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『百まいのドレス』 ルイス スロボドキン・絵/エレナ エスティス・作/石井桃子・訳

百まいのドレス 百まいのドレス
ルイス スロボドキン、エレナ エスティス 他 (2006/11)
岩波書店
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最近の日本の学校のことは知らないけれど、この本では昔からよくある典型的ないじめの「芽」の部分が描かれている。本の帯や書評には「人種差別」がテーマだと書かれているが、私は人種はひとつのきっかけなのであって、どこにでも起こりうることとして読んだ。

学校一の人気者で見た目もきれいな子ペギーが、級友ワンダのちょっとした発言-「あたし、うちに、ドレス百まい、もってるの」-をウソじゃないかと聞き咎め、からかうことから始まる。毎日毎日、ドレスを何枚持っているかを尋ねて、みんなで笑うのだ。

ペギーの親友マデラインはそんな状況が嫌でたまらないのに何も出来ない。そんなマデラインの視点で物語は進んでいく。友人をからかう事への嫌悪感の一方で、自分がからかわれる側にはなりたくないという不安・・・。実際の学校でも、いじめの中心人物ではない傍観者的な子の人数の方が多いのではないか。だから、マデラインの心情というのは、きっと誰にも理解できると思う。

そんないじめの典型的な構図を持っていながら、怒りながら読むような本ではない。登場人物たちが底意地の悪い女の子ではないからだ。それにワンダ自身が「いじめ」と感じていたかどうかも、あまりはっきりしていない。
こんな風にして悪意のないままいじめがエスカレートしていくというのが、現実にも多いことではないかと思う。そして無意識のうちにそういうことをしてしまうかもしれない普通の子供達が、この本を読んでハッと気づくということもあるのではないだろうか。
この本では「百まいのドレス」が子供達をハッとさせ、立ち止まらせる。挿絵に描かれたドレスの鮮やかな色彩も読者を救ってくれる。そして物語の中でも、ぺギーとマデラインを救ってくれる。

小学校の低学年ぐらいでも理解できるやさしい言葉とシンプルなストーリーだが、マデラインの気持ちの動きについては微細に語られていて、大人が読んでも心に訴えかけてくるものがある。五十年も読み継がれている理由は、ここにあると思う。
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『嵐の中の灯台―親子三代で読める感動の物語』 小柳 陽太郎、石井 公一郎 他

嵐の中の灯台―親子三代で読める感動の物語 嵐の中の灯台―親子三代で読める感動の物語
小柳 陽太郎、石井 公一郎 他 (2001/01)
明成社
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小学校の頃は、進級すると新しい国語や道徳の教科書をもらえるのが嬉しかった。お話がたくさん載っているからだ。しかし年配者はこう仰る。「戦前の教科書はもっと良いお話も載っていたんだ。」それで、以前から昔の教科書を読んでみたいものだと思っていた。

この本は、明治中期から終戦直後までの国語と修身の教科書から厳選した18の物語が集められている。教師・父母・小中学生の意見もきいて編纂したそうだ。
物語の舞台は古い時代なので、我が子たちは興味を持たないだろうと思って、特に勧めることもせずに居間に置いておいた。すると一人が何気なく読み出して夢中になり、あっという間に読んでしまった。そして「良いお話ばかりだよ。お母さんも読んでごらん。」と子供から勧められてしまった。良い物語は時代が古いかどうかなど関係が無かったのだ。

18の物語は、日本のお話も外国のお話もあり、題名通り感動するものばかりだ。全体を通じて、私の頃の道徳の本と比べて感動の深みが違うという気がした。それは、この本に採り上げられている物語の傾向に関連していると思う。

第一に、実話が多いこと。実際の地名や関連する実在の施設や会社等が書かれている。立派な人の話でも、本当にあったこととそうでないことでは感動の大きさが違う。

次に自らの命、または一生をかけて「公」のために尽くした人のお話が多いからだ。
一年に十人も出る滑落者をなくすために何十年も岩山に穴を掘り続けたり、村人を救うために自らの命を断った父の思いを受け継いで数々の困難を様々な工夫で乗り越えて用水路を造る話、やはり村人を救うために自分の収穫した稲に火を付けた話-これは皇后陛下が言及なさったことのある「稲むらの火」だが、海を越えたイギリスでの、これまた感動的な後日談も紹介されている。

そして、日本の技術や芸術の素晴らしさとそれを生む土壌を再認識するような逸話がいくつも採り上げられている。豊田の自動織機、柿右衛門の絵付け、通潤橋という名の眼鏡橋・・・。それら一つ一つが、これだけの苦労、工夫、忍耐によるものだったとは・・・。

これを読んだ後に、子供達の教科書を見てみると、とても薄っぺらなものに感じてしまう。子供達の心を揺さぶり、生き方を学べるような箇所は、残念ながら見あたらない。
ここに載っていた通潤橋の話を主人にしたところ、子供の頃「学習と科学」という雑誌にその話が載っていて、今でもよく覚えているという。やはり印象深く、子供の心に影響を与える物語なのだ。
かつての教科書に載っていたこれらの物語が、今の学校教育の中では子供達に伝えられていないというのは、明らかに損失だと思う。

今の日本は道徳教育の重要性が高まっている。「いじめはやめよう。友達を大切に。」「ものは大事に。」「命は大切に。」も重要なことだが、昔の立派な人に学ぶということも積極的に行って欲しい。生き方の手本にしてもよし、日本人としての誇りをもつきっかけとしてもよし。「素晴らしい」と感じるものを見せることが、子供の心を健全にすることに役立つのではないだろうか。


※追記(平成19年1月27日)
この本を読んで、今の教科書にはなぜ心を打つような偉人伝が載っていないのだろうと不思議に思う気持ちが強くなっていました。そんなところに、新・へっぽこ時事放談さんの記事の中に次のような一文を見つけて、答えを得たような気がしました。

>昭和21年の2月4日に作られた「教科書検閲の基準」の中に、国家的な英雄というものを教科書に載せてはならない、こういう基準があるのであります。

GHQによる教科書検閲の名残だということです。日本は完全な独立国であるのに、未だにそんなことに縛られ(自らが縛っている)、子供達に感動的な逸話を教えられないとは悲しいことです。

『はたらきもののじょせつしゃけいてぃー』 ばーじにあ・りー・ばーとん・作/いしい ももこ・訳

はたらきもののじょせつしゃけいてぃー はたらきもののじょせつしゃけいてぃー
ばーじにあ・りー・ばーとん、いしい ももこ 他 (1978/03)
福音館書店
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この本の楽しさ、素敵さを、上手く伝えられるだろうか・・・。絵本ならではの構図のおもしろさ、表現力、これらを文章で伝えようとするのは何と難しいことだろう。

雪国で「働く自動車」と言えば除雪車だ。除雪車なしでは、日常生活が成り立たない。大人も子供も誰しもが必ずお世話になっている。

けいてぃーは、じぇおぽりす町の「どうろかんりぶ」で働いているトラクター。まず第一ページにはけいてぃーの紹介が描かれている。
真ん中にけいてぃ-がドーンと描かれているのだが、よく見るとそれは額縁に囲われている。額縁の外には、ぐるりと小さな絵がいくつも描かれている。
上側から右側にかけて、いろいろな姿のけいてぃーの絵が九つ。それぞれに

「ひくちから 55ばりき」「でぃーぜるえんじん」「ぜんぽう5だんへんそく」「こうほう2だんへんそく」「おなじばしょで ぐるっとたーん」「ほそうどうろよう きゃたぴら」「あくろよう きゃたぴら」「ぶるどーざー」「じょせつき」

と説明が書いてある。
左側から下側にかけては、馬が五頭並んだ絵が十一。5×11=55。けいてぃーの「ひくちから 55ばりき」はこのくらいだと示している。

「どうろかんりぶ」の説明のページで周りをぐるりと取り囲むのは働く自動車仲間。
じぇおぽりす町の地図のページの周りには、町の施設-学校や駅や病院や養豚所等々がズラリ。
そんな風にして、けいてぃーと町の様子が細かく紹介される。

そして、けいてぃーが本格的に大活躍するのは大雪の日。真っ白な新雪の中、けいてぃーだけが動き出す。警察署、大通り、郵便局・・・あちこちから、

「たのみます!」
「たのみます!」
「おねがいします!きゅうびょうにんです」
「たのみます、たのみます、たのみます!」「みなみ-じぇおぽりすに かじが あります。」


と引っ張りだこ。真っ白な町の中、けいてぃーの通った後だけ道ができ、人びとが動き始める。けいてぃーだけが頼りなのだ。だから

けいてぃーは もう、すこし くたびれていました。けれども しごとを とちゅうで やめたりなんか、 けっしてしません・・・・・・・・・
やめるものですか。


そして町中に道が張り巡らされて、みんなが働き出す頃、けいてぃーはやっとうちへ帰るのだ。

同じ作者の『ちいさなおうち』が有名だけれど、こちらの方が好きな子もたくさんいるのではないかと思う。『ちいさなおうち』が「静」とすると、『けいてぃー』は「動」。雪国の子にはもちろん、除雪車に馴染みがない子にも楽しめるしかけがいっぱいだし、けいてぃーの活躍ぶりにはみんな惚れ惚れするのではないかしら・・・?



『エーミールと三人のふたご』 エーリヒ ケストナー

エーミールと三人のふたご エーミールと三人のふたご
エーリヒ ケストナー (2000/07)
岩波書店
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作者と題名を見ればわかるように『エーミールと探偵たち』の続編であるが、読んでみると少し趣が違うように感じる。
前作は、少年探偵たちの活躍とそのドキドキ、ワクワク感を楽しむのが本筋だが、こちらの『エーミールと三人のふたご』は、事件を絡めながらも、主題は少年達の成長やそれに伴う悩み事の方ではないかと思いながら読んでいた。
だから、こちらを読む前に『エーミールと探偵たち』で、少年たちと一人の少女の無邪気ぶりを堪能してから、こちらを手にして成長ぶりを味わうことをお薦めする。

あれから二年もたって、少年たちはそろそろ大人への入り口にさしかかっていると、自分たちも大人たちも感じている。

エーミールが母親のためを思い、母親がエーミールのためを思って、お互いに相手に悟られないように自分の本心を隠すところ・・・。
二年前には、辛うじて少年達の仲間に入れてもらっていた唯一の女の子ポニー・ヒュートヒェンが、今回蚊帳の外に置かれてしまったところ・・・。
大人になることの寂しさを感じてしまう。

一方で、事件への関わり方はより慎重に計画的なり、思い通りにいかなくても作戦を練り直したり、大人を巻き込んだ大がかりなアイデアを考えつくようになったりするのは、成長したから出来たことだ。

大人の中の大人、エーミールのおばあちゃんは、今回生まれて初めて海を見た。

みんなは、だまってよりかたまって、じっと海をみつめていた。
おばあちゃんが、ちいさな声で言った。
「やっとわかったわ、わたしがこんなおばあさんになるまで生きてきたわけが」


0歳の時から夏になれば毎年海に行き、まるで生まれる前から海のことは知っていたというような気でいた私には、想像が出来ないような感動だったのだろう。大人になるまで知らないことがあるって、とても素敵なことなのかもしれないと思わせてくれる台詞だ。

おばあちゃんは、娘であるエーミールの母親と孫エーミールの間の悩みごとにも、「おばあさんになるまで生きてきた」人生の先輩ならではの助言をしてくれる。

「三人のふたご」という不思議な題名に直結する事件にハラハラしながらも、大人になること、大人であることについて、たっぷり考えさせてくれる。大人に憧れ始めた子供たちと、子供時代が懐かしい大人たちに、ぴったりのお話だ。


※『エーミールと探偵たち』は高橋健二さんの訳で、『エーミールと三人のふたご』は池田香代子さんの訳で読みました。
ケストナーといえば高橋さんのちょっと厳めしい訳の印象が強く、私自身はそちらの方がしっくりくるのですが、現代の子供達には池田さんの軽やかな訳の方が読みやすいかもしれません。「オタク」などという高橋さんの訳にはない現代風の言葉が使われています。「ちびの火曜日くん」が「ちびのディーンスターク」になっているのは、ちょっと残念でしたが・・・。


『エーミールと探偵たち』 ケストナー・作/高橋 健二・訳

エーミールと探偵たち エーミールと探偵たち
ケストナー、高橋 健二 他 (1962/01)
岩波書店
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「徒党を組む」-なんとすてきな響きだろう。小さい頃から徒党を組みたくて、男の子に生まれれば良かったと思っていた。女の子はなかなか徒党を組まない。仲良しグループはあっても、冒険や企みごとはしないから徒党にはならないのだ。

『エーミールと探偵たち』は、正義のために立ち上がり徒党を組んで、本物の悪漢をやつけようと協力し合う子供達の物語だ。
田舎町から祖母の住むベルリンに一人で出てきたエーミールは、電車の中でお金を擦られてしまった。お母さんが働いてコツコツと貯めたお金だ。犯人を見張っているときに出会ったのが、その町内の少年の中で親玉的なグスタフ。グスタフが町中の少年を集めて、犯人を捕らえる計画を練る。頭の切れる“教授くん”とグスタフで、少年たちの役割分担をしていく。電話を持っていて親の理解がある“ちびの火曜日くん”は連絡係となり、家で待機することになった。

「つまんないな。ぼくは、犯人をつかまえる時、はたらきたいんだ。そういうときは、ちいさいものはとても役にたつんだぜ。」
「きみはうちに帰って、電話のそばにいるんだ。それはとても責任の重い役だ。」
「みんながそうしろっていうなら、まあいいよ。」


えらいっ!徒党を組んだときは、みんなが一致団結しないといけないとわかっているんだ。涙ぐましい!

犯人を追い詰めていって、最後に少年たちがとった作戦がまたすばらしい。武器も持たず、指一本触れず、言葉の攻撃もせず、こんな形で犯人をいらだたせるなんて、これは「徒党」の力以外の何ものでもない。ああ、私もこの中に潜り込めたらなぁ。

事件は解決し、途中でこの本の作者である“ケストナーさん”まで登場して、お話はほぼ終わり。少年たちがみなエーミールのおばあちゃんの家へ、事件解決のお祝いに集まった。皆が大はしゃぎをする中で、おばあちゃんは立ち上がり演説を始めた。

「さて、よくきいてください、みなさん。わたしが一場の演説をいたします。つまり、うぬぼれちゃいけないというのです!わたしはみなさんをほめません。・・・」

子供達が静かになった後、おばあちゃんが続けた言葉には泣けてくる。嗚呼おばあちゃん、よくぞ言ってくださった。
少年たちのしたことはメチャクチャでとても愉快だけれど、エーミールは普段非常に模範的で優しい子供だ。それと同じように、この愉快な物語の下には、正義感や義務感や思いやりというとても大切なものが隠れていたのだ。
そういうケストナーの教訓的なところを嫌がる大人もいるけれど、それによって作品がつまらなくなっているようには感じないし、子供達は意外とこういう道徳的なものに立脚した冒険物語が好きなのではないかと思う。自分たちだって、後ろめたい思いをしながら冒険をするよりも、正義感に燃え、義務感を誇りにしながら、事を為した方が気持ちがいいに違いないもの!

『日本語の歴史』 山口 仲美

日本語の歴史 日本語の歴史
山口 仲美 (2006/05)
岩波書店
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高校時代、「古文」「漢文」「現代国語」はそれぞれ別の先生が教えてくださっていたせいか、全く独立した別々の教科で、関連性がほとんど感じられなかった。ところが『日本語の歴史』を読むと、その三つが見事になめらかに繋がれていく。題名にあるように、日本語にも歴史がありすべてが続いているということが実感できる、とても楽しい本だった。

叔母の一人に料理上手な人がいる。自作の料理を食卓に出すときに必ず「これおいしいのよ。」という。この台詞がおいしい料理を二倍おいしくする。食べる前から「味が薄かったわ。」「焼き過ぎかも。」と言われるよりも、手前味噌でも何でも「おいしいわよ。」と言われる方が食欲が沸く。

この本の著者も私の叔母と同じで、とても勧め上手だ。「文字の誕生には秘密があるの。」「日本語の音って昔はもっとたくさんあったらしいのよ。」「係り結びって突然無くなったわけじゃないのよ。その経緯知りたくない?」という著者の陰の声が聞こえてきそうなほど、「日本語っておもしろいのよ~。」という気持ちが伝わってくる。
時代ごとの主題はそれぞれ興味を引きやすいものだし、使われている例や図表もわかりやすく、特に古文・漢文に強い人でなくても、なるほど!と思うように書かれている。

私も「なるほど!」と思うことだらけだったが、いくつか印象的なことを挙げてみる。

現代文で終止形(例:読む。)と連体形(例:読む本。)が同じなのは、鎌倉・室町時代に終止形が連体形に吸収されてしまったことに端を発するという。その時代、係り結びが乱用されて連体形で終わる形が多くなり、終止形との区別がつかなくなって、最終的に終止形が消えてしまったのだ。初めて古文を習ったときは、「・・・けり。」とか「・・・なり。」という文の終わり方は妙だなぁと思ったけれど、日本語の歴史を紐解けば、終止形がない現代文の方が妙だったのである。

武士の言葉は独特で、使役を使った強がりの表現をよく使う。例えば、「討たれた」ことを「討たせ」と書く。本当は敵の方が強くて「討たれ」たのであっても「討たせ」てやったのだと強がりを言う。何だか微笑ましいが、武士の台頭で、平安時代の情緒ある表現が消えていったのは残念な気がする。

目から鱗が落ちたのは、江戸語のべらんめえ調と、今の若者言葉が似ているという指摘だ。江戸語の落語を聴くと「なげーなめーだな、おめーは。(長い名前だな、お前は。)」など「えー」という音が目立つが、今の若者も「スゲー」「ヤベー」「ソーシテーヨ」と似たり寄ったりの言葉を使っているという。言われてみれば確かにそうだ。

明治時代には外国の文化が入ってきて、それらを説明する新しい漢語が生まれ、中国や韓国にも輸出されているという。
著者は、こうして新しい漢語が作られて日本語の語彙が増えすぎたり、同音異義語が多くて混乱することを心配している。そして話し言葉と書き言葉は乖離させてはならないと訴える。使用する語彙を減らして、誰でも読み書きできる平易な文章を心がけましょうということのようだが、この辺りは、賛成しかねるところもある。話し言葉の語彙が減るに任せて、書き言葉でも使用する語彙を減らしていったら、せっかくの日本語の豊かな表現力が削がれてしまうのではないかと思うからだ。

この本の帯には「こんなに面白いドラマだったのか」と書いてある。ジャンル分けすれば、言語学という地味な題材の本であるのに、こんなに面白く、事によっては「もっと詳しく知りたい。」と思えるものを書き上げた熱意は凄い。「古文なんて」「文法なんて」と思っている人にこそ、お薦めしたい。(「こそ」はもっとも永く生き残っていた係助詞。その理由はこの本で!)

『恐竜』 冨田 幸光、舟木 嘉浩 他

恐竜 恐竜
冨田 幸光、舟木 嘉浩 他 (2002/06)
小学館
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オーストラリアの総合学習は学期ごとにテーマが変わる。下の子の先学期のテーマは『恐竜』。偶然にも休暇中にこの本を買っていたので、とても良いタイミングで恐竜に興味が持てた。そのうえ更に心強い味方があった。「STUDIO D’ARTE CORVO」-corvoさんのHPである。

そもそも、この図鑑を見つけたのには、次のような経緯がある。
①私がブログを始める。
②失敗だらけだフニャさんがコメントをくださるようになる。
③フニャさんのブログにお邪魔するようになる。
④フニャさんのブログにcorvoさんのサイトが紹介される。
⑤corvoさんの描かれる恐竜の絵に釘付けになる。
⑥子供達も釘付けになる。
corvoさんの描かれた絵が図鑑に載っていると知り購入。
という具合だ。

corvoさんのブログには、化石の発掘のレポートや、恐竜の学会に参加された模様や、図鑑用の絵の制作状況がつぶさに書かれている。図鑑とこのブログで、子供達も私もすっかり恐竜好きになってしまった。

図鑑の絵というのは、こんなに手間がかかり、繊細な筆致で描かれているとは、これまで恥ずかしながら知らなかった。学術的な考証も大事で、この種類の恐竜にはこういう姿勢は無理があるとか、この時代には背景にどんな植物を描けばよいなど、気を使わなければならないところがいくつもあるそうだ。
このようなお仕事をされているcorvoさんは、どんなに恐竜がお好きなのかと思えば、「恐竜が特に好きなわけではない。」と仰る。それなのに、あのこだわり、作業の緻密さ・・・プロの仕事とはこういうものだと感心することばかり。

この図鑑は、こちらの学校の先生にも評判が良く、「こういう図表が欲しかったのよ。」「ここを英語に訳してくれない?」と、授業に何度か使われた。

総合学習では、恐竜の生態を学ぶだけでなく、恐竜の絵を描き、恐竜の歌を歌い、恐竜の映画を観る。“dinosaur(恐竜)”“volcano(火山)”などの単語も覚え、恐竜の出てくるお話をつくる。けれども教えられるのは全部英語だから、
「お母さん、人間も恐竜が噴火したものなの?」
などと訳の解らない質問をしてくる。よくよく聞いてみると「噴火」ではなく「進化」と言いたかったらしい。
この図鑑で、日本語で何と言うか勉強しなくちゃね。

『ぼくのじしんえにっき』 八起 正道・作/伊東 寛・絵

ぼくのじしんえにっき ぼくのじしんえにっき
いとう ひろし、八起 正道 他 (1994/07)
岩崎書店
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「子供達への年賀状」という題名で、作家の曽野綾子さんが昨日の産経新聞(1月4日「正論」)に子供達への提案を書かれていた。とてもわかりやすく書かれていて、子供も大人もこれを読んで今年1年の過ごし方を考えるのも良いのではないかと思った。現実主義の人、家族はなにより大切だと思っている人、人間は「心」だと考えている人、甘やかすことより自立を促すことが必要だという考える人には、きっと納得のいく提案だと思う。
「優しい英雄になるために6つの提案」と副題がついていて、子供達に語りかける柔らかい言葉で書かれているので、それぞれの提案の最初の部分だけそのまま取り出してみる。

第1は、ある日曜日に、朝飯と昼飯を抜いてみてください。
第2には、一家でご飯を食べる時にはテレビを消す、という決心です。
第3に、毎日、少しずつでも本を読むこと。
第4に、うちのお手伝いをしてください。
第5に、荷物を持って歩けること。
第6に、優しい同情の心を持てる人になること。


本当は、これらの後にそれぞれ続く文章に味わいとユーモアがあってとても良いのだが、ここでは、私が今日紹介する本を思い出すきっかけとなった文章だけを引用する。

料理が自分でできなければ、人間は飢えに苦しみ、不衛生による感染症で死滅するからです。いつでもコンビニやデパ地下で、おかずを売っているという保証はありません。地震があって停電になれば、そうしたものは、明日から売り場に出なくなります。災害の日から、パンを配給できる国なんて、世界でほとんどありません。皆、自分で工夫して生きていくのです。子供だからって毎日の生活の責任を、全く担わなくていいということはありません。

曽野綾子さんは常々、人間は危険予知能力を養い、危険への備えをしておかねばならないとおっしゃる。その言葉は、戦争の体験、ボランティアや取材で目の当たりにした発展途上国の現状に裏付けされた重みのある言葉だ。国の危機管理について語られることの多い昨今だが、一般市民の私たちはまず個人の危機管理を行うべきではないかと気づかされる。

阪神淡路大震災や火山の噴火などの体験者は別として、子供達に「危機管理」「災害への備え」などと言っても、「何それ?」という感じだろう。大人の私だって、言葉でわかっていても具体的にどういうことが起こるかほとんど想像できない。

この『ぼくのじしんえにっき』は、地震の起きた地域の様子が刻々と実にリアルに描かれる。

物語は、地震が起こる前、おばあちゃんとおかあさんの喧嘩から始まる。お風呂の水の入れ替えなどという些細なことで言い合いをする。そしておばあちゃんが、いかに年寄り的な考えに毒されているかが披露される。動物が鳴くと「何か起きるんじゃないか。」と年寄りの取り越し苦労をするし、食べ物の好き嫌いは「もったいない。」と許してくれないし、「車やクーラーはエネルギーの無駄で贅沢だ。」といいながらお風呂の水は毎日入れ替えたり部屋に缶詰を溜め込んだりして年寄りの贅沢を楽しんでいる。一瞬、これはユーモア小説なのではないかと錯覚してしまうような始まり方だ。

地震が起きると、そんな年寄り臭い考えが、自分たちの飲み水や食料を確保していてくれたことがわかり、状況が悪化すればするほど、おばあちゃんの知恵が活かされていく。「情けは人のためならず」などという諺も教えてくれながら、被災地での暮らし方を主導していったのはおばあちゃんだ。

家庭の外でも、どんどん被害が広まっていた。水や食料をめぐる喧嘩、犯罪、伝染病の蔓延。悲しく、残酷で、怖いことが次々起こるが、それが現実なのだ。知っていなくてはならないことだ。

「怖くて読むのを止める子がいたら困る。」と作者が考えたのかどうかはわからないが、子供の日記という体裁をとっているため子供らしい素直な表現で書かれているので、必要以上に恐怖感を煽ることなく、自然と先が気になって読み進められる。

また淡々とした文体で、家族愛や生と死について語られているところも好感が持てる。家族愛の中でも、特に強調されているのは「お年寄りの経験を尊重しましょう。」ということだ。日記の最後にはこう書かれている。

 テレビで、「あと六十年は、じしんのしんぱいはありません」っていっていた。
 ぼくがおじいさんになるころ、またじしんがくるんだ。そのときは、ぼくがおふろを毎日そうじして、水をいっぱいためて、かんづめをかっとくんだ。


曽野さんの提案は、六十年に一度のことを疑似体験して、それに備える心構えと技術を養っておこうということだ。子供達だけでなく、豊かで平和な時代に生まれ育った私たち皆への年賀状だと考えてもよいのかもしれない。

『お見舞にきたぞうさん―お母さんが読んで聞かせるお話』 藤城 清治・影絵/香山 多佳子・お話

お見舞にきたぞうさん―お母さんが読んで聞かせるお話 お見舞にきたぞうさん―お母さんが読んで聞かせるお話
藤城 清治、香山 多佳子 他 (1990/08)
暮しの手帖社
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例年、初夢がどんな夢だったかをあまり気にしていないのだが、今年は短かい夢だったが目が醒めてからもはっきりと覚えていた。なぜなら、本に関することだったし、その本の絵が「夢のような」美しいもので、初夢にふさわしい色彩だったからだ。

夢の中で、私は箱のような物を目の前にして、そのデザインをどのようなものにするかの企画を上司に説明している。上司はあまり良い顔をしていない。私は、一冊の絵本を取り出して開き、いかにその絵が素晴らしいか、箱にそのデザインを施すことで、どんなにお客様が喜ぶかを述べた。
その本が『お見舞いにきたぞうさん』。藤城清治さんの影絵絵本だ。

藤城さんの影絵は、私の小さい頃、様々な所で見かけた記憶がある。鮮やかな色彩と黒い影のコントラストにハッとして、よく見てみると、そこに描き出されている題材は、ヨーロッパのおとぎ話や小人達など、現実とは一線を画した夢の世界で、じっくりと隅から隅まで穴の開くほど見ていたものだ。

やはり子供の頃、祖父母の家に遊びに行くと、テレビの下の棚に『暮らしの手帖』がずらりと並んでいて、それを読むのが好きだった。連載の一つに藤城清治さんの影絵のページ『お母さんが読んで聞かせるお話』があり、絵もお話も楽しめるので、たいへん気に入っていた。
大人になってから、その連載が本になっていると知り、購入したのが『お見舞いにきたぞうさん』である。我が子たちも、この影絵の美しさには息をのんで「きれいだねぇ~。」とうっとり。お話の種類は、世界各国の昔話や名作、そして日本の昔話も収録されている。

この本の「あとがき」を読むと、藤城さんはファンタジーというものをとても大切になさっていることがわかる。

いくら経済が成長し、暮らしが豊かになっても、心のファンタジーがともなわなければ、本当の豊かさは生まれてこないだろう。

経済成長には「効率」というものが求められる。藤城さんが影絵を制作されている場面をテレビ番組で拝見したことがあるが、カミソリの刃で紙を切り、何枚もの色を重ね、「効率」とはほど遠い丁寧で繊細なお仕事だった。効率と相反する作業が、陰影と温かみの混じった深みのある絵を作り出していたのだ。
また同じ「あとがき」では、光と影についてこのように書かれている。

人間にとってもっとも大切な光、人間の心に懐かしさを知らせてくれる影、この光と影には、自然に人の心を美しく豊かにしてくれるものがあるような気がする。

また公式HPでは77歳のお誕生日を目前に

光と影はまた、人生そのものだということに気がついた。だからぼくは、人生の生きざまを描いているということになるかもしれない。

と書かれていた。
美しい影絵の中にさまざまな思いが込められている。だから、ただ美しいだけではなく人の心を打つような作品ができるのだろう。

夢の続きはこんな結末だった。私の上司は、影絵を切り貼りするのは「効率が悪い。」と言って難色を示していた。私は原画を印刷して箱にするのだと説明して、上司を説得した。
ファンタジー的な小道具がちらりと出てきても実のところ現実的な夢だったとは、非常に私らしい。今年もきっと、現実的な本とちょっぴり夢のある本を読んでいくのだろう。


※藤城清治さんの公式ホームページはこちら

※今まで読んだ藤城清治さんの絵本の中では『つづみをうつ少年』が良かったのですが、残念ながら現在は入手できないようです。

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
こちらは夏のお正月ですが、本日は雨が降って薄曇りです。たいていは快晴に恵まれていた東京や雪が積もっていた北海道の、すがすがしいキリッとした空気の元日を懐かしく思い出します。

今年も、かつて読んだ本を思い出したり新しい本を読んで、ポツポツと紹介していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

milesta

Appendix

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