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『ほたる館物語 2』 あさの あつこ

ほたる館物語 2 (2) (ピュアフル文庫 あ 1-5)ほたる館物語 2 (2) (ピュアフル文庫 あ 1-5)
(2007/01)
あさの あつこ

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『ほたる館物語』は、旅館の一人娘、一子のお話。
三巻続きの一巻目を読んだとき、家業を持つ家の様子やその家の子供の気持ちをよく書き表しているなぁと感心して、三巻全部を読んだ。当事者でなければわからないような描写や心理があちこちに散りばめてあり、一子と似たような境遇で育った私は、「そうなのよ。そうそう、そこのとこ、譲れないのよ。」とか「でしょう?家業っていうのは楽じゃないのよ。」とか、読みながらぶつぶつと喋り、喋りながら読んでいた。ここまで作品に首を突っ込みながら読むということは、なかなかないことだ。

この二巻での大きな出来事は二つ。ひとつは、女将であるおばあちゃんがさかんに一子に「跡継ぎ」話をしてくるようになったこと。もう一つは、転校生の柳井くんが、妙にほたる館と一子に興味をもったこと。
おばあちゃんに対する「小学生のうちから私の進路を決めないでよ。」という反発する気持ちと、柳井君に対する「私は生まれたときからこの旅館の一員なんだからね。」という誇らしい気持ちとが、行ったり来たりする。
さまざまな家業の跡継ぎを期待されている人の心には、人生を狭められているような窮屈な思いと、でもその仕事については小さな頃から知っていてどんな子供にも負けないぞという自負とが、同居している。それをおばあちゃんと柳井くんという二人の人物に対したときの気持ちの違いで、とてもうまく書き表している。

柳井くんが一生懸命作った料理も、ほたる館の味と違えば、

「あかんわ、これ」
柳井君の眉が下がる。
「あかんか?」
「うん、お砂糖がききすぎ。甘くて玉ねぎの旨味が消えてしもうてる。それに、蒸しすぎとちゃう。竹串がすっと通るぐらいでええんやで。」


と言ってしまう。意地悪でも、知識をひけらかしているのでもない。味の違いがわかってしまうのに、お世辞で「おいしい。」とはどうしても言えないのだ。ほたる館に関しては「プロ」だから。

おばあちゃんが、そんな一子に跡を継いで貰いたい気持ちも痛いほどよくわかる。

「一子、うちは、うちの手でほたる館を育ててきたんや。景気のええ時もあった。もうちょっと手広う商いをしよかて思うたことも、一度や二度ではない。けどな、ほたる館の商売は、お客さんの数をぎりぎりまでして増やして儲けることやない。ほたる館を選んで来てくれはった人に、きめの細かい、ええおもてなしして満足してもらう。それやと思ったのや。儲けは少ない。けど、やってけんことはない。絶対ない」

と、一気にほたる館の理念を語ったあと、こう言う。

「そういう商売の仕方を、ほたる館には貫いて貰いたいのや。」

儲けは少ないけど、きめ細かいおもてなしをする。そのことに誇りや喜びを感じるのは、ここで生まれ育った一子しかいないんや。そうした必死の思いが切々と伝わってくる。他人の手に渡ったら、理念は捨て置かれ、儲けに走ってしまうかもしれない。理念などという金にならないものを大事にするのは、ほたる館の子だけやないか。その思いが一子への期待につながるのだ。

揺れ動く一子の気持ちに決着はつかないけれど、それでいい。悩みに悩んで、大人になっていく。それがほたる館の子供の成長の仕方なのだ。

人は誰しも、生まれ育った環境に人生を左右される。一子だけでなく、柳井くんも、雪美ちゃんもだ。全ての子が全く同じ条件の下から、人生をスタートするわけではない。その環境を活かしていくか、バネにして飛び出ていくかは、その子次第。そう考えると、ムキになって人と同じことをしたり、人と競ってばかりいるのは、どうでもいいことのように思えてくる。だってもともと違うのだから。
きちんと自分の人生と向き合っている一子達が、活き活きして見えるのは、そういうことなのではないだろうか。

※『ほたる館物語』シリーズ
『ほたる館物語1』
『ほたる館物語3』
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『にごりえ・たけくらべ』 樋口 一葉

にごりえ・たけくらべ にごりえ・たけくらべ
樋口 一葉 (1949/06)
新潮社
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中学生の頃、自分と同じ年頃の子供が出てくる本だからと、『たけくらべ』を読んでみたが、わからなくて放り出してしまった。当時は文語表現が難しすぎるのかと思っていたが、大人になってから他の作品も読み、『たけくらべ』は特に難しかったのだと思うに到った。

この本の解説では、『たけくらべ』は「ローカルカラーを書ききって」いると表現されているが、まさにそうなのだ。遊郭周辺が舞台である『たけくらべ』には、その土地特有の慣習や用語がでてきて、注釈なしではとても読めない。また、遊女になることが定められている美登利が同じ年頃だからといって、 その心境を推し量るには、中学生の私では人生経験もなにもかもがまだ足りなかったのだ。

他の作品には、状況が容易に想像できるものもあり、そのような作品から読むべきだったと思う。

例えば、『十三夜』は身分の高い男に見初められて嫁いだ阿関が、婚家で馬鹿にされ続けて、遂に堪忍袋の緒が切れて実家に駆け込むという、非常にわかりやすい筋である。それさえわかれば、心痛を吐露する阿関や、娘を不憫に思う気持ちを押し殺して説得する父親の台詞は、臨場感に溢れ、ぐうっと引き込まれていく。文語などは、そうして夢中で読んでいくうちに慣れていく。
帰路につく阿関には意外な展開が待っている。そしてせつない結末。ああ・・・これで終わりか、と空しくなり、心に余韻がいつまでも残る。

結末の余韻が、一葉の作品の特徴であるかもしれない。
『大つごもり』では、最後の最後で、放蕩息子にあんな心意気があったのかと驚かされる。
『たけくらべ』を読み終えたとき、私は、映画『ローマの休日』を観終えたときの感情を思い出した。淋しくせつないけれど美しい。『たけくらべ』の評価が高いのは、この結末に依るところが大きいと思うが、その結末に辿り着くまでには、遊郭周辺の子供たちの力関係や、友情、淡い恋心、家族や地域社会との関わりが、繊細に捉えられ描き出されている。

二十代の前半で、それも数年の間に、これだけ様々な立場の人たちとその心境を、どのようにして書き表すことができたのだろう。よく言われるように、遊女達との交流が情報源だったにしても、それを井戸端会議に終わらせなかったのは、才能と小さい頃からの読書の賜であろう。

今日は樋口一葉の命日である。享年二十五歳。若すぎる。

※樋口一葉の生涯について書かれた本
『一葉』 鳥越 碧

『坂本廣子の台所育児―一歳から包丁を』 坂本 廣子

坂本広子の台所育児―一歳から包丁を坂本広子の台所育児―一歳から包丁を
(1990/12)
坂本 広子

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我が家の子供たちは、三歳の誕生日プレゼントは包丁だった。大人が使うのと同じように切れ味が良く、子供の手で扱いやすい短めの刃渡りで、先端が少し丸みを帯びている。まだ独身の頃に、たまたま坂本廣子さんの講演会で聞いた子供用包丁選びのポイントを参考にしたのだった。

その頃はまだ「食育」などという言葉はなかったが、坂本さんは「台所育児」という言葉で、その重要性を説いていらした。
生きることの基本を小さいうちから教えよう。本物の味、本物を作ること食べることの楽しさを子供のうちに体感させよう。そしてそれが「育児」にも母親の「育自」にも繋がるという言葉も、「なるほどそういうものか」と新鮮な思いだった。幼児に包丁を握らせる・・・母親は口も手も出したくなるが、「忍の一字」でやらせてみる。その我慢が母親自身を育てるのだという。

実際に三歳の子供に包丁を持たせると、それはそれは大変だ。
坂本さんがおっしゃっていた通り、最初に、
「材料を押さえる手はネコの手よ。丸くして指を隠す。じゃないと指を切っちゃうからね。」
と教えるが、左手にばかり気を取られていると、包丁がはすに入り左手の方へ向かってくる。
「まっすぐ、まっすぐ。」
と言ったって、一度刺さった包丁は、角度を変えることも抜くこともできない。
いつもなら
「わぁ、危ないっだめだめっ。」
「違うっ。そうじゃないでしょっ。」
ときつい口調で言ってしまいそうなときでも、相手が包丁を持っていると思うと、声を出すのにも慎重になる。まさかこちらに包丁を向けはしないだろうが、声にびっくりして自分の手を切ったら困るからだ。
この台所「育自」のおかげで、私は少しばかり我慢強くなったと思う。

本書には、そんな坂本廣子さんの台所育児の思想、教え方のコツ、道具の選び方、豊富なレシピが載っていて、たいへん実用的である。

子供用のレシピというと、「包丁は使わず手でちぎる。」「火は使わずに電子レンジで調理。」などというものが多いが、坂本さんのレシピは、作業工程が少なかったり、力が弱いことや背が小さいことを補う工夫があるだけで、本格的な調理の方法が書かれている。
だしはこんぶやいりこから取るし、麻婆豆腐やカレーも市販のソースやルーを使わず作る。もちろん初心者に作れるおろし和え(大根をおろすだけ)、貝の蒸し煮などもいろいろと載っている。

教え方のコツはメリハリがきいている。
まず危険なこと、やってはいけないことなどを注意して、後は黙って見ている。
料理は遊びではないから、ふざけはじめたらサッサと切り上げる。
子供に料理をさせたら台所が汚れるのは当たり前、潔癖性とはサヨナラしましょう。
つまり、お手伝いでも母親の台所仕事でもなく、「育児」なのだと、親が頭を切り換えるべしということである。

このように実用本として役立つが、「台所育児」の思想に頷かされる点も非常に多い。
家でインスタント食品ばかり食べている子が、手作りのご馳走を前に「なんにも食べるものがない!」と言ったことにショックを受け、こう考えたそうだ。

食べ物のしつけは「つ」のつく間までと思っているのですが、「八つ」「九つ」を過ぎて「十」になれば、「つ離れ」して文句をいうし頭で食べるようになってきます。すると、新しい味には「つ」の頃のようにすんなりなじめないのです。

また今の子は習い事だ、塾だ、と忙しすぎて、親から子へ「伝える」という時間がなくなっていることも指摘する。

 親と子のゆっくりとした時間、そして自分の作った食事をいっしょに食べる機会は、そんなに長くないし、回数も少ないのです。それでも、やっぱりいつまでもいっしょにいられるような気分がするのですが、現実には数えられるほど。ということは、子どもといっしょにいられる間しか子どもに伝えることができないということです。
 とくに食べる文化は、毎日のたかが食事されど食事で、そのときに具体的に食べて舌の記憶に残してゆくのが伝えることになります。そのときに、ただ出てくるだけではとちゅうのプロセスが見えなくて、それを作っている親の背も見えずに育っていくことになってしまいます。せっかくのご飯を作る数少ない時間は大切にしたいもの。


こういうことを意識していないと、「おふくろの味」が市販のものや店屋物の味になってしまうと危惧している。
しかし、この本が書かれてから十七年。今や「おふくろの味」がなくてなぜ悪いの?と考える人も増えているかもしれない。

最近の新聞に、家で料理をしない人が増え、日本全体で三食のうち外食や出来合いのもので摂食する割合が40パーセントを超えているという統計が出ていた。
日本の家庭料理の豊富さおいしさは、世界に自慢できる日本の個性だと思っていた。スーパーでカートに冷凍食品ばかり放り込むオーストラリア人を同情のまなざしで見ていた。しかし、これからは日本でも同じ光景を見ることになるのだろうか。
そしてまた、この台詞を思い出す。

このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わり、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(三島由紀夫『果たし得ていない約束』より)

それでもいいと思っていない方には、ぜひ台所育児を実践していただけたらと思って、この本を紹介した。

『富士山頂』 新田 次郎

富士山頂 (文春文庫)富士山頂 (文春文庫)
(1974/01)
新田 次郎

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富士山頂に気象レーダーを設置するという計画は、当時国家的な大事業であった。
昭和三十八年、建設資材の運搬は当初、馬方組合と強力組合に依頼された。富士山での荷物の運搬は馬力と人力に頼っていた、そんな時代である。積雪や雲による視界の悪さからすると、年間の作業可能日数は四十日と推定され、二年の建設期間延べにしても八十日しか実働日数がとれない。しかも「日本の象徴」である富士山の頂上に、「世界一」のレーダーを設置するというのは、国内外から注目されており、失敗は許されない。

新田次郎は、気象庁に在籍中、この仕事に関わっていた。それで、この小説には自伝的な要素もあるのだが、この事業を幅広い視野で客観的に描き出しているところは、一般的な自伝とはかなり趣が違う。
新田次郎がモデルだと思われる葛木測器課長は、レーダー完成後、謙遜気味に「ただ見ていただけだった」と言う。測器課長の仕事は、この事業の方向付けをすることで、業者の選定、他官庁との交渉、マスコミ対策などを、一手に引き受けていた。「日本一」の仕事に関わりたい業者の売り込み、面子と権限にこだわる他官庁からの干渉、作業に支障を来す内容だろうがスクープを取りたがるマスコミ、これらを全て間近で「見ていた」ことが、この事業を俯瞰図的に書くことに繋がったのではないだろうか。

俯瞰とはいっても、具体的に動いているのは個々の人間だ。人間同士の会話から協力体制が生まれたり、逆に不信感からその人間の所属する組織を排除することになる。困難な作業も、優秀な技術を持つ個人に当たらせることで、不可能が可能になる。
そして、山頂近い作業現場の監督が重視するのは、人の数でも技術でも金の力でもなく、人の気持ちであった。高山病や過酷な労働に耐えかねて下山する建設作業員が続出する中で、そう悟ったのだ。

「私は毎日、作業員たちに、お前達は富士山に名を残すために働けと云っているんです。なぜ、そんな気持ちになったか申しましょうか。測候所員の生活を見たからです。驚くべきほどの安月給で食費は自弁で危険手当さえなく、生命を的に一年中ここで働いている所員たちを支えているものは富士山頂で働いているという使命感なんです。これは全く二十世紀の奇蹟のようなものですよ。私はその奇蹟を、私の仕事に持ち込もうと考えたのです。ここで働けば、お前達の名は、銅銘板にきざまれて、レーダー観測塔の壁に残るぞと云ってやっているのです。初めのうちは彼らは半信半疑で聞いていましたが、今はそれを信用して働いています。彼等にやろうという気が起きたのは、このことを云い出して以来なんです。」

作業員には名誉を与えられるということだ。
果たして、今の社会で、金銭より、安楽より、名誉のために過酷な労働を選ぶ人がどれくらいいるだろう?
名誉ある仕事とは何だろう?
名誉を与えられるべき仕事に対して、世の中の人々は敬意を払っているだろうか?
測候所員の生活の部分を読みながら、ふと自衛官のことが頭に浮かんだ。彼らはろくに名誉も与えられていないのに、厳しい生活環境に身を置き、過酷な労働に従事している。二十一世紀の奇蹟である。
ともあれ、富士山レーダーの作業員たちは、幸運にも名誉を約束され、懸命に働くようになった。

人間と技術との結集により、二年かかってレーダードームが完成し、実用に向けて、電波庁からの厳格な実地検査にも合格した。関係者が涙を流すほど喜び、ホッとしているところへ、大自然からの検査官が訪れる。台風の襲来だ。大事業を成し遂げた人間達へ、奢りの気持ちを芽生えさせないための計らいのようにも感じる。

この事業を完成させた後、葛木課長、つまり新田次郎は、気象庁を退職し、執筆活動に専念することになる。この仕事に関わった人々の多くが、同じように満足感と虚脱感を抱いていたに違いない。誰にとっても、一生に一度の大仕事であっただろう。困難な仕事だというだけでなく、日本の象徴「富士山」に関わるということが、人々をここまで熱中させたのだ。

気象衛星の出現によって富士山頂気象レーダードームは引退した。現在は、富士吉田市に博物館として残っているそうだ。

『チンチン電車が走ってた』 菅原 治子

チンチン電車が走ってた (福音館創作童話シリーズ)チンチン電車が走ってた (福音館創作童話シリーズ)
(2006/11/09)
菅原 治子

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母はよく、
「お父さんは学童疎開が辛かったのかしら、楽しかったのかしら?」
と不思議がっていた。確かに不思議だった。父は、疎開中に食べてた食材は「辛かったことを思い出すから嫌だ。」と言って食べようとしなかったり、空腹のあまり狡いことをしてしまった同級生のことを苦渋に満ちた表情で語ってくれたこともある。「気持ちはよくわかるんだ。だけど見たくはなかった。」と。そのわりには、テレビで学童疎開の特集をやっていれば必ず観ていたし、疎開仲間とかつての疎開先へ旅行に行った時は、たいへん嬉しそうにしていた。

自伝小説『チンチン電車が走ってた』を書かれた菅原治子さんは、昭和八年東京生まれ。学童疎開の経験者だ。戦前の意外に豊かで文化的な生活から、戦争中の学童疎開、家族での疎開、戦後の焼け残った家での賑やかな暮らしぶりまで、変化に富んだ子供時代を、活き活きと書かれている。

私の子供の頃は、戦争の頃を描いた児童書といえば、怖い、悲惨、残酷、そんなイメージの作品ばかりで、読むと、暗い気持ちになっていた。しかし、この『チンチン電車が走っていた』は、読むと元気が出てくるような作品である。それは、菅原さんが、子供の頃の視点、気持ちを忘れずに、その時その時の一生懸命に生きた軌跡を、何の誇張もなく書かれているからだと思う。

直接の被害を受けていない子供にとって、戦争というものはよくわからない世界の出来事で、現実はもっと身近なことに関心があるものなのかもしれない。
幼い頃の菅原さんは、アイスクリームを食べた、動物園に行った、そんな楽しいことの方に心が動く。楽しいことばかりではなく、辛いことも、身近であるほど切実だ。この本の中で、最も菅原さんが辛い目にあっているのは、戦前の学校でのいじめだ。おとなしいのに頑固な性格が災いして、男の子にも女の子にもいじめられていた。今も昔も、いじめとは何と陰険で残酷なものだろうと、恐ろしくなるほどの仕打ちにあう。しかしあることがきっかけで、またみんなと遊ぶようになった。
学童疎開は、その後の出来事だったから、みんなで遊んだり、勉強したりということが、他の人たち以上に楽しく感じられただろう。ちょっとしたいざこざがあった後、すぐに仲直りができたことに、とても喜んでいる。頭の片隅には以前のいじめのことがあって、心配だったに違いない。

何があったにせよ、部屋の仲間は私を仲間として受け入れてくれたのだという、幼い友情を確認できた喜びでいっぱいになった。
 東京で通学している学園生活だったら、生まれ得ない感情だろう。「同じ釜の飯を喰う」と言うが、それも一日や二日ではなく、何ヶ月も生活を共にしていることで、家族のような感情が育っていったのだ。


私の父も、疎開先でひもじい思いはしていたかもしれないが、そんな友情をはぐくんでいたのかもしれないと思った。

戦後になると、たまたま焼け残った自分の家に、何家族もの他人を同居させ、価値観の違う人たちと日々顔を合わせなければならなくなる。中には外国人もいる。お嬢さんだった菅原さんには、耐えられないのではないかと思うが、菅原さんの何でも面白がる性格が幸いしたのか、賑やかで刺激的な生活に悲壮感はない。

戦争と一言に言っても、それを経験した年齢や環境、個人の性格で、捉え方は違う。また、たまたま自分の生きてきた人生のある一時期に、戦争というものもあったかもしれないが、それが全てではない。長い人生の中では、楽しいこともあり、自分にとっては戦争以上の別な辛い目にも遭い、戦争が何も特別なものではないという人もいるのだろう。
これまでの、戦争前後を舞台とした児童書からは、このことはなかなかわからない。主題が戦争の悲惨さであることが多いからだ。戦争を知らない世代に、戦争の悲惨さを伝えることはもちろん大事だけれど、それが全てではないということも、時代の空気を知るには大切なことではないかと思う。
疎開世代の菅原さんが自然体で書いてくださったこの本は、戦前から戦後にかけてこういう生活もあったのだという、ありのままを知ることができる貴重な一冊である。

『日本ぶらりぶらり』 山下 清

日本ぶらりぶらり (ちくま文庫)日本ぶらりぶらり (ちくま文庫)
(1998/04)
山下 清

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知り合いに自閉症の男の子がいて、一緒に水族館へ行った時のことである。
「アシカのショーが20分後に始まります。」
というアナウンスがあり、皆観客席に座ってショーの開始を待っていた。すると間もなく、その男の子と母親がすすっと階段を下りどこかへ行ってしまった。飽きてしまって魚の泳ぐ水槽を観に行ったのだ。確かに、その時私たちも飽きていた。20分間何もない空っぽの舞台を見つめ、何百人もの人々がただ座っている。よく考えると妙な光景ではないか?もちろん彼はショーを見逃したのだが、見逃したから何なのだろう?めいっぱいきれいな熱帯魚やサメやイルカが見られたよと喜ぶ姿を見たら、素直に生きるってすごい!と得も言われぬ感動を覚えた。

「裸の大将」として知られている山下清のこの旅日記にも、素直に生きている様子が書かれていて、時々警察や家族に迷惑をかけるけれど、なぜか憎めない。それどころか、私たちがいかに普段、先入観にまみれ、物知り顔で暮らしているかということを突きつけられ、恥ずかしくなってしまうくらいだ

山下清は画家として有名になっていたから、各地でサインを求められる。しかし

サインというのは、ぼくの子どものときなどはなかったので、いまの子どもがどうしてサインがすきなのか、おとなでもサインが好きな人がいるのはどういうわけか、さっぱりわからない。

と不思議がる。先生に聞いてみても、あれはサイン病だとか有名税だとか言われて、ますますわからなくなる。
 
サインをしてもらったものは、どこへしまっておくのか。それをときどきだしてながめて面白がっているのか、忘れてしまうのか、聞いてみようと思ったことがあるがめんどうなのでそのままにしておきました。

本当に、皆さんどうしているのだろう?

ぼくの母や弟や妹がサインをたのまないのに、知らない人がどうしてサインをたのむのか、そのわけもきいてみようと思ったことがありました。

なるほど、この辺りにサインを貰いたがる理由のヒントがありそうだ。

しかしそれもぼくだけが知らないことかもわからないので、笑われると恥ずかしいから弟にもききません。

いや逆に、サインをもらった人が「そういえば何のために?」「はて、どこに置いておこう?」と、これを読んで恥ずかしがっているかもしれない・・・。

桜は日本にしかないと思っていたのに、アメリカにたくさん送って方々に大きな桜があると聞いて、こんな心配もしている。

そうすると日本の桜が世界一だとえばっていても、いつアメリカの桜が日本のをおいこすかわからないので安心してはいられないでしょう。世界一はもうアメリカだろうかと心配して新発田の人にきいたら、まだ大丈夫日本だというので安心しましたが、やはり心配です。アメリカは何でも世界一をつくれる金持ちの国だから、サクラもそうなると日本は富士山だけになって淋しくなるだろうとぼくは気がもめてきました。

しかし、なによりも鋭いと感じたのは、新聞と世論についての感想だ。

 ぼくは新聞はめったにみないが、ときどきよむとみんな本当のことばかりではない気がするので、嘘と本当はどのくらいのわりあいに世の中にあるものだか、わからなくなる。大ぜいが本当だといえば、嘘でも本当になるかもわからないので、世の中のことは、ぼくにはよくわからないのです。

いえいえご謙遜を。おわかりじゃないですか。と言いたくなるのは私だけではないだろう。

『おはなしのへや―お母さんのための絵本の旅』 沢谷 由美子

おはなしのへや―お母さんのための絵本の旅おはなしのへや―お母さんのための絵本の旅
(2005/08)
沢谷 由美子

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私には、とても話の合う叔母がいる。外国ではなかなか読めない日本の雑誌を送ってくれたり、その際に簡単な料理のメモを挟んでくれたり、大掛かりではないけれど、私が喜びそうなことをちょこちょこっとしてくれる。
先日、叔母の家を訪れたときには、私のためにこの本を用意してくれていた。

この本は、副題に「お母さんのための絵本の旅」とあるように、絵本を通じて、母親のあり方や女性の生き方について考えたことが書かれているエッセイ集である。
著者の澤谷さんが、普段の生活、子育て、ご主人を亡くされた経験などから得た、ご自身の考えと、絵本から感じ取れることが、無理なく溶け合っていて心に響いてくる。

澤田さんは、子供達に読み聞かせやお話しをなさる機会が多く、人の話を聞けない子供が増えてきたと感じていらっしゃるそうだ。子供たちの変化を目の当たりにしてきた澤谷さんが強調するのは、ことばの貧困は人の心を壊すということ、母親が子供の目を見て子供の心を読むことの大切さ、女性が子育てをすることの意味で、これらについて繰り返し何度も書かれている。

『よるくま』という絵本は人気のある本だそうで、私は読んだことがないのだが、澤田さんの解説を読んだだけで、せつなくなってくる。くまの男の子「よるくま」が夜中に目を覚ますと母親がいない。悲しくて黒い涙を流していると、夜空で星を釣っている母ぐまの釣り糸に「よるくま」が引っ掛かる。そして母子が対面するが、

よるくまが黒い涙で汚れた顔を引きつらせ、悲痛な表情で母ぐまに駆け寄るのに、母ぐまの方は何も感じていないかのようにあっけらかんとしています。子どもと親の心がちぐはぐなのです。母親は、子ぐまのために食べ物や欲しいものを買ってあげたくて夜釣りをしていたというのです。帰り道でも、「明日、おまえに自転車を買ってあげようねえ」というのです。ちっとも安心感が残らないのです。

その絵本を読んだ澤谷さんの感想は、こう書かれている。
 
 よるくまの母親のように、生活のために、あるいは自己実現のために外で働く母親は今後も増えるでしょう。深夜労働に出る母親もいるでしょう。私はそれを全部否定する気はありません。ただそのとき、子どもの表情をしっかり見て、心を読みとってほしいのです。よるくまのように悲痛な表情になったら心が壊れかけているのです。保育所を増やすとか、子育て支援を充実させるとか、社会に要求する前に、親が子どもの表情や行動や言葉から子どもの心を聞きとることが大切です。その感覚がおかしくなっていないでしょうか?あなたのお子さんは、今、あなたになにをもとめているでしょうか。

そんなふうに子供に縛られるなら結婚したくない、子供など要らない、そういう人が増えていることにも疑問を投げかける。

 確かに、自分の好きな仕事を続け、オシャレもして、旅行にも行って、自分の時間もあって、趣味を大切にすることができれば、思いどおりで幸せな人生なのかもしれません。でも、反対に、思いどおり生きる人生とはとても味の薄いものではないでしょうか。自分以外の誰かの犠牲になったり、がまんしたり、自我を没にしたりといったマイナスの体験を持たない人生のまま歳を重ねていくのは怖い気がします。

澤谷さんは、子育て中にこの「自我を没にする」=「没我性」という言葉に出会ったという。子育てに追われ何も思いどおりにいかない毎日の中で「没我性」が得られ、一度「没我性」を身につけた人は女性として成熟していくという説明を、体で納得できたのだそうだ。

『花さき山』は、誰かが人のために我慢したり、ひそかに優しいことをすると、花さき山に花が咲くが、その山は捜しても見つからない、というお話だ。

 もしかして、わがままいっぱいに自己実現に明け暮れてきた私たちも、子どもを産んで子育てするときに初めて、他人(子ども)の幸せのために、自分の欲望に死ぬことを余儀なくされて、やさしさを学ぶのかもしれません。

子育ては、母親をも育ててくれるということだ。

母親になるってことは、毎日ひとつ、「花さき山」に花を咲かすことだと思いませんか?

この言葉は、子育てでやりたいこともできずにいる母親達をずいぶん励ましてくれるのではないだろうか。

この本を私にくれた叔母は、数年前に初孫が生まれ、自分の子育てはもう終わった世代である。その叔母がこう教えてくれた。
「最近同世代の人と話すとね、子供にもっと目を向けてやればよかった、時間をかけてやればよかったと言う人がとっても多いのよ。」
それは仕事を持っていた人かと訊くと「どちらもよ。」と答えた。
孫が生まれる歳になって、そう後悔するのは悲しいことだ。まだ子育て期間の残っている私は、先輩方の教訓に学び、出来る限り「花さき山」に花を咲かせていこうと思っている。

『少年少女 ふろくコレクション―痛快懐かし付録満載』 中村 圭子、 他

少年少女 ふろくコレクション―痛快懐かし付録満載 少年少女 ふろくコレクション―痛快懐かし付録満載
中村 圭子、 他 (1996/08)
芸神出版社
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まだ若かりし日のことであるが、少ない予算でちょっとした景品を作るという仕事に関わったことがある。いくつかの会社がアイデアを持ち寄った。誰もが知っている大手広告代理店二社も含まれていたのだが、群を抜いて安くて魅力的な景品を提案してきたのは、普段は主に雑誌のふろくを企画している会社だった。

ちょうど日本に滞在していたとき、弥生美術館で雑誌のふろくを展示していると知り、これは見逃せないと、子供たちを誘って見に行った。以前の経験があるので、雑誌のふろくはあなどれないとは思っていたのだが、予想以上におもしろく、帰りに売店でこの本を衝動買いしてしまった。

展示には、大正の頃から最近までの少年・少女向け雑誌のふろくが、所狭しと並んでいた。私がおぼろげながら見覚えがあって何となく「懐かしい」と感じるのは、先日亡くなられた内藤ルネさんのイラストくらいまでで、中原淳一の絵までいくともう自分の領域ではない。しかし、この自分の領域でない時代に、格調高く、精巧なふろくが勢揃いしていたのだった。

館内で最も目を引くのが、「軍艦三笠の大模型」。ふろくとは思えない大きさで、もしも学習机やちゃぶ台に載せたら、もう勉強や食事は一切出来なくなるほどである。大きいだけでなく、細部まで精巧に出来ている。この本によれば、A3版六枚を含む八枚の紙から組み立てるようになっていたそうだ。紙細工でここまで組み立てるのはずいぶん根気がいることだろう。昭和七年一月号のふろくであると書かれているから、テレビやゲームなどの娯楽がない時代である。このようなものを組み立てる時間はたっぷりとあり、また子供も望んでいたのだろう。同時期には、他にも「エンパイア・ビルディング」、「動き出す人造人間」など、大掛かりな組み立てふろくが幾つも見られる。

また平面であったり、小さなものでも、絵も内容も格調高い。すごろく一つとっても「豊臣秀吉出世双六」「源頼光鬼退治双六」など歴史上の人物が描かれていたりして子供の知的好奇心を喚起する工夫が施されている。

この昭和初期は、「第一次ふろく黄金期」と呼ばれているそうで、戦争激化直前の昭和十五年まで続いたという。

私が実際に貰えるとしたら・・・やはり少女雑誌のふろくに惹かれる。
中原淳一のイラストが描かれた「啄木かるた」は、石川啄木の短歌が上の句と下の句に分けられて、かるたとりができるようになっている。
「隣組かるた」のかわいらしくてユーモラスな絵に惹かれ、遊び方を読んでみると、「組長の札を持った人が『今日は勤労奉仕の日です』と言ったら、全員『勤労奉仕係』の札を裏返しに重ね、別な札を出して見破られたら、たまっていた札を全部出さなければならない。」などという、時代を感じさせてくれるルールになっている。

時代といえば、ふろくを年代順に並べると、時代を視覚的に捉えることができる。大正時代はまだ江戸時代を連想させるような図柄が多く、昭和にはいると、立身出世の物語や戦闘機、軍艦などの模型が増える。戦争が終われば、ガラリと変わり、アメリカへの憧れから、電化製品を模した動きのあるもの、女の子向けには洋装で金髪のキャラクターやおしゃれ小物が人気になる。テレビが普及すれば、アイドルがふろくに登場する。

そんな流れを経てすっかり様変わりした現代では、想像もつかないだろうが、昭和四年の『少女倶楽部』のふろくに『明治天皇御製繪巻』というのがあった。
今日は明治節(明治天皇の御誕生日)なので、どのような御製が載っていたか、四十四首のうち二首だけであるが紹介しよう。

しるべする人なかりせばいかにして 我がこころざす道にいるべき

たらちねのおやの教をまもる子は まなびの道もまどはざるらむ


どちらも、子供の歩んでいく人生を良き方へと導いてくれるものについて、詠まれている。一首目は「師」、二首目は「親」。これが今のふろくについていたら、師や親である私たち大人の方が、襟を正さなければならないような御製である。

「昔のふろくは素敵だったのね。憧れちゃうわ・・・。」と思いながら、弥生美術館に隣接している竹久夢二美術館に入ると、そこに夢二の言葉が飾ってあった。「早く昔になればよい。」

弥生美術館の「ふろくのミリョク展」は、12月24日(月・祝)まで開催しているようです。ご興味がある方、お近くの方は、本よりも実物をご覧になることをお薦めします。





『雪女 夏の日の夢』 ラフカディオ-ハーン・作/脇 明子・訳

雪女 夏の日の夢 (岩波少年文庫 (563)) 雪女 夏の日の夢 (岩波少年文庫 (563))
ラフカディオ・ハーン、脇 明子 他 (2003/03)
岩波書店
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これは岩波少年文庫の一冊で、裏表紙には「中学生以上」とあるが、作品によっては小学校の高学年あたりから読めるだろう。私が子供の時に読んだ小泉八雲の作品集は『怪談』だけで、「怖い」という印象から八雲の作品を手に取ることはなくなり、エッセイを読む機会はなかった。
この本では、『怪談』から著名な四作品『耳なし芳一』『ムジナ』『雪女』『食人鬼』を、『日本の面影』からは『東洋の土をふんだ日』『盆踊り』『神々の集う国の都』を採り上げていて、物語とエッセイを一冊で読むことができる。また、それ以外の作品も、怪談とは一味違う不思議な物語がいくつか選ばれていて、少年文庫にふさわしいと感じるものばかりだ。

『弁天さまの情け』は、女性の書いた和歌の短冊に一目惚れ(一読惚れ?)をした若者と、その短冊を書いた女性との不思議な出会いについて書かれており、男女の情の機微を書くことにも長けている八雲の作品に触れる最初の機会として、好ましいものだと思う。

もしも歴史好きの子であれば、『果心居士の話』に織田信長や明智光秀が出てきて、その性格の違いまで描写されていることや、足利義政が大河内明神の社再建に費用を出した秘密が書かれている『鏡の乙女』をおもしろがるだろう。
『果心居士の話』には、梨木香歩さんの『家守奇譚』を読んだことのある人にも楽しめる場面がある。ラストシーンを読むと「ああ、この場面は・・・!」とはっとするのではないだろうか。

『梅津忠兵衛の話』では、なぜ「出羽の国」という名のお相撲さんがいるのかがわかる。

この本を私が読んでいると、子供がさかんに「『食人鬼』読んだ?『食人鬼?』読んだ?」と言ってくる。題名ほど恐ろしい内容ではないが、余程印象深かったようだ。食人鬼の前世はお坊さんであったが、何故食人鬼になってしまったかに「ほう、なるほど。」と納得し、また反省する食人鬼の姿に心打たれたらしい。
私の方は、『雪女』にとても日本的な結末を感じて、改めて名作であると認識した。
日本では、鬼や幽霊や妖怪にも情があり、身を引いたり反省をしさえする。その健気さに、食人鬼や雪女が愛おしく思えてしまうほどだ。
どちらも『怪談』からの作品であることに苦笑してしまった。かつて私は『怪談』がただただ怖くて小泉八雲から逃げたが、今またここに戻ってきたのだ。

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