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『「南京事件」日本人48人の証言』 阿羅 健一

「南京事件」日本人48人の証言 「南京事件」日本人48人の証言
阿羅 健一 (2001/12)
小学館
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なるべく楽しい本や心和む本を紹介したい。ましてや戦争物となると「怖い。」「興味ない。」という人もいるから、あまり頻繁に採り上げたくないのだが、やはりこれだけは紹介しておこう。(関心のない人も、せめて、この紹介文だけでも読んで欲しいなぁ・・・。)

中国から最近、南京事件に関するニュースが次々と流れてくる。南京大虐殺の映画を三本も制作している南京大虐殺記念館を拡張する南京事件の「真実」を伝えたとして南京大虐殺記念館から本多勝一が表彰されたカナダの教科書に南京大虐殺の記述を加えた・・・全ては来年南京事件70年を迎える中国の宣伝工作だ。

私がこれを「宣伝」としか思えないのは、70年前の事件当時南京にいた人達の証言を読んだからである。

著者の阿羅健一氏は、現場にいた人の話を聞けば、そこに本当の答えがあると思い立つ。当時の南京の状況を把握し証言できるであろう上級将校、記者、外交官の生存者67人に連絡を取り、48人から話を聞くことができた。残りの人達は主に病気が理由で話を聞くことができなかった。これが昭和59~61年のことであるから、今ではもう鬼籍には入られた方も多く、これは大変貴重な証言集となった。

結果からいうと、48人のうち「南京大虐殺を見た」人は一人もいなかった。一人一人の証言を詳しく見ていくと、「殺害」の場面を見たという人はいる。しかし捕虜であったり、民間人の服を着た便衣兵であった。こうした殺害についての証言も、きちんと書かれているから、民間人の虐殺など無かったということが、より信憑性を増す。
証言からは、民間人は保護され、戦地でも逞しく暮らしている様子が伺える。写真でもその様子を見ることができる。南京市街では、水餃子を売る店が出ており日本兵がおいしそうに食べている。自家製の野菜を道路沿いで売る市民もいる。難民区で食糧を配っている写真では、日本兵にも中国市民にも笑顔が見える。これらの写真からは、日本軍が一丸となって中国市民を虐殺するなど全く想像ができない。

捕虜の殺害については、国際法に反するかどうかの議論が分かれるような状況であったようだが、それと中国の主張する30万人の民間人大虐殺とは全く違うものだ。ましてや「ホロコースト」に並び称せられるとは、以ての外だ。戦地での戦闘の一部としての出来事と、意図をもって特定の民族を消滅させようとした出来事を、同じ類の物として世界に喧伝するのは許せない。
民間人が虐殺されたのを見た人はいないのだ。30万人も殺されれば誰かが見ているはずだが、見た人はいない。
死者の人数についても中国側の捏造の疑いが強いのは確かだ。死体の処理について、東京裁判に中国から提出された資料からわかることは、

崇善堂という組織がたった一台の車しか持たずに、1938年4月のひと月間というごく短期間で十万余もの数の死体を運び、全て埋葬したという、到底信じがたい事実である。(櫻井よしこ氏による「推薦の言葉」より)

となっており、中国市民への窓口を務めていた大西大尉は、阿羅氏のインタビューに「崇善堂」など知らないと答えているのだ。

48人の断片的な記憶を繋げていくと、当時の南京の状況や軍の様子が鮮明に浮かび上がってきて、阿羅氏が「そこに本当の答えがある。」と考えたのがよくわかる。

中でも、南京大虐殺を主導したとされ、A級戦犯として処刑された松井石根大将に関する証言は、どれも「親中派であった。」「軍紀に厳しい人だった。」「中国市民への心遣いがあった。」という話ばかりで、戦争が終わったら日中友好に尽力したいという思いまであったようだ。広田弘毅外相と並んで、戦犯とされたのは納得がいかないと考える人が多い人物であるのも頷ける。

南京大虐殺記念館から「事実を正しく伝えた」として表彰を受けた本多勝一記者の記事について、カメラマンの佐藤振寿氏はこう話している。

「十年ほど前にも朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京では虐殺があったといって中国人の話を掲載しましたが、その頃、日本には南京を見た人が何人もいる訳です。何故日本人に聞かないで、あのような都合よい嘘を載せるのかと思いました。当時南京にいた人は誰もあの話を信じないでしょう。それ以来、私は自宅で朝日新聞を購読するのをやめましてね。その時、配達員に朝日は嘘を書いているからやめる、といいました。」

ちなみに阿羅氏は、話を聞いた数十人の証言者の中で、この佐藤氏の証言が最も詳しかったと書いている。若かったのと、写真が手元にあり、自分の体験を反芻できたからであろうと推測している。

中国は来年、南京大虐殺に関する行事を大々的に行うだろう。日本は、それを世界に真実を知らせるチャンスだと捉えることはできないだろうか。世界が注目している時に、信憑性の高い主張をして、これまでの誤解を解く努力をしてほしい。
世界では、南京大虐殺といえば、アイリスチャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容が常識だと思われているという状況を何とか打破してもらいたい。

この本を読めば、日本人が日本人を信じないでどうする!という思いに駆られる。政治家も、ジャーナリストも、南京事件について語るなら、この本を読んでからにして欲しい。
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『食は東南アジアにあり』 星野 龍夫、森枝 卓士

食は東南アジアにあり 食は東南アジアにあり
星野 龍夫、森枝 卓士 他 (1995/12)
筑摩書房
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これはお得な本だ。

著者のお一人、森枝卓士さんはフォトジャーナリスト。文庫とは思えない枚数の写真が掲載されている。
米作りの風景、市場の様子、市場で売られている魚、唐辛子、青菜、果物・・・。同じ市場でも、タイの水上マーケットでは、バナナの専門店も、食材がぎっしり並び炒め物を作っている総菜屋も、店は一層の小舟だ。屋台や家庭に並ぶ料理、それを作る人々と食べる人々。食に関心のある写真家が撮ると、何とおいしそうに、楽しそうに見えることだろう。

森枝さんのすごいところは、写真を撮るだけでは終わらないところだ。実際に食べてみて、舌で味を覚え、自分で作ってみる。そうして書き起こしたレシピが50近くも紹介されている。珍しい食材の解説と食材が手に入らない場合の代用品まで書かれていて、かなり実用的だ。

もう一人の著者星野龍夫さんは、文学や歴史の研究で20年余り東南アジアと関わってこられたそうだ。星野さんの担当は、東南アジア食文化について。食材や調理法の分布、調理用具や食慣習について、フィールドワークを元に考察している。比較文化の研究論文のような内容だが、一般の読者にもわかりやすく、ご本人は「エッセイ」と称している。

オーストラリアは、西欧社会の一員というイメージが強いが、実はインドネシアのすぐ隣に位置しており、地理的には東南アジアの一員といってもいいくらいだ。近いからか、東南アジアからの移住者も多く、食文化もかなり入り込んでいる。

タイ料理、ベトナム料理など、東南アジア料理のレストランはたくさんあるし、アジア食材の店にも事欠かない。スーパーにも、東南アジア料理の名前が付いた商品が数え切れないほど並ぶ。

ラクサ(マレー風カレースープヌードル)、シンガポールヌードル(カレー味の焼きビーフン)、ナシゴレンとミーゴレン(インドネシアの炒飯と焼きそば)、サテ(マレー風焼き鳥)、ベトナム風生春巻き、タイカレー、トムヤムクン(タイのスープ)・・・。

日本ではあまり馴染みのないものもあるが、上記のほとんどのレシピが、20年前に書かれたこの本に載っている。

先日、フィリピン出身の女性に
「うちで“アドボ”を時々作るんだけど・・・。」
と言うと、とても驚いた顔をして、それから嬉しそうに、
「えっ?“アドボ”知ってるの?作れるの?」
と聞かれた。もちろん作れる。この本の中にレシピがあるのだ。
外国出身の人達と仲良くなるきっかけは、料理の話であることが多い。この本のおかげで、たいていの東南アジア人とは、話すきっかけが作れる。とても役に立つ本だ。しかもおいしい。

書いていたら“アドボ”が食べたくなった。よ~し、鶏肉を買いに行こう!


『おばあさんの村』 中野 重治

この本は岩波少年文庫の中の一冊として1957年に初版が発行されたもので、今は絶版となっているようだが、興味深い一文が載っているので紹介したい。

著者の中野重治氏はプロレタリア文学者で、共産党員だったこともある。一時期参議院議員を務めてもいた。『おばあさんの村』は童話集だが、巻末に『子供のための、少年少女のための文学について』という論文も載せている。その中に、火野葦平氏の文章を引用して、沖縄でのペリー来航100年祭の模様が書かれている。

「・・・当日、小学生を動員して、アメリカの旗を持たせようとした。日米親善の意味で、日章旗と星条旗とを交互に持たせたらしいが、小学生が日の丸を持ちたがって、どうしても星条旗を手にしない。そこで、日章旗班と星条旗班と二隊に分けたところ、星条旗組はみんな旗をすてて歩き出したという。・・・」(火野葦平「沖縄はフタカチヤの御代」からの引用)

ペリー来航は1853年だから、この100年祭は1953年のことである。当時、沖縄はまだアメリカの施政下にあり、「アメリカに抵抗する小学生」という意味で採り上げられているのだが、戦後10年も経っていない時に、戦況厳しかった沖縄の小学生が「日の丸を持ちたがって」いるのである。日の丸に嫌悪感を抱いたり、精神的苦痛を感じている様子はない。

先日、国歌・国旗を巡る東京地裁での裁判で、裁判長が
「日の丸、君が代は第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」
と述べていたことに違和感をもった。それは裁判長の歴史認識であって、「歴史的事実」ではないのではないか。そのような個人的な認識に基づいて判決を下して良いものだろうか。

私が子供の頃は、戦争を経験された先生方がまだ多くいらしたが、学校行事に日の丸を掲揚し君が代を歌うのは当たり前のことだった。音楽の時間に君が代の歌唱指導もしてくださった。
「君が代・日の丸によって精神的苦痛を感じる。」という声が聞こえはじめたのは、戦後生まれの先生が増えてきてからだ。

穿った見方をすれば、戦後生まれの人達が、君が代や日の丸を「あれは戦前・戦中のもので、自分たちとは関係ないもの」と切り捨てることで、戦争をしていた国とは別の生まれ変わった新しい国の国民になろうとしているのではないかと思ってしまう。

原爆を落とした国も、植民地から搾取を繰り返していた国も、いまだに他国への侵略をする国や、国主導での拉致を行っている国も、国歌や国旗を替えるつもりはないだろう。国策を間違った過去があったとしても、それを含めて、その国の歴史であり、その国そのものなのだから。国歌や国旗を捨てて過去をリセットできると思うのは甘すぎる。

ましてや君が代や日の丸の源を辿れば、どちらも千年の歴史があるという。60年前の一時期に、今の自分達とは切り離したい暗い出来事が有ったからと、短絡的に捨て去って良いものではないと思う。

過去の良いことも悪いことも、苦労も喜びも、みんな背負っている国旗だからこそ、どこの国も自国の国旗に敬意を表す。国歌を歌いながら、自国の過去や未来に思いを馳せる。
私が、オーストラリアの国旗に向かってオーストラリア国歌を歌う度に感動に近いものを感じるのは、この国がアボリジニ迫害や白豪主義を乗り越えて、多民族国家として発展しつつあることを知っているからだ。
日本には、オーストラリア以上の長くて豊かな歴史がある。それを背負った国歌と国旗は、本当は深い感慨を与えてくれるもののはずである。
そろそろ、沖縄で日章旗を持ちたがった小学生の素直な気持ちに立ち返ってみるべきではないだろうか。


追記
裁判長の「日の丸、君が代は第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」という言葉について私が違和感をもった理由を補足しておきます。
私の認識としては、「軍国主義」という思想のために戦う人はいないと思うので、戦時中であっても日の丸や君が代は「日本」の象徴であり「軍国主義」の象徴であったわけではないと思っています。そこが裁判長の認識とは違うので「歴史的事実」という発言に引っかかりました。「軍国主義」の象徴ではなく「日本」の象徴であったからこそ、沖縄の小学生は屈託なく日の丸を持ちたがったのではないでしょうか。




『しずくのぼうけん』 マリア・テルリコフスカ作・絵 うちだ りさこ訳

しずくのぼうけん しずくのぼうけん
マリア・テルリコフスカ、うちだ りさこ 他 (1969/08)
福音館書店
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主人が子供に「水蒸気と湯気の違いは・・・。」と言っているのを聞いて私はびっくり。「えーっ、水蒸気と湯気って違うんだ?」
そう、私は理科が大の苦手だ。だから子供達に「雨って何で降るの?」などと聞かれたら、黙ってこの本を差し出すしかない。まぁ、子供達も「お母さんに聞いても無駄だ。」と思っているから、聞かれる心配はないけれど・・・。

しずくくんは、バケツの中から飛び出した一粒の水滴。おひさまに当たって、どんどんやせながら空へのぼり、仲間と出会って雲になり、雨になってポロポロと地面に落ちる。氷になったり、水道の蛇口から飛び出したり、と冒険の旅を続ける。

しずくというものは、もともとかわいらしい形をしているけれど、とぼけたような表情と、かぼそい手足を見ると、冒険の行方がを心配してやりたくなる。

しずくくんの行方を追っていくだけで、へぇこれも水だったの?あれも水だったの?と、小さな子供にもわかるように描かれている。
「水がね・・・。」
と説明するよりも
「しずくくんがね。」
と言った方が子供の興味の持ち具合がぐっと増す。実は子供だけでなく私もだ。

科学的にわかりやすくできているのが、雲がたくさんのしずくからできていて、そのしずくがまた雨になって落ちていくところ。それから、しずくが岩の隙間で氷になると体積が増えて岩を粉々に壊してしまうところ。この絵を見た子供は「水は氷になると大きくなる。」これを一生忘れないだろう。

この本は、科学のことをわかりやすく教えてくれるだけでなく、絵が洗練されていて大人の鑑賞にも堪えるものだと思う。
線がシンプルではっきりしていて、懐かしいような感じ。
そして色遣いがすてきだ。日本の絵本に使われているのはあまり見たことがない地味に抑えた中間色は、真面目だけど温かい印象で、「科学に親しむ」というテーマに似合っている。
いろいろな国の色鉛筆やクレヨンを並べてみると、国によって採用されている色が違ったり、同じ名前の色でもトーンが違ったりするが、この絵本が描かれたポーランドの色鉛筆を見てみたくなる。

「水蒸気と湯気の違い」は残念ながらこの本を読んでもわからない。でも、この本を使って、こう説明することはできる。「しずくくんの輪郭が点線の時は水蒸気で、はっきりとした実線の時は湯気なのよ。」と、ちょっと得意気に。

『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』 岸本 英夫

死を見つめる心―ガンとたたかった十年間 死を見つめる心―ガンとたたかった十年間
岸本 英夫 (1973/03)
講談社
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私は闘病記というものがあまり好きではない。たぶん辛い話もあるだろうし、それに対して一読者である私は何もできないことが空しい。また、辛い思いや頑張っている姿に共感しているようでも、自分が同じ病気にならない限りは他人事で、興味本位で読むことになるかもしれないという嫌悪感があった。

この『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』は、闘病記でありながら個人の闘病に留まらず、現代人の生き方、死に対する考え方を教示してくれるすばらしい本であった。

著者の岸本英夫さんが繰り返し書かれているように、生への執着や死への恐怖は、死を宣告されてからでないと実感できないという。確かにそうだ。漫然と、そう簡単には死にたくないとか、子供を残して死ねない、とは思っているが、本当に死の恐怖を想像できるかと聞かれれば、全く想像できないに等しい。
死を想像できない私たちに、余命半年と宣告された人の気持ちや、その差し迫った立場から考えた死への恐怖を克服する方法を、教えてくれる。

岸本さんは宗教学者であるので、各種宗教を研究されていて、宗教の歴史や変遷、宗教のもたらすものについて、客観的によくご存じだ。その知識をもって、死への考え方や対処法を、驚くほど冷静に述べていく。時には死への恐怖の苦しみを吐露する場面もあるが、総じて研究者としての姿勢を保ち、死生について考察を重ねている。

宗教学者ではあるが、死に際に宗教に頼るのは難しいと考える岸本さんの辿り着いた先は、「よく生きる」こと。
死んでしまえば肉体はなくなる。魂が天国や浄土などの別世界へ行くというのも科学的に考えると信じられない。それに代わる第三の道として「自己に代る限りなき生命」に我が生命を託すことが、現代の死生観に合っているのではないかと説く。
例えば、芸術家であれば自分の生命にも代え難い作品をこの世に遺し、母親は子育てに粉骨砕身して子供につながる我が生命を見いだす。

一個の人間としての自分が現れるためには、その背後にいかに永い歴史がつづいていることか。生物の、人類の、民族の、無限に長い生成変化の歴史がある。その連鎖は、ほとんど無限といってもよいほどの長さを持っているが故に、その中の自分は、無にも近い極微の一点である。しかし、この一点は、極微ながら、全体の連鎖を構成する、欠くべからざる一点である。この一点を無視して、全体は成立しない。この関係に心打たれて、小さな自分も、全体を支える支柱の一本であることを感ずる場合に、自己の生命と無限につながる生命との間には、一脈の相通うものができて来る。

まずは、連鎖の中の小さいけれど必要不可欠な自分を見いだす。そして、それを永遠の生命に繋げるためには・・・

永遠の生命を把握するためには、適当なる対象を持つ必要がある。しかし、ただ単に対象が普遍的な永遠性を持っているということだけでは、未だ永遠の生命はない。自分がそれに向かって心血を注ぎ、全生命を投じ尽くすことにおいて、はじめて、対象は輝かしき生命の対象となる。そして人間の肉体的生命を超えた永遠なる生命を勝ち得るのである。

そうして、岸本さんは「仕事に心血を注ぎ、全生命を投げ尽くす」ことを実践していた。度重なる手術に耐え、体中傷だらけになりながらも、講演などのため世界を飛び回る。そこで話された内容が、宗教学の分野で、又こうした本によって一般の日本人に広められ、「岸本さんに代る限りなき生命」が人々の間に生き続けている。

この第三の道を選び、自分の生命に代わる仕事に集中していると、雑念が消え、澄み切った心境になり、永遠感、超絶感、絶対感のようなものが得られるという。「悟り」のようなものだろうか。これが第四の「永遠の生命」であり、今後はこの第三・第四の死生観が優位を占めるようになってくるだろうと予想している。

現代社会は「死」が身近になく、「死」について考える機会がないことも、岸本さんは指摘している。人間は「死」が目の前に突きつけられないと、第三の道に挙げたような生き方はできないのだろうか。
今の日本では「お金が全て」「個人の自由」「個人の権利」「今さえ楽しければいい」「先祖?見たこともないし関係ない」「子供の世話や教育より自分の生き甲斐」というような風潮が顕著だけれど、そうして生きていって、死の間際に後悔したりしないだろうか。胸を張って「よく生きた。」と言えるだろうか。

生き方は人それぞれで、自分が決めればよいことだが、何も考えずに生きて最期に失敗したと思うほど人生の無駄遣いはない。「死」を目前にした人の考えたことを知って、残りの人生の生き方を検討し直すことで、人生の無駄を減らすことができるかもしれない。
岸本英夫さんが「よく生きて」くださったおかげで、40年も経ってからでも、岸本さんの死生観を知ることができる。本当に有り難いことだ。


※自分で本選びをしたら、闘病記のジャンルに入るこの本を選ぶことはなかったでしょう。コメント欄にこの本を紹介してくださった田舎の神主さんに感謝いたします。ありがとうございました。





『おひさまパン』 エリサ クレヴェン・作絵 江國香織・訳

おひさまパン おひさまパン
エリサ クレヴェン (2003/07)
金の星社
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一冊の絵本で、こんなにも「あまくみちたりた」気持ちになることは滅多にない。

まずは凝った絵に圧倒される。色彩豊かに描かれ、コラージュが使われ、小花模様の額縁のようなものを描いた中に物語が展開されているページもある。何より動物たちの表情や佇まいは真に迫っている。

雪が続き、家の中でどんよりした気持ちになったり、とげとげとした雰囲気になっている動物たちの様子。
みんなを元気づけるために「おひさまパン」を焼こうと働き出した犬のパン屋さんの頑張る姿。そして「おひさまパン」の、何とふっくらしておいしそうなこと。
「おひさまパン」を食べる動物たちの嬉しそうな顔。
ついにおひさまが姿を現したときの動物たちのはしゃぎぶり。
その場面ごとの村や家々の姿も哀しげだったり、楽しそうだったり、きちんと描き分けられている。

何ページにもわたって、こんなに凝った絵が展開されてしまうと、絵を見ることに気を取られて、文章などどうでもよくなってしまうこともありがちだ。
ところが、江國香織さんの訳は、この絵に負けず劣らず表情が豊かで、絵とのバランスがとれている。

冒頭に拝借した「あまくみちたりた」は、動物たちが「おひさまパン」を食べた場面で、こんな風に使われている。

みんな てやら ひずめやら つばさやらを つなぎあい、
すてきなパンの もたらしたよろこびを たたえます。
くちぐちに あまくみちたりたこえで。


「あまくみちたりた」という言葉ひとつで、「おひさまパン」のおいしさや暗い日々が続いた後のちょっとした喜びがどんなに嬉しいかが伝わってくる。
しかも「て ひずめ つばさ」でなく「やら」にしたこと、「くれた」や「あたえた」でなく「もたらした」にしたことで、温かみや柔らかい感じが増している。

他にも印象深い言葉がたくさん使われていて、「ああ、こんな言い回しもあった。」とか「この場面では、これがぴったりだ。」という言葉にいくつも出会う。
私の勝手な想像だが、江國さんはこれを訳しながらずっと「ふわふわで、あたたかで、やわらかなおひさまパン」を頭に描き続けていたのではないだろうか。出てくる言葉遣いや語感に丸みがあり「おひさまパン」そのもののような感じがする。

こんな豊かな絵と豊かな言葉から作られた絵本に、もう一ついいことがついてくる。
本の裏側に「おひさまパンのつくりかた」が書いてあるのだ。
バターをたっぷり使った豊かな味わいの、おひさまが笑っている形のパンを、天板いっぱいの大きさで作ることができる。
子供達はこの絵本が大好きだが、本物のおひさまパンも同じくらい大好きだ。ある年の誕生日に「ケーキはいらないからおひさまパンを焼いて!」と言われ、ケーキの代わりにおひさまパンを焼いたこともある。

みんなで絵本を読んで、みんなでパンを焼き、みんなでそれを食べる。この一冊で、「あまくみちたりた」時を過ごせること請け合いだ。

『エーミールと大どろぼう』 リンドグレーン・作 尾崎 義・訳

エーミールと大どろぼう エーミールと大どろぼう
リンドグレーン (1981/02)
講談社
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会社を興して成功した社長さんや偉い学者さんなどのインタヴューで、子供の頃のことを「いやぁ、昔は腕白小僧でどうしようもなかったんですよ。」と仰っているのを聞くことがある。腕白小僧のエネルギーが、大人になって偉業を果たすことに振り向けられた結果だろうか。

スウェーデンの田舎に住むエーミールは、村でも有名な腕白小僧。
スープを一滴も残さずに舐め尽くしたくてスープ鉢を頭から被って抜けなくなったり、妹のイーダを国旗掲揚柱に吊したり、行ってはいけないと言われたお祭りに馬に乗って駆けつけた挙げ句、貧しい子のふりをして恵んでもらったお金で四十二回も回転木馬に乗ったり・・・。

家族がエーミールに負けず劣らずふるっている。
スープ鉢を割ろうというママの提案に、パパはこういう

「とんでもない。あのスープ鉢ばちは四クローナもしたんだ。そんなら、マリアンネルンドのお医者さんのところへいくほうがましだよ。先生なら、はちをとってくださるさ。どのみち、先生は三クローナしかおとりにならん。そしたら、わしらは、一クローナもうけたことになるよ」

実際には、この通りにはならず紆余曲折あって、パパの勘定では結果的にやはり一クローナ得したことになる。あくまで、パパの勘定でだが。

妹のイーダも強烈だ。国旗掲揚柱に宙ぶらりんになりながらこんなことを言う。

「ひっひっ、こんなおもしろいこと、はじめてよ。いつだったか、エーミールが、わたしをこけももの中につっこんでくれたけど、そのあと、はじめてよ、こんなの」
 といいました。イーダがいったのは、エーミールとインディアンごっこをしたときのことで、イーダをインディアンのように、からだを赤くしようと、こけももをいれてあった大おけの中へつっこんだ、というお話だったのです。


パパはエーミールが何かしでかすたびに、物置小屋に閉じこめる。しかし、閉じこめられたエーミールは中で木彫りの人形を作り、もう五十五個も並んでいるのだ。

こんなふうだから、村の人達は寄付金集めをはじめた。ひとり五十エーレずつ集めてお金をママのところに持ってきてこう言った。

「エーミールをアメリカにやってしまうのなら、これでお金はたりるだろう」

ママは、その申し出を喜んで受けただろうか。

 さいわいにも、ママは、そんなばかげた申し入れは、うけつけませんでした。ママは、おこって、そのふくろづつみをほうり投げましたので、お金がばらばらっと村中にちらばりました。
「エーミールは、かわいい子なんですよ。いまのままのあの子を、愛してるんです。」


子供はかわいい悪党だと誰かが書いていた。放っておけばいたずらや悪さをする。度が過ぎるときには、物置小屋に入れてお仕置きをし、しかし、いつでも変わらぬ愛情を注ぎ続けるのが親の務め。
そのバランスがうまくいくと、のびのびと成長し、チャレンジ精神や責任感、正義感をもち、人心を掴む魅力的な人間になるのかもしれない。
エーミールが、その後この村の村長になったというのは、あり得る話だと、納得できる。

作者は『やかまし村』シリーズと同じリンドグレーン。どちらもスウェーデンの田舎が舞台だが、こちらは羽目を外した笑える内容となっていて、全く違う味わいのある作品である。

親王殿下ご誕生をめぐる「花」についての三つのお話

親王殿下ご誕生をお祝いして『コノハナサクヤヒメ』の本を紹介したら、その後「花」に関する出来事が起こり、「花」に関する良い話題も見つけたので、ここに記しておきたくなった。


桜と桃 
日本が秋に入ったこの時季、オーストラリアは春の始まり。日本では丁度桜の季節くらいだろうか。
以前、あるオーストラリア人から簡単な日本語のあいさつを教えて欲しいと頼まれて、週に一回教えて差し上げた。上手に喋れるようになり9月8日が最終日となった。その日、会った途端に
「おめでとう!天皇家に男の赤ちゃんが生まれたね。(英語に敬語はないので悪しからず。)桜の花を探したけど、見つからなかったから桃の花になっちゃった。」
と大きな桃の枝を一枝差し出してくれた。予想外の出来事だったのと温かい心遣いに驚き、感激した。
「日本で周りの人達と一緒に喜びを分かち合える人はいいなぁ。」とちょっと寂しく思っていたので、本当に嬉しかった。ありがとう、レイ!

菊(chrysanthemum)
友人たちの集まりで、親王殿下ご誕生の話題になった。一人のオーストラリア人が
「chrysanthemumの椅子に座ることになると新聞に書いてあった。」
と言った。そこには、オーストラリア人三人、台湾人二人、香港人一人、イラン人一人、フィリピン人一人と私がいた。三人のオーストラリア人以外は、舌をかみそうな「chrysanthemum」が何のことかわからず「どういう意味?」「何それ?」と聞くが、オーストラリア人たちは「花の名前よ。」しか言えなかった。
菊のことだとわかった私は「そうだ!」と思い立ち、紙に大きく漢字で「菊」と書いてみた。すると三人が「ああ!」と言って大きく頷いた。台湾人と香港人の三人である。漢字が英語に勝った一瞬である。(笑)
 日本人、中国人、香港人、台湾人、そして全世界に散らばる華僑の皆さんには、漢字が通じる。海外においても、早期英語教育より、漢字をきちんと覚えておく方が役に立つこともある。残念なことに現代韓国人はこの中に入ることができない。韓国でも漢字教育を復活させてくれないだろうか?


金蓮花(きんれんか)
9月6日の誕生花は金蓮花(きんれんか)で花言葉は「愛国心」だと日々是桜さんの記事で知った。
日本では「愛国心」というと何故か「右翼だ」といって眉をひそめる人がいるけれど、その人たちにとったら、私が今まで住んだ二カ国は全国民総右翼だ。国旗は至る所に飾るし、スポーツの大会で国歌を歌えない選手は一人もいない。
よく言われるように、「愛国心」を「patriotism」と捉えるか「nationalism」と捉えるかの違いだと思うが、これまでの日本では「patriotism」さえ許されないような雰囲気があった。
またまた神懸かり的だと思われるかもしれないが、そろそろ愛国心について真剣に考えようという時期に来たのではないだろうか。「愛国心」はもう既に「nationalism」という意味合いで使われることが多いのなら、藤原正彦さんの提案していた「祖国愛」でも良い。健全な「patriotism」を持てる国になって欲しい。

『祖国とは国語』 藤原 正彦

祖国とは国語 祖国とは国語
藤原 正彦 (2005/12)
新潮社
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昨日9月8日、自民党総裁選が告示された。新しい首相には、教育改革を本格的に行って欲しい。五年前に小泉首相が所信表明演説で用いた「米百俵」の話のように、教育が今後の国の盛衰を決めると思っているからだ。5年前の演説に期待し、中山前文部科学大臣が「ゆとり教育の見直し」「ジェンダー教育の見直し」を唱えたときには、明るい光が見えた気がした。ところが現在の小坂文部科学大臣の下では「ゆとり教育の継続」「小学校での英語教育義務化」「公立塾の設立」などが打ち出され、また違う方向へ進んでいるような気がする。

藤原正彦さんの『祖国とは国語』の帯にある「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」は、斉藤孝さんの言葉だ。斉藤孝さんといえば『声に出して読みたい日本語』などの著書があり、キャッチコピーの上手な方だという印象があったから、この言葉も「目を引くうまいコピーを考えたものだ。」と思いながら読み始めた。

この本は大きく分けて、三部構成になっている。一部は教育について、二部には家族にまつわる愉快なエッセイ、三部はご自身の生誕地である満州への再訪記である。それぞれ全く違った味わいがあり、たいへん面白いが、教育についての話題は、新内閣誕生直前というタイミングと、我が家にとって切実な問題であることから、最も真剣に読んだ。そして読んでいる間中頷いてばかりだった。

国語の重要性、英語熱への疑問、数学を面白くなくしている理由など、さまざまな教科、教育全般に対するご意見が書かれている。
数学者であるので数字を用いた現状分析を踏まえて、非常に説得力のある提言をされる一方、日本の情緒を大切にしようという「心」も感じられる。そして、時折表れるユーモアはイギリス仕込みだろうか、皮肉が効いていて、ご自身の主張を力強く補完している。
国語や祖国のことをきちんと学ぶべきで、英語教育に無駄な労力を割くべきではないということを表現した例を、私は人目のある中で読んでいたのだが、思わず吹き出してしまった。

実際最近の若者の英語力向上は目覚ましく、外国人と平気で話すものも多い。一昔前の日本人が黙って微笑していたのとは大分違う。もっとも内容の方はむしろ下降しているから、かつては「何か深いものを内に秘めている」とせっかく外国人に思われていたのに、今では深いものなど何もないことがすっかりばれてしまった。内容のない日本人が世界のあちこちで得意の日本語をしゃべりまくり軽薄を露呈することは、国益に反するとさえ言えよう。

ここで吹き出し、それから我が身を振り返りほっとした。「あぁ、私は内容も心許ないが、それを上回るような英会話力が無くて良かった。どうやら国益に反さずにすんでいるらしい。」と。

また教科書が薄いという指摘にも頷いた。
我が子たちは、オーストラリアとはカリキュラムが違うため、日本の教育課程に準じた勉強は家で行っている。当初、教科書を使って勉強をする予定だったが、始めてすぐに不可能だとわかり、別の教材を探したり、手作りの教材を用意するようになった。
なぜなら、教科書が薄い上に「みんなで話し合ってみよう!」「発表してみよう!」「(町の人などに)たずねてみよう!」などというページがやけに多く、同級生もなく一人で勉強する我が子たちには全く適していないことがわかったからだ。また算数の問題や漢字などの繰り返して練習するものは、薄い教科書では子供達が学習内容を習得するだけの練習量が用意されていない。工夫して使おうとしても、手間がかかるばかりだというのが、主人と私の結論だった。

その他、理数離れの原因は我慢力の不足だとか、大局観を得るには論理より情緒が必要だという発想にも、大いに共感した。

読み終わってみると、私もやはり「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」と思っているのだった。

『コノハナサクヤヒメ』 西野綾子・文 阿部 肇・絵

コノハナサクヤヒメ コノハナサクヤヒメ
阿部 肇、西野 綾子 他 (1989/08)
ひくまの出版
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秋篠宮家に親王殿下がお生まれになった。紀子妃殿下のご懐妊のニュースを聞いたときも、お生まれになったのが親王(男の子)だと聞いたときも、神様の贈り物かもしれないと思った。

神様が地上に降りてこられた時のお話が、子供にもわかりやすく、おもしろく読めるように書いてあるのがこの『コノハナサクヤヒメ』である。
天照大神の孫ニニギが、天照大神から三種の神器を授かり、地上を治めるように命ぜられるところから始まり、美しいコノハナサクヤヒメに出会い、そして三人の子供が誕生するところまでが描かれている。

この本は、天孫降臨の概要を教えてくれるだけでなく、神話とは、こんなに面白いものだったのか、と気づかせてもくれる。

まず、登場人物の名前が「コノハナサクヤヒメ」(この花咲くや姫?)「オモイカネ」(重い金?)「タジカラオ」(男という文字?)など、その意味を想像できるような言葉で、神話=難解というイメージを払拭してくれる。(※本当の意味は追記部分↓田舎の神主さんの解説をご覧ください。)

それから、地上を案内するサルタヒコと天から遣わされたアメノウズメのやりとりは抱腹ものである。神話を読んで、こんなに笑うことがあるとは思わなかった。この二人は神話の世界では三枚目を仰せつかっているのだろう。アメノウズメは、天照大神が岩戸へお隠れになったときに、おかしな踊りをして神々の笑いを誘った女神だから、三枚目的な役割なのだとは思っていたが、天孫降臨の場面にも登場していたとは、かなりの人気者だ。

この本の表紙を見るとマンガ的で、神様のお話なのにちょっとふざけすぎていないか?と思ったのは一瞬のこと。読んでみれば、神様達もふざけることがあるのだということがよくわかった。サルタヒコはサメとにらめっこや競争をするし、アメノウズメはここでも半裸でおかしな踊りをしたり、サルタヒコをおだてて魚を捕らせたりしている。

人間的なのは、ニニギも同じ。美しいコノハナサクヤヒメと姉の丈夫だが美しくはないイワナガヒメを差し出され、コノハナサクヤヒメだけを選んだのだ。その上コノハナサクヤヒメが出産する際に「自分の子かどうか、どうしたらわかるのか?」などと尋ねている。コノハナサクヤヒメは

「天の国からきた あなたの子どもなら、火の中でも
ぶじに うまれてくることでしょう。」


と言って自ら、火の燃えさかる中で出産をし、三人の子どもを抱えて出てくる。

「あんしんしてください。この子たちは、火の ちからで 
まもられて 生まれたので、きっと じょうぶに 長く
生きるでしょう。」


今この場面を読み返すと、紀子妃殿下が皇室典範論議で国中の注目を浴びられても、「部分前置胎盤」と診断されても、落ち着きを失われることなく、お元気な親王殿下をご出産されたことと重なる。

今日誕生した新しい命が「じょうぶに長く」続きますように・・・。

※追記
神話の専門家でいらっしゃる「田舎の神主さん」から解説を頂きましたので、こちらに転記させて頂きます。
因みにオモイカネ(=思金神=知恵の神)は高御産巣日神の御子であり、タヂカラヲ(=手力男神)は力持ちの神、コノハナサクヤヒメ(=木花之佐久夜毘売)は現在は浅間神社の御祭神で富士山の神様でもあります。
神主さん、どうもありがとうございました。

※天の国の神様のことから知りたい方は、『にっぽんのかみさまのおはなし』をどうぞ。こちらにもコノハナサクヤヒメは登場しますが、サルタヒコとアメノウズメのやりとりは書かれていません。

『バムとケロのおかいもの』 島田 ゆか

バムとケロのおかいもの バムとケロのおかいもの
島田 ゆか (1999/02)
文溪堂
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『バムとケロ』シリーズは、どれも楽しくて甲乙付けがたいのだが、私は市場好きだから、これを真っ先に採り上げよう。

バムとケロが週に一度のお買い物に行く。台所用品屋さん、生地とボタン屋さん、やおやさん、骨董屋さん。青空市場のお店はどこもカラフルで素敵なものが並んでいて、とても魅力的。

よくよく見ると、ちょっと変なものがあるのが、バムとケロの世界の特徴だ。ケロちゃんをモチーフにした大口キャラクターのプリントされた布地とか、売り物の野菜を囓ってばかりのやおやのウサギとか、売り物は全部ほっぺたにしまい込んでいるハムスターとか・・・。

それらは物語の主要素材だが、おもしろいことはまだまだ別なところにも見つけられる。バムとケロがお昼を食べるテーブルの下で、ミニミニサイズの生き物がミニミニサイズのテーブルの上でミニミニサイズの食べ物と飲み物を堪能している。向こうのお店から、ミニミニサイズのワンちゃんがソフトクリームを買って運んでくる。頭に載せて。あっ、転んだ。

市場のあちこちで、それぞれの生き物たちがお買い物を楽しんでいる様子が散りばめられている。ある時、この生き物たちにもそれぞれ名前や特技や職業があることを、同じ作者の別のシリーズで知り、バムとケロの世界は無限に広がっているのだと嬉しくなった。

お話を読むだけなら、ほんの5分もあれば終わってしまう絵本が、絵をひとつひとつ見ていくと、20分も30分も楽しめる。『ミッケ!』や『ウォーリーをさがせ!』のように、探すものが決められていないところも良い。どこに何が隠されているかわからないワクワク感を持って見ることができる。

作者の島田ゆかさんは、きっとサービス精神旺盛で、楽しいことと可愛いものが大好きなんだろうなぁ、と勝手に想像している。それに、絵が上手なだけでなく、企画力のある人だ。経歴をみるとパッケージデザインの仕事をされていたと書いてある。商業デザインは顧客の満足あっての仕事だから、読者の楽しみというものに敏感なのかもしれない。
今度はどんな仕掛けで驚かせてくれるのかな?今から次作が楽しみだ。

『台湾の主張』 李 登輝  ~『大地の咆哮』の補足として~

台湾の主張 台湾の主張
李 登輝 (1999/06)
PHP研究所
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『大地の咆哮』を読みながら、ずっとこの本を思い出していた。中国の農業政策の失敗、無計画なダム建設による水不足・・・李登輝氏が台湾の農業復興に力をいれて、台湾の急発展に繋がったのとまるで正反対である。

この本を読んだのは、ずいぶん前だから細かいことは忘れてしまったが、李登輝氏の業績として印象深いことは二つある。

一つは、日本統治下の台湾で教育を受けた本省人であるにもかかわらず、台湾の将来を考え、国民党に身を投じて国民党内部から民主化を推し進めたことだ。外省人対本省人という図式にこだわっていれば、今でも国民党が中国寄りの政策を押しつける政治体制のままだったかもしれない。もしくは、平和的でない手段で民主化が行われていたかもしれない。目的のためには信条を異にする組織にも入り込み「私」の好みよりも「公」の務めを優先するというのは、真の愛国者であり、とても優秀な政治家でなければできないことだ。

もう一つは、農業の復興である。李登輝氏は農業博士という肩書きも持つ。ご自身の専門知識を駆使して、農業政策の重要性を説き、実際に農業改革を進めてきた。そしてその成功が、国に活力を生み出した。

台湾の発展と民主化には、国作り、土地作りに対するしっかりとした思想と緻密な計画が大きな役割を果たしていたのだ。

中国で農業や治水に問題が起こっているのは、こうした思想もなく、場当たり的に政策を打ち出しているからのように思う。「計画経済」などといいながら、具体的な政策になると長期的な計画性がなかったり、計画に狂いが出て修正が困難になる。やはり、人間の頭で考えた理想的な社会を一から作るなどというのは無謀な話なのだ。まずは現状を把握して、強みは生かし、弱点を改善していくという形が、現実的なのだと思う。台湾では、それが行われた。そこが、失敗と成功の分かれ目だったのではないだろうか。

台湾でのダム・灌漑用水建設に生涯を捧げた八田與一氏のことを、李登輝氏は高く評価している。嘉南平野の生産性を高めたことだけでなく、農業にも思想や計画性や技術が必要だということを後世の台湾に遺したことも、功績の中に数えられているだろう。
中国にも八田與一氏や李登輝氏のような、農業に明るい指導者が出てくればよいが、農業従事者と都市生活者の戸籍が明確に分けられ、戸籍の異動も困難だという社会では、当分無理かもしれないと感じた。

『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』 杉本信行

大地の咆哮 元上海総領事が見た中国 大地の咆哮 元上海総領事が見た中国
杉本 信行 (2006/06/22)
PHP研究所
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なんと皮肉なことだろう。アジア随一の資本主義国日本は中流家庭が多く、世界で一番社会主義に近い国だと言われるのに対し、強力に社会主義を推し進めた中国は貧富の差が激しく、その格差は広がる一方だなんて。

本を読んで外務官僚を見直したのは、これで二度目だ。一度は佐藤優氏の『国家の罠』を読んだとき。日本の外務省にもこんなに骨のある人がいるのだなぁと感心した。そして今回。チャイナスクールの官僚でも中国礼賛ではなく、きちんとした現状分析をし国益を考えた戦略を練っている人がいるのだと驚いた。こうした本を読んでいると、私たちの目には触れていないだけで外務省には優秀な方がまだまだいるのだろうと、希望が沸いてくる。

杉本氏は外務省に入ってすぐに中国語研修を命ぜられる。望んだわけではなかったがチャイナスクールの一員となることが決まった。時は文化大革命のまっただ中。語学研修に行っているはずなのに、文革のスローガンの一つである「農民から学べ」に基づき、農作業をさせられたりしている。そんな時代の中国を体験しているからか、杉本氏の中国を見る目は冷静でかつ弱者に優しい。

中国に幻想を抱いてはいないが、日本が救いの手を差し伸べるべきだというのが、杉本氏の主張だ。今のままでは中国が北朝鮮化してしまう。日本は自国の防衛のために中国を崩壊させてはならないという発想だ。その為には中国の抱える問題点を国際社会に明らかにしていくことで、中国内部からの改革を促そうという筋書きも提案している。中国の問題点は、中国自身が認識していないことも多いそうだ。そんな観点からチャイナウォッチングを続けてきた著者は、中国が自助努力で発展できない事情をいくつも示している。深刻な水不足の問題、農業の衰退と農民の貧困、役人が過剰でかつ彼らが私利私欲で動いていること・・・挙げればきりがなく、どこから手を付けるのだろうと途方に暮れる。

当然、日本が知っておくべき中国事情も書かれている。胡錦涛国家主席が靖国参拝反対にこだわるのは同姓の胡耀邦元国家主席に関係している、上海の高層ビルは中国の急成長を象徴しているように思われるが実はあれらのビルは・・・など、興味深い話が盛りだくさんである。

2004年に上海領事館の館員が自殺し、その裏に中国公安当局の関与を察知したとき、即座に中国外務省に抗議するとともに日本政府に早急な対応を求めた領事が杉本氏である。中国の実情をよく知りながら、日本の国益を第一に行動する立派な外交官だ。
しかし残念なことに杉本氏は、今月8月3日に病気のため亡くなってしまった。
「私の場合は、『変なことを書くと嫌われる』という心配はない。中国の目を気にすることはないという客観情勢(末期がん)がある」(産経新聞8月3日おくやみ記事より)という思いで、この本を執筆されたのだという。ということは、裏を返せば、現役の外交官はやはり中国の目を気にしながらの執務になるということだろうか。
杉本氏には、自分の把握している中国のことを遺し伝え、外交や経済活動の方向性を誤らないで欲しいという願いもあったのではないだろうか。今後の政治家、外交官、経済人はその願いを無にせず、中国の問題を直視し、中国の目よりも日本の国益を優先して、事に当たって欲しい。


※中国とは対照的に、農業政策の成功が国の発展に結びついた台湾について、記事を書きました。→『台湾の主張』

※戦後中国の歩み、文化大革命の恐ろしさを知りたい方にはこちらもお勧めです。↓
   

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