「旧風俗」「旧風習」、すなわち従来は評価されたり尊敬されたりしていたほとんど全ての人や物を、排除し弾圧するのが革命の使命とされた。
アンコーの父親は作家であったため、「旧思想」をもつ者だという理由で紅衛兵に家を襲撃される。紅衛兵たちを引率してきてた父の運転手からアンコーはこう言われる。

「きみのお父さんは“黒五類”なんだ」と、おじさんが言いました。
「きみは、お父さんとの間に線を引かなくちゃいけない」
(※黒五類:地主、富農、反革命、壊分子(ごろつき)、右分子
 ※毛沢東は、古い考えを持つ人を「黒五類」とよび、悪い人だと断定しました。)


アンコーは学校の正門に張り出されたスローガン、「老子反動児壊蛋(親父が悪者なら息子はろくでなし)」という言葉を思い出し、自分はろくでなしなのだと思いこむ。

 いったいなぜこうなってしまったのか、私にはわかりませんでしたが、それを説明してくれる人もいませんでした。なぜなら、だれにもわからなかったからです。私は恥ずかしいような、それでいて腹立たしいような気持ちをずっといだいていました。それでも、『毛沢東語録』は、何度も何度も暗唱しました。意味があまりわからないままに。

その後父は逮捕され、家の一部が紅衛兵に占領され、叔母は自殺に追いやられるが、意味がわからないまま、運転手のおじさんの言うように父との間に「線を引き」、紅衛兵に憧れていく。

 彼らは、自分たちがどうやって「黒五類」の家を荒らしたのか、「黒五類」を追いはらったのか、たがいに自慢しあっていました。私は彼らといっしょにいるだけでも、なんだかわくわくしていました。私の頭には、自分の家族に起きたことなど、これっぽっちもありませんでした。とうとう私も文化大革命に加わることができたのです。

その後、下放運動に参加し、自分の人生を考え始め、自らの中に絵の才能を見いだすところで、この絵本は終わっている。
過酷な少年時代であったはずなのに、比較的淡々とした筆致で、誇張することなく、当時の中国社会の様子、自分の心情を書いている。アンコーの手による挿絵の数々は、文章では抑えているだろうものを伝えてもくれ、感情を揺さぶられる。

文化大革命を書いた本を読む度に、紅衛兵や革命に集団で加担した民衆を、得体の知れない恐ろしいものだと感じていた。この絵本を読むことで、素直で純粋な少年が「得体の知れない恐ろしいもの」に巻き込まれていく過程がよくわかり、ますます全体主義の恐ろしさを知ることになった。

※子供も読者に想定しているので、文化大革命についての用語説明や背景などについての解説が、随所に書かれています。
単行本版もあるそうです。
 ↓


※文化大革命の恐ろしさを信じられない思いで読み、それが「現代」の出来事だと知り愕然とした本です。
 ↓
  

『WiLL (マンスリーウィル) 』 2008年 05月号

WiLL (マンスリーウィル) 2008年 05月号 [雑誌]WiLL (マンスリーウィル) 2008年 05月号 [雑誌]
(2008/03/26)
不明

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(最新号ではありません。)

長野の聖火リレーの様子をインターネットの動画で見た。異様な光景だった。真っ赤な中国の国旗に埋め尽くされ、そこがどこの国なのか、何のためのイベントなのか、全くわからないような映像。
チベットの国旗を持って集まった人々の行為には意味がある。オリンピック開催国にチベットへの弾圧、人権蹂躙をやめてほしいからだ。しかし、中国の国旗と「加油中国!」の叫び声は何のためだろう?まさかチベットへの弾圧をもっとガンバレというわけではないだろう。オリンピックの成功を願って集まったのなら、オリンピック旗があっても良いと思うが、一つも見られなかった。

あの中国の真っ赤な国旗に占領された長野を見て、先日読んだ古森義久氏の論文を思い出した。そこには古森氏が中国駐在時に親しくなった、「温厚で博識で親切そうな中国人」との会話が書かれている。

夕食をすませた後のくつろいだ歓談のなかで、彼がふともらした。日中関係の将来について語っていたときである。
「やはり、なんといっても中国と日本とが一つの国になるのが一番、いいですよね。」
 冗談だか、本気だか、わからない。リラックスしての会話だった。だから私も軽い気持ちですぐ問い返した。
「でも、日本と中国では社会も文化も異なるし、言葉もずいぶんと違いますよね。一つの国になった場合、たとえば言葉はどうすればいいんでしょうかね。」
 すると、その人物は平然と答えたものだった。
「それはやはり大きなほうの国の言葉を使うことになるでしょう。」


一見他愛のない会話に、私は背筋がゾッとし、チベット問題は日本の問題でもあり、世界の問題でもあると確信した。この会話が書かれている部分の見出しは『これこそが中華思想』である。

そして今度は、オーストラリアで三年前にあった一連の報道を思い出す。中国の在豪外交官であった陳用林氏が亡命を果たした事件のことである。
陳用林氏は亡命後に、「オーストラリアには千名もの中共から派遣されたスパイがいる。」という証言から始まり、中国の対オーストラリア政策について様々なことを語っていた。中でも恐ろしいことだと思ったのは、

オーストラリアを中国「大周辺エリア」の配下に置く構想が2002年から始まっている。
(大紀元時報05/06/29)

という部分だ。中華思想からすればオーストラリアは中国の「大周辺」であり、その構想が達成できれば、次は「オーストラリアは中国の自治区である」と言い出すつもりかもしれない。記事には、オーストラリア政府は買収可能だと書かれていたから、その構想は着々と進んでいたのだろう。前回の選挙で親中派のラッド首相に政権交代したのも、中共の筋書き通りということか。

日本は、これを遠い南半球の出来事だと傍観しているだけでよいのだろうか。
同時期に中国天津市国家安全局警官であった郝鳳軍氏もオーストラリアに亡命しているが、日本と中共は近い関係にあることと日本にはスパイが多いということから、日本を亡命先には考えていなかったと語っている。それでオーストラリアに亡命したということは、日本の状況はオーストラリアよりも深刻だということではないのだろうか。

古森氏の論文では、アメリカ議会の公聴会で多数の専門家から紹介された中国の主権拡大の野望が取り上げられている。古森氏はそれらの発言をこうまとめている。

 要するに中国はこと主権の主張、その象徴としての領海や領土への所見の主張となると、国際法は無視して、自国独自の「法」を打ち出し、その履行には軍事力の行使をも辞さない、というのである。

日本政府は、これまでのところ、チベット問題は当事者同士に任せておけばよいという態度をとっている。これについて、人権蹂躙を許して良いのかという怒りと共に、次は日本かもしれないという危機感を持っていないのだろうかという不安な気持ちが沸いてくる。
尖閣諸島周辺への中国船の領海侵犯、外国人参政権法案、そして赤い旗に埋め尽くされた長野、これだけの材料があっても、チベットの問題は日本の問題だと感じることができない人たちが政権を握っていて、日本は大丈夫なのだろうか。

※チベット問題に詳しい方々の論文が一度に読めます。↓

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