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『おさんぽ』 江國 香織・作/こみねゆら・絵

おさんぽ おさんぽ
江國 香織 (2002/07/12)
白泉社
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子供というものは、育ててみないとわからないことがいっぱいあって、その一つに絵本の選び方がある。大人が「子供が好きそう。」と思う絵本と、子供が実際に好む本にはズレがあり、時には「本当にこれでいいの?」と購入するのを躊躇することもある。

この『おさんぽ』は、我が子が幼稚園児の時に選んだ本だ。一見可愛らしい女の子が表紙に描かれているが、よく見るとずいぶん「こしゃまっくれて」いそうだ。そして読んでみると、本当にこしゃまっくれている。何かを頼まれる度に

「理由を言ってくださらなきゃ」

と言い、納得すると、

「そういう事情ならしかたないわね」

などと返答するのだ。頼む側も風変わりな登場人物たちで、いばった「お皿」、引っ越ししたばかりの「もぐら」、赤ちゃんが生まれた「へび」。そのどれもが慇懃な喋り方をする。

幼稚園児にこんな話が楽しいのだろうか?そう思って本屋さんの店先で、一度読んで聞かせると、ますますおもしろがって是非買って欲しいと言う。そして買って帰り、後には下の子もこの本を好きになった。
二人には、ここに出てくる慇懃な喋り方や、小難しい言葉が、なぜか楽しいらしい。

おばさんじみている、高飛車、やすやすと、無闇に、ごもっとも、ためつすがめつ、身をわななかせて憤慨し、新天地、腑に落ちる・・・

他の絵本にはおよそ出てきそうもない言葉の数々が、魔法の呪文のように聞こえるらしい。江國香織さんは、大人向けの本でもハッとするような言葉遣いをされるが、子供に対しても容赦なく言葉の魔力を駆使してくる。

小難しい言葉と、大人っぽいしゃれた挿絵、しかし内容はナンセンス絵本で、笑ってしまうようなところがある。
こんなに身なりを整えたおしゃまな女の子が、もぐらの新しい家のカーテンに、へびの赤ん坊のおくるみにと、スカートの後ろを切り分けてやり、おしりが丸見えになってしまう。それでも下品にならないのは、文章と絵に品があるからだ。

 おんなのこはあっさりと、
「そういう事情ならしかたがないわね。新しく生まれてきた赤ちゃんには、そりゃあ新しいおくるみがいるわ」
と、言いました。
「ただし、うしろから切ってね」

 こうしておんなのこのスカートはうしろばっかり見事に短くなりました。いまやおしりがまるみえです。 でも、おんなのこは気にしませんでした。こうして自分を見下ろすかぎり、きれいなレースのスカートでしたから。


高飛車なお皿との関係は?切られたスカートの行く末は?これらがきちんと収まるところに収まってしまう結末も、うまいなぁと唸らされる。

子供向けには難しいという印象からか、人気作家の江國さんの本にしてはあまり話題にならないが、『おさんぽ』といい、以前紹介した『おひさまパン』といい、子供を虜にする力がある。江國さんにはこれからも子供向けの本を書いてもらいたい。
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『夏の庭―The Friends』 湯本 香樹実

夏の庭―The Friends 夏の庭―The Friends
湯本 香樹実 (1994/03)
新潮社
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この本は児童書であるようだが、他の本ブログで採り上げられていることが多く、また英語にも訳されていたりと、評判が良さそうなので読んでみた。

主題である人間の死やおじいさんと子供達の交流について、なるほどおもしろい舞台設定で、いろいろな挿話があり、うまくできている。心温まる場面や台詞もある。しかし私は、手放しで他人に薦められないような気がしていた。何かが引っかかる。ここでは、他の人たちにも読んで欲しい本を採り上げるよう努めているので、しばらく保留にしておいた。

我が子がこの本を読み終えた後、いつになく、長い間口もきかずに何か考え事をしていた。そして最初に口にした言葉は「何か心が変な感じ。」だった。不安そうな表情をしている。
「死」というテーマが重かったのだろうか。そう思って訊いてみると、違うらしい。そして
「お母さんは、お父さんがいなくなったら別の人と結婚する?」
「お母さんは、お酒を飲んで変になっちゃうことある?」
と尋ねるのだ。
そこだ。私の引っかかっていたことは、そこだったのだ。

小学生の男の子三人が「死」に興味を持って、近くに住むおじいさんを見張り始める。死の場面を見逃さないためだ。しかし、おじいさんに見つかる羽目になり、男の子とおじいさんの交流が始まる。最初はぎこちなく、次第に友情が芽生え、祖父と孫のような絆ができる。
これだけを見れば温かく美しい話なのだが、この男の子たちには、本当の祖父や祖母との接触が全くないところに違和感があった。この近所のおじいさんが、彼らが初めて親しく話をするお年寄りのようなのだ。そんなことってあるのだろうか?

他人であるおじいさんと男の子たちとの友情に心が温められながらも、その子たちの家庭環境の歪みが気になって仕方がない。祖父母と交流のない家庭は、その家庭そのものが冷え冷えとしている。
一人は、母親がどうやらアルコール依存症で、毎晩一人っ子の子供の食事中、自分は食事もせずにワインを飲んで、子供をじっと見つめるばかり。その母親がぐったりとソファに横になっていても出かけてしまう子供は、母親を見放しているのだろうか。
もう一人は母子家庭で、母親は家を捨てた夫を恨んでいるらしく、「父親を見返してやりなさい。」が口癖だ。そのせいか、子供は情緒不安定で、時々奇声を発したりしている。
残る一人は、魚屋の息子で、父親とその職業を誇りにしている。この「誇り」が、子供達の家庭環境の中では唯一の光のように見える。

このような環境を知ると、彼らが実の祖父母と交流のないのは仕方がない気もするが、魚屋の子でも祖母に会ったのは赤ちゃんの頃に一度きりだというのは、やはり妙な感じがする。故郷とは離れたところばかりに住んでいる我が家だって、子供達は何度も祖父母と会っている。

「死」がテーマだといわれる本書だが、私は現代社会の「家族」のあり方について深く考えさせられた。我が子も同じように感じたのだと思う。

作者の湯本さんが意図していたかどうかはわからないが、男の子達は希薄な家族関係を寂しく感じていたから、おじいさんとの交流を楽しみ、おじいさんのために遠くまで人捜しの旅に出かけていったりしたのではないだろうか。
しかしおじいさんはあくまで他人で、友情は深まっても家族愛とは違う。どんなにおじいさんとの良い関係が築けても、「それは良かった。で、家族の方はどうなっているの?」と気になってしまうのだ。

最近の児童書や文芸書には「疑似家族」のようなものがよく出てくる。私が最初に出会ったのは、吉本ばななさんの作品辺りだと思う。本当の家族よりも気が合う他人と暮らしたい。血は繋がっていなくても家族関係を作ることができる。そして、この本のように血の繋がった家族とは心が通わなくなっている。それらが当たり前になれば、自分の祖父母と話したことがないのも当たり前になってくる。

これは小説の世界の流行なのだろうか、現実の社会で起こっていることなのだろうか。
そして、その考えは主流なのだろうか、傍流なのだろうか。

私がこの本を読んで引っかかった点は「家族の崩壊」だったのだ。そういうわけで、多くの方の評価とは異なってしまうが、読後感があまり良い作品ではなかった。しかし心を動かす何かが確かにあった。それは、感動というより動揺に近いものである。児童書として子供に薦めるというより、大人が読み、家族について考えて欲しい重い一冊として採り上げてみた。

『昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった』 山本 夏彦、久世 光彦

昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった (文春文庫) 昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった (文春文庫)
山本 夏彦、久世 光彦 他 (2002/06)
文藝春秋
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祖父の世代の山本夏彦氏と父の世代の久世光彦氏が、懐かしい昭和の情景を切り取った随筆を書き、それぞれにふさわしいモノクロの写真が添えられている。

昔の事ばかりで知らない世界かと思いきや、次の世代の私にとっても懐かしい光景が表れ出でて、忘れかけていたことを次々と思い出すことになった。
私が懐かしむことができるのは、ひとつにはお二人が私の故郷でもある東京生まれであること、もうひとつは私は高度成長期のさなかに生まれ、まだ成長前の事物を見聞きすることができたからだ。私には懐かしくても、三歳違いの弟には記憶がないことが、数多くあるのではないかと思う。それ程、東京の様変わりは激しかった。

消えゆく様を見て、幼いながらも残念に思ったものの筆頭が「都電」である。久世氏は「路面電車」「市電」と書かれている。「チンチン」という音や、木でできた車両の匂い、車掌さんが下げている大きな黒いがま口、低いところからそれを眺める自分を思い出す。それが都バスに変わって、いつもの電車とは違うものに乗らなければならないときの衝撃も覚えている。辛うじてバスにも車掌さんがいたのが都電の名残だったが、それもまもなくワンマンバスになって消えてしまった。

デパートの大食堂、デパートの二重扉のエレベーター、祖母の割烹着、共同トイレ付きの木造アパート、小学校の入学式での母親たちの着物姿・・・など、とてもとても懐かしい。

私の知らないもの。原っぱで下駄履きの男の子たちがチャンバラごっこをしている姿、汽車に乗り込む人たちが並ぶ駅のホーム、質屋、金魚屋の「きんぎょーえ、きんぎょーっ」という声は聞いたことがあるけれど天秤を担いでいる姿は見たことがない。

山本夏彦氏の恐るべき記憶力とちょっぴり皮肉の効いた文章が、大正から引き継がれた昭和の様々な事情を詳しく教えてくれる。温かみのある久世光彦氏の文章で、知っているものにも知らないものにも郷愁を覚える。

最後にお二人の対談がついている。この中で興味深かったことは「戦前戦中はまっくら」というのはうそだという話である。昭和八年頃が繁栄の絶頂だったという。そして東京の町が変わったのは、決して戦争だけの仕業でなく、関東大震災と高度成長のせいなのだそうだ。そう言えば、かつて父が話してくれた戦前の暮らしぶりは明るく楽しい印象があった。それに、お二人の懐かしむ昭和のいくつもを私が知っていることを考えると、高度成長期に消えてしまったものが数多くあったことがわかる。

私はこの本以外にも山本夏彦氏の随筆を愛読しているのだが、それは山本夏彦氏が、故郷が東京である者の数少ない味方だからだ。故郷の姿が変わっていくことを嘆き、代々東京に住んでいるというだけで味わわなければならない悲しい「仕打ち」に怒り、出来る限り懐かしい東京の記憶を残しておこうとして下さるからだ。
この本は、文章と写真でより鮮明に昭和の姿を残してくれた貴重な一冊である。懐かしさだけではなく、深い悲しみと共にこの本は作られている。山本夏彦氏のあとがきはこう結ばれている。

私たちはふるさとを失ったのである。もう永遠に返らないのである。見るひと私たちが生れたのはここだと思ってくれるよすがになればと願って尋ねた。

『反貞女大学』 三島 由紀夫

反貞女大学 反貞女大学
三島 由紀夫 (1994/12)
筑摩書房
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この大学で、三島由紀夫教授が、「反貞女はいかにあるべきか」を教えてくれる最初の講義は、「姦通学」である。
「ただの火遊びや、つまみ食いでなく、グラン・プリ級の」姦通を全うするには、十六、七歳の頃から綿密な計画をたて、夫は威風堂々、鈍感で、権勢欲が強く、健康で、生活力がある人を選ばなければならない。夫はあなたを狂的に愛し、しかしあなたは夫を決して愛してはいけない。結婚後は日々の態度や表情にも気をつけ、不貞の相手をきちんと選び、その相手へ効果的なセリフを言う・・・と全部が計画通りにいって初めて、姦通のダイゴ味が味わえる。従って

「現代ではほんとうの姦通は九十九パーセントまで不可能である。しかし、もしそれが可能になったときは、あらゆる恋愛の中で最高のものとなるであろう。」

という結論になる。これを読んで
「ははぁ、反貞女大学とは反語なんだわ。本当は貞女とはどうあるべきかを講義したいのね。」
などと決めてかかると、「空想学」では貞女がよいのか反貞女がよいのかわけがわからなくなってくる。

貞女型の空想は、愛する夫や子供のために「すてきなカーテンがあったらいいわね。」から始まり、カーテンが冷房装置になり、冷房装置がマイカーになり、マイカーが住宅になり・・・夫を食いつぶし、早死にさせる。
一方反貞女の空想には一文もかからない。夫の早死を空想し、いつかどこかの街角でぶつかった男と恋に落ちることを空想する。物質的なユメは見ないので無駄な出費を嫌い、夫の靴下に穴があいても勿体ないからと繕って履かせる。それを見た社長から夫は「感心した。」と言われ、知らず知らずのうちに内助の功をしていることになり、夫は長生きする。

このように、何が貞女で何が反貞女なのかわからない話が次々と出てくる。しかし、よくよく読んでみると、ユーモアの衣を纏わせながら、「今時の女」を嘆いているのではないかと感じられるところが多い。「経済学」や「技巧学」など複数箇所に出てくる家庭内貞女に関する記述には、かなり本音がでているのではないかと思う。

 戦争前まで、家庭の貞女であるのは、簡単なことでした。つまり、「よいお母さん」になれば、それでよかったのでした。なるたけお化粧をせず、ひっつめ頭で、いい着物も着ず、どこへも遊びに行かず、いつも家にいて、裁縫や洗濯に精を出し、・・・そうしていれば、人も貞女と思い、自分もそのつもりでいられたのでした。
 しかし、戦後、家庭制度が崩壊して、アメリカ風の夫婦単位、夫婦中心の生活が一般的になってくると、貞女たる条件は、だんだんむずかしくなりました。
 第一に、夫を愛し、夫に尽くし、精神的にも肉体的にも、十分その愛にこたえることが、貞女の条件になってきた。そのためには、結婚してからも、「女」であることをないがしろにできないし、したがって女の技巧も忘れてはならない。昔なら、夫への愛はともかくとして、姑と子供に一心に尽くしていれば、あっぱれ貞女で通ったものが、今は、それだけではすまなくなった。このごろの若い奥さんたちの服装はますます派手になり、商売女と区別がつきにくくなった。昼間からチャラチャラ、イアリングを下げて歩いているのも珍しくない。


突然だが、三島由紀夫の自決は、自衛隊の駐屯地で行われた。演説の内容も、自衛隊について語っているところが多い。それで、あの事件は女性には関係のないものだったのだと、あまり関心のない女性がほとんどだろう。しかし自決数ヶ月前の下の一文はどうだろうか。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口もきく気になれなくなっているのである。(産経新聞、昭和45年7月7日)


私はこれを読んだときに、三島由紀夫は、あの自決で、女性も含めた日本人全員に訴えたかったことがあったのだと実感した。

そして、その思いを強くしたのは、オーストラリアで熱心なクリスチャンにキリスト教誕生の話を聞いたときである。彼女はこういった。
「世の中の人たちが、どんどん我が儘になって、自分のことしか考えなくなっていったから、神様は地上にジーザス(イエス)を派遣したの。そしてジーザスは人々に“我が儘はいけない。我が儘は罪である。”と説いた。そして、そのことを多くの人に知らしめるために、自分は犠牲になって皆の罪を被って死んだのよ。」
それを聞いた私は、口に出しては言わなかったが、
「三島由紀夫だ。」
と思ったのだ。
ジーザスも三島由紀夫も、その時代、その地域に起こっている精神的な問題に早くから気づき、それを人々に知らせてまわった。最後には命をかけて、知らせようとした。何だか似たような役回りだ。
三島由紀夫が神だというのではない。逆である。ジーザスは、本当はキリスト教では預言者とか伝道師と言われる「人間」だったのに、弟子や後世の人たちが唯一絶対神と重ねて普遍性を求めたのではないか。非キリスト教徒から見ると、そこに無理がある。そんな感じがした。
それ以来、私は三島由紀夫とジーザスは同列に置いて理解している。

というように非常に勝手な解釈をした私は、三島由紀夫は日本にとってキリスト教国のジーザスのような存在で、その言葉には日本人が耳を傾けるべきものがたくさんあるような気がしている。
そして、この本を読んでみて、三島由紀夫が日本のことを真剣に心配するに至ったのは、神だからなどでなく、優れた小説家だったからなのではないかと思った。小説家らしい洞察力で、女性の嫌なところを、面白おかしくではあるが、これでもかこれでもかと書き連ねている。女性が普通の人の前でなら隠し通せてしまう深層心理までも、三島由紀夫には見えてしまうらしい。「日本」がなくなってしまうという危惧も、こうした日常の観察と洞察の積み重ねから生まれてきたものなのだろう。

この本の中で、もう一つおもしろいのは、男性について書かれた後半部分『第一の性』で、「三島由紀夫」について論じているところだ。第三者のふりをして書いているのだが、当時の世間での三島由紀夫像を踏まえた、ユーモア溢れる表現には笑ってしまう。女性の嫌な姿をあれだけ書いておいて、自分のことは美化していたら女性読者にそっぽを向かれるだろうが、自分のことを茶化しているのだから憎めない。ここに「書かれている三島由紀夫」は変わり者だが、それを「書いている三島由紀夫」は機知に富んでいてとても魅力的である。最後がこう結ばれているのも興味深い。

 この男は、考えてみると、今まで男性人物講座をつづけて来た中で、一番下らない人物のように思えますが、しかし彼も亦、一個の男子である。何かそのうち、どえらいことを仕出来すこともあるでしょう。読者諸君と共に、気永に見守ってやろうではありませんか。

『河童のクゥと夏休み』 木暮 正夫

河童のクゥと夏休み 河童のクゥと夏休み
木暮 正夫 (2007/05)
岩崎書店
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現代の子供達に河童の話をしたって「そんなの科学的に証明されないんだからいないに決まってる。」と言うだろう。本当のことを言えば、私も、河童は「古くさい」生き物で昔話にしか出てこないと思っていた。
「でもね。」とこの本を読んだ後の私は言いたくなる。「河童のクゥは、この間テレビや雑誌に出たじゃないの。科学的に研究されたくなくて逃げたのよ。だから証明できていないだけ。」

この作品では、二百八十年も岩に挟まれてカラカラに干からびた河童を、化石採りに行った小学四年生の康一が拾ってくる。ここで昔話と現代がうまく繋がったわけだ。
そこから生き返った河童のクゥと康一は仲良くなる。クゥの話によると、クゥの祖先も人間と上手くやっていたことがわかった。クゥの親など村からしたら大恩人、いや大恩河童だったのだ。

康一とクゥの幸せな生活を壊したのはマスコミだった。最初はちょっと新聞記事に載るだけのはずだった。でも、それだけで終わることはないことなど、現代に生きる我々なら誰でも知っている。カルガモ、アザラシ、レッサーパンダ・・・現存する生物だって、一度話題になれば大変な騒ぎになるのだ。ましてや河童などと言ったら・・・。

クゥはとうとう家を出てしまう。康一が学校に行っている間に一人で練習した平仮名で、置き手紙をしたためて。クゥが一人で机に向かっている姿を想像しただけで、涙が出そうになる。しかし泣かずに笑ってしまったのは、康一のことを「おまえさん」などと書いていたからだ。さすがは二百八十年前の河童だ。

第一話はここで終わるが、第二話ではその後のクゥの足跡が楽しめる。電車やバス、トラックなど色々な乗り物に乗って、東京の「合羽橋」、博多の河童祭りから始まる九州一周、そして河童伝説の多い東北地方、河童にちなんだ土地を旅して、仲間を捜して歩いた。
河童に会ったことのある人や、昔の河童の善行を教えてくれる人もいた。どこでもわかることは、河童と人間は助け合っていた・・・というより人間が河童に助けられていたことの方が多かったということだ。
最終目的地の東北では、最近何人もが河童を見たという地域に逗留する。果たしてクゥは、自分の仲間に会えるのだろうか・・・。

この夏、日本ではこの物語がアニメ映画になって上映されるらしい。日本にいる人がうらやましい。礼儀正しいちび河童クゥの動くところを私も観てみたい。

※この記事をアップしてすぐに、三匹の迷える羊たちさんのブログでこの映画の感想を書かれているのを見つけました。
う~ん・・・「良かった」とは書かれているけれど、ずいぶん現代風になっていて、ストーリーがだいぶ変わって原作にない登場人物や地域が出てきているようなので、やはり映画は観ない方がいいかなぁとちょっと思ってしまいました。
映画を観た人には本の方も読んで欲しいなぁ・・・。原作は、映画より(観てないけど)穏やかで懐かしい感じのお話だと思います。

『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』 曽野 綾子 (過去記事)

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! 沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!
曽野 綾子 (2006/05)
ワック
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最近「沖縄集団自決」の検索ワードで当ブログに訪れてくださる方が多いので、過去に紹介した本ですが、もう一度アップいたします。
関心をもたれた方が多いのは、先月末(平成19年6月21日)にNHKの『クローズアップ現代』でこの問題が採り上げられたからのようです。番組の内容については「新・へっぽこ時事放談」さんが書き起こされていますので、そちらをご覧下さい。
「NHKでまた偏向番組が報道されました!」

また、大阪地裁で続いている「集団自決訴訟」で被告側(岩波書店、大江健三郎氏)が「(赤松隊長の命令は無かったと証言した)照屋さんは経歴詐称している」と主張していると沖縄タイムスが報じましたが、照屋さんは辞令を保管していて、その指摘は正しくないことがわかっているようです。こちらは、イザ!の小山裕士記者のブログ記事をご覧下さい。
「【続】5・26沖縄タイムス記事について新証拠を提示 」
同じ小山記者の慰霊祭についての記事には、このようなものもありました。
「無視される靖国参拝希望の声」

ここから先は過去にアップした記事です。




今年(平成18年)の八月末に、『「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん』(←ご存じない方はぜひお読みください。リンク先の中程に新聞のコピーがあり拡大できます。)というニュースがあった。長年、沖縄戦で住民を死へおいやったとされ非難され続けていた赤松元大尉が「自決命令を出した」というのは、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れる援護法申請のための創作であったことがわかった。赤松元大尉も了承されていたことだが、今回証言なさった照屋さんの

「・・・赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。・・・」(産経新聞平成18年8月27日)

という言葉を見ると、やるせない気持ちになる。
せめて赤松元大尉がご存命中に・・・と思うのは、部外者の勝手な感傷で、照屋さんご自身も、お辛い年月を過ごされていたのだろう。
照屋さんの証言にある『鬼だ』などと書いた新聞や本は数知れず、それが定説にもなっていた。ところが、そこに疑問をもち、当事者への徹底的なインタヴューを行い、真相を掘り起こそうとしたのが、曽野綾子さんである。
そして、昭和48年に『ある神話の背景』という題名で出版されたこの本が今では絶版になっていることに気づき、復刻に向けた活動を始めた方々がいらして、再び手に入れることができるようになっている。

曽野さんの緻密な取材で、事実は明らかになるというより、複雑化してくる。赤松元大尉の部隊は船舶特攻隊で、守備隊ではない。ところが諸般の事情で、実態としては渡嘉敷島の守備をすることになる。そして敵前という混乱した状況で、命令体系などは確立して居らず、法的解釈があいまいな事態も起こる。住民の心理状態も正常ではなくなる。読めば読むほど、混沌としてくる。
しかし、確実にわかるのは、当時島にいた住民や軍人の中に「赤松元大尉が自決命令を出した。」と証言した人は、一人もいないということだ。
照屋さんが琉球政府の職員として100人以上の住民にインタヴューをした際も「「一人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」と冒頭に紹介したニュースでも証言されていた。

曽野さんがこの本を書いた時点では、擁護法申請のための創作だったという事実はご存じない。が、うわさ話として取り上げていた。曽野さんも「そういう事情があれば辻褄が合う」と思われたかもしれない。しかし、曽野さんは、感情や推測を排除し、インタヴューから得られる当事者の記憶の断片を繋げていく。それまでの新聞や本に、こうした公正な態度がなかったことが、事実でないことを広め、虚偽の「鬼のような赤松元大尉」像を作り上げたのだ。

事実を知った今、赤松元大尉と旧軍人、遺族が、渡嘉敷島で行われる『二十五周年忌慰霊祭』に出席しようと那覇空港に降り立った昭和45年の光景を読むと、悲しみと怒りでどうしようもなくなる。

 やがて赤松元大尉の耳にも、シュブレヒコールが聞こえる。「赤松帰れ!」「人殺し帰れ!」
 聞こえて来るのはシュプレヒコールばかりではない。
「今ごろ沖縄に来て何になる!」
「県民に謝罪しろ!」
「お前は沖縄人を何人殺したんだ!」
赤松氏は立ち止まる。直立不動の姿勢になり、彼は人々の怒号にさらされた。
 那覇市職労の山田義時氏が、抗議団(平和を守る沖縄キリスト者の会、歴史・社会科教育者協議会、日本原水爆禁止協議会沖縄県支部、日本平和委員会沖縄県支部、日本科学者協議会沖縄県支部)を代表して「渡嘉敷島の集団自決と虐殺の責任者赤松元陸軍大尉の来県に抗議する」という抗議文を読み上げる間、元大尉はじっと無言で立ちつくす。
 やがて朗読が終わり、抗議団から再び声があがる。
「三〇〇人の住人を死においやった責任はどうする」
「罪のない住民をスパイ容疑で惨殺したのにオメオメと来島できるか」
そこでやっと赤松元大尉は口を開く。
「事実は違う。集団自決の命令は下さなかった。捕虜になった住民に死刑を言い渡した覚えもない。」


このような那覇での抗議のため、赤松元大尉は渡嘉敷島には渡れなかった。その渡嘉敷島での様子は、『琉球新聞』に次のように書かれている。

「この日の渡嘉敷村は平日と変わらない静かなたたずまい。赤松元大尉が来島できなかったことや、その部下が初めて来島したことにも反応は少なく、報道陣が詰めかけたのが、異様にさえ感じているような冷静さ。赤松元隊長が本島まで来ていることを知らされても、『肉親を失ったことは忘れられないが、いまさら古傷にふれても仕方がない』と言った言葉が返ってくるだけ。本島でくり広げられた『赤松帰れ!』の騒ぎはウソのような『悲劇の島』二五回忌の慰霊祭-」

この新聞記事は、実に正直に、島民達が抗議団体の人達よりも冷静に、赤松隊の慰霊祭出席を受け入れていることを報道している。それはそうであろう。命令はなかったのだから。そして、関係者は皆、放っておいて欲しかったのだ。
しかし『沖縄タイムス』は、こう書く。

「・・・赤松氏の来島によって戦争の傷跡が鋭くえぐり出された。『いまさら傷にふれても仕方がない』と遺族の人達は言う。しかし筆者は、遺族にとっては酷な言い方であろうが、あえて言う。傷痕から目をそらせず凝視してほしい。血を吐くような苦痛を伴うだろうが、その痛みに耐えてほしい。身悶えするような苦悩をするだろうが、それと真剣に戦ってほしい。なぜなら、そこからしか真の反戦平和の思想は生まれてこない。戦争の傷痕こそ反戦闘争の原点であるから。(後略)」

真実より何より、反戦闘争ありきなのがよくわかる。ちなみに、曾野さん以外の多くの人が取材もせずに赤松元大尉の糾弾記事を書けたのは、元となる三つの資料があるからで、そのうちの一つはこの沖縄タイムス社編の『鉄の暴風』である。
このような「反戦」活動に熱心な、抗議団体やジャーナリスト、作家達が、赤松元大尉だけでなく、真実を知りながら口にできない島民の方々のことも苦しませてきたのだ。

彼らは、次の照屋さんの言葉をどのような思いで読むのだろうか。
 
「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」(産経新聞平成18年8月27日)

企業が不良品や欠陥商品を出したときには徹底的に書き立てる新聞が、このニュースを受けて自分たちの誤報を謝罪しただろうか。『沖縄ノート』で赤松元大尉を批判した大江健三郎氏に至っては、このことが明らかになった直後に北京に赴き「日本は全く反省しない現状を改めるべきだ」などと述べている。そして、いくつかの教科書に記述された「自決を強制された」という記述は、いつ、誰が訂正してくれるのだろう。
曽野綾子さんはよく、人間は罪深いもので自分が罪を犯さないとは言えないと書かれる。この本の中でも、そうした自己意識があれば、他人のことを安易に告発したり、責任を追及したりできないという、ご自身の気持ちが書かれている。
赤松元大尉を糾弾した人達には「自分は間違ったことをしていない。自分は正しい。」という傲慢さが見える。確かに、彼らは当時渡嘉敷島にいなかったのであり、自決命令は出していない。そのことについては間違ったことはしていない。しかし、「もしも自分がそこにいたら。」という視点で、謙虚に考え、取材し、わからないことはわからないと認める公正さがなければ、「誤報」という新たな罪を犯してしまうのだ。


※私の読んだのは平成4年PHP研究所から出版された『ある神話の背景』ですが、現在入手できるのは改題された『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』の方なので、そちらを題名に使いました。

Appendix

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