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『現代史の中で考える』 高坂 正堯

現代史の中で考える 現代史の中で考える
高坂 正堯 (1997/10)
新潮社
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一時期、高坂正堯先生の「追っかけ」をやっていた。といっても、実際にお目にかかったことは一度もない。出演なさるテレビ番組はたいてい日曜日だったが、うら若き乙女(?)が外出もせずにテレビにかじりついていたのだ。
高坂先生は京都ご出身なので、言葉がやわらかい。一緒に出演されている政治家や学者の方が滔々と持論を述べられた後、高坂先生が
「それは、○○してはるんやろ?」(←正しい京都弁かわかりません。こんな“感じ”で仰られていました。)
とやんわりご意見を仰ると、途端にそれまで喋っていた方がモジモジしたり、黙りこくってしまうことがある。その威力は見事なものだった。非常に鋭い見解を仰るのだが、その鋭さとはちぐはぐな感じのするくらいやわらかな語り口と優しそうな笑顔が、大変魅力的だった。

この『現代史の中で考える』は、その語り口が随所に窺える嬉しい本である。
内容は、イギリスの衰退、天安門事件、ソ連の解体、パールハーバー、昭和天皇、和辻哲郎と、多岐にわたっている。それらを読んでみると、改めて高坂先生の知識の広さ、深さと非常に柔軟な思考に、尊敬の念が沸いてくる。イギリスの議会制民主主義は民主主義とは言えない、消費税の欠点、ルーズベルトが日米開戦の関係資料を消した本当の理由など、独自の視点が次々披露され、言葉や既成概念に囚われず縦横無尽にものを考えられていることがよくわかる。

そして堅いテーマの中に、しばしば表れるユーモアが実に面白い。天安門事件の直後にこんなことを仰っている。

私の感想ですけど、趙紫陽が学生たちのところにしゃべりに行ったことがありましたね。あのときのテレビを見ていて、残念ながらこの人ではあかんわと思いました。中国みたいに貧乏で十一億も国民がおるところで、あんなに人の好さそうな顔してたらあかんですよ。ちょっと見るだけで背筋が寒くなるような人でなかったらダメです。その条件を小平はまったく見事に満たしておりまして、SF映画に出てくるエイリアンみたいな顔しておるし・・・

これを他の人に言われたら小平は怒るだろうが、相手が柔和な笑顔の高坂先生では苦笑いするしかない、という気がする。

今日は昭和の日なので「天皇 その無用の大用」という章を見てみよう。高坂先生は昭和天皇を「天皇さん」と呼ばれている。これも京都の方ならではであろう。その温かみのある呼称で、このようなことを仰っている。

 これは誰も指摘をしませんが、天皇さんの功績は、あれほど弱々しいお姿になるまで頑張っていらしたということですね。日本が戦後復興して、経済的には世界の大国の仲間入りする。その時期に国の象徴たる天皇さんがお年を召して見た目に弱々しい存在であったということは、日本のために大変良かったんです。ドイツのウィルヘルム二世(1859~1941)のような堂々たる若者だったら、いろいろと問題が生じていたと思います。実はウィルヘルム二世というのは、帝王として一番そうあってはいけないタイプなんです。あの人はIQが高く、長身で態度も堂々としていた。それでいながら帝王として、一番肝要な分別がなかった。うちの天皇さんは全く逆のタイプです。背は小さい、最後はちょっと心配するくらい歩く姿も弱々しかった。生物学者であったほどだから、IQは決して低くはなかったでしょうが、IQなんてつまらないものより分別が優っている人であったことは間違いないでしょう。
 このことが戦後の日本にとって幸運だったんです。戦後の四十年間、日本の国力が段々増していくにつれ、他国との摩擦も増えてきました。近頃ではジャパン・バッシングなんて言葉まで使われるようになってしまった。そういう時代に、外国から来た要人が日本で、年老い、弱々しいながらも懸命に公務に励む天皇さんに接する。その天皇さんの姿を見れば、こういう人を象徴に持つ日本という国はそれほどひどいことはしないだろう、という印象を持ったに違いないんですね。
 弱々しいというのは決して悪いことではない。弱々しさの中に尊厳を感じることだってあるんです。戦前の軍服姿で白馬にまたがった姿よりも、お年を召して弱々しくなられてからの天皇さんの方が、かえって風格があったように思います。


これを読んだとき、私は高坂先生と同世代の父がよく言っていた言葉を思い出した。
「我々の世代は、(昭和)天皇陛下ファンが案外多いんだ。お姿を拝見するだけでジーンと来る、そんな感情を持っている。」
高坂先生の「うちの天皇さん」という表現も、天皇陛下を神とか権力者とは思われてはおらず、親しみのこもった温かいまなざしでご覧になっていることが想像できる。

高坂先生は、この世代から共産主義の暴威を感じなくなったとも仰っている。小学校の途中で終戦を迎え、教育改革が行われた。低学年の時に一生懸命勉強した漢字が、略字になってすっかり変わってしまった。それで、文字に書かれたものほど不確かなものはない、理論をうやうやしく頂くということを「何とのうおかしいよ」と思うようになったそうだ。だから、既成概念や特定の思想に囚われない、現実を踏まえたものの見方をされるのかと納得した。

〔私たちの世代には〕何とは言えない懐疑主義のようなものがあった。これは精神の態度でして、共産主義にイカレなかった国の場合を考えてみると、アメリカは別として、イギリスのような懐疑主義の伝統のあった国、それから日本の場合は生来的な臆病さ、穏健さに加えて、ある種の美的観念というものでしょうか、この後の方が非常に強かったのではないだろうかという感じがいたします。

「共産主義は美しくない」という勘が働いたことが、功を奏したということだろうか。昭和が終わって20年近くもたち、その美的観念をもつ世代の方々も、高坂先生を初め徐々に鬼籍には入られている。日本の美的観念とは何か、それを守るためにはどうすれば良いのか、私たちの世代が真剣に考えなければならない時が来ている。



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『海の史劇』 吉村 昭

海の史劇 海の史劇
吉村 昭 (1981/05)
新潮社
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オーストラリアでは、昨日4月25日は休日だった。年に9日ある国の休日のうちの一日、戦争記念日であるアンザックデーだったのだ。
「アンザック(ANZAC)」とは“Australian and New Zealand Army Corps(オーストラリア・ニュージーランド軍団)”の略で、第一次世界大戦に連合国の一員として参戦した軍隊のことである。
この日は、かつての兵士たちに感謝を献げ戦没者を偲ぶ記念式典を夜明けに行ったり、旧軍人やその家族や子孫が勲章を付けてパレードを行う。こうした行事が全国各地で行われる。

オーストラリアの関わった全ての戦争が対象であるのに、第一次世界大戦時の“ANZAC”が記念日の名称に使われているのは、オーストラリア・ニュージーランド開国以来初めての大戦参加であったことと、ANZACが上陸したトルコのガリポリでの戦いが過酷であったためのようだ。それで、アンザックデーになると、新聞やTVではガリポリ戦の特集が組まれたり、学校の授業で習ったりする。ANZACは勇敢だったと。そしてトルコ軍とANZACの間には友情のようなものさえ生まれたというエピソードを聞くこともある。

日本の近現代で、このように語り継がれるような代表的な戦いというのは一体何であろうか。戦史について詳しいわけではないが、日本海海戦のことは、もっと今の日本人が知っていても良い話ではないかと思う。

『海の史劇』には、日本海海戦の一部始終が丹念に描かれている。
ロシア側の資料にも当たっているので、海戦の八ヶ月以上も前にロシアの大艦隊がフィンランド湾の奥から出航するところから始まる。ロシアがあちこちの港で立ち往生したり、進路をどのようにとるかで悩んだりしながら、今の感覚からするとノロノロとやってくる。そして日本は圧倒的に小さな艦隊で迎え撃つ。ロシアのノロノロを読んできた後だから、東郷平八郎率いる連合艦隊の敏捷さが引き立つ。
しかし日本軍の快進撃を応援しながらもロシアを憎めないのは、両軍共に海軍魂とでもいうのか、戦闘においては命をかけて責任を全うしながら、心には温かいものが流れているのを感じたからだ。戦いにこういう表現はふさわしくないかも知れないが、お互いに「ああ、良い相手と戦ったな。」と思ったのではないかと想像した。

連合艦隊勝利の後も歴史は続く。ロシア人捕虜の日本での厚遇、ポーツマスで行われた講和会議、ロジェストヴェンスキー提督の日本での様子や帰国後のロシアでの処遇などまで追っている。

ところで、オーストラリアでは第一次世界大戦時に、戦地の兵士達に向けて、日持ちがして栄養豊かなビスケットが送られていた。今でもスーパーに行けば、この“ANZAC Biscuits(アンザック ビスケット)”が何種類も売られていて、いつでも買うことができる。ビスケットの袋の裏側にはANZACの説明が書いてあるものもあり、誰でもこの戦いの歴史を知ることができる。
一方日本では、東郷平八郎や小村寿太郎の名前が載っていない歴史教科書があるという。私自身もこの本を読まなければ、日露戦争よりも、毎年毎年四月になると聞かされるANZACやガリポリのことの方を詳しく知る日本人になってしまうところだった。本当は教科書に載せて欲しいけれど、それが無理なら、せめて若者達にはこうした本を読んで欲しい。


※日露講和会議については、やはり吉村昭さんが『ポーツマスの旗』を書かれています。戦闘は終わっているのに、こちらでは外交という戦いが行われていたということがわかります。合わせて読まれることをお薦めします。

『世界の日本人ジョーク集』 早坂 隆

世界の日本人ジョーク集 世界の日本人ジョーク集
早坂 隆 (2006/01)
中央公論新社
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日本人というのは、ジョークの対象としては小者というか面白味のない民族なのではないか。日本という国は、ジョークの対象としては平和すぎて影が薄いのではないか。これが、この本を読んでの印象だ。
ここに載っているジョークが面白くないわけではない。ただ笑えるジョークほど、日本人や日本は当て馬的存在で、オチは別の国というものが多かった気がする。例えばロシアがオチの次のジョーク。

●技術者の違い
日本人とロシア人の技術者が、クルマの機密性について話し合っていた。
日本人技術者の話。
「我が国では機密性を試すためには、猫を一晩クルマの中に入れておきます。そして次の日に、猫が窒息していたら、機密性は十分だと判断します。」
ロシア人技術者の話。
「我が国でも、機密性を試すために、猫を一晩クルマの中に入れておきます。そして次の日に、猫がクルマの中にいれば、機密性は十分だと判断します。」


この他、中国がオチの「青いキリン」や、韓国がオチの「スープに蠅が入っていたら」、イギリス料理のまずさを皮肉った「食文化」「まずい料理」など、他国に比べると、日本がオチの場合の笑いは一回り小さい。
次のジョークは大いに笑えるが、主役は中国?という気がしないでもない。

●捕虜
西暦200X年、日本と中国のあいだでとうとう戦争が勃発した。
開戦当初、日本軍の優勢が続いた。
開戦から一週間。中国兵の捕虜が一億人出た。
次の一週間。さらに中国兵の捕虜が一億人出た。
翌日、北京から東京に向けて、無条件降伏の勧告が来た。
「どうです、まだ戦争を続けるつもりですかな?」


中には、何がおかしいのかさっぱりわからないものもある。

●不潔?
ある日本人が言った。
「アメリカ人というのは本当に不潔だ。なぜなら、浴槽に入る前に身体を洗わないのだから。」


はぁ?何でジョーク?と思うのがわれわれ日本人。アメリカ人にとっては、浴槽は身体を洗うための所だから、入る前に洗うというのはおかしいらしい。私からすれば、こんなことをジョークにするアメリカ人がいることこそがジョークだ。

これを見てもわかるように、ジョークは文化や習慣をネタにすることが多いので、日本人が笑いたければ、日本人が自分で作るしかないのかもしれない。
また政治ジョークの場合は、その国に不備や不満があるほど、質の高いジョークが生まれやすい。冷戦時代に、ソ連のジョーク“アネクドート”を紹介している本があって、政治家達やロシア人の暮らしぶりなどを知らないのに、お腹を抱えて笑った記憶がある。徹底的に言論統制された社会では、言いたいことは全てジョークの中に押し込み、その結果抜群におもしろい作品が生まれる。日本は平和で豊かな上、言論も自由なので、政治ジョークは生まれにくいのだろう。

そんなこともあってか、この本に載っているジョークは海外発らしい。だから読んでみると、日本や日本人が外国人にどう思われているのかがよくわかる。
誇らしく思うのはたいてい「技術」ネタ。技術が卓越しているということを大げさに言い表したジョークは、悪い気がしない。逆に「金持ち」ネタはイヤな感じがする。だけど、時々「さもありなん」と思って笑ってしまうのは的を射ているということなのだろう。

●デモ
ある時、ニューヨークで反日デモが起きた。そこではこんなプラカードが掲げられていた。
「アメリカ製品を買え!(Buy American!)」
しかし、そのデモ行進の中には一人の日本人が交じっていた。彼も同様のプラカードを掲げていたが、よく見ると最後の「n」の文字がなかった。


もう一つ気が滅入るジョークだが、アネクドート的だと思える政治ネタを紹介して、おしまいにしよう。これは、もしかしたら日本人が作ったのではないだろうか。あまりにも状況が具体的だし、日本の弱点を的確に表している。

●日本を怒らせる方法
各国の政治家が集まって「どうしたら日本を怒らせることができるか」について話し合った。
中国の政治家が言った。
「我が国は潜水艦で日本の領海を侵犯した。それでも日本は潜水艦を攻撃してこなかった」
韓国の政治家が言った。
「我が国は竹島を占領した。それでも日本は攻撃してこない」
ロシアの政治家が言った。
「我が国は長きにわたって北方の島々を占領している。それでも日本は攻撃してこない」
それらの話を黙って聞いていた北朝鮮の政治家が、笑いながら言った。
「そんなこと簡単ですよ。我々が核兵器を日本に使いましょう。そうすれば、さすがの日本も怒るでしょう」
すると、アメリカの政治家が首を横に振りながらこう言った。
「無駄だね。それ、もうやったもの」


『小林カツ代のすぐ食べたい!マル秘ケーキとおやつ』 小林 カツ代 

小林カツ代のすぐ食べたい!マル秘ケーキとおやつ 小林カツ代のすぐ食べたい!マル秘ケーキとおやつ
小林 カツ代 (1997/11)
講談社
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今年の秋休みは約三週間。子供達が退屈すると喧嘩が増えたりするので計画をたてた。お出かけの計画ではない。毎日仕事を与えるのだ。それなら私も少しは楽ができるし、子供達は暇だ、暇だと不機嫌にならないし、一石二鳥だ。せっかくの休みだから子供達も楽しくできることをと考えて、

毎日一品クッキング!

という企画にした。将来の夢は「お母さん」と「パティシエか和菓子職人」という二人だから、子供達も大喜び。塩鮭、焼き野菜、巻き寿司という渋いものから、オムレツ、スパゲティ、パン、お菓子まで。どれも楽しくやっていたが、やはり子供はお菓子を作るのが一番嬉しいらしい。希望を聞くと、ドーナツ、カステラ、かぼちゃのプリンなど、「おやつ」が挙がってくる。特に上の子は、かぼちゃのプリンを強く作りたがった。

北海道では、かぼちゃのシーズンにはあちこちからかぼちゃを頂くので、かぼちゃのプリンをよく作っていた。それを食べたいと言う。しかし、オーストラリアのかぼちゃは水分が多くてスジがあり、ホクホクしたかぼちゃなど見たことがない。料理をしてもおいしくできないので、かぼちゃはスープ以外には使ったことがなかった。でも懐かしくなって、作ってみることにした。その頃のレシピ通りに、この本を使う。
かぼちゃを蒸してつぶして、砂糖と卵と牛乳を混ぜて、オーブンで蒸し焼きする。とっても簡単。温かいうちでも、冷やしてからでも、おいしく頂ける。

実は下の子はプリンが嫌い。とろとろっとしたものは苦手なのだ。中華料理のとろみもホワイトソースも。そして私も最近流行のなめらかプリンは苦手だ。
しかしこのかぼちゃプリンは、昔の手作りプリンやデパートの大食堂のプリンがそうだったように、型から出してもかちっと立っているような、しっかりしたプリンだったので、私たちとろとろ苦手組も「おいしい!」と満足だった。もちろん上の子は大満足。北海道で作るより生地はまだらになって、ちょっと“す”が入って小さな穴があいたけれど、これも手作りでしか味わえない特別な食感だと、ありがたく頂いた。

この本に出てくるおやつは、懐かしい味わいで簡単に作れるものばかりだ。
本式に上新粉で作ると手間のかかるお団子は白玉粉でささっと作れるようになっているし(「焼き白玉だんご」)、「焼きリンゴ」もオーブンなど使わずフライパン一つですぐできる。「にんじんクッキー」なんて、手作り以外では出せない歯ごたえ。
中華系のおやつも紹介されていて、「ごまだんご」、「ごましるこ」、幻の台湾デザート「愛玉子?」(オーギョーチー)まで載っている。
そして伏兵は、おまけのように付いている「ミルクティー」。家でミルクティーを入れるなら、この作法が一番おいしいと思う。

おいしいおやつをたくさん食べられて、豊かな秋休みだった。子供達もますます料理好きになり、今度、一日子供達だけで賄ってくれると言っていた。きっとおやつも付くだろう。とっても楽しみ!

『萬犬虚に吠える―教科書問題の起こりを衝く』 渡部 昇一

万犬虚に吠える―教科書問題の起こりを衝く 万犬虚に吠える―教科書問題の起こりを衝く
渡部 昇一 (1997/12)
徳間書店
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先日(3月30日)、文部科学省から高校教科書の検定結果が発表された。沖縄戦の集団自決に関する記述には改善が見られるものの、南京事件の犠牲者数が増えていたり、他国への侵攻を日本が行えば「侵略」社会主義国が行えば「進撃」という表現になっているという。

〈文部省が「侵略」を「進出」と書き換えさせた。〉というニュースが大々的に報じられたのは昭和五十七年(1982年)。この時のことが尾を引いて、現在でも自国に厳しく他国に甘い歴史教科書記述になっているのではないかと私は思っている。
あの教科書問題の顛末を書いたのが、渡辺昇一氏の『萬犬虚に吠える』である。

「侵略」を「進出」に書き換えたという事実が無かったにもかかわらず、日本のマスコミの誤報で中・韓が日本を攻撃し始め、マスコミもそれに同調。根拠が曖昧なまま日本政府が「近隣諸国条項」を設けてしまった。

ごくごく簡単にまとめてみると、あの事件はこういうことである。
この流れは何かに似ていないだろうか。そう、慰安婦問題である。どちらの問題も、事実の誤認が発端にある。それにも関わらず、国内のマスコミと中国や韓国は政府を非難。ついには政府が、根拠があいまいなまま謝ったり、自主的に規制を設ける。

慰安婦問題では、強制連行の事実が確認できないとわかると、心理的にそうせざるを得なかった「広義の強制」はあったなどと、事実をぼやかした。
教科書問題も全く同じである。文部省が書き換えさせた事実はなく、「侵略」という記述の教科書も存在していることがわかった途端、誤報を認めたくないマスコミは「大スジ論」に転換したという。書き換えの事実は見あたらなかったが、「侵略と言う表現を抑制しようとする文部省の動きが昭和三十年代からあった」と非常にあいまいな説を唱え始めたのだ。
今回改善された沖縄戦の自決についても、この期におよんで「自決に追い込むような状況を作った軍の責任は命令に等しい。」などと言う人もいる。

これらを見てみると、政治家や新聞社やテレビ局や作家が、事実に反することを発表した自分たちの行為を過ちと認めたがらない妙なプライドに、国が翻弄されている。間違ったときは「ごめんなさい。」と謝る。それだけで、自国の立場や評判を危うくせずにすむのに、彼らのちっぽけな面子を守ることが優先されている。公人、公器と言われる方々が、このような心がけなのである。

『萬犬虚に吠える』では、マスコミがどのように問題をすり替えていったかが、当時のオピニオン誌の掲載文などで追えるようになっている。
私たちは、ニュースのセンセーショナルな見出しや耳障りの良いフレーズに惑わされず、物事の真相を見極める力が必要だということがよくわかる。


※この本は二部構成になっていて、第二部が教科書問題、第一部は角栄裁判について書かれています。
“本を読もう!VIVA読書”さんが、教科書に関する本をたくさん紹介されています。ご興味のある方は、そちらもご覧ください。

『きいろいばけつ』 もりやま みやこ・作/つちだ よしはる・絵

きいろいばけつ きいろいばけつ
もりやま みやこ、つちだ よしはる 他 (1985/01)
あかね書房
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本を読むのが得意でなかった下の子が、初めて一人で読んだ童話が『きいろいばけつ』。
本が好きでないのは、興味のある内容で、かつ難しさが丁度良いものに出会っていないのだと信じていた。本を読み聞かせたり、映画を観せたら、登場人物の心中を察して、涙ぐんだり、大笑いしたり、人一倍感受性が強い。悲しい物語は「もう読まないで。」と言う。楽しい物語はどんどん先が知りたいから「読んで、読んで。」と言う。
自分で読むのはどんな本なのだろう?と思っていた。
そしてある日、この本から顔を上げて「お母さん、初めて読むことが面白いと思ったよ。」と言った。

月曜日、きつねのこは、丸木橋のたもとで、きいろいばけつを見つける。覗き込んだり持ち上げてみたりした。前から、赤でも青でもない真っ黄色のばけつがほしいと思っていたのだ。そして、くまのことうさぎのこに見つけたことを報告する。二人は、一週間たってもここにあったら、きつねくんのものにしてもいいのではないかと言う。

「それじゃあ、いっしゅうかんだね。」
きつねの こが さけぶように いいました。


それから毎日、きつねのこは、丸木橋のたもとにばけつがあるかどうか確かめに行く。読んでいる側も、「今日はあるかな?」「まだあるかな?」と恐る恐るページをめくる。あったときの、きつねのこの様子が微笑ましい。ただじっと眺めていたり、使う練習をしてみたり、わけもなく悲しくなったり、ばけつの底に名前を書く真似をしたり・・・。毎日毎日、一緒にドキドキしてしまう。

ちょっとドキドキして先が知りたくて、ウキウキしたと思うとちょっぴり寂しいところもあるけれど、読みたくなくなるような絶望的な悲しみはない。これこそ、あの子にぴったりの本だったのだ。
この本は、大きくなっても、引っ越しをしても、決して手放さずに、家に置いておいてやろうと思っている。

『原野の料理番』 坂本 嵩

原野の料理番 原野の料理番
坂本 嵩 (1993/03)
朝文社
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北海道の図書館で見つけたこの本は、読み始めてすぐに「あっ、これは日本版『農場の少年』だ。」と思った。
アメリカの開拓時代と日本の北海道の開拓時代。その生活はよく似ている。そして開拓地の少年の関心事は食べることというのも共通だ。この『原野の料理番』の坂本嵩少年は、家で食事当番を毎日のように任されていたから尚更だ。しかも北海道で収穫できる作物は本州とは違うためか、使う材料や料理もハイカラでアメリカのそれと似ているところがある。10年以上前に読んだので詳しくは覚えていないが、じゃがいもとバターをよく使っていた。半世紀も前の日本でバターを日常的に使うなど、北海道ならではのことだろう。そういえば昆布をよく使用していたところは、北海道的ではあるが、アメリカとはちょっと違う。

この作者であり主人公である坂本嵩さんは、現在でも「食」に関する執筆をされていて、特にチーズやワインに造詣が深い。「料理番」であったから、ご自身のお料理の腕前も相当なもので、料理の本も出されている。
子供の頃に培った「食」に関する知識や技術などがその後の人生に繋がり、さらに広がっているようだ。

坂本さんの「食」への関心は、お父様の「草花」への関心に似ている気がする。
お父様の坂本直行さんはホワイトチョコで有名な六花亭の包み紙の図柄を描かれた方だ。あの包み紙には、北海道自生の草花が何種類も描かれていて、北海道での呼び名が添えられている。そのデザイン以外にも、非常にたくさんの草花のスケッチや詳しいメモを残されている。
坂本嵩さんは、食について、おいしい・まずいだけでなく、歴史や文化、製造法や料理の仕方などを探求されている。関心のあることは追究していくという姿勢がそっくりだと感じる。

『原野の料理番』は、図書館で出会ったため手元にはない。『農場の少年』を読んでこの本を思い出し、もう一度読んでみたくなったが、今は手に入りにくいようだ。『開拓一家と動物たち―北の大地に素手で立ち向かった開拓家族の生活誌』という本を出されているので、こちらを読んでみようかな?と思っている。

※坂本さんの北海道郷土料理レシピがこちら↓で見られます。
「そば粉のパンケーキ」「いもだんごのスープ」「石狩鍋」「にしんの昆布巻き」「ほっき貝の酢みそ和え」

『農場の少年』 ローラ=インガルス=ワイルダー 作/こだま ともこ 訳

農場の少年 農場の少年
ローラ=インガルス=ワイルダー、こだま ともこ 他 (1985/01)
講談社
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「働かざる者食うべからず。」
我が家でこの言葉が出てくるのは、食事前の配膳を子供達が手伝おうとしない時くらい。しかしこの『農場の少年』は、全編を流れるテーマがこれである。
主人公のアルマンゾは九歳にして「働く者」だから、それはそれは山ほど食べる。

アルマンゾはまずあまくやわらかく煮こんだベークド=ビーンズを食べた。塩づけぶたを一口食べると、口の中でクリームのようにとろけた。それからほくほくした粉ふきいもに茶色いハムのグレービーをかけて食べた。お次はハム。バターをなめらかにのばしたビロードのようにやわらかいパンにかぶりつき、こんがり焼けたパンの皮も食べた。やわらかくゆでたかぶをつぶしてマッシュにした白い山も、煮こんだかぼちゃの黄色い山もくずした。ここでふうっとため息を一つ、赤い胴着のえりもとにナプキンをぐっとたくしこむ。それからプラムのプリザーブに、いちごジャムに、ぶどうのジェリーに、スパイスのきいたすいかの皮のピクルスに・・・。おなかがいっぱいになって、とってもいい気分だ。そこでアルマンゾは、かぼちゃのパイの大きな一切れをゆっくりたいらげた。

学校から帰宅して、この食事の前に、ほし草を入れ替えて家畜たち-牝牛、牡牛、子牛、羊-の寝床を作り、子牛ににんじんを割って食べさせてやり、ほし草の山から家畜のまぐさおけにほし草を入れ、牛の乳搾り、と、これだけの仕事を終えなければならない。アルマンゾの家はアメリカ開拓時代の農場だからだ。

子供の頃にこの本を読んだときには、食べる場面が楽しみで、労働の箇所はろくろく読んでいなかった。しかし今になって読み返してみると、食べる前には驚くほど働いている。

冬には湖から氷を切り出し氷蔵に入れる。かえでからシロップを採る。
春には牛を使って畑を耕し、じゃがいもや穀物の種を植える。
夏には、収穫祭に出品するかぼちゃの世話をし、牛の訓練をする。
秋には様々な作物を丁度よい時期に遅れないように急いで収穫し、それぞれ加工して保存しておく。
そんな仕事の合間に時間があれば学校に行くという具合だ。

今の時代なら「児童虐待だ。」と言われかねないほどの重労働をこなしている。しかしアルマンゾは農家の仕事が大好き。労働が辛くても、この生活が好きだというのは喜びもたくさんあるからだ。

その一つは、もちろん食べること。ひと働きした後の冷たい飲み物やご馳走は、アルマンゾを幸せな気持ちにしてくれる。
それから労働そのものの楽しさ。家族で行う流れ作業で、仕事を追い付かれないよう競い合うのはゲームのようだ。そして自分の牛をしつけ、思い通りに御して農作業に使えるようになったときの誇らしさも、労働の楽しさを実感させてくれる。
また収穫したじゃがいもや母親が作ったバターが売れたときは、皆で大喜びする。

自然が相手の仕事であるから、時には思いがけず、過酷な労働をせざるを得ないこともある。もう春も終わるという頃に遅霜がやって来たときは、夜中にたたき起こされ、家族総出でとうもろこし畑に水をかけ続ける。太陽の日が昇ってくるまで、出来る限りのとうもろこしの命を救うために。
作業が終わり、寒くて、ひもじくて、眠くて、くたくたでも、大部分のとうもろこしが助かったことに皆ほっとしていた。辛い労働ではあるが、やりがいも感じたのではないだろうか。

こんなに働いていても、アルマンゾは普段おこづかいをもらったりしていない。特別なときには父親がいくらか渡すことがある。その際には、その金額を自分たちの労働に置き換えて計算させ、どのくらい価値のあるものかをわからせてから渡す。
「働く者食うべからず」の本当の意味を、アルマンゾはこうして学んでいく。

『大草原の小さな家』のローラが書いたシリーズの中で、この『農場の少年』が一番好きであった。それは単純に、おいしそうな食べ物がたくさん出てくるからだったのだが、実はこの本には、働くことの尊さ、自然の恵みと恐ろしさ、家族が協力し合うことの大切さなど、大事なことがたくさん書かれていたのだ。この頃の人たちは、さぞかし「生きている」という実感があったのだろうと感じた。
また当時の農業の具体的な作業内容、保存食やロウソクやそりなどの作り方、行商人の役割など、民俗学的にも興味深い内容がたくさん書かれている。
読み返してみて良かった。いろいろなことを教えてもらって何だか得をした気分になった。


※『農場の少年』には60種類もの料理が載っています。それに同じ作者の別の本に載っているものも含めた料理や飲み物103種類のレシピが一冊の本になっています。100年以上前のレシピなので実用的だとは言い難いけれど、『大草原』シリーズのファンやアメリカの伝統的な料理に興味のある方には、お薦めです。


『日本ほど格差のない国はありません!』 金 美齢

日本ほど格差のない国はありません! 日本ほど格差のない国はありません!
金 美齢 (2006/12)
ワック
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金美麗さんの発言は、正論が多く、言いにくいことでも必要とあらばはっきりと仰り、見ていて清々しい思いをすることが多い。この本にも、
「そうそう、それを言って欲しかったのよ。」
という箇所がたくさんある。

特に、金美麗さん一家が台湾人として日本に暮らしていらした経験と、比較したら相当に軟弱ではあるが私たちが日本人としてオーストラリアに暮らしている経験とは、重なる部分があり、頷きながら読んでいた。

例えば金美麗さんの息子さんが「台湾人」と言っていじめられたとき、日本で「台湾人」であることは希少価値で素晴らしいことだと教えた。また別のいじめにあったときは「自分が悪くないときには絶対に謝ってはならない。」と教えた。これは、外国で暮らしていると身に染みる逸話だ。自分のアイデンティティーを確立し、自信をもち、回りに迎合したり卑屈にならないようにしなければ、楽しく暮らしていくことはできないのだ。

我が家でも、アイデンティティーに関わるちょっとした出来事があった。
我が子達は学校のお弁当におにぎりを持って行っていた。しかし食べ物を何でも「ヤミー(おいしい)」と「ヤック(まずい)」に分けて、しかもそれを口に出さずにいられない多くのオーストラリアの子供達に、真っ黒な海苔は「ヤック」と認定され、「ヤック!」「ヤック!」と言われ続けた。毎回言われるのが面倒になりサンドイッチや、海苔なしのおにぎりを持っていくようになった。そして家では「その子達は、こんなおいしいもの食べたことが無いんだね。かわいそうに。」「食べ物をヤミーとヤックの二つの単語でしか表現できないのは気の毒だね。」などと話していた。
ある時、日本から海苔を巻いたおせんべいが送られてきた。子供達は、大好物なので迷いながらもおやつに持っていった。案の定「ヤック!」「ヤック!」と言われ、我が子はこう言った。
「シーウィード(海苔)食べたことある?」
すると「ヤック!」と言っていた子は、
「ノー。」
すかさず我が子が、
「それじゃあ、ヤックかどうか知らないでしょ?」
と言うと、その会話を聞いていた別の子が
「私食べたことある!街に行った時に、お寿司屋さんで食べたの。おいしかったわ。私は海苔好きよ。」
と言った。その後「ヤック!」と言っていた子は、口をつぐんでしまった。
黙っていたら、自分が間違っていると譲ったら、いつまでも「ヤック!」と言われ続け、相手の価値観を押しつけられてしまうのだ。

そんな経験を私自身もしているので、金美麗さんの次の言葉には大変共感を覚える。

このように、真の平和への道というのは、実に簡単だ。私の子供が言われたような心ない言葉、他人の非難・中傷・攻撃に対して、昂然と自信を持って生きていく、自分の存在に誇りを持って戦っていく。ただそれだけで、かなりのことが解決する。それは個人でも、国家でも、本質的には何ら変わることはない。

もう一つ、他の人、例えば男の人や専業主婦の私には言いにくく、子育ても仕事もきちんとされてきた金美麗さんに代弁してもらって良かったと思う一文がある。私がいつも「進歩的な女性国会議員」に抱いていた思いと全く同じことを、ズバリと書かれている。

立派な社会を営むためには、有為の若者が必要だということはれっきとした現実だし、若者を世の中に送り出す努力をしなくてはいけない。もちろん、人にはさまざまな事情がある。できない人は、それでいい。ただ、それをいつだったか、若手女性議員が、「子供を持ったら生活が苦しくなるから」と言ったのには驚かされた。
日本社会の将来にかかわる高齢化、少子化の大問題を前に、対策もないまま子供を生まなくていいなどと言うのは、政治家失格だ。問題は、ギリギリの状態で仕方なく生めないのか、エゴのレベルで生まないのかということだ。私の見るところエゴが多いと思う。生んで苦労したって、生まなくたって、老後は国が見てくれる。ならば、楽したほうがいいという考えだ。


私も、一部の女性国会議員たちが、子供を生み育てるということをまるで嫌悪しているかのような言動を見て、いつも腹が立っていた。国会議員というものは国の行く末を考えるのが仕事ではないのかしらと。

未来をになう若い生命がなくて、どうしようというのか。子供を産まないと決めた人たちは、結局は他人様が大切に育てた子供に老後の社会福祉を頼ることになる。それがエゴイスティックではないと、どうして言えるのか。

こんなことを厚生労働大臣が言おうものなら、進歩的女性議員とマスコミの格好の餌食になってしまうに違いない。しかし真剣に国政を考えれば、出てきても良いまともな議論であると思う。これを語らなければ、真の少子化対策、福祉政策などできるはずがないのだ。

ここには採り上げなかったが、若者の生き方に対する提言や、教育や政治への注文なども書かれている。それぞれ短い中に至言があって、全部は紹介しきれない。
政治亡命をして、苦労の多い人生を歩まれている金美麗さんには、今の日本にいて格差社会だ、負け組だという文句は、「甘ったれ」に思えると書かれている。そういう視点で書かれた日本は、豊かで平等で自由なのに国民がその恵まれた環境に気づいていない、とても勿体ない国に見える。この同じ環境で、国民も政治家も金美麗さんの努力や気概を見習ったら、ますます良い国になっていくのではないだろうか。
 

『おしゃべり12ヵ月』 杉浦 さやか

おしゃべり12ヵ月 おしゃべり12ヵ月
杉浦 さやか (2003/07)
大和書房
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オーストラリアでは入学式や進級は1月で、今は秋。この生活を何年か続けているけれど、私の心の中では、学校は4月からで春にいろいろと新しいことが始まるという感覚が未だに抜けない。

この本のスタートはやはり春から。始まりは3月だが、1年を春・夏・秋・冬の四季に分けた章立てでは3月から春になるのだろう。
それぞれの章がさらに月ごとに分けられており、それぞれの季節を味わう生活の工夫を、杉浦さんのかわいらしく清潔感溢れるイラストを中心に提案している。

例えば4月。「切り花を楽しむ」「花をおくる」「お花見に行こう」「さくら」「イースター」などのテーマで、その楽しみ方のちょっとしたコツが書かれている。
「さくら」のコーナーには、「お花見のはじまり」というミニ知識や「桜の塩漬け」の作り方やそれを使ったお料理のアイデアが書かれている。
「切り花を楽しむ」には、花を長持ちさせるコツが三コマのかわいらしいイラストでわかりやすく描かれ、飾り方のコツも気負ったものではなく、牛乳瓶に赤と白の薔薇を一輪ずつ差してみるとか、余った葉っぱをコップに差してみるなど、誰もが簡単にできることばかりだ。

このように、クッキングのレシピやガーデニングや手芸のことなどは皆メモ程度に書いてあるのだが、イラストが添えられているのでわかりやすいし、気軽に「これやってみようかな?」と思えるものばかりだ。

「風呂敷」「千代紙」「縁日の夜店」「ゆず湯」「お月見」「こけし」などの和のものがたくさん採り上げられている一方で、外国の行事やお菓子やインテリアも多く紹介されている。

月ごとのページの合間に、映画のこと、外国旅行のこと、日本国内の旅行や散歩のことも、こまごまと描かれていて、杉浦さんはこういうところにアンテナを広げて、生活センスを養っているのだということがわかる。

眺めるだけでも、じっくり読んでも、実践しても、心がちょっぴり豊かになる。春夏秋冬この一冊に支えられながら、地味な主婦業をがんばっていこう!

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