Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『かさぶたくん』 やぎゅう げんいちろう

かさぶたくん かさぶたくん
やぎゅう げんいちろう (2000/01)
福音館書店
この商品の詳細を見る


うちの上の子は、幼稚園に上がるくらいまで、怖いものに出会うと天も裂けるかと思うような大声で泣く子供だった。知らない人が怖い、風邪をひいて自分の鼻から鼻水が出るのが怖い、そう言ってわぁわぁと、いつまででも泣いているのだった。
そんな子が、怪我をして血が出ても、大きなかさぶたができても、全く泣かなかったのは、『かさぶたくん』のおかげである。

この本には、たくさんの「かさぶた持ち」の子供達が出てくる。最初に出てくる男の子はかさぶたを取りたくて堪らない。

とれるかな とれるかな かさぶた うまく とれるかな?
あっ、かさぶた とっちゃ だめよ!!

とお母さんに止められる。だけど隣のページでは、

こんなかさぶたは とっちゃえば いいのよ。ベリベリベリ

と剥がしている勇ましい女の子。ダイナミックなイラストとの相乗効果で子供は本に釘付けだ。その後も、子供達の喜びそうな仲間がたくさん出てくる。
鼻の下をすりむいてひげのようなかさぶたを作った子。かさぶたは「にく」のかたまりで、かさぶたにくだから、ぶたにくだと言う子。かさぶたを食べちゃった子!

読んでいる子が「かさぶたっておもしろ~い。」と思い始めた頃、専門的な話が始まる。

「ち」のなかに はいっている 「けっしょうばん」や「フィブリン」が きずぐちに どんどん あつまってきて、きずぐちの 「ち」をべっとり かためてしまうんです。

私が「これは幼児にはちょっと難しすぎるわ。」と思っていると、となりで子供は下にある図を凝視している。赤い大きな丸の中に、子供の殴り書きのようなタッチで小さな丸や線がいくつか描かれている。となりの図ではだんだん丸や線が増えてきて、最後は真っ黒になるくらい丸と線で埋め尽くされている。血小板やフィブリンが集まってきて固まろうとしている図だ。
その後、血が出た時に「血小板やフィブリンが集まってきているところだね。」と言ったので、このページの印象はかなり強かったに違いない。
「フィブリン」という言葉の響きも、「ゴブリン(小人・小鬼)」みたいでおもしろいらしく、下の子はこの「フィブリン」のところでいつも笑う。

かさぶたの正体がわかると、かさぶたの下で皮膚がどうなっているのかの説明に続く。そこでも、かさぶたの下を見て

ひやあー おーそーろーしーいー おしっこちびるう。

という子や、かさぶたの大切さを知ったがために、かさぶたが破れて

ひふがやぶれちゃったから
ばいきんがはいる!!
たいへんだぁ!!


と大騒ぎする子が出てきて、読んでいる方は「大げさだね。」「意気地無しだね。」などと勝手なことを言って笑う。

かさぶたの使命を最後まできちんと終え、かさぶたもニコニコ、子供もニコニコ。あたらしいひふは「ピンクいろしててつるつるしている」ことも、子供達には「かわいい」と思えるらしい。

この本を読み終わったら、かさぶたのことをついつい「かさぶたくん」と呼びたくなる。あまり気に入りすぎると、うちの下の子のように「いいなぁ、かさぶたくん持ってていいなぁ。」と、わざと怪我をしたがるようになるから、気をつけて!
スポンサーサイト

『[歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編>』 ARISAWA KEN

[歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編> [歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編>
ARISAWA KEN (2003/06/11)
学生社
この商品の詳細を見る


歴史をおもしろく手軽に学べるのは歴史マンガだと言う人がいる。主人も小学生の時に愛読していたらしい。しかし私は歴史マンガが苦手だ。コマ割りが複雑で、縦に読んでいったら良いのか横に読んだら良いのかわからなくなったり、吹き出し以外に細かな説明が随所にあり、次に進みたいのに足留めを食ってじれったくなってくる。「もう、絵なんかいらない。文字だけにして全部縦書きにして~。」と叫びたくなってくるのだ。

この『[歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編>』は、そんな「イライラ」を起こさずに「スラスラ」と読め「ケラケラ」と笑える歴史本だ。(マンガではありません。)勉強ではなく娯楽として歴史を楽しめる。
勉強嫌いの私にとって、歴史マンガのイヤなところは、娯楽のふりをして勉強を押しつけてくるところだ。マンガのくせに事細かに解説や注釈をこれでもかというほど入れてあると、「騙して勉強させようという魂胆ね。」と疑心暗鬼になってしまう。
それに引き換え、この本は逆に「えっ?これだけ?」というくらい情報を厳選している。「坂本龍馬」の章では、出てくる名前は「坂本龍馬」「勝海舟」「後藤(象二郎)」くらい。西郷隆盛は「鹿児島県民A」だし、木戸孝允は「山口県民A」、「後藤の親友」と端役扱いなのがかつてお札にもなっていた板垣退助である。「名前を全部覚えなくちゃ。」という強迫観念から解放されて歴史を読むって、何て気楽で楽しいのだろう。

こうして厳選された登場人物の会話を中心に話は進む。第一話の「源義経」の始まりはこんな具合だ。

西暦1180年。
日本では平家一族がいばっていた。源氏一族は不愉快だった。
頼朝「平家、ムカつかん?ちょっとブレークしたからって調子に乗ってさ」
妻まさこ「うんうん」
頼朝「おれら源氏だってけっこうイケてると思うんだけどな・・・」
妻まさこ「思う思う」
頼朝「ねぇ、今度さ、平家に反乱起こさない?」
妻まさこ「おもしろそう!みんなびっくりするね」
頼朝「あ、でもさ・・・反乱って、どうやって起こせばいいのかな?知ってる?」
妻まさこ「ごめん、知らない・・・」
頼朝「とりあえず、なんか建物とか襲う?偉い人の家とか・・・」
妻まさこ「うーん、そうだね」
こうして1180年8月17日、源頼朝は数人の仲間を率いて伊豆の国司代官屋敷を襲った。ところが・・・・・・


「ブレーク」「イケてる」などという言葉遣いに驚いてはいけない。
この本の中では、歴史の英雄たちは、電話もかければ、メールも送る。敵の情勢をテレビニュースで知ることもある。私の敬愛する吉村昭さんなら5ページくらい使って、密使が歩き通してよその武将に用件を伝えにゆくところを、電話一本ですませてしまう。

登場人物たちのずっこけ、気弱、無知なところも、従来の歴史物とは違うところだ。
戦いたくないのに戦っちゃった。
失敗が奇襲として何だか知らないうちに成功した。
リーダーなんて面倒なのにやらされた。
本当にこうだったら愉快だなぁ。いや本当かも。と想像が膨らんでいく。

私たちが子供だった頃の会話を彷彿とさせる台詞も、懐かしい感じがしてとても良い。信長が家来から、根回しをしないといじめられると諭される場面では、「靴を隠される」とか「ふたりずつ組になるときに余される」などと忠告されるのだ。そうそう、子供社会ってこうだったなぁ・・・。

パロディだから何でも有りで、時代考証という発想は一切無い。
しかし最後まで読んでみると、自分が歴史の流れを大まかにではあるが、しっかりと把握していることに驚く。作者のARISAWAさんは、相当な歴史好きで、きちんと史実や歴史の流れを踏まえた上で、パロディを書かれているのだ。

私が、おまけ的に楽しめたのは、時々出てくる北海道弁だ。「なまら」とか「なして」とか意識して入れられているのかもしれないものから、「~しょ」「~さ」「~かい?」など自然に出てきてしまったのではないかと思われる語尾づかい。これが、さらに英雄たちを身近なものにしてくれる。

それぞれの物語のラストは、どれもじ~んとしてしまうようなものばかり。ARISAWAさんはお芝居の脚本を書かれているそうだからか、ラストへのこだわりが感じられる。どのお話も、読後感が爽やかで温かい。笑って、学んで、感動できる歴史パロディ。私の個人的な好みでは、歴史マンガよりもこちらが一押しだ。


※歴史マンガについては、小学校の図書館にあった古いシリーズの印象なので、全てに当てはまるかどうかわかりません。おもしろいものがあれば読んでみたいので、「これは。」というものをご存じの方がいらしたら、是非教えてください。

『クオレ―愛の学校』 エドモンド デ・アミーチス・作/前田 晁・訳

クオレ―愛の学校 (上) クオレ―愛の学校 (上)
エドモンド デ・アミーチス、前田 晁 他 (1987/06)
岩波書店
この商品の詳細を見る


日本では『母を訪ねて三千里』の方が有名になっているが、あのお話は、『クオレ』の舞台となっているイタリアの小学校で先生が子供達にしてやる「毎月のお話」のうちの一つである。「毎月のお話」はイタリア各地の立派な少年が主人公で、おそらく道徳教育とやっと一つの国となったイタリア統一の喜びと啓蒙を兼ねた授業なのだろう。

『クオレ』全体は、エンリーコという少年が書いた日記、「毎月のお話」、父や母ときには姉からのエンリーコへの手紙、で成り立っている。「毎月のお話」には立派な少年ばかりが出てくるが、日々の暮らしでは勇気がある少年、誰にでも親切な少年、勤勉な少年、親孝行な少年などに交じって、意地悪な子や、無礼な子なども出てくる。また国全体がまだ豊かではなく、貧しい人たちはとことん貧しく、勤労少年や、働きながら夜学へ通う大人たちも出てくる。先生のお話や、父や母の言葉で、貧富や職業で人を差別してはいけないということが、繰り返し語られる。また、イタリア統一のために戦い外国勢力からイタリアを守った兵隊さんたちへの尊敬の念を教えもする。

今の日本では、なぜか社会主義を標榜する人たちは「愛国心」を毛嫌いする。しかし、最近読んだ二冊の本『ケストナー-ナチスに抵抗し続けた作家』『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』に、社会主義的なものを目指しながら、愛国心溢れる人たちの姿を見た。そういえば、この『クオレ』の教えも、そういうことではなかったかと思い出し、再読してみたのだ。

実際どのページを開いても、弱い者へのいたわりか、イタリアへの愛情と国に尽くすことの大切さのどちらかで満たされている。それが凝縮されているのが下に記す父からの手紙である。
※少し長いのですが、重版未定の本なので全文引用します。
※元の文章は段落替えがなく読みにくいので、読みやすく段落を区切りました。

 わたしはきょうの午後、おまえが先生の家から帰るところを窓から見ていました。おまえは女の人につきあたったね。町をあるくときのたいどに、もっと気をつけなさい。そこでもつくさなければならない義務があります。もしおまえが個人の家のなかで、歩調や身ぶりをととのえるなら、どうして万人の家である町で、同じことをしてはならないわけがありましょう。

よくおぼえておきなさいよ。エンリーコ。かよわい老人だの、貧しい人だの、子供を抱いている女の人だの、松葉杖をついている足のわるい人だの、重い荷物をせおっている男の人だの、喪服をつけている家族だのに出あったときは、いつでも気をつけて道をゆずりなさい。老年、不幸、慈母の愛、病身、労働、死などというものは、ていちょうにあつかわなくてはなりませんよ。

人が車にひかれようとしているのを見たら、もしそれが子どもならば、引っ張っておやりなさい。もし、おとなならば、注意しておやりなさい。子どもがひとりで泣いていたら、いつでもどうしたのかとたずねなさい。年よりが杖を落としたら、拾ってあげなさい。ふたりの少年がけんかをしていたら、ひきわけておやりなさい。もし、それがふたりのおとなであったら、さけてお通りなさい。らんぼうろうぜきな場面を見てはいけません。それは心をそこね傷つけます。

また、人がしばられて、巡査にはさまれながら通るときに、多くの人がおもしろがって見ていようとも、いっしょになっておもしろがってはいけませんよ。その人は無実の罪であるかもしれません。病院のたんかに出あったときには、友だちと話したり笑ったりするのをおやめなさい。それには、たぶん、死にかけている病人か、さもなければ、すでに死んだ人かがのせられているのですよ。そういう場合が、あしたにも、じぶんの家からおこらないともかぎりませんからね。二列になって歩く養育院の子どもたちを見たら、敬意をお払いなさい。-盲目でも、おしでも、せむしで悩んでいるものたちでも、孤児でも、捨て子でも、みんな不幸と慈善とがとおっているのだと思わなければいけません。顔をそむけたくなったり、おかしいと思うような、不具な人たちには、いつでも気がつかないようなふうをしなさい。

みちに燃えているマッチを見たら、いつでも消しなさい。そのためにだれかがいのちを落とすかもしれないからです。道をたずねる人があったら、いつでもていねいに答えなさい。人を見て笑ってはいけません。必要もないのに走ってはいけません。さけんではいけません。

町をだいじにしなさい。一国民の教育は、何よりもまずその人たちの町における行儀で判断されます。町にいやなことのあるところには、家のなかにもいやなことがあるでしょう。また町を研究しなさい。じぶんの住んでいる都会を研究しなさい。もしあしたにも遠くはなれていかなければならないことがあったとしても、それをはっきりと記憶にとどめていて、何もかもありありと思い浮かべることができたら、どんなにかうれしいだろう。おまえの生まれた都会、そしておまえの小さな国-それはいく年かのあいだ、おまえの世界であった。そこでおまえは、最初のあゆみをおかあさんのそばで運んだ。そこでおまえは最初の感情をおぼえ、最初の知識に心を開き、最初の友を見いだした。それが、おまえには母親であった。それがおまえを教え、おまえを愛し、おまえを保護した。その都会をその町とその住民を研究しなさい。そしてそれを愛しなさい。そしてこの町が侮辱されたのをきいたときには、それを弁護しなさい。                     父
 

これを読むと、なぜ、弱者をいたわることが大事だと主張する人の多くが「愛国心」や「道徳」や「公共心」を嫌い、学校で教えてはならないと強く反対するのかわからなくなる。国民が国を愛して、皆が良い国を作ろうと考え、公共心や道徳心をもって生活すれば、弱者にも暮らしやすい国になるのではないのだろうか?

ケストナーが言っていたように「貧しいからといって、賢いとか善良だとかいうことにはなりはしない」のに、「貧しい者は善」で「富んだ者は悪」だと決めつけ対立の構図を作ることが、国全体の幸福を阻んでいる気がしてならない。
国が豊かになっても対立の構図にこだわり、「弱者捜し」をしている人たちもいるように感じる。
それが本当に、国民皆が幸せになる道なのだろうか。
貧困や死と隣り合わせだった『クオレ』の時代の方が、本当の幸せは何なのか、よくわかっていたのではないかと思ってしまった。



『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 米原 万里

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 嘘つきアーニャの真っ赤な真実
米原 万里 (2001/07)
角川書店
この商品の詳細を見る


この本に出てくる三人の女の子は、出身国も民族も性格もまるっきり違う。ギリシャ出身のおませなリッツァ、ルーマニア出身の愛国主義者アーニャ、そしてユーゴスラビア出身の優等生ヤスミンカ。彼女たちはチェコスロバキアのプラハにある「ソビエト学校」の同級生だった。

そして彼女たちのことを語るのは、やはり同級生の一人だった日本人マリ、米原万里さんである。米原さんはロシア語通訳者。国際会議やロシア要人の通訳をされる一方で、ユーモアと知性溢れるエッセイを書かれていた。エッセイのどこかに子供の頃の外国暮らしでロシア語を覚えたと書かれていたが、各国の共産主義者の子弟が通う「ソビエト学校」に通われていたとは知らなかった。彼女の父親は、国際共産主義運動の理論誌の編集をするため、一九六〇年から一九六四年までプラハに在住していたのだ。

この本は三章に分かれ、第一章はリッツァ、第二章はアーニャ、第三章はヤスミンカについて書かれている。

子供の頃のエピソードは、海外の児童文学を読んでいるようだ。学校ではどんな勉強をしていたのか、子供同士ではどんな会話をしていたのか、学校の近くにある駄菓子屋、共産主義国の文房具事情・・・子供達の暮らしがわかる。そして、子供達の会話が、大人びていることに驚く。

ませているリッツァはマリに男女のことをいろいろと教えてくれる。その一方で啓蒙映画を観た後で「マリ、レーニンって、ずいぶんいい暮らしをしていたのね。」などと冷静な感想を述べて、マリに尊敬の念を覚えさせたりする。

バスの運転手さんにまで「同志」と呼びかけ、赤ちゃんのとき毛沢東にだっこされたのが自慢のアーニャは、共産主義の理想を追っているようでいて、豪邸に住んで使用人に何でもしてもらっていた。それに矛盾を感じていないアーニャに、マリは何となく距離を置くようになる。

ヤースナとマリは政治的な問題から、お互いに親近感を覚える。片やソビエトから資本主義寄りだとして非難されるユーゴスラビア出身、もう一人は中国寄りだといって警戒されている日本出身のマリ。学校で居心地の悪い思いをしている二人は、お互いを理解し合えた。

これらの子供時代だけでも、冷戦時代の東側という未知の世界を覗くことができて大変興味深いものなのだが、大人になってからマリがそれぞれの友人を探しだし訪ねていくところに、もっともっと驚くべきことが書かれていた。

ソビエトがチェコに侵入した「プラハの春」や、ソビエトや中・東欧諸国の崩壊、ユーゴスラビアの紛争、これら世界情勢の変化が、この三人の友人やその家族たちの人生を大きく変えていた。子供の頃には知らなかった友人の父親たちの祖国での立場。プラハの「ソビエト学校」は各国の共産主義エリートたちが集まる学校だったから、エリートの子弟である彼女たちの人生は政治に翻弄される。それを考えると、彼女たちが今生きているかどうかさえ確かではない。まるで、冷戦時代のスパイ小説のような展開になってくる。

米原さんが、友人たちを懐かしむだけでなく、冷静な目で共産主義や友人とその家族たちの思想や生き方を見つめる。ある要人に、子供の頃からの知り合いでなければできないような質問を繰り出す場面は圧倒される。米原さんは、この件に関しては、どんなジャーナリストにも真似のできない環境に育ち、実感の伴った知識も持っているのではないだろうか。

誰にでもおもしろく読める本だと思うが、特に中・東欧社会や東西冷戦に関心があるけれど、あまり詳しくないという方には、是非お薦めしたい。
私は学生時代に『スターリン以後の東欧』などの本を読んでみたが、国名やそれぞれの指導者や事件が頭の中でゴチャゴチャになってしまった。その頃この本があったら、「アーニャの祖国ルーマニア」「ソビエト学校のあったプラハ」などと、少しは身近な問題として捉えられたし、頭の中の整理にも役立ったであろう。
ユーゴに関する本を何冊か読んでいる主人がいろいろと説明してくれても、民族や宗教や地域が複雑すぎてよくわからない。これも今後はヤスミンカの逸話が、少し理解の手助けをしてくれるだろう。

米原さんは昨年、五十代の若さで病気のため亡くなられている。友人たちに比べると遙かに平和な日本で暮らしながら、必ずしも長寿を全うするとは限らないというところに、運命の不思議さを感じた。

『ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家』 クラウス コルドン

ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家 ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家
クラウス コルドン (1999/12)
偕成社
この商品の詳細を見る


ケストナーの児童小説には、母親と男の子の二人暮らしがよく出てくる。ケストナーも同じような境遇だったというようなことが、どこかに書かれていたので、ケストナーの生涯に関心をもち、この本を読んでみた。
読んでみると、ケストナーの政治的な態度や、当時のドイツの国情など、思いがけずいろいろなことを知ることができる奥の深い内容だった。

ケストナーの境遇については、母子家庭で女手一つで育てられたという印象を持っていたが、本当は父親も九一歳になるまで健在だった。但し実の父親かどうかはわからない。母親は結婚当初から、まじめな職人気質の父親を好きになれず、ケストナーを生き甲斐にして独り占めしたがっていたようだ。エーミールアントンのように、ケストナーが母親と緊密な関係だったことには変わりないが、仲間はずれにされていたようなこの父親のことを思うと、あまりにも気の毒だ。ケストナーが初めての児童向け作品に「エーミール」という父親の名を使い、立派で勇敢な少年に描いたのがせめてもの救いだ。

ケストナー自身も相当に勇敢であった。それまでの風刺的な作品によってナチスに睨まれ、作品を書くことを禁じられ、町の広場で自分の作品の焚書を見ることになろうとも、国内に留まり続けた。

《作家たるものは、自分の属する国の人々が、悪い時代に、いかにその運命に耐えるかを見ておかなければならない。》(『勇気と分別』より)

と考えていたのだ。ナチスの台頭を見ながらドイツ国民のナチスへの迎合に警告を繰り返し、戦後にはナチスとは無関係だったと急いで自己弁護する人たちを軽蔑している。
しかし、反ナチスの姿勢をとる一方でマルクス主義やプロレタリア運動とも距離を置いた。

《もっとも、ぼくはきみたちの味方だよ。なぜって、同じ敵を相手にしてるからね。でも、きみたちが天下をとっても、人間の理想は、ぜったいに実現しないだろうよ。貧しいからといって、賢いとか善良だとかいうことにはなりはしないんだから》(『ファービアン』より)

この本には、ヒットラーの独裁政権がどのようなことをしたかが書かれているが、私はそれを読みながら、しばしばドイツと日本の戦後処理について比較されたりするのを思い出した。欧米の人たちはドイツと同盟国であった日本も同じような政治体制だったのだろうと思いこんでいるのではないだろうか。
私は日本人であるから、いかに同盟国といっても、あのような独裁政権とは違っていたことを知っているが、日本のことをよく知らない国の人たちは同一視してしまうのだろう。
逆に日本は、同盟国であったドイツのことを、よく知っていたわけではない気がしたが、本当のところどうだったのだろう。
少なくとも私自身は、ここに書かれている戦争前後のドイツ国内の状況について、ずいぶん勉強になった。子供が読むことも想定して書かれているので、同じページ内に解説が書かれていて、とてもわかりやすい。

戦後の敗戦国としての屈辱や悲哀は、日本と共通するものを感じる。一九四八年に発表された『雑貨屋のメルヘン』は、我が国の事と重なり胸を打たれる。

《あるところに、マッチのない国がありました。安全ピンもない。待ち針もない。縫い針もない。つくろうための糸もない。絹糸も、より糸もない。粉石鹸もない。どこを捜しても、ゴムひものきれっぱしすらない。ろうそくもない。電球もない。鍋もない。ガラスも、パテもない・・・。その国の人々は、とても悲しくなりました。というのも、第一に、生活をすてきにかざってくれるようなこまごまとした物がこんなふうに、なにひとつなかったからです。第二に、それらがなくなってしまったのが、自分たちのせいだと知っていたからです。そして第三に、よその国から人々がやってきては、あなたがたのせいですよと告げたからです。そのことを決して忘れてはなりません、と。みんなは、できることなら思い切り大声で泣きたかったのです。でも、ハンカチもありませんでした。そこで、彼らは勇気を出してこういいました。「泣いてなんかいないで、働こうじゃないか。働くには、ハンカチなんていらないんだ」こうして、彼らは働き出したのです》

「よその国から人々がやってきては、あなたがたのせいですよと告げたからです。そのことを決して忘れてはなりません、と。」同じように言われた日本の人々も「思い切り大声で泣きたかった」に違いない。そしてドイツと同じように懸命に働き出したのだ。

同じ年に、ケストナーは、「あなたがたのせい」だからと、戦勝国によってドイツが分割統治されることを憂えた詩『大国への手紙』も書いている。

ちゃんと落ち着いて話しましょうか。
あなた方が、どんな理屈をこねても、
あなた方が、どんなに正義をかかげても、
まちがいは、まちがいなのです。
昔の犯罪を理由にして、そのおろかしさを説明されても、
いいわけにはなりません。


ケストナーは、政治的左派だと見られているが、イデオロギーありきではない、現実を踏まえた平和主義者だったのだろう。ケストナーの主張に説得力があるのは、一本筋の通った「祖国愛」と「独立心」が感じられるからではないかと思う。
これまで、ケストナーの作品は児童書しか読んでこなかったが、大人向けの作品にも興味が沸いてきた。

『点子ちゃんとアントン』 エーリヒ ケストナー・作/池田 香代子・訳

点子ちゃんとアントン 点子ちゃんとアントン
エーリヒ ケストナー (2000/09)
岩波書店
この商品の詳細を見る


ケストナーの作品の中でも、点子ちゃんは飛び抜けて個性的だ。普段から「八かける三は?」と訊かれて「百二十わる五」と答えるような子なのだ。
ある日、お父さんのポッゲ社長が部屋に入っていくと、点子ちゃんは壁に向かってひざをかがめてお辞儀をし、震え声で、

「マッチは、マッチはいかがです?そこのだんなさま、奥さま!」

と物乞いをしていた。三千マルクもかけたリビングで娘が物乞いをしているのを見て、ポッゲさんは大笑い。なにしろポッゲさんは大金持ちで、点子ちゃんがごはんを食べて自分の部屋に行くまでに、またお腹がすすいてしまうほど広いお屋敷に住んでいるのだから。

しかし、これは本物の物乞いの予行演習だったのだ。点子ちゃんは誰にも内緒で、養育係のアンダハトさんと夜な夜な町へ物乞いに行っている。点子ちゃんのお母さんポッゲ夫人は外出好きで、夜になるとダンスパーティーや映画やお芝居にポッゲさん同伴で出かけていくから、その隙に点子ちゃん達は橋のたもとでマッチを売って小銭を稼ぐ。アンダハトさんは稼いだお金を彼氏に貢ぐために、こんなことをしているのだ。好奇心旺盛な点子ちゃんは付き添いだ。

点子ちゃんの友達アントンも、同じ時間に靴紐を売っている。だけどこちらは、生活費のため。母親と二人暮らしで、その母親は大病をして寝込んでいる。母親に内緒で家賃や食費を稼ぐために、夜の間町に出かけていくのだ。

お金持ちだけれど母親が外ばかりを向いている点子ちゃんと、母親との絆は強いけれど貧乏なアントン。この二人が惹かれ合って友情を築き、事件を解決していく様はとても痛快だ。

個性豊かな大人と子供が入り乱れた筋書きは、それだけで充分に面白いが、ケストナーはもう一つの楽しみ方を与えてくれている。
それぞれの章に「立ち止まって考えたこと」と題したあとがきが添えられているのだ。

私の好きな「立ち止まって考えたこと」は、八章に添えられた「友情について」である。点子ちゃんは、アントンが苦境に立たされているのを見て、アントンには内緒でアントンを楽にしてあげる対策を打つ。そんな物語の後に、ケストナーが立ち止まって考えたのは次のようなことだった。

・・・(前略)・・・点子ちゃんがいなかったら、とんでもないことになっていただろう。
 でも、アントンはなにも知らない。点子ちゃんは、おれいを言ってほしいなんて思ってない。自分がそうしたことが、そのまま自分へのごほうびだ。そのほかのことは、すべて、よろこびを大きくするよりも、むしろちいさくしてしまうだろう。
 ぼくは、みんなひとりひとりが、いい友だちにめぐまれるよう、願っている。そして、みんなひとりひとりが、友だちの知らないところで、その友だちのためにひと肌脱ぐめぐりあわせにめぐまれるよう、願っている。みんなは、ひとをしあわせにすることが、どんなにしあわせかを、知る人になってほしいのだ。
 

もう一つ、現実主義のケストナーらしい「尊敬について」は、大人たちにも読んでほしい一文だ。

 だれかがだれかにたいして心が広すぎる?そんなことがあるだろうか?あるんだ。ぼくの生まれ故郷には、「ばかやさしい」ということばがある。人は、友情や好意をよせるあまり、ばかになることがある。そして、それはまちがっているのだ。子どもたちは、心が広すぎる人には、すぐにぴんとくる。子どもたちは、こんなことをやったらおこられると、自分たちでさえ思うことを、してしまうことがある。なのにおこられないと、子どもたちは、へんだなぁ、と思う。そして、そんなことが何度もあると、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくのだ。
 尊敬するということは、たいへんたいせつなことだ。ほっておいても、だいたいいつも正しいことをする子どももいるけれど、子どもなら、なにが正しいか、学ばなければならないほうが、まずふつうだ。それには、ものさしが必要だ。ああ、しまった、自分がしたことはまちがっている、これはおこられる、と子どもが感じなければならないのだ。


ケストナーのありがたいところは、このようなあとがき部分は読みたい子だけが読めばいいと書いてくれているところだ。どちらの読み方でも、それぞれに楽しめる本だと思う。。

『史実を歩く』 吉村 昭

史実を歩く 史実を歩く
吉村 昭 (1998/10)
文藝春秋
この商品の詳細を見る


この本の内容を一言で言い表せば「史実を歩く」。この題名そのものである。

私が吉村昭さんの小説を好むのは、どの時代のものでも現実味があり、不自然さやごまかしが感じられないからである。それは史実に忠実に書くという姿勢と、そのご自身のポリシーを守るための綿密な取材による賜である。

どのくらい史実に忠実であることを、吉村さんがご自身に課しているかが、戦史小説を書くのをやめた理由に表れている。

 それらの戦史小説を発表する度に、その史実に関与した多くの方から手紙をいただいたが、「背後にそのような事実があったのを初めて知った」といった類のものに限られていた。つまり新しい史実をしめす手紙は皆無といってよかったのだ。

ところが、ある時、吉村さんが掴むことのできなかった事実が書かれた手紙が送られてきて、その作品で戦史を書くことを止めたという。丹念な取材をされていたことは吉村さんの他の随筆で読んだことがあるが、ここまでストイックだとは驚いた。

そして歴史物を書くときにも、実に細かい部分に及んで納得のいくまで調べ上げる。
資料に添って一端「刀で肩から斬り下げた。」と書いたが、斬られた側が日本の馬ではなく背の高いアラブ種の馬に乗っていたことが気になって眠れなくなる。そんな高さから斬り下げることができるだろうか?そこで、斬った側の出身地に赴き武道研究家に話を聞き、またその流派の会長に会って実際の刀と技を見せてもらう。そこで初めて、確かに斬り下げたのだと納得して、真実味を増す一文を書き加えて、次を書き進める。

吉村さんの作品が素晴らしいのは、この執念にも近い史実を知ろうとする熱意の他に、想像力とネットワークをお持ちだからだと感じた。

史実と想像力は相反するようだが、史実を明らかにするには想像力が必要だ。手持ちの資料にない部分を想像し、仮説を立て、その仮説の証拠を掴むための取材を行う。想像力がなければ、わかっていない史実を明らかにすることができないのだ。この時必要とされる想像力は、「創造力」ではなく、論理的な思考である。思いつきで歴史を勝手に作り替えることではない。

ネットワークの方は、吉村さんの人柄によって構築されたものではないかと思う。歴史の専門家、郷土史家や各地の図書館の館長に感謝し敬意を示す表現があちこちに出てくる。情報を独り占めするのではなく、共有化して皆で史実を明らかにしていくことこそが面白いと思われているふしがある。事件の関係者で最初は口を開きたがらなかった人たちも、氏の作品を読んだり、誠実な態度に触れて、徐々に口を開くようになる。

熱意、想像力、人柄、この三つが揃って初めて、密度が高く信憑性の高い小説が書けるのだと、改めて納得した。

そのようなことが、具体的な小説の取材ノートのような形で書かれているので、読んだことのある小説については「あの箇所を書くのにこれだけの裏付けがあったのか。」などの感慨を持つし、読んだことのない作品は「そこまでして調べた作品なら是非読んでみたい。」と思う。

ロシア皇帝は、日本で刺青を彫らせたのか?
桜田門外の変での戦い振りが、映画の殺陣のように鮮やかではなかっただろう理由は?
脱獄の常習犯は、手錠足錠をはめられていたのにどのように脱獄したのか?
高野長英が潜伏していた隠し部屋とは?
これらの答えは、この本の中にある。しかし答えを知っただけでは飽きたらず、小説の方も読みたくなってしまうのだ。



『ミーナの行進』 小川 洋子

ミーナの行進 ミーナの行進
小川 洋子 (2006/04/22)
中央公論新社
この商品の詳細を見る


読んでいる間中、このお伽噺のような物語は、薄氷の上で展開されているような感じがしていた。それも家族が集まって、氷の上で焚き火を囲んで談笑している。こちらとしては、いつ氷が「ぱりん」と音を立てて割れやしないかとハラハラしているのに。

中学一年になる朋子が従姉妹ミーナの家に預けられていた一年間の話である。ミーナの家は芦屋にある立派なお屋敷で、お祖母ちゃんはドイツ人、ミーナの父である叔父さんは大きな飲料会社の社長でしかもダンディだ。ベテランお手伝いさんの米田さんがいれば家事いっさいは完璧だし、外回りのことは小林さんがやってくれる。そんな女の子なら誰もが憧れるような家だけれど、読む者に微かな不安を与える要素があちこちに潜んでいる。叔父さんは留守勝ちだし、叔母さんは隠れて飲酒する癖があるらしい、ミーナは喘息もちで時々発作を起こす。もしも、叔父さんが帰ってこなかったら・・・?もしも叔母さんが飲み過ぎたら・・・?もしもミーナの病状が悪化したら・・・?そんな「ばりん」の音の予感が不安の元だ。

しかし読んでいる側の不安に反して、お屋敷の住人たちは、のんびりと幸せそうに日常を刻んでいく。普通の家の人たちとはちょっと異なる風変わりな日常だとしても。一例を挙げれば、普通の家でコビトカバは飼っていないし、ましてやそれに乗って通学する小学生なんて想像もつかない。
そんな奇想天外な暮らしぶりでも、この家族ならやりかねないと思ってしまうのは、事実の織り交ぜ方が上手いからだ。コビトカバの生態や、朋子がミーナの家にいた1972年から1973年にかけてのニュースや世相-川端康成の自殺、ベルリンオリンピック、ジャコビニ彗星の接近-は、そのまま事実が書かれている。
それから小道具も効いている。ミーナの持っているマッチ箱、叔父さんの会社の飲料「フレッシー」、卵ボーロ、おさるの電車、こっくりさん、ミーナが読む本、米田さんの作る料理・・・こうして書いているだけで、この人たちの存在を確信してしまうくらい、彼らの生活の隅々まで私は知っている。
たくさんの事実、たくさんの現実味溢れるものに紛れて、コビトカバの存在も、その他のちょっと変わったものも全て受け入れてしまう。

ミーナはマッチ箱の絵の象を見て、シーソーに乗った象の話を創り出した。
この物語は、ちょうど上手い具合に釣り合っているシーソーにも例えることもできる。事実とお伽噺、不安と幸せ、シリアスとユーモア、いろいろな相反するものが全て上手い具合に釣り合っている。

こんなふうに何やら不安定な気持ちのまま、朋子が経験したかけがえのない一年を共に過ごした。朋子がこの一年を大事に大事にしているのがよくわかった。
読み終わった後、この素敵なお伽噺をマッチ箱に詰め込んで宝物にできたらなぁなどと夢想したが、物語に出てくる小道具がいっぱい描かれた挿絵が素晴らしいから、やはりこの本のまま置いておくに越したことはないと考え直した。

『和菓子ものがたり』 中山 圭子

和菓子ものがたり 和菓子ものがたり
中山 圭子 (2000/12)
朝日新聞社
この商品の詳細を見る


五月五日に食べるお菓子は、粽(ちまき)だろうか、柏餅だろうか。私は昔から断然粽派だった。あのすっとした円錐形にくるくると巻いた藺草(いぐさ)の紐を解くのも面白かったし、笹の香りが移った外郎(ういろう)のほんのりした甘さは一年中食べていても飽きないだろうに、五月だけの限定だなんて・・・と思っていた。しかし北海道では一度もお目にかかったことがなく、また海外では言わずもがな。一年に一度しか食べられないことに文句を言うなんて罰当たりだということに気づいた。

粽と言えば、近年は台湾人の友人から毎年中華粽を頂いている。こちらは中身がおこわになっている。その友人がある時「粽は五月五日に食べるものなの。」と教えてくれて驚いた。毎年旧暦の五月五日に合わせて持ってきてくれていたので気づかなかったが、日本と台湾では、同じ日に粽を食べる習慣が有ったのだ。

そう言えばそんなことが書いてあったかもしれないと開いたのが、この『和菓子ものがたり』。粽の紀元は中国に有りと、確かに書いてある。楚国で王の濫行を諫めた政治家屈原が、聞き入れられずに川に身投げする。その死を悼んだ人たちが、命日である五月五日に粽を川に投じて供養したそうだ。

この本には、粽職人が粽を束ねている絵画も載っている。ここは、江戸時代の菓子職人の姿が紹介されている章である。大きな平鍋の上で焼き菓子を焼く「菓子師」、蒸した餅を取りだそうとしている女性「餅師」、「粽師」、団扇を片手に煎餅を焼く「煎餅師」、道明寺糒を袋詰めする「道明寺師」、熱い飴をねじる「飴師」、煙管をくわえながら餅を焼く女性「焼餅師」などを描いた江戸時代の絵画が採り上げられている。

また粽の中身「外郎(ういろう)」の名の由来も書かれている。そもそも外郎とは薬の名前であったとか。歌舞伎十八番の一つ『外郎売り』は、菓子屋でなく薬屋。この薬の名が転じて菓子の名になった訳は・・・。

この本をまとめられた中山圭子さんは、美大に在学中、和菓子の意匠に惹かれたのがきっかけで、和菓子文化を研究、紹介するお仕事に就かれたそうだ。そうした背景があるためか、この本には写真や絵画がふんだんに使われていて、眺めているだけでも楽しめるつくりになっている。
さらに文章も読んでみると、和菓子の歴史、様々な和菓子の紀元や名称の由来、材料や製法など、とても興味深い内容が書かれている。
季節や年中行事と和菓子の関係もよくわかる。果物や野菜に季節感のなくなった昨今、最も季節が感じられる食べ物は、和菓子かもしれない。

来月は「水無月」、夏になったら「水ようかん」や「葛(くず)」のお菓子、秋には「柿」や「紅葉」の意匠が美しく、冬至の頃には香り豊かな「柚子饅頭」・・・。海外暮らしには目の毒というべきか、目を楽しませてくれると言うべきか。どちらにしても、ついつい眺めてしまう魅力的な本である。

『白洲次郎 占領を背負った男』 北 康利

白洲次郎 占領を背負った男 白洲次郎 占領を背負った男
北 康利 (2005/07/22)
講談社
この商品の詳細を見る


憲法記念日を「国民の“祝日”」とは言いたくない気持ちがある。その成立の過程を知ってしまったら、とても祝う気にはなれない。

日本国憲法の草案は二十五人のGHQ民政局のアメリカ人の手によってたった九日で書き上げられた。その中に憲法の専門家は一人もいない。メンバーの一人が後に、

「興奮しましたが、私には憲法を作る能力も知識もなかったので不安でした。」

と述べているくらいだ。ほぼ草案通りに日本語に書き直され日本政府が公表するまで約一ヶ月。一国の憲法を制定するのに非常識とも思われる短期間で作業を終えたのは、ソ連が介入してくる前に決着をつけたいというGHQ民政局の意向が強く働いている。
占領軍の意向で憲法が制定されることは、国際法であるハーグ条約違反である。極東委員会の米国代表マッコイ議長さえマッカーサーのやり方を支持していなかった。またGHQ内でも参謀第二部のウィロビー少将は、民政局は日本を共産主義国家に改造しようとしているのではないかと危惧していた。

そのようなアメリカの中でも独走していた民政局が作成した憲法草案は、国務大臣松本烝治には耐えられないものだったに違いない。松本は、GHQに押しつけられる前に自分たち日本人で憲法を作ろうと独自の草案を作成していたのだ。天皇の国事行為に関して民政局が“advice&consent”(輔弼と同意)という言葉を入れさせようとした時に松本の怒りは爆発した。

「そもそも“同意”などという言葉では天皇への敬意が伝わらん。英語には相手を表す言葉は“you”ひとつしかないかもしれんが、日本には“you”に相当する言葉はたくさんあるんだ」
「それでは日本語は相手によって表現が変わるというのか?」
「もちろんだ」
「そのような言語は民主主義に反する。改めるべきだ」
松本は再び切れた。
「君たちは日本語をかえるつもりで日本に来たのか!輔弼という言葉は日本には昔からあるんだっ!」


この件で怒った松本は帰ってしまい、残った白州次郎たちが確定草案の日本語訳を二日間の徹夜作業で行うことになった。残った側の労苦もわかるが、松本のこの心情も理解できる。次郎が、他の場面ではGHQに臆せず言いたいことを言っているのに、憲法制定に関してはなぜか物わかりが良すぎる気がして、松本の台詞の方が印象に残る。
次郎は、イギリスに留学していた影響か、この世代の政治家やその周辺の人々はそういう傾向なのか、リベラルな考えも持っており、それほど天皇制にはこだわっていなかった。その差が新憲法への態度の違いに出ているようだ。

とは言っても、次郎も、喜んでこの作業を行ったわけではない。天皇崇拝の強い政治家はGHQによって潰されかねない状況下で、自ら汚れ役を引き受け、妥協点を探る役割を担ったのだ。それに、占領下の暫定憲法でいずれは自主憲法を持つと考えていたから、妥協もしやすかったのかも知れない。憲法草案が公表された翌日、次郎は公文書の中に

「今に見ていろ」ト云フ気持抑へキレス。ヒソカニ涙ス。

と書いている。涙したのは次郎だけではなかった。議会で可決されたときの模様は次のようだった。

GHQに強要された憲法であることはすでにどの議員たちも知っている。多くの議員が無念のあまり嗚咽を漏らした。無数の啜り泣きが議場を粛然とさせたのはこのときが最初で最後ではあるまいか。

民政局は、この後さらに増長して、日本政府を私物化し始めた。組閣にまで口を出し始めたのだ。そのような占領下で、次郎は吉田茂の懐刀として、民政局の弱体化を図ると同時に、通産省の設立や不足していた電力の供給体制の整備などに尽力する。
そして、ようやく生産力が備わってくると、国内から講和を求める声が揚がってくる。この時期、次郎はアメリカへの密かな打診を行っているが、その際将来沖縄や小笠原を返還さしめる重要な発言を行っている。
講和条約受諾の際には、外務省に対して激怒した。受諾演説の草稿を見たら、英語で占領に感謝する言葉が並んでいたからだ。聞けば、事前にGHQ側にチェックしてもらっているという。

「何だと!講和会議でおれたちはようやく戦勝国と同等の立場になれるんだろう。その晴れの日の演説原稿を、相手方と相談した上に相手国の言葉で書くバカがどこの世界にいるんだ!」

そうして、原稿は日本語になり、和紙に毛筆で書かれることになる。ここでも領土の返還について言及させた。
同じ時、日米安全保障条約の署名も行われた。日本側は吉田茂首相の他五名が同行したが、吉田は

「安保条約は不人気だ。将来ある政治家が署名するのはためにならん。わしひとりで署名しよう。」

吉田のこのような潔さが好きで、次郎は徹底して吉田をサポートしていたのだろう。
日本が独立国となってからは、次郎が政治の場面に出て行く機会は減った。しかし吉田茂と白州次郎、

彼らは文字通り“一心同体”“二人三脚”で、日本の復興に力の限り尽くしたのだ。

そうそう、今日は憲法記念日である。白州次郎が日本国憲法について、どのように言っているかを記しておこう。

この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった。歴史上の事実を都合良くごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える。


※追記(平成19年5月3日9:40)

本日の産経新聞『正論』欄に上坂冬子さんが憲法について書かれており、次のような一文がありました。

 現行憲法のどんなところが納得いかないかと聞かれて私がいつも具体例として取りあげるのは、第24条の「婚姻は両性の合意のみにて成立」というところだ。それまで日本では男は30歳、女は25歳まで、結婚には親の許可が必要であった。
 これがあるべき姿だとはいわない。しかし伝統的親子関係をアッというまにかなぐりすてて、似ても似つかぬ条文をかかげたところに無理がありすぎた。最悪の食糧事情の下でやせ細った体に、サイズのまったく合わない衣装を着せられたヒズミが、60年を経て親殺し子殺しとなって結実したとさえ私は思っている。


この条文の原案は、憲法制定時に通訳として参加していた23歳の女性ベアテ・シロタが作ったものだと、この本には書いてあります。通訳という職業や女性を蔑視するわけではありませんが、法律の専門家でもない23歳の通訳が、女性であるというだけで、女性の権利に関わる条文の作成を任されていたというところに、この憲法の安易さがあらわれていると思います。
シロタ女史を含めた、メンバーたちのやり方を白州次郎は、こう書き記しています。

無経験で若気の至りとでも言う様な、幼稚な理想論を丸呑みして実行に移していった。憲法にしろ色々の法規は、米国でさえ成立不可能なものをどしどし成立させ益々得意を増していった。ちょっと夢遊病者のようにもので正気がどうかも見当がつかなかったし、善意か悪意かの判断なんてもっての外で、ただはじめて化学の実験をした子供が、試験管に色々の薬品を入れて面白がっていたと思えばまあ大した間違いはないだろう。


※面白いことに、この『白洲次郎 占領を背負った男』の帯には「城山三郎氏、本書を推す!」とあります。城山氏は広田弘毅を主人公とした『落日燃ゆ』の中で、吉田茂を広田のライバルとして、「悪人」と言ってもよいくらいの人物に描いています。一方この『白洲次郎 占領を背負った男』では、吉田茂は政治家としても人間としても高い評価を得ています。広田のA級戦犯としての判決や処刑に際して吉田茂がどう反応したかも対照的に書かれています。

Appendix

本のブログ

にほんブログ村 本ブログへ

プロフィール

milesta

Author:milesta
◇これまでに紹介した本の一覧は下の「全タイトルを表示」の文字をクリックすると、ご覧になれます。
◇コメントとTBは承認制にしました。
◇記事に関係がなかったり、このサイトにふさわしくないコメントやTBは削除することもあります。

全記事(数)表示

全タイトルを表示

最近の記事+コメント

カテゴリー表示

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。