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『名歌でたどる日本の心―スサノオノミコトから昭和天皇まで』 小柳 陽太郎

名歌でたどる日本の心―スサノオノミコトから昭和天皇まで 名歌でたどる日本の心―スサノオノミコトから昭和天皇まで
小柳 陽太郎 (2005/08)
草思社
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葦原やしげらばしげれおのがままとても道ある世とは思はず

安倍首相は辞任を決意されたときに、どのような心境でいらしたか、そう考えたときに、後水尾天皇のこの句を思い出した。

寛永六年(一六二九)、天皇が当時、高僧として名高い沢庵和尚に紫衣(勅許によって賜る紫色の僧衣)を賜ったところ、幕府は朝廷のもっておられた栄典授与の権を剥奪、幕府が定めた法に反しているとして沢庵和尚を流刑にした。
 このことに激怒なさった天皇は突如、位をお譲りになったが、一首目の御製はそのときにお詠みになったものである。「葦原よ、繁りたいなら自分勝手に繁ればいい、この世の中には到底正しい道を求めようもないのだから」の意。その無念の思いはただならぬものがおありだった。だが、それはこの紫衣事件のことだけではなかった。とりわけ当時、幕府が定めた「禁中並公家諸法度」に見られる幕府の国の在り方に対する無知と傲慢には耐え難かいものがおありだったのである。


安倍首相は、ご自身の職務に邁進し一定の成果を上げながらも、他のことでマスコミから叩かれ、野党に罵倒され、若い首相に焼きもちを焼いた党内の政治家から誹られ、国民には自分の真意や実績を伝える手段がない。マスコミが情報をふるいにかけてしまうからだ。戦後レジームからの脱却という「正しい道」を求めようにも、戦後レジームの恩恵に授かっている人々の執拗な妨害で、とうとう万策尽きたということではなかったのだろうか。

日本では古来から、自分の力ではどうにもならないことに突き当たったとき、その怒り、わびしさ、祈りを和歌に込めていた。

藤原氏の讒言によって左遷された菅原道真は、九州に発つとき庭の梅の花に向かってこう詠んだ。
東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな(春な忘れそ)

建歴元年(千二百十一)に襲った大洪水に対する源実朝の歌。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめ給へ

元軍の再びの襲来の知らせに、身を投げ出して国を護る決意をするならば神も護ってくれるだろうと詠まれた亀山天皇。
世のために身をば惜しまぬ心ともあらぶる神はてらしみるらむ

和歌を詠むのは何かを憂える時だけではない。

国土の美しさを詠い、
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまそ国そ 蜻蛉(あきづ)島(舒明天皇)

桜を愛でて詠い、
桜花里にも野にも山べにも今をさかりと咲きにけるかな(本居宣長)

子を思って詠い、
瓜はめば 子ども思ほゆ 栗はめば まして偲はゆ 何処より 来たりしものぞ 眼交(まなかひ)に もとな懸かりて 安寝しなさす (山上憶良)

父母を思って詠う。
忘らむて野行き山行き我来れどわが父は母は忘れせぬかも(防人の歌・商長首麻呂)

楽しいことを詠い、
たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時(橘曙覧)

励ましの歌を詠う。
極まればまた甦る道ありていのちはてなし何かなげかむ(川出麻須美)

日本人は、上古の頃からことある事に和歌を詠み、和歌に心を託してきた。それで現代の私たちは、時代を超えて、身分を超えて、その時々の人々の思いを知ることが出来る。
和歌というと、古文であり、古いもので、難しいという印象がある。しかし、ほんの六十年前、戦争で若い命を落とした青年たちの多くが、辞世の句を詠んでいる。その頃までは、たしなみとして日常生活の中で和歌を詠んでいたのだろう。そうでなければ、いまわの際に突然和歌が作れるわけがない。

しかし現代に生きる私には和歌は日常的なものではなくなっているというのが正直なところだ。同世代の人たちの中に和歌を詠める人が何人いるだろうか。最古の和歌といわれる素戔嗚尊の歌から脈々と続いてきたこの敷島(和歌)の道が、私たちの時代に途絶えてしまうかもしれない。この本で、日本の歴史に添った和歌を読んでくると、和歌の断絶は歴史の断絶でもあるように思える。

本書では上古から昭和までを八つの時代に分け、その時代を代表する歌を紹介し、それを詠った人物や詠ったときの背景、歌の意味が説明されている。一般的な歌集と違い、歌の上手下手ではなく歴史や時代に関連した歌を多く選んでいるので、和歌で理解する日本史という趣だ。時代順に読み下ってくると、和歌が昔のものでも特別な人のものでもないことが、よくわかる。つい六十年前までは・・・。

安倍首相は辞任の思いを和歌に詠んだだろうか。そうした趣味があるとは聞いたことがないから恐らく詠んでいないだろう。しかし、それをもって「本当の保守ではない」と誰が非難できるだろう。戦後教育を受けたほとんどの人に和歌は詠めないのだ。和歌は失われた日本の象徴だ。大切なのは、戦後日本から失われたものに気づいているかどうか、失われたものを取り戻す志があるかどうかではないだろうか。

これのみぞ人の国よりつたはらで神代をうけし敷島の道(冷泉為相)
「この『敷島の道(和歌の道)』だけは他国から伝わることなく神代から伝わってきた日本独自の道である。」

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“Sashiko: Easy & Elegant Designs for Decorative Machine Embroidery” Mary S. Parker

Sashiko: Easy & Elegant Designs for Decorative Machine Embroidery Sashiko: Easy & Elegant Designs for Decorative Machine Embroidery
Mary S. Parker (2002/02)
Lark Books
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オーストラリアのクラフトグループ(手芸の集まり)で、刺し子をしていると、「あら、それは何?」とか「糸はキャンドルウィックかしら?」などと話しかけてくる人がいる。それで話が弾んだり、ロウソクの芯(candlewick)を使った刺繍の方法を教えて貰ったりしてなかなか楽しい。
外国人から見ると、紺と白でシンプルな幾何学模様が続く刺し子は、さぞかしエキゾチックで興味深いのだろう。私自身も、参考にしようと図書館から借りた本書を見て、様々な紋様にすっかり魅せられてしまった。
この本は、日本の「刺し子」を英語で紹介した本である。アメリカの手芸家の手によるものだが、内容は充実していて、私もこの本から学んだことがたくさんある。

赤ちゃんの産着に使う「麻の葉」や「亀甲」「矢羽」くらいは知っていたが、紋様も名前も知らなかったり、見たことがあったが名前は知らなかった紋様など、実に百を超える紋様が紹介されている。
「格子」「籠目」「分銅」「網目」のような日常生活から生まれたらしい紋様もあれば、「竹」「藤」「桜」「柿の花」「紫陽花」などの植物の柄は数え切れないほどあり、その他にも「千鳥」「鱗」「雷」「青海波(せいがいは)」「野分」など自然の文物を抽象化したものが多い。ちなみに、本書の表紙には「稲光」の作品が使われている。

個々の紋様に添えられた解説も詳しく、例えば「石車」については、
・「石車」の中心は「卍(まんじ)=仏教徒の十字架」の紋様を表している。
・ブロックを組み合わせた形は「平組卍」にも見られる。
・奈良時代と平安時代には、このような格子模様をベースにした柄の着物は身分の高い人たちかが着ており、身分の低い人や平民が使うことは禁じられていた。
・しかし江戸時代には格子模様を使う事への規則はゆるくなる。
のように、技術的な面と歴史的な面からの説明が書かれている。

これとは別に、刺し子と日本の着物の紋様についての歴史が、巻頭に六ページにもわたって書かれている。以下、興味深い点をいくつか採り上げてみよう。

刺し子は、元々下層階級の衣服の繕い物や強化に使われていた。漁師は膝をついて網を引くので、膝から臑にかけては布を何枚も重ねてチクチクと縫い厚くしていた。農民は肥料や何かを天秤で肩に担いで運ぶので、肩の辺りの布を重ねた。それらの重ね縫いが、刺し子の元の姿である。

江戸時代には、全体を刺し子で刺した服を着ている町人たちがいた。「火消し」である。火事の時は刺し子の半纏を水にくぐらせて羽織り、火の中に飛び込んでいく。しかし面白いことに、仕事の時は裏表逆さに羽織り、美しい表側が汚れたり焦げたりするのを避ける。普段は精巧な表側の刺し子柄を見せて、誇らしげに歩くのが粋だったからだ。

大正時代から昭和にかけて工業化が進み、繕い物の技術や刺し子への関心は薄まる。しかし1970年代から刺し子は趣味として、見直され始めた。

現存する最古の刺し子は正倉院にあるもので、僧侶が着ていたものが、聖武天皇の手に渡ったものだと言われている。

日本の着物の柄についての歴史にも触れており、その中に葛飾北斎の名を見つけた。北斎と言えば、富士山の浮世絵で有名だが、デザイナーのような仕事もしていたのだ。葛飾北斎の『新形小紋帳』に描かれた紋様は、モダンなデザインとして流行となり、着物の柄だけでなく、刺し子にも取り入れられたそうだ。

この本には作品やその作り方も載っているが、ミシンを使っていたりして、少し興ざめだ。しかし、それ以外の部分は、刺し子の伝統を愛する手芸家の熱意が伝わってくるすばらしい本である。庶民的な縫い物である刺し子も、このような立派な文化だと気づかせて貰うことが出来た。



『百人一首物語』 司代 隆三

百人一首物語 百人一首物語
司代 隆三 (1974/01)
ポプラ社
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「百人一首」と聞くと、「かるた」→「暗記」と連想して、「なるべく関わらないようにしておこう。」としてきた。とにかく暗記物が苦手だったからだ。
それでも、阿倍仲麿の「あまの原 ふりさけみれば かすがなる 三笠の山に いでし月かも」を覚えているのは、小学校の社会科で遣唐使のことを学んだときに、日本に帰れなかった仲麿が日本を懐かしんで詠んだ歌だと先生が教えてくださったからだ。仲麿の寂しげな様子が目に浮かび、その情景と共に歌がすっと入ってきた。
よく考えればわかることだが、この歌だけでなく、それぞれの歌には背景があり、それぞれの思いがある。その背景の部分をうまく整理して、わかりやすく、おもしろく書かれているのが、この本である。

例えば、先日読んだ児童書『鬼の橋』の主人公小野篁の「背景」はこんなふうだ。

小野篁は、百人一首に、
〈11〉わたの原 八十島かけて こぎ出ぬと 人にはつげよ 蜑(あま)のつり舟
(舟で漁をしている漁師たちよ、わたしの舟はかぞえきれない島々のあいだをぬってこぎだしていったと、都の親しい人たちにつたえてくれよ)
という歌を出している人です。篁は承和三年に、遣唐副使として出発しましたが、海があれていたため、とちゅうから引きかえしてきました。そして翌年ふたたび出発しようとしたのですが、そのときの遣唐大使の藤原常嗣は篁の船に乗ってしまい、篁には破損した船をあてがったのです。そこで篁はふんがいして、病気だといって船に乗らず、そのうえ遣唐使の悪口を詩に書きました。このため篁は官位をもぎとられ、隠岐の島へ流されしまいました。この歌は、隠岐に流されるときに読んだものです。


篁のやんちゃな性格が表れていて、数々の伝説が生まれたり、現代に至っても物語の主人公に選ばれるような個性的な人物であることがわかる。

小野篁が登場するのは「王朝文学の才女たち」の章である。小野小町の祖父かもしれないという繋がりがあるからだ。この章には、小野小町の他、清少納言、紫式部、和泉式部、伊勢、道綱の母が採り上げられている。その人生、作風、性格、周りの人々からの評判なども書かれており、「へぇ、高慢な人だったのね。」とか「ずいぶん簡単に恋に落ちちゃうのね。」などと、平安時代の才女たちがぐんと身近に感じられてくる。

また改めて、こんなに古くから女性が教養を身につける機会を与えられていたことに驚く。歌作りが上手であれば、女性であろうと、子供であろうと、大人の男性をやりこめることさえ出来るというのは痛快だ。和泉式部の娘、小式部内侍(こしきぶのないし)は、歌を母親に作ってもらっていると思われていた。ある時、両親が勤務地の丹後にいる間に、歌合に出場することになった小式部にむかって、藤原定頼が「歌合にだす歌がお母さんのところからとどきましたか」とからかう。そこで咄嗟に詠んだのが

〈60〉大江山 幾野のみちの 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
(大江山を越え、幾野をとおっていく道は遠いので、まだ天の橋立をふんでみたこともなければ、そこからの文もうけとっていません)
つまり、お母さんがいなくても、自分でちゃんと歌がつくれるのですよと、即座に既知をひらめかせた歌を見せました。定頼はこの才気走った少女に、みごとにやりこめられたのです。


その歌が百人一首で採り上げられたことに、やはり痛快な思いを抱いたのであろう江戸時代の人が、

おとなを やりこめた歌を 定歌入れ

という川柳を作ったという後日談まで載っている。

このように川柳や狂歌に百人一首が採り上げられていること、万葉集と古今集の違いや、古今集の撰者たちや百人一首を撰んだ藤原定家のエピソード、不幸な生涯を送った歌人たちなど、さまざまな視点から百人一首が語られている。その中に挙げられている歌は、どれも活き活きとしていて、「暗記物」の様相は影をひそめている。

同じシリーズの『万葉のふるさと』に比べると、世の中が複雑になってきていて、恨み辛みや、皮肉、強がり、厭世といった心情を詠ったものも増えていることが感じられた。歴史上の人物が、陰謀や出世欲や不条理に、どのような思いを抱いていたかが、よくわかる。前にも書いたが、歴史と和歌は一緒に学んだ方が、理解も深まるし、楽しく学べるのではないかと思う。
しかし、この本も『万葉のふるさと』同様、今では手に入りにくくなっているのは、残念なことだ。

Appendix

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