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『いもうとのにゅういん』 林 明子・絵 筒井 頼子・作

いもうとのにゅういん いもうとのにゅういん
林 明子、筒井 頼子 他 (1987/02)
福音館書店
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林明子さんの絵本は、心を打つものが多く、最初にどれを紹介しようか決めかねていた。
今日、町の図書館に行ったら『いもうとのにゅういん』の表紙が目に飛び込んできた。題名は『Naomi's Special Gift』。こんな小さな図書館に、日本の絵本の翻訳があるなんて!しかも林明子さんの作品だ。日本語版はうちにあるのに嬉しくなって借りてしまった。

林明子さんと筒井頼子さんコンビの作品にはお馴染みの、あさえが主人公。もちろん妹はあやちゃんだ。
あさえが家に帰ると、自分の大事な人形“ほっぺこちゃん"がいない。

「また、あやちゃんの いたずらだ。
あやちゃん、あやちゃん
あたしの ほっぺこちゃんを
かえしなさい!」


ところが、あやちゃんは具合が悪いから病院に行くのだと、お母さんが説明しながら“ほっぺこちゃん"を返してくれた。あやちゃんは、盲腸の手術をするのだ。お父さんが帰ってくるまでは、あさえはひとりぼっち。そんな時に限って雷が鳴る。あさえは、布団にもぐって“ほっぺこちゃん"を抱きしめる。

ほっぺこちゃん ほっぺこちゃん
こわくなんかないわね。
さあ、あたしに つかまって
ほっぺこちゃん ほっぺこちゃん
あやちゃんは
だいじょうぶよね・・・・・・


お父さんが帰ってきて、一安心だけど、何だか寂しいなぁ。明日はおみまいになにを持っていこう?

そして翌日、あやちゃんはあさえから「とびっきりのおみまい-Special Gift-」をもらって大喜び。

「あさえちゃん、たったひとばんで
ほんとうに おおきな おねえさんに
なったのね」
おかあさんが、あさえのかたを、
ぎゅっと、だいてくれました。

お母さんのこの一言で、ひとりぼっちで待っていた心細さも、雷の怖さも、み~んな吹き飛んでしまったのではないかしら。

英語版はこちら↓


《日本語版との違いはこんなところ》
◇題名『いもうとのにゅういん』→『Naomi's Special Gift』
◇主人公がNaomiとEllieという日本名にも英語名にもありそうな名前に替わっている。
◇“ほっぺこちゃん"は“Chubby Cheeks"(“ぷくぷくほっぺ"という感じかな?)
◇あさえを一人だけ置いて、お母さんが病院に行くときは、原文(日本文)にはないのに、「ちょっと通りを渡って(それくらい近いという意)」とか「何かあったら隣の山田さんの奥さんを頼るのよ。」などと書いてある。これは、オーストラリア(恐らく他の英語圏も)では小学生以下の子供だけで、留守番させてはいけないから。
◇「おなかをきるの?」という問いかけに、原文は「そう・・・」だけなのに、英語版は「そうよ。でも縫い合わせてくれるから大丈夫よ。」と詳しく答えている。

訳の違いは、文化や慣習の違いを表していて、面白いなぁと感じました。英語版は情緒に欠ける気がするけれど、日本には良い絵本がいっぱいあるので、たくさんの絵本が翻訳されて世界に紹介されるといいと思います。アニメもいいけど「絵本大国日本」もアピールしてほしいです。
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『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』 曽野 綾子

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! 沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!
曽野 綾子 (2006/05)
ワック
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今年(平成18年)の八月末に、『「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん』(←ご存じない方はぜひお読みください。リンク先の中程に新聞のコピーがあり拡大できます。)というニュースがあった。長年、沖縄戦で住民を死へおいやったとされ非難され続けていた赤松元大尉が「自決命令を出した」というのは、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れる援護法申請のための創作であったことがわかった。赤松元大尉も了承されていたことだが、今回証言なさった照屋さんの

「・・・赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。・・・」(産経新聞平成18年8月27日)

という言葉を見ると、やるせない気持ちになる。
せめて赤松元大尉がご存命中に・・・と思うのは、部外者の勝手な感傷で、照屋さんご自身も、お辛い年月を過ごされていたのだろう。
照屋さんの証言にある『鬼だ』などと書いた新聞や本は数知れず、それが定説にもなっていた。ところが、そこに疑問をもち、当事者への徹底的なインタヴューを行い、真相を掘り起こそうとしたのが、曽野綾子さんである。
そして、昭和48年に『ある神話の背景』という題名で出版されたこの本が今では絶版になっていることに気づき、復刻に向けた活動を始めた方々がいらして、再び手に入れることができるようになっている。

曽野さんの緻密な取材で、事実は明らかになるというより、複雑化してくる。赤松元大尉の部隊は船舶特攻隊で、守備隊ではない。ところが諸般の事情で、実態としては渡嘉敷島の守備をすることになる。そして敵前という混乱した状況で、命令体系などは確立して居らず、法的解釈があいまいな事態も起こる。住民の心理状態も正常ではなくなる。読めば読むほど、混沌としてくる。
しかし、確実にわかるのは、当時島にいた住民や軍人の中に「赤松元大尉が自決命令を出した。」と証言した人は、一人もいないということだ。
照屋さんが琉球政府の職員として100人以上の住民にインタヴューをした際も「「一人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」と冒頭に紹介したニュースでも証言されていた。

曽野さんがこの本を書いた時点では、擁護法申請のための創作だったという事実はご存じない。が、うわさ話として取り上げていた。曽野さんも「そういう事情があれば辻褄が合う」と思われたかもしれない。しかし、曽野さんは、感情や推測を排除し、インタヴューから得られる当事者の記憶の断片を繋げていく。それまでの新聞や本に、こうした公正な態度がなかったことが、事実でないことを広め、虚偽の「鬼のような赤松元大尉」像を作り上げたのだ。

事実を知った今、赤松元大尉と旧軍人、遺族が、渡嘉敷島で行われる『二十五周年忌慰霊祭』に出席しようと那覇空港に降り立った昭和45年の光景を読むと、悲しみと怒りでどうしようもなくなる。

 やがて赤松元大尉の耳にも、シュブレヒコールが聞こえる。「赤松帰れ!」「人殺し帰れ!」
 聞こえて来るのはシュプレヒコールばかりではない。
「今ごろ沖縄に来て何になる!」
「県民に謝罪しろ!」
「お前は沖縄人を何人殺したんだ!」
赤松氏は立ち止まる。直立不動の姿勢になり、彼は人々の怒号にさらされた。
 那覇市職労の山田義時氏が、抗議団(平和を守る沖縄キリスト者の会、歴史・社会科教育者協議会、日本原水爆禁止協議会沖縄県支部、日本平和委員会沖縄県支部、日本科学者協議会沖縄県支部)を代表して「渡嘉敷島の集団自決と虐殺の責任者赤松元陸軍大尉の来県に抗議する」という抗議文を読み上げる間、元大尉はじっと無言で立ちつくす。
 やがて朗読が終わり、抗議団から再び声があがる。
「三〇〇人の住人を死においやった責任はどうする」
「罪のない住民をスパイ容疑で惨殺したのにオメオメと来島できるか」
そこでやっと赤松元大尉は口を開く。
「事実は違う。集団自決の命令は下さなかった。捕虜になった住民に死刑を言い渡した覚えもない。」


このような那覇での抗議のため、赤松元大尉は渡嘉敷島には渡れなかった。その渡嘉敷島での様子は、『琉球新聞』に次のように書かれている。

「この日の渡嘉敷村は平日と変わらない静かなたたずまい。赤松元大尉が来島できなかったことや、その部下が初めて来島したことにも反応は少なく、報道陣が詰めかけたのが、異様にさえ感じているような冷静さ。赤松元隊長が本島まで来ていることを知らされても、『肉親を失ったことは忘れられないが、いまさら古傷にふれても仕方がない』と言った言葉が返ってくるだけ。本島でくり広げられた『赤松帰れ!』の騒ぎはウソのような『悲劇の島』二五回忌の慰霊祭-」

この新聞記事は、実に正直に、島民達が抗議団体の人達よりも冷静に、赤松隊の慰霊祭出席を受け入れていることを報道している。それはそうであろう。命令はなかったのだから。そして、関係者は皆、放っておいて欲しかったのだ。
しかし『沖縄タイムス』は、こう書く。

「・・・赤松氏の来島によって戦争の傷跡が鋭くえぐり出された。『いまさら傷にふれても仕方がない』と遺族の人達は言う。しかし筆者は、遺族にとっては酷な言い方であろうが、あえて言う。傷痕から目をそらせず凝視してほしい。血を吐くような苦痛を伴うだろうが、その痛みに耐えてほしい。身悶えするような苦悩をするだろうが、それと真剣に戦ってほしい。なぜなら、そこからしか真の反戦平和の思想は生まれてこない。戦争の傷痕こそ反戦闘争の原点であるから。(後略)」

真実より何より、反戦闘争ありきなのがよくわかる。ちなみに、曾野さん以外の多くの人が取材もせずに赤松元大尉の糾弾記事を書けたのは、元となる三つの資料があるからで、そのうちの一つはこの沖縄タイムス社編の『鉄の暴風』である。
このような「反戦」活動に熱心な、抗議団体やジャーナリスト、作家達が、赤松元大尉だけでなく、真実を知りながら口にできない島民の方々のことも苦しませてきたのだ。

彼らは、次の照屋さんの言葉をどのような思いで読むのだろうか。
 
「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」(産経新聞平成18年8月27日)

企業が不良品や欠陥商品を出したときには徹底的に書き立てる新聞が、このニュースを受けて自分たちの誤報を謝罪しただろうか。『沖縄ノート』で赤松元大尉を批判した大江健三郎氏に至っては、このことが明らかになった直後に北京に赴き「日本は全く反省しない現状を改めるべきだ」などと述べている。そして、いくつかの教科書に記述された「自決を強制された」という記述は、いつ、誰が訂正してくれるのだろう。
曽野綾子さんはよく、人間は罪深いもので自分が罪を犯さないとは言えないと書かれる。この本の中でも、そうした自己意識があれば、他人のことを安易に告発したり、責任を追及したりできないという、ご自身の気持ちが書かれている。
赤松元大尉を糾弾した人達には「自分は間違ったことをしていない。自分は正しい。」という傲慢さが見える。確かに、彼らは当時渡嘉敷島にいなかったのであり、自決命令は出していない。そのことについては間違ったことはしていない。しかし、「もしも自分がそこにいたら。」という視点で、謙虚に考え、取材し、わからないことはわからないと認める公正さがなければ、「誤報」という新たな罪を犯してしまうのだ。


※私の読んだのは平成4年PHP研究所から出版された『ある神話の背景』ですが、現在入手できるのは改題された『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』の方なので、そちらを題名に使いました。





『すてきな三にんぐみ』 トミー=アンゲラー・作 いまえ よしとも・訳

すてきな三にんぐみ すてきな三にんぐみ
トミー=アンゲラー、いまえ よしとも 他 (1977/12)
偕成社
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三にんぐみは窃盗団。ラッパじゅうと、こしょう・ふきつけ、おおまさかりが、彼らの仕事道具。馬車を見つけると、

まずは めつぶしに こしょうを たっぷり、
これで どの ばしゃも ぴたり。

おつぎは まさかりで くるまを まっぷたつ。

おしまいに ラッパじゅうを かまえて、
さあ てを あげろ・・・・・・・・。


こうして宝を巻き上げていた。「すてきな三にんぐみ」どころか「わる~い三にんぐみ。」だ。
ところがある晩、狙った馬車には、みなしごのティファニーちゃんがひとり。

いじわるな おばさんのところへ やられて。
いっしょに くらすはずだったので、-それよりは、
この おじさんたちのほうが なんだか おもしろそう
と、よろこんだ。


そして、ティファニーちゃんは三にんぐみの家に行く。そこで宝の山を見たティファニーちゃんが一言。

「まぁぁぁ、これ、どうするの?」

どうするつもりもなかった三にんぐみは、はっと我に返って考えた。三人寄れば文殊の知恵とはこのこと。すてきなアイデアが浮かんできた。三にんぐみがいなくなったあとまでも、語り継がれるすてきなアイデアが・・・。
そして村人達は、みんなの「すてきな三にんぐみ」を忘れないための工夫までしたんだよ。

・・・という楽しいストーリーで、訳文もリズム良く楽しめる。表紙の絵は怖そうだけど、地味な色彩のなかに現れるユーモラスな登場人物が愛らしい。
そして最後に温かい気持ちになれるのは「先人に感謝を忘れない村人は偉いなぁ。」と感じるからだと、私は思っている。



『レパントの海戦』 塩野 七生

レパントの海戦 レパントの海戦
塩野 七生 (1991/06)
新潮社
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レパントの海戦の被害
イスラム側  戦死者 約八千人
         捕虜になった者 約一万人 
         解放されたキリスト教徒の奴隷 約一万五千人
キリスト教側 戦死者 七千五百人

レパントの海戦はガレー船での最後の大海戦であり、両軍会わせて五百隻の船と十七万人の人間が激突した。被害が膨大な数字になるのは当然だ。
ガレー船とは甲板に人がズラリと並び櫂で漕いでいく船のこと。上記の「キリスト教徒の奴隷」というのは、鞭打たれながらイスラム側の船を漕いでいた人達である。漕ぎ手・船乗りの他に戦闘員が乗り、海戦とは言っても、船上での白兵戦で勝負をつける時代だったのだ。

人数も大規模なら、キリスト教側連合軍の顔ぶれも大国の王侯貴族から海の傭兵ドーリアやヨハネ騎士団まで、蒼々たるものだ。
地中海での通商をトルコの拡張主義に脅かされて、とうとう立ち上がったヴェネツィアが人員不足を補うため、ローマ法王とスペイン王が参戦を決意するように画策する。その結果、連合艦隊の中央にスペイン王弟ドン・ホアンの乗るキリスト教艦隊旗船、両脇に法王庁の旗船とヴェネツィア海軍総司令官ヴェニエルの旗船がぴったりと付くという布陣になる。それぞれお互いを信用していなかったからだ。最左翼はヴェネチア海軍参謀長バルバリーゴの船、最右翼はスペイン王に雇われたジェノバ人傭兵ドーリアがかためる。

イスラム側は海洋民族ではないので、海賊を召し上げ、右翼・左翼の要に配す。

海戦そのものは、5時間余りでかたが付いた。しかし、キリスト教側の本当の戦いは内部にあった。目的も意識も違う者同士、心を一つにして闘う姿勢をつくるのは簡単なことではない。ところが上手い具合に、開戦寸前に、彼らの心は一つになった。
まず、ドン・ホアンに、この艦隊を任された者としての自我が芽生えたからであり、さらに、キプロス島でのキリスト教徒に対するトルコの残忍な仕打ちが、キリスト教側の知るところとなったからだ。
そして、もう一つの理由は、戦いが終わってから皆が思い知ることになる。カリスマ性のあるドン・ホアンも、海での戦いには卓越した指導力を発揮するヴェニエルも、穏やかな物言いと毅然とした態度で調整役を務めていたバルバリーゴのお陰で、共闘できていたのだった。
結局、どんなに船や人を集めても、どんなに戦闘能力があっても、それらが一つにまとまらなければ、勝利に結びつくことはないのだ。

海戦がこの本の山場ではあるが、大戦に勝ったからといって、世界的な勢力図の変化を止められないこともある。ヴェネツィアの悲哀は、勝利の喜びが、瞬間的なものであったかもしれないところだ。
トルコの拡張主義が西欧にまで及ぶ前に食い止めたこと、ヴェネツィアの平和と経済活動が保たれたことなど、勝利の意味は大きいが、この戦いを境に、地中海が世界の中心ではなくなってしまったというのは、何とも寂しい。

そんな悲哀を感じてか、当時トルコ駐在ヴェネチア大使だったバルバロは、期間後の報告会で政府を痛烈に批判したという。

「国家の安定と永続は、軍事力によるばかりではない。他国がわれわれをどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によるところが多いものである。
 ここ数年、トルコ人は、われわれヴェネツィアが、結局は妥協に逃げるということを察知していた。それは、われわれの彼らへの態度が、礼を尽くすという外交上の必要以上に、卑屈であったからである。ヴェネツィアは、トルコの弱点を指摘することをひかえ、ヴェネツィアの有利を明示することを怠った。
 結果として、トルコ人本来の傲慢と尊大と横柄にとどめをかけることができなくなり、彼らを、不合理な情熱に駆ることになってしまったのである。・・・」


読んでいるうちに背筋が寒くなってくる。「ヴェネツィア」を「日本」に置き換え、「トルコ」を架空の(あくまで架空。怖すぎるから。)広大で人口の多い拡張主義の某国に置き換えてみたら・・・。日本はひとたまりもない。ヴェネツィアの衰退期を書きながら、塩野さんは祖国を思っていたのではないだろうか。

『ロードス島攻防記』 塩野 七生

ロードス島攻防記 ロードス島攻防記
塩野 七生 (1991/05)
新潮社
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「キリストの蛇たちの巣」と呼ばれたロードス島。コンスタンティノープルを陥落させ、次いでシリア、エジプトを征服したトルコにとって、東地中海は自分の自由にできる内海になるはずだった。ロードス島さえなければ。そしてそこをねぐらにする「蛇たち」とは「聖ヨハネ騎士団」の事である。

もともと聖ヨハネ騎士団は、十字軍によってキリスト教徒が一時的に征服したイェルサレムで、病人治療と軍事に奉仕するキリスト教奉仕団体であった。パレスティーナでのイスラム教徒とキリスト教徒の覇権争いに破れ、聖ヨハネ騎士団は軍事的に精鋭化したまま、ロードス島を本拠地とする。そこでヨハネ騎士団は聖戦を続けるという名目で、イスラム教徒の船、イスラム教国と商取引を行うヴェネツィアなどの船を襲い、いわば海賊として暮らしていた。ロードス島はコンスタンティノープルからイェルサレムに向かう中間地点に位置するので、トルコは「喉元のトゲ」を排除すべく、宣戦布告をしたのだった。

海賊という暮らし方にしては、登場人物達が気品に溢れて頭脳明晰なのは、彼らが貴族出身の騎士であり、僧侶であるからだ。当時のヨーロッパでは「武」に関わる仕事をするのは騎士と決まっており、民間人は携われない。また寄付金で成り立つ宗教団体であるので修道僧と同じ規則を守らなければならない。すなわち、清貧、服従、貞潔である。騎士達の出身は西欧各国で、話す言語ごとに、所属する騎士団が違う。フランス騎士団、イタリア騎士団、イギリス騎士団・・・。西欧各国の伯爵家や、男爵家の子息達の集まりなのだ。

当時のヨーロッパは各国の勢力争いが激しく、十字軍の結束力は衰えていた。そのため、トルコの宣戦布告にも本国から援軍を送ってくる気配はない。トルコの陸軍十万に対して、ロードス島側は騎士六百人足らず、傭兵千五百人余り、参戦できる島民三千だけで戦わねばならない。
これで、五ヶ月にわたって持ちこたえたのは、奇跡に近い。聖ヨハネ騎士団のキリスト教への信仰と騎士道精神がそれを可能にしたのかもしれない。

このような特色ある集団であったためか、前作『コンスタンティノープルの陥落』に比べ、人物の描写にすぐれている。
イタリアの男爵家出身のオルシーニは、規則を守らない問題騎士だが、いざ戦闘となると誰よりも勇猛果敢という豪傑だ。

「人間には誰にも、自らの死を犬死と思わないで死ぬ権利がある。そして、そう思わせるのは、上にある者の義務でもある。」

そして世界の情勢をもとにする分析が鋭い。ヨーロッパでは中央集権型の大国主義が進み貴族は君主の臣下に組み入れられ、大砲の出現によって戦いの仕方が変わり騎士の存在意義が薄れるだろうと予測する。鋭いが故に、自分たちの未来への寂寞も感じとってしまうのだ。

「そういうわれわれが、人海作戦と大砲とで強力になったトルコ軍と闘うのだから、皮肉でなくてなんだろう。滅びゆく階級は、常に、新たに台頭してくる階級と闘って、破れ去るものなんだ。」

戦いが終わり、宗教は違えど騎士道精神の持ち主同士が、スルタンの天幕の中で顔を合わせたとき、オルシーニがそこにいなかったのは残念で堪らない。

塩野さんは、小説の中では、いにしえの戦いを現代になぞらえるような野暮なことはしない。だが読者である私は、ついつい今の日本のことを考えてしまう。

ヨハネ騎士団が、圧倒的な数の差がありながらも五ヶ月も持ち堪えたのは、大砲の登場に敏感に反応し、平時に城壁の大改造を行っていたからである。兵器や戦い方の変容に敏感であったり、それに備えることを検討するのは、どんなに小さな国家であろうと重要なことである。「核兵器保有についての議論を・・・。」と言いかけただけで、口を塞がれてしまうような国は、自衛さえ放棄したのと同様ではないだろうか。ヨハネ騎士団が、軍事のことをいっさい話し合わなかったとしても、トルコが宣戦布告を取りやめたとはとうてい思えない。

またオルシーニの言葉から、自分の信じるものや、守るべきもののために勇敢に闘った人達を「犬死」というのは、失礼なことではないだろうかと思った。スルタンは、去っていく騎士達に絨毯を送り、自軍の兵士達に対し「敗者をないがしろにした者は重刑に処す」と通達させた。敗者であっても、異教徒であっても、「ヨハネ騎士団」が勇敢に戦ったことに敬意を表したのだ。勝たなかったから「犬死」だというのは、あまりにむごい。だからこそ、オルシーニは「上の者には犬死だと思わせない義務がある」と考えたのだ。

本当は、こんなことを考えながら読むのは勿体ない。物語に没頭して、16世紀の地中海に旅する方が読後感はさわやかに違いない。さわやかさと同時に哀愁は感じるにしても。

『コンスタンティノープルの陥落』 塩野 七生

コンスタンティノープルの陥落 コンスタンティノープルの陥落
塩野 七生 (1991/04)
新潮社
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戦いの舞台はビザンチン帝国コンスタンティノープル(現イスタンブール)であり、対トルコの戦闘の話なのに、真っ先に登場するのがヴェネツィアの医師ニコロ、続いてフィレンツェ商人テダルディ、そしてセルビアの騎兵隊長ミハイロヴィッチ・・・と様々な出身地、様々な職業の人物が次々と紹介される。彼らは、後にコンスタンティノープルに終結し、敵味方に分かれて戦うことになる。

この戦いの意味合いは実に複雑だ。すぐに思いつくだけでも下に挙げたような要素がある。

①交易の要所コンスタンティノープルの覇権争い。
②「千年以上も続いた歴史ある帝国」対「勢いのある新興国」
③「キリスト教国」対「イスラム教国」
④「海軍の強い国」対「陸軍の強い国」
⑤「人徳のある穏やかな皇帝」対「野望に溢れ冷酷でさえあるスルタン」

それでビザンチン側には、ヨーロッパ各国からの援軍があり、宗教者も関与してくる。しかし一枚岩だったわけではない。ヴェネツィアとジェノバは商売上のライバルであり、なかなか歩調が合わない。同じキリスト教国でも、ビザンチンのギリシャ正教とローマを中心とするカソリックは、それまで反目し合っていたので、合同で戦うことに抵抗があるギリシャ人達もいる。
一方、トルコ側では、奴隷として少年時代に連れてこられたキリスト教徒がスルタンの親衛隊に仕立て上げられているし、セルビアの騎兵隊はだまし討ちにあったような形でキリスト教徒ながらトルコ側の陣営に組み込まれてしまっている。

しかし戦いが始まれば、どちらも勇敢に戦う。ビザンチン側は皇帝の人格に絆されて、トルコ側はスルタンの熱意や冷酷さに逆らうことができずに・・・。

実際の戦いぶりが、まるで見てきたように描かれる。昔々の出来事であり、日本人には馴染みのない世界のことなのに、なぜこうも鮮やかに表現できるのだろう。
一つには塩野さんが、両陣営のさまざまな立場の人達の記録や回顧録を丹念に調べているからだ。各部隊がどのような服を着て、どのような隊列を組み、どのような思いで戦いに挑んでいるかが、今ここで行われているかのように目に浮かぶ。
もう一つは、塩野さんが幼少の頃から映画に親しまれてきたから(『人びとのかたち』より)ではないかと思う。戦況がガラリと変わる転換期の描写は映画の一場面を観ているようだ。丁度満月を迎え、あとは欠けていくだけになることに怯えるビザンチンの人達、聖母マリアのイコンを掲げた行列、転がり落ちるイコン、行列を襲う突然の雷雨・・・。また、最大の山場である白兵戦が一時間も続いた後、勝敗を決定づけた一本の矢。一瞬にして「流れが変わった。」と読者に思わせることができる描写も映画的である。

舞台設定も役者もストーリーもとてもよくできた映画・・・しかし、これは本当はドキュメンタリー映画に近いのだ。なぜなら最初に次々と出てきた人物達は皆実在した人達で、この戦いに関する記録を残していたのだ。道理で活き活きとした物語になっているわけだ。そして戦いが終わった後の章では、コンスタンティノープルが陥落した後の、彼らの生涯まで紹介されている。歴史に翻弄された人間ドラマとしては、そちらの方が興味深いほどだ。セルビア人ミハイロヴィッチの生涯など、それだけで一冊の本になってもおかしくない。

この本は、ヨーロッパ対トルコの攻防を描いた三部作の第一弾。最初の一冊を読むと、『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』も読まずにはいられなくなる。戦いの火蓋は切られたばかりなのだ。


※この本は10年以上前に入手していましたが、時代背景が複雑そうで、何となく読み始められないままでした。今回読むことになったのは、ウナムのまなざしさんのトルコ旅行記を見て、トルコへの関心が高まったからでした。読んでみたら、その複雑さがこの地域、この時代の面白さだとわかりました。この本の存在を思い出させてくださった、ウナムさんに感謝します。ありがとう!

『私はいかにして「日本信徒」となったか』 呉 善花

私はいかにして「日本信徒」となったか 私はいかにして「日本信徒」となったか
呉 善花 (2003/06)
PHP研究所
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気の合う友人が故郷に帰ってしまい、とても寂しい。彼女の故郷は済州島。日本語も話せるので、時々、韓国人であることを忘れてしまう。それほど、考えること、感じることがよく似ていた。
日本が大好きで、永住したいけれど叶わないと嘆いていた。なぜ自国に住みたくないのかと問うと、韓国は、いまだに階級社会で、国に不満があっても、一国民には何もできないし、何も変わらないのだと言う。国内では情報も制限されているので、一度海外に出た韓国人の多くは、さまざまな制約が多く窮屈な韓国には戻りたくないと感じるそうだ。

彼女があまりに屈託なく「日本が大好き。」と語り、その頃韓国で吹き荒れていた反日感情とはかけ離れているのが不思議で、彼女と同じ済州島出身の、呉善花さんの書かれた自伝的エッセイを読んでみた。

デビュー作『スカートの風』を出してからの韓国人達からのいやがらせのことや、韓国での軍隊経験などについても興味深かったが、私には、済州島のことが詳しく書かれているのが嬉しかった。

済州島では子供の頃、母親から教わった日本語を話すと周りの大人は、「よくできた。」と頭を撫でてくれたという。だから大人達に反日感情はなかったようだ。

 母から教わったわずかな日本の言葉、そして断片的に聞く日本の話。私にとって、日本は近くて親しみのある国だった。実際、周りの大人達から聞く話も、けっして日本に対して悪い話はなかった。
 しかし、小学校に入り、学年を重ねていくと、「日本人はいかに韓国にひどいことをしたか」ということを教えられることになる。


そうして、反日感情が弱いのは、学が無くて田舎者だといわれ、真面目で硬派だった著者は反日感情を強く持たねばという気持ちになっていった。
しかし済州島そのものは、半島の韓国人に比べると反日感情は少ないようだ。在日韓国人には済州島出身者が多く、日本からの情報が「無検閲」で入ってくるからだ。
また済州島は島国であり、常に海を見て海外を意識しているためか、開放的で、外からの情報に敏感だということもあるようだ。

親日的、明るく逞しい、他国への関心が高い・・・友人のこうした性向は、やはり済州島出身ならではのように思えてきた。
呉善花さんは、台湾との共通点も挙げられている。同じ島国で、開放的で、女性が逞しく、中国からの儒教の影響が薄い。そういえば、台湾人の友人も、親日的、明るく逞しい、他国への関心が高い・・・・とてもよく似ている。そして、この韓国人と台湾人二人が、私のオーストラリアでの最も気の合う友人だ。
考えてみれば、日本も、台湾も、済州島も、島国である。もともと共通する何かを持っているのかもしれない。




『ロッタちゃんのひっこし』 アストリッド=リンドグレーン・作 イロン=ヴィークランド・絵

ロッタちゃんのひっこし ロッタちゃんのひっこし
アストリッド=リンドグレーン、イロン=ヴィークランド 他 (1985/12)
偕成社
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「かわいい ロッタが いるんで、ほんとうに たすかるわ。でないと、ママは、ひるまは ほんとの ひとりぼっちだもの。」
と ママは、いつでも いうのでした。
すると ロッタも、うなずいて いいます。
「あたいが いて ほんとに、よかったわね。でないと、ママは、ほんとに、かわいそうなものよ。」
ところが けさは、ロッタは、それを いいませんでした。


なぜならロッタはとっても怒っていたから。「夢の中で」ヨナス兄ちゃんとマリア姉ちゃんが、ロッタの大事なぬいぐるみバムセを殴ったのだ。ママがどんなに優しい言葉をかけても機嫌は直らず、部屋に閉じこもり、ママが着なさいと言ったセーターを、はさみでジョキジョキ切ってしまう。

セーターを切ったことを叱られないように、家出を企てる。とは言っても、五歳のロッタが行けるところと言えば、となりのベルイおばさんの家くらい。ベルイおばさんも心得たもので、物置の屋根裏部屋なら住んでもいいという。物置にある子供用のベッドやテーブルや、人形、ままごとセットなどを譲り受けたロッタは、家出生活に大満足。

家出を知った家族達が訪ねてくるが、だれも無理矢理連れ戻そうとはしない。ただロッタがいなくなって、ママは「ママは、たしかにないたわよ。」というし、パパは「パパは、よるになったら なきだすかも しれないな。」と言い残して帰って行く。

夜になって、真っ暗な部屋で、ロッタが心細くて堪らなくなったとき、ちょうどパパが階段を上ってきてこう言う。

「どうだね、ロッタ、ママが うちで、とても かなしがってるよ。クリスマスに ならないように、とにかく もう一ど、うちへ ひっこすと しないか?」
「あたい、すぐに かえる。」
ロッタは さけびました。


家に帰ったロッタは、やさしく迎えてくれたママにこういう。

「ママ、あたい、いまは べつの 白い セーターが あるの。ベルイの おばさんに、もらったのさ。だから、いいでしょ?」
けれども、ママは、なんの へんじも、しませんでした。じっと すわって ロッタを みつめているだけです。


ママとロッタはどのように決着をつけたのか、ここには書けない。ただ言えることは、ロッタはママを世界一のママだと思っただろう。そして、二度とセーターは切らないと心に誓ったに違いない。




 

『ころちゃんはだんごむし』 高家 博成、仲川 道子 他

ころちゃんはだんごむし ころちゃんはだんごむし
高家 博成、仲川 道子 他 (1998/06)
童心社
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昆虫類や小さな生き物ははあまり好きではない。けれども、だんごむしは刺したり咬んだりしないし、姿も愛らしいので、小さい頃は親しく遊んだ。裏口の敷石の下に住んでいたので、時々石をひっくり返して観察していた。小さい赤ちゃんだんごむしがいることもあるし、体の色が薄かったり濃かったりすることもあり、なぜかなぁと思っていた。

ころちゃんは生まれたてのだんごむしの赤ちゃん。お母さんに見送られて子供達だけで散歩に行く。

「いってきまーす。」
「いってらっしゃい、きをつけてね。 こわくなったら まるくなるのよ」
「はーい」


ころちゃんは、好奇心旺盛で寄り道をして、みんなからはぐれてしまう。そこへカマキリが現れた!そこで、お母さんの言いつけを思い出してまるくなる。つるつるして掴めないのでカマキリは怒って

「こんな へんてこりんな ちびなんか ぽーん!」

蹴飛ばされてころころ転がって、すとーん!落ちたところは・・・わぁたいへん・・・。
最後の場面ではころちゃんは兄弟たちと一緒に脱皮して、のびのびと気持ちよさそうにしているから、どうにか助かったのね。

『ころちゃんはだんごむし』を始めとして、『かわいいむしのえほん』シリーズに出てくる虫たちの行動はとても微笑ましい。微笑ましい行動が全くの作り話でないところが、より親しみを感じる。著者の一人、高家博成さんは動物園の昆虫飼育係長であり、農学博士。虫たちの生態をきちんと伝えてくれる。虫の好きな子供にも、ちょっと苦手な子供も、楽しく読める絵本だと思う。





『定本育児の百科』 松田 道雄

定本育児の百科 定本育児の百科
松田 道雄 (1999/03)
岩波書店
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前回紹介した『真っ当な日本人の育て方』が理想の子育てを語っているとすれば、こちらは現実の日々の子育てを手助けしてくれる実用的な本だ。

子育ては、特に第一子の場合、理想を追い求めすぎ、途中で息切れしたり、母親がいつも緊張していて子供にゆったりとした安心感を与えることができなくなってしまうことがある。私がまさにそうだった。

おむつは布でないと被れやすい、離乳食は手作りで・・・そんなことを頑なに守っていると、大家族ならともかく、私一人では「作業」に追われて一日が終わってしまう。それで外出の機会が少なかったせいか、第一子の人見知りがとても激しく、どこへ連れて行っても大泣きして止まらなくなり、ほとほと困った。周りには、そのような子はいなかったので、育て方を間違ったと思い途方に暮れていた。そんな時に出会ったのが、この『育児の百科』だった。そして人見知りについて、こんな一文を見つけた。

 母親は自分のしつけがいけなかったのだと思うことはない。こんな子どもでも、やがてふつうにほかの子の仲間入りができる。子どもの性格なのだから、しかったり、きたえたりして急になおせるものではない。

 感じやすいということは、幼児期には育てにくいこともあるが、大きくなってしまえば、ほかの人のもたない長所になる。人見知りすることをとがめてはいけない。こわがるのは自分をまもろうとしているのだから、できるだけ友だちとあそばせて、友だちはこわい人でないことを経験させる。そういう子どもはたくさんいるのだから、自分だけ、できそこないの子をもったという気持ちをなくすことだ。


この一文で、それまでの苦悩がすーっと引いていった。また同書の中にある「離乳食だからといって、特別の料理をつくらねばならないと、かたくるしくかんがえることはことはない。」という言葉から、大人の食事から取り分ける昔ながらのやり方でいいのだと気づいた。そうして適度に手を抜き、外に連れ出すべきだったと反省はしたが、「大きくなってしまえば、ほかの人のもたない長所になる。」という言葉を信じて、「失敗した。」とは思わなくなった。

それ以来育児の悩みが生じる度に、この本を開くと「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と励まされ、ずいぶんおおらかに育児ができるようになった。その根本には、よその赤ちゃんと違ってもそれは個性だという考え方がある。だから、他人からいろいろと育児のアドバイスを受けても、全てを真に受けてはいけないという忠告もある。

・・・親切はありがたいが、助言してもらうほうが忘れてはならないことは、赤ちゃんには個性があって、Aの赤ちゃんによかったことが、Bの赤ちゃんにもいいとはかぎらないことである。もうひとつは、自分の赤ちゃんについて、世界中の誰よりもよく知っているのは自分だ、という自負である。

これを読んでから、不安ばかりの新米母親も、あちこちから入ってくる様々な情報に左右されず、ゆったりと構えていられるようになった。子育てには気持ちの余裕も必要なので、これはとても助かった。

この本のよいところは、母親から不必要なストレスを取り除いてくれながら、必要な注意事項などは、きちんと書いてあることだ。
我が家では、この本に書いてあったことをもとに、次の二点を実行してきた。

①風邪の時に安易に医者に行ったり薬を飲ませてはならない。
 風邪に効く薬はないのだから、ほかの病気を持った人がいる病院に行き、長時間待たされて体力を消耗するより、家で静養した方がよい。我が子が自然治癒力で治る様子を何度もみていれば、親が病気の程度をわかるようになる。

②テレビはなるべくつけない。母親が正しい日本語で語りかけよう。
 赤ちゃんは、言葉を知る前に、「もの」や「気分」は既に認識している。自分と同じ気持ちになってくれる人の語りかけ、例えば「おいしかったね~。」「赤い車だね。」と言うと、「ああ、これはそう言い表すんだ。」とわかって言葉を覚える。テレビから始終言葉が垂れ流されていても、赤ちゃんとの心の交流がないから言葉は覚えない。

ここに紹介したのは、この本のほんの一部だ。何しろ「育児の辞典」という体裁で、年齢別・事柄別に実に詳しく書かれている。それも無味乾燥な言葉でなく、著者である松田道雄さんの赤ちゃんへの愛情が感じられるエッセイのような文章が続いている。一つのことを調べようとして、長時間読みふけっている自分に気づくこともあった。とにかく様々なことが書かれているので、各家庭で「これは取り入れよう。」「これはうちには合わない。」と取捨選択できるのも魅力だ。

その後、オーストラリアに引っ越しすることが決まったときに「早くオーストラリアの学校に行きたい。」と一番楽しみにしていたのは、この“人見知りっ子”である。そして言葉がわからなくとも、すぐに友だちができ、その子とは今でも家族のように仲がよい。何にでも挑戦したがり、人前で歌ったり踊ったりするのも大好きだ。
この本に出会わず、私が「自分だけ、できそこないの子をもった。」という気持ちで育てていたら、こんな底抜けに明るい子には育たなかったかもしれない。

『真っ当な日本人の育て方』 田下 昌明

真っ当な日本人の育て方 真っ当な日本人の育て方
田下 昌明 (2006/06/15)
新潮社
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うちの子達は自分が生まれたときのことを覚えていて、私に詳しく語ってくれたことがある。それぞれが出産の状況にぴったり合っていて大変驚いた。では乳幼児の頃のことはどうかと、試しに人見知りのことを聞いてみた。

よその人がいると泣いたのは、
「不気味だった。良い人か悪い人かわからないから。」
おばあちゃんでも泣いていたのは、
「だって、久しぶりに会うと本当にその人かどうかわからないから。」
そこで「お父さんは?」と聞くと
「ぎりぎりセーフ。」
だそうだ。
「小さい頃は怖かったけど、だんだん良い人だとわかってきてセーフになった。」
らしい。
最近では、恥ずかしがることはあっても、初対面の人を怖がったりしない。それで「なぜ?」と聞くと、
「いろいろと人に会ってみると、たいていの人は怖くないってわかったから。」
と答えた。そして嬉しいことに
「お母さんが一番安心するんだよね。」
と言ってくれた。決して誘導尋問したわけではない。(笑)誰からも父さん子だと言われる子でも、どんなに口うるさい母親でも、「安心」は母親らしい。

この会話をしながら、私は『真っ当な日本人の育て方』に描かれていた図を思い出していた。
始めは家庭の中に夫と妻がそれぞれ独立して存在している。
妊娠中はそれが父と母に変わり、母の中に子が包まれている。
子供が誕生しても、母と子は重なる部分があり、また母と子だけが囲われた円の中にいる。父も家庭内にいるが、母子の円には入れない。
母と子の重なりがなくなり、母子を囲う線の父親側が開き、子が父親の方に近づいていくのが12歳頃の図。しかし、母子を囲う線は片開きのまま存在している。
15歳でやっと、父と子、母と子の世界がそれぞれできて、父親と母親の位置づけが対等になる。

先ほどの人見知りの話は、この図のイメージにほぼ重なる。子供は、完全に安心できる母親に擁護されながら、段階的に自立していくのだ。

田下昌明氏は小児科の先生で、40年間に延べ50万人の子供と接して来られ、その間、親子関係の変化をつぶさにご覧になっている。そのご経験から、父親・母親は、子供をどのように育てるか、きちんとした考え方を持っていなければならないと仰り、この本では「きちんとした考え」の元となる育児哲学とでもいうべきものが語られる。
そこには、さまざまな事例やアドバイスが書かれているが、全編を通じて、最も強く感じたのは「母子の絆」を大事にしなさいということだ。特に「母乳育児」と「母親(場合によっては母親代わりの密接な関係の人)がいつでも子供のそばにいる重要性」を訴えている。田下先生は尤もなことを書かれているのだが、今の時代は「子供を預けて仕事」「子供を預けやすいように母乳よりミルク」「父親と母親は等しく育児を担わねばならない」というのが当たり前になっていて、この本のアドバイスを真摯に聞く耳を持つ人はどれくらいいるのだろうと、そのことが気になって仕方がなかった。

例えば、ゼロ歳児の時は、なるべく決まった一人の大人が24時間赤ちゃんのそばにいてやるという環境が望ましいそうだ。保育所に預けて、自分の面倒を見てくれる人が誰だかわからないと、赤ちゃんは落ち着かないし、基準にする人が誰だかわからないと時間感覚なども身につかないそうだ。
このことからすると、父親と母親が平等に育児を担当するということも、赤ちゃんにとっては最良のやり方ではないようだ。ずいぶん前のことだが、若いお父さんとお母さんが、二人がかりでおむつを替えていたかと思うと、泣き出したときには赤ちゃんを押しつけ合っているような光景を見た。その時に、果たして真夜中に赤ちゃんが泣いたときは、どちらが起きてやるのだろうと心配になった。しかし、田下先生の主張も、私の心配も、最近の男女完全平等主義のもとでは一笑に付されてしまうのではないだろうか。

親にも自由や権利があると主張する人達には、次の一文も「古くさい。」の一言で片付けられてしまいそうだ。

 朝は早く起きなければならない。友人との交際は制限しなければならない。休日もふだんと同じ時間に起きなければならない。子供に規則正しい生活の躾をするのは親にとって決して楽なことではありません。いや、それどころか、つらいものです。ときには泣きたくなることもあるでしょう。しかし物は考えようです。「先に泣くか、後に泣くか」です。子供にどんな立派な服を着せても、いかに栄養のある食べ物を与えても、日常の生活が規則正しくなければ子供の発育成長に良い効果を上げることはできません。

小さい赤ちゃんをお持ちのお母さんや、赤ちゃんはこれからという女性は、この言葉の意味を真剣に考えて欲しい。私は、この本の通りに全てができていたわけではないが、部分的にせよ「つらく泣きたい思い」が後での楽につながることは実感している。「つらく泣きたい思い」が親としての自分をも成長させたのではないかとも思っている。また逆に、うっかり手を抜いて育ててしまった部分を後から修正しようとすると、思ったよりも時間も手間もかかり、「あの時、しっかり躾けておけば良かった。」と思うこともある。

もちろん「つらく泣きたい思い」を母親だけに負わせて良いわけではない。父親には、このように釘をさしている。

特に父親は、子供が十二歳になるまでは「自分だけの休日」「自分だけの楽しみ」を望んではいけません。仮にもし二歳下に子供が生まれたとしたら、これをさらに二年延長しなければなりません。そうして、とにかく子供と遊んでやることです。会社の仕事が忙しいからといって、夜遅くまで飲み歩いて、そうでなくても赤ちゃんの世話で疲れている妻に、深夜までイライラさせる亭主などは、もってのほかです。
(これをお読みのお父様方、ここだけ読まなかったふりをしてはいけませんよ~。)

我が家も、飲み歩いてこそいなかったが、仕事が忙しくて子供と会うのは何日ぶりかという日々が続き、私はイライラして、そうすると子供までもが神経質になっていた。父親が家にいる時間が多少なりともできるようになると、私もリラックスでき、子供もおおらかになった。おむつ替えはしてくれない。お風呂にも入れてくれない。それでも「お父さんが家にいる。」というだけで家族が和むのだ。

そうした経験からも、この本を読んでみても、少子化対策として「子供がいても両親が共に働きやすい社会=子育ての外注化」を目指すというのは本当に正しい方向なのか、私には疑問だ。そこには「子供がどう育つか。」という視点が欠けているからだ。

道半ばの母親である私が参考にしたいようなことも書いてあるが、できれば、これから赤ちゃんを育てるという人達にはぜひぜひ読んで欲しい。『真っ当な日本人』を育てる準備は、赤ちゃんが生まれる前から始めた方がよいことも、これを読むとわかる。今はピンと来なくても、きっと後になって「読んでおいて良かった。」と思うのではないだろうか。


追記
この本には理想的な子育てが書いてあるのですが、昔とは世の中の価値観が違う中で、この通りにやろうとすると、母親は精神的にきつくなってしまうかもしれません。そう思って、次エントリでは母親が楽になれる育児本『定本育児の百科』を紹介いたしました。ご興味のある方は、ご覧ください。

『焼くだけのお菓子』 ベターホーム協会

焼くだけのお菓子 焼くだけのお菓子
ベターホーム協会 (1992/10)
ベターホーム出版局
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先日、持ち寄りパーティーがあった。出身国が様々なので、自国の料理を持ち寄ろうということになり、私は太巻き寿司とチーズケーキにした。「チーズケーキが自国の料理?」と思われるかもしれないが、日本を知っているアジア人は口を揃えて「日本のケーキが一番おいしい。」という。それでケーキも持っていくことにしたのだ。余談になるが、面白いことに、アジア人は全員手作りの品を、オーストラリア人は全員フルーツやスナック菓子類の市販品を持ってきた。

案の定ケーキの評判は上々で、あまりに褒めてくれるので「これは一番簡単なケーキで絶対失敗しないのよ。」と告白してしまった。それならば作り方を習いたいという人が続出し、後日我が家で臨時講習会を開いた。

元になっているレシピは、この『焼くだけのお菓子』に載っている「ベイクドチーズケーキ」。オーストラリアのクリームチーズは一箱の容量が多いから分量を変えてレシピを書き直す。材料を並べたら、あとはボールに次々と入れてぐるぐるかき混ぜるだけ。卵の泡立てはいらないし、ケーキにありがちな「さっくり混ぜる」などという気を使わなくてもいい。ケーキ型二台分を交互に混ぜながら、それぞれお国訛りの英語で喋る喋る。型に流し入れてオーブンに入れ焼き上がるまで50分。再び喋る。「“キティちゃん”が世界中でどれだけ流行っているか。」から「少子化問題」まで。こう書くと、いかにも皆英語がペラペラのようだが、計量の時に「四分の一」を「クウォーター」ということを知らない人もいたし、「He」を「She」と言ってしまう人もいる。私もオージー英語が聞き取れず、途中で子供に通訳してもらう場面があった。そんな英語力でも、皆喋る。おいしいケーキと、楽しい共同作業の前では、誰もが饒舌になる。

焼き上がったケーキは持って帰ってもらい、冷蔵庫で冷やしてから食べてもらう。おいしくできたかな?

この本に載っているケーキは題名通り焼くだけで、デコレーションなどしないから、持ち運びにも適している。持ち寄りパーティーやお土産にぴったりだ。こうして日本のケーキのファンが増えて、ついでに日本のファンも増えてくれたらいいなぁと思いながら、機会あるごとにケーキを焼いている。

↓《ベイクドチーズケーキのレシピ》誰でもできる!

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『14ひきのおつきみ』 いわむら かずお

14ひきのおつきみ 14ひきのおつきみ
いわむら かずお (1988/06)
童心社
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いわむらかずおさんの『14ひき』シリーズを初めて見たとき、外国の絵本みたいだなぁと思った。
『ピーターラビット』とか『のばらの村のものがたり』のように、木や草や花や木の実が細かく描かれていて、動物や生き物の絵も本物をよくよく知り尽くしている人の描いたものだとわかる。それでいて写実一本槍でなく、主人公達は絵本にふさわしく丁度いい具合に擬人化されている。日本の絵本で動物が主人公のものは、アニメやキャラクターグッズのようなイラストが多く、それはそれでかわいいけれど、ちょっと物足りない感じがしてしまう。いわむらさんの絵は、しっかりと描き込まれていて、外国の絵本のような佇まいだ。

ところが、絵本を開いてみると、そこには日本的な情緒がぎっしりと詰まっていることに驚かされる。題材からして、お月見、山芋掘りなど、日本ならではのものが多いし、四季折々の自然は確かに日本のものだ。木漏れ日の光の加減、夕日の暖かな色合い、どれも見覚えのある情景だ。中でも、この『14ひきのおつきみ』には、日本人なら誰でもなつかしさを感じるのではないだろうか。

お月見の日、ねずみの兄弟姉妹が木の上に月見台を作る。美しい夕日に目を丸くするねずみたち。
日が暮れたところへ、おじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさんもやってきて、お月見団子や木の実を供え、すすきを飾る。
山の向こうから月が昇る。大きな大きな、それこそ盆のようなまんまるの月が昇る。

月に向かって拝んでいるおじいさん、おばあさん。
その様子をじっとながめる末っ子“とっくん”と、下から二番目の“くんちゃん”。
“はっくん”はお月様に手を振っている。
月見台から乗り出してしっぽを引っ張られているのは“ろっくん”。
月に吸い込まれそうになってじっと見つめているのは“なっちゃん”だ。
この子たちも来年は、大人やお兄ちゃんお姉ちゃんのように、手を合わせて拝むのだろうか。

おつきさん ありがとう、
たくさんの みのりを ありがとう、
やさしい ひかりを ありがとう。


と、お月様に感謝をしながら。

日本の学校から転校するとき、我が子は先生の一人からこう言われた。
「日本とオーストラリアは遠いけど、毎日同じお月様を見られるんだよ。みんなのことを思い出したら月を見てね。みんなも日本から同じ月を見ているから。」
こちらに来て気づいたことは、日本とオーストラリアでは月の欠ける場所が逆になる。同じ日に同じ月を見ても、違う形の月しか見られない。けれども満月の日は、どちらからもまんまるい月を見られる。地球の北と南から、向かい合わせに月を見て手を合わせ、「お月様ありがとう。」と言い合うのも何だかすてきだね!

『かたあしのひよこ』 いとう ひろし、水谷 章三 他

かたあしのひよこ
かたあしのひよこ / いとう ひろし、水谷 章三 他

私が今まで読んだ絵本の中で、最も大胆不敵な主人公は、この『かたあしのひよこ』くんかもしれない。

ひよこというと、小さくてか弱くて口ばっかりピーピーうるさくて、でも力なんか全然なくて、守ってやらなくちゃ生きられないというイメージがある。それが片足だったら、どれだけいたわってやらなくちゃならないのだろう。

このひよこくんは金の足を持っていたため、お話の冒頭で王様に片足を取られてしまう。そこでひよこくんの出た行動は、いきなり意表をつく。育ててくれたおじいちゃん、おばあちゃんを残し、ひとりで足を取り返しに行くのだ。この場面で、私は桃太郎を思い出した。

しばらく行くと、キジや猿ではなくオオカミやライオンに出会う。そして一緒に行こうとついてくる。だけど、ひよこくんは元気に歩き続けるのに、オオカミやライオンはへこたれて歩けなくなってしまう。ここでもひよこくんは驚きの行動に出る。オオカミやライオンをパクリと飲み込んで歩き続けるのだ。動物だけでなく、何と「川」のこともゴクゴクゴクと飲み干して連れて行ってしまう。ここまで来ると、もう桃太郎もかなわない。

王様の領地は守りが堅く、ひよこ一羽じゃ太刀打ちできない、と思いきや、ひよこくんは飲み込んだ仲間達を口から出して・・・。ひよこくんの豪快な行動は留まるところを知らない。

オーストラリアに来てすぐに、車椅子の女性がレジに品物を置いている場面に遭遇した。こちらではカートから自分で台の上に載せなければならない。誰も手伝わないので「オージーは冷たいなぁ。」と思いながら「手伝いましょうか?」と言うと、笑って「いえ、必要ないわ。ありがとう。」と答えた。それでも心配になって手伝おうとしたが、置きたい順番があるらしく、「次はお肉で、その次は果物・・・」と品物をどんどんレジに置いていくので手が出せない。そして私に向かって「ほ~ら、貴方がやるより早いでしょ。」と言って、ウィンクしたのだ。「何と逞しい!」この瞬間、私は『かたあしのひよこ』のひよこくんを思い出した。

けれど何ヶ月か経つと、彼女が特別なのではなく、ここは車椅子の人達の暮らしやすい国なのだと感じるようになった。道にも商業施設にもレジャー施設にも、車椅子用のスロープやトイレが必ずあり、出かけやすいから車椅子で外出する人の割合が日本に比べて相当多い。見慣れているから、誰も特別視しない。健常者と同じように、自分でできることは自分でするというのが当たり前になっているのだ。そして、本人達もその方が心地よいように見える。

かたあしのひよこくんも「自分の足なんだから自分で取りに行くんだ。」と燃えていたに違いない。だからライオンよりも長い距離を元気よく歩けたに違いない。それにしても大胆不敵なことには変わりないが。

この本は元気をくれる。笑いもくれる。あまり有名な本ではないようだけれど、多くの子供達に読んで欲しい一冊だ。

読むことができない-『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~ 東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
リリー・フランキー (2005/06/28)
扶桑社
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《はじめに》
この本は読んでいません。ですから書評ではありません。ご了承ください。
********************************

10月1日は都民の日。日本にいた頃、都民の日には東京タワーがライトアップされていたが、今も続いているのだろうか。

昨年、リリー・フランキーさんの『東京タワー』が話題になったが、気になっていながら未だ読めずにいる。リリーさんの「オカン」と同じように、私の父も東京タワーの見える病院に入院していたことがあるからだ。

ある年の九月の半ば、私たちがちょうど実家に帰っていた時に、父は体調不良を訴え入院した。玄関先まで見送った私に、
「もう会えないかもしれないな。」
と言った。数日後に北海道へ帰ることになっていた私は、それまでに退院するのは無理だという意味だと思った。いや、思おうとしていた。入院の荷造りは自分でしていたし、荷物の中には宮城谷正光さんの中国古代史『重耳』全三巻を入れていた。こんな重い本を読めるくらいなら、まだまだ大丈夫だと。

北海道に戻る前日に父から電話があった。当時四歳の私の長子と話したいと言う。孫に電話をかけてくるなんて初めてのことだ。あいにく昼寝中で電話口に出られず、私が伝言を言付かる。
「あいさつをきちんとしなさい、と伝えてくれ。」
この言葉も、人見知りでなかなか挨拶をしたがらなかった様子を思い出しただけだと思おうとした。

その日は、北海道の自宅でアップルパイを焼いていた。母が電話で
「お父さんがアップルパイを食べたいと言うのよ。」
と言うのを聞いて、子供達にもおじいちゃんの好物を食べさせたくなったのだった。焼き上がる前に電話が鳴った。弟からだった。
「おやじ、だめかも。」
取るものもとりあえず東京に向かえば、その日のうちに帰れたかもしれない。しかし気が動転して、この期に及んでも、まだ私は思おうとしていた。
「急いで帰るなんて、まるで、すぐにでも亡くなっちゃうみたい。」
出張中の主人に連絡をとったり、子供達の荷物をつくったりしているうちに、結局その日に帰ることはできなくなった。

そして夜中に、再び電話が鳴った。受話器の向こうで弟が謝った。
「今・・・。ごめん、何もできなかった。」
何言ってるの、謝るのは間に合わなかった私の方でしょ。と思いながら泣けて仕方がなかった。

やっと東京に辿り着いて、母から臨終の様子を教えてもらった。
「兄弟も家族もみんな集まってね・・・。丁度みんなが集まった頃、窓の外の東京タワーに、ぱあっと灯りがともって、とってもきれいだったのよ。」
私以外の家族はね。と思いながら、また泣けた。

それ以来私は、気づかないふりをして、間に合わなくて、父に感謝の気持ちを伝えられなかった穴埋めをするように、父が遺してくれたことを懸命に探し、理解し、子供に伝えようとしている。

父の命日10月1日は都民の日。あの当時、都民の日には東京タワーがライトアップされていたが、今日も灯りはともったのだろうか。

********************************
《おまけ》
↓「父が遺してくれたこと」のひとつ。枕元の手帳に書きとめてありました。

親に孝養をつくしましょう。
兄弟・姉妹は仲良くしましょう。
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう。
友だちはお互いに信じあって付き合いましょう。
自分の言動をつつしみましょう。
広く全ての人に愛の手をさしのべましょう。
勉学に励み職業を身につけましょう。
知識を養い才能を伸ばしましょう。
人格の向上に努めましょう。
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう。
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
正しい勇気をもって国のために真心を尽くしましょう。

(父が遺したのは教育勅語原文の一部。わかりやすい現代語訳を探してここに載せました。)

Appendix

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