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『ピリカコタン―北の大地からのラブレター』 中井貴恵

ピリカコタン―北の大地からのラブレター ピリカコタン―北の大地からのラブレター
中井 貴恵 (2000/04)
角川書店
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私が東京から北海道に行くことになったと聞いて祖母は泣いた。「もう会えなくなっちゃうのね。」東京生まれの東京育ち。旅行をすることもほとんどなく、他の地方を全く知らない祖母には、北海道は外国のように思えたのだろう。

母も言った。「知り合いのお嬢さんがね、北海道にお嫁に行って寒すぎて病気になって亡くなったんですって。」(←本当だろうか???)

私は私で別の不安を抱えていた。「地方はよそ者をなかなか受け入れてくれないというけれど大丈夫かしら?」

この本の著者、中井貴恵さん(女優・中井貴一さんのお姉さま)も東京育ち。不安を抱えて北海道に渡る。しかし、待っていたのは親切な隣人達や、子供達が活き活き出来る場所、雪だってクリスマスには絶好の演出材料になる。中井さんの人柄や行動力のおかげもあるだろうが、北海道には人を温かく受け入れてくれる土壌があるのだと思う。

私がこの本で好きな場面はクリスマス。夢があって、遊び心のある大人達がいて、そして子供達の喜ぶ姿。外国の映画を観ているような気になってくる。

挿絵がまた美しく本の内容にぴったりと合っている。

さて私たち一家も数年間を北海道で過ごした。オーストラリアに来てから子供達は冬にそり遊びやスケートが出来なくてつまらないと嘆き、日本に帰った折りにもわざわざ北海道まで足を伸ばす。しかも有り難いことに「うちに泊まればいいしょ。」と言ってくださるお宅がいくつもあってホテルなどを取ることもない。風邪をひいたと言えばはるばる北海道から薬を送ってくれる友がいる。私は普段子供を叱る時などに北海道弁が出てしまう。

北海道に嫁いだり転勤することが決まり不安を抱いている人がいたら、この本を贈ってあげたい。「北海道はきっとあなたを待っているよ。」という言葉を添えて。
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『南十字星に抱かれて―凛として死んだBC級戦犯の「遺言」』 福冨 健一

南十字星に抱かれて―凛として死んだBC級戦犯の「遺言」 南十字星に抱かれて―凛として死んだBC級戦犯の「遺言」
福冨 健一 (2005/07)
講談社
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《弁護団は無実だと確信した。》

《伝聞・憶測・プロパガンダ映画までもが証拠として採用された。》

《裁判官に法律の専門家は一人もいなかった。》

《裁判を傍聴した新聞社・通信社の記者12人全員が絞首刑に「ノー」と答えた。》


《それでも彼は絞首刑に処された。》

こんな映画の予告編のテロップが思い浮かぶような理不尽な裁判。これが、BC級戦犯と呼ばれる人たちを大量に作り出した、正式には「裁判」とは言い難い儀式の始まりだった。シンガポールを陥落させた山下奉文大将(陥落当時は中将)のこの裁判では、起訴状に具体的な犯罪が一切書かれておらず、伝聞などの「あらゆる」ものが証拠として採用され、弁護団の要求は却下され続けた。この裁判は無効だとマーフィー判事とラトレッジ判事は、アメリカ連邦最高裁判所に控訴するが、受け入れられない。その後、同じような儀式によって、五千人以上の日本人が戦犯として裁かれることになる。

この荒唐無稽な裁判の規程は、マッカーサーの自己正当化のために作られたのではないかというのだから、日本はずいぶん馬鹿にされたものだ。フィリピンで本間中将率いる日本軍に迫られ、指揮権を持っていたマッカーサーは部下を置き去りにして自分だけが逃亡してしまう。本来なら、アメリカの軍法会議にかけられるところだが、本間中将を戦犯として裁き、極悪非道な敵将だと印象づけることで、自己保身を図ったようだ。回顧録などでも、事実に反する証言で自分の正当性を主張している。

占領下の日本でも、このマッカーサーを中心としたGHQによって、史実を歪曲した太平洋戦争史観が広められた。「軍閥が日本を戦争に導き国民は犠牲になった。」「日本軍は残虐だった。」というものだ。その為、戦犯とされた方やその遺族達は、日本人からも冷たい処遇を受けることになる。日本国民がGHQの編纂した『太平洋戦争史』ではなく、マーフィー判事とラトレッジ判事の裁判反対意見書を読んでいたら、戦後の日本はだいぶ違うものになっていただろう。それも良い方向に。

著者は『太平洋戦争史』に見られる唯物史観を批判する。つまり大前提となる原理を立ててそこに歴史を当てはめていくやり方ではいけない、具体的事実をひとつひとつ検証していかねばならないという。この著書では、まさしく事実を膨大な資料から検証している。

そして事実の検証の重要性以外に、もう一つ大事なことを教えてくれている。むしろ著者としては、後者の方に重きを置いているのかもしれない。それは、戦犯とされた方々の態度や遺書には、本来日本人が持っていた大切なものが感じられるということ。そのことに気づき、学び、引き継いでゆかねばならないということ。
最終章に、南十字星のもとで書かれた後藤青年の遺書が採り上げられている。これを読んで心を動かされない日本人はいないのではないかと思う。ここに書かれている清さ、家族愛、祖国愛には心を打たれる。著者はこう言う。

華美な風俗だけが跋扈する平成元禄の中、後藤青年の遺書は、これを突き崩すパトス(激情)をもっているように思えてならない。この後藤青年の想いもしくは情念を何とか我々の子どもたちに伝えることはできないであろうか。

全く同感である。この遺書を読んだだけで、その後の生き方が違ってくるかもしれない。それ程までに訴えかけてくるものがある。

靖国参拝を政争の具にして軽々しく「戦犯」「戦犯」と口にする政治家達。彼らは、この本に書かれているような事実を知らないのだろうか?それとも心を無くしてしまったのだろうか?


※読後すぐに記事を書いたので多分にエモーショナルな内容になっています。冷静な書評をご覧になりたい方はVIVAさんの記事をどうぞ。(←人に頼るな!)

『ノンタンことば絵事典』

ノンタンことば絵事典 ノンタンことば絵事典
牧童社 (1996/07)
偕成社
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二人目の赤ちゃんが生まれることになると、保健婦さんや育児書などは盛んにこういう忠告をしてくれる。
「赤ちゃんが生まれても上の子をいっぱい構ってあげなさい。ヤキモチを焼くからね。」
その言葉を真に受けて、上の子にはたくさん本を読んでやった。おかげで上の子は大の本好きになった。しかし下の子は、いつでも難しすぎる本ばかりを読み聞かされて、訳の解らない時間を過ごしていたのかも知れない。ちっとも本が好きな子にはならなかった。物語を追うのが苦手なのだ。

ところが少し大きくなると、事典ならば本を開いて眺めているのが好きなことがわかった。そのうちの一つに、この『ノンタンことば絵事典』がある。子供が言葉に興味を持つきっかけを作ってくれるような楽しい事典だ。
どんなつくりになっているかというと、あいうえお順に言葉が並び、例文と絵で説明してある。言葉の意味は書かれていない。例えば

【きたない】どろんこ どろだらけ きたないよ-!
そして、ノンタン達が砂場で泥だらけになっている絵。

小さい子は語彙が少なく意味を言葉で説明してもわからないので、これは良い作戦だ。しかし、これだけでは子供にとって充分に魅力的とは言えない。子供がこの本を好きなのは、遊べるページがたくさんあること。

【ちかい】くまくんの いえに いくには どのみちが ちかいかな?そして、くまくんの家に向かう三本の道。ジクザグ道、まっすぐ道、ぐるぐる道。クイズのように子供自身が答えるようになっている。

【だいどころ と たべもの】は、見開き1ページを全部使って、台所と食卓にた~くさんのご馳走。それも子供に人気のメニューばかりが並んでいる。カレー、すし、ぎょうざ、おにぎり、おでん、とんかつ、ハンバーグ、アイスクリーム、ホットケーキ、おだんご、ドーナツ・・・それらすべての絵に仮名が振ってある。

どのページを開いても子供の好きそうな仕掛けが出てくる。パラパラとめくって、好きなページで遊んでいるうちに、語彙や読める平仮名が増えてくる。そして、そのうち物語風の本も読めるようになってくる。ノンタンのおかげである。

最近このノンタンを意外なところで目にした。靖国神社のみたま祭りを紹介したブログに、ノンタンとその仲間達が笑顔で飛び出してくるような絵があったのだ。ノンタンを描かれている清野幸子さんの献灯である。小さな子供を残して亡くなられた方々の魂がこの絵に慰められますように・・・。

『韓国は不思議な隣人』 黒田勝弘

韓国は不思議な隣人 韓国は不思議な隣人
黒田 勝弘 (2005/07)
産経新聞出版
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日本から離れて限られた情報の中にいると、韓国についての日本の世論は真っ二つに分かれているように見える。「韓流」と「嫌韓流」だ。私も「韓流」の先駆けとなった『冬のソナタ』を観てみた。それなりに楽しみ、人気が出るのもわかったが、やはり日本の質の良いドラマから比べると不自然さがあったりして、続けて韓国ドラマを観ようという気にはなれなかった。また『嫌韓流』を読んでみた。韓国政府の日本に対する態度や国際社会で責任を果たしていないいい加減さに呆れたが、それで「韓国人は!」「在日は!」と一括りにして何でもかんでも非難する向きには同調する気にならない。

私がオーストラリアで出会った韓国人を数えてみたら11人。そのうち約三分の二の人たちは、私が日本人だと知ると親しげになったり親切にしてくれた。日本が大好きと公言する人も二人いて、そのうち同年代の女性とは親しく付き合うようになった。唯一人、李将軍の末裔だと自称する男性が一度「日帝36年!」と仰ったことがあるが、それも同席したもう一人の韓国人に「そんなこと言うな。」とたしなめられていた。そしてその末裔さんが「“いろはにほへと”の意味を知っているぞ。」などと自慢なさるのだから、訳が解らない。
「韓国人は悪い人たちじゃなさそうだけど、韓国という国はちょっとおかしい。」というのが私の印象だ。

黒田勝弘さんは産経新聞の記者で、在韓歴通算20年。韓国ウォッチングの大御所である。韓国の歴史にも詳しく、これまでの日韓関係や韓国の歴代政権の方針もずっとご覧になっている。そして時々新聞に「韓国人に間違えられて・・・。」などと書いていらっしゃるので、おそらく韓国語も流暢で韓国人の方と直接お話をなさる機会も多いのであろう。

そんな黒田さんの韓国を見る目は温かい。政府がおかしな政策を打ち立てても「あ~あ、またこんな不思議なことやっちゃって。常識を疑われるぞ!」と、まるで叔父が甥っ子のいたずらを叱るような感じなのだ。
だからといって、韓国政府に迎合した文章を書かれているわけではない。情報は豊富で韓国政府が隠したがるようなことが躊躇なく書かれ、分析は鋭くしばしば予想が的中する。

北朝鮮のミサイル発射後、韓国の不思議さはますます募っている。ミサイルを撃ったのは北朝鮮なのにアメリカや日本を非難して北朝鮮を庇ったり、そんな努力も空しく北朝鮮からは「北朝鮮の人民が飢え死にしそうなのは韓国の責任だ。」などと言われてしまっている。
こんなことも、黒田さんにとっては予想内の出来事なのであろう。

北朝鮮が韓国を軽く見ているのは、韓国が国家として毅然としていないからだ。

 韓国政府がなぜ北朝鮮に弱いのか、その原因の一つが一期五年の政権の業績意識だ。在任中にこれまで誰もできなかったことを業績として残そうと無理をする。「南北関係改善」がそれだが、相手があるため功をあせると相手に引きずられる。

そして政府の北朝鮮への対応を強く非難するマスコミもあり、「こんな時は冷静で真っ当な意見を書くのに、なぜ日本のことについては真実よりも感情に寄った反日報道をするのか?」と不思議に思うが、その不思議についても黒田さんは、こんな答えを用意してくださっている。

 韓国で最も古く、日本統治時代から存在した新聞はこの両紙(「朝鮮日報」「東亜日報」)しかない。ところが近年、韓国社会の左傾化や親・北朝鮮化、さらには革新政権との対立などで両紙は政権や左サイド、親・北朝鮮勢力などから目の敵にされ、その非難の一環として日本統治時代(韓国では日帝というが)の“親日前科”を繰り返し突かれているのだ。
 その結果、「民族の代表紙」といってきた両紙としては、過去への弁明として、より民族的で愛国的な紙面を作らざるを得ない。とくに問題が日本となると、ことさら気張って見せなければならない。そうすることによって“前科”をすすごうとするのだ。


この本を読み終わった時に、新たに沸いてきた不思議がある。それは、これほどまでに韓国を理解し、韓国のためになる忠告をしてくれている黒田勝弘さん及び産経新聞を、なぜ韓国が「日本の極右新聞」と呼び忌み嫌うかである。上辺だけの同調でなく、こんなに愛情を込めて韓国報道をしている日本の新聞は他にはないと感じるのだが、それに気づかない韓国は、今後も国際社会での立ち回りに苦労するのではないだろうか?

『うみぼうやとうみぼうず』 長新太・絵 山下明生・作

うみぼうやとうみぼうず うみぼうやとうみぼうず / 長 新太、山下 明生 他

題名も奇抜だけど絵も奇抜!絵も奇抜だけどストーリーも奇抜!

主人公は「うみぼうや」。お父さんの「うみぼうず」はひしゃくで船を沈めてまわるのが仕事。お母さんの「うみにょうぼ」は海に沈んだ生き物の魂を壺に詰めて漬け物にするのが仕事。
こんなコワ~イ両親を持ったうみぼうやだから、わんぱくぶりは半端じゃない。タコがヘロヘロになるまで投げ飛ばしたり、イルカがバテバテになるまでこき使ったり・・・。

そんなうみぼうやが雲に閉じこめられた。酷い目にあっていた海の生き物たちは喜んだでしょうか?恐ろしい魔物のお父さんはどうしたでしょうか?ここから先、彼らのしたことは?

笑って、笑って、最後はちょっとほのぼのとして、この本に出会ったことが嬉しくなる。

子供達の本を選ぶ眼には驚かされる。私が手に取ることもしないだろう本を「欲しい。」と言い、読んでみると非常におもしろかったり飽きない本だったりすることが間々ある。
古本屋さんでこの本を見つけて「欲しい。」と言った我が子に感謝!






『シンプルスタイルのチーズケーキ―かんたんでおいしいレシピ36』 石橋 かおり  

シンプルスタイルのチーズケーキ―かんたんでおいしいレシピ36 シンプルスタイルのチーズケーキ―かんたんでおいしいレシピ36
石橋 かおり (1998/06)
雄鶏社
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この辺りの家は裏庭が広く、果物の木を育てている人も多い。二ヶ月ほど前からはレモンの時季になり、何人もの友人からレモンを頂く。蜂蜜漬けを作ったり、自家製レモネードにしたり、ドレッシングに使ったり、こんなにレモンを贅沢に使うなんて、日本では考えられないことだ。

オーストラリアのケーキはアイシング(砂糖衣)がかかった甘すぎるものが多く、うちの子供達はいっさい手を出さない。ケーキを食べたくなったら家で作るしかないのだ。頻繁に作るとなるとシンプルなケーキが一番。レモンの時季にはチーズケーキの登場回数が多くなる。

この本には、いろいろなタイプのチーズケーキが載っている。ベイクド、レア、パイ、タルト、シフォンケーキ・・・とケーキのタイプも様々なら、材料のチーズの方もオーソドックスなクリームチーズやカッテージチーズから、カマンベール、モッツァレラ、ゴーダチーズ、ブリーまで。それらを使って見事においしそうなケーキに仕上げてあるので、いつもどれを作ろうかと迷ってしまう。

先日は子供達がカレーを作ってくれたので、私は一番さっぱりとしたヨーグルトチーズケーキを作ることにした。レモンはレシピの倍量入れた。香りづけのため皮のすり下ろしもたっぷりと。

夕食後、チーズケーキを食べて驚いた。日本の香りがしたのだ。頂いたレモンは、近くに柚子の木でもあって交配したのであろうか?見かけはレモンだったが味と香りはまさしく柚子だった。

一瞬にして母を思い出す。白菜の塩漬け、イカの塩辛、鶏のつくね鍋・・・母の作る料理には柚子がよく使われていた。母は料理が好きで何でも手作りをしてくれた。だから「お袋の味」は何かと問われても、一つに絞ることが出来ないでいた。でも、これからは「柚子料理」と答えることにしようか。

そんなことを考えながらチーズケーキを食べていると我が子が言った。「ケーキはお母さんが作ったのが一番おいしいね。」
子供達の「お袋の味」はケーキになるのだろうか?

『マキアヴェッリ語録』 塩野七生

マキアヴェッリ語録 マキアヴェッリ語録
塩野 七生 (1992/11)
新潮社
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「自らの安全を自らの力によって守る意志をもたない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。
 なぜなら、自ら守るという力量によらずに、運にのみ頼るということになるからである。」

これはまるで、隣国のミサイル発射があっても「防衛力強化について語ってはいけない。」などと言う政治家に対して誰かが諭した言葉のようである。本当のところ、諭しているのはマキアヴェッリ。書かれたのは16世紀である。

塩野七生さんは、マキアヴェッリのいくつかの著書から抜粋して訳す、という形でこの本を書き上げている。要約や解説は一切無い。その意図として、マキアヴェッリの思想を誰かのフィルターを通すことなく紹介し、時代を超えた普遍性を伝えたいと、書かれている。
その意図は成功していると私は思う。

難解そうな本には食指が伸びない私は、『君主論』などという題名のものを読むなんて考えたこともなかった。しかし、塩野さんの歴史小説『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』『わが友マキアヴェッリ』を読んだら、マキアヴェッリの思想に俄然興味が沸いてきたのだ。
世間ではマキアヴェッリズムといったら極悪非道の代名詞のように言われているのに、なぜ塩野さんはその実践者であるチェーザレ・ボルジアに惚れ込んだのか、そしてマキアヴェッリを「わが友」と呼ぶに至ったのか、それを知るにはマキアヴェッリの思想を理解することが必要だった。

そんな読者の心理を予想してか、小説なら読むが「論」はちょっと・・・という者にも読みやすいマキアヴェッリ語録を作ってくださった。
・抜粋だからひとつひとつの「論」が短い。
・現代日本人には註がないと理解できないような例証は取り払ってある。
・小説家ならではの活き活きとした日本語訳。
これなら私でも読める。そしてとてもわかりやすい。

マキアヴェッリが諭す対象は政治家だけではない。私たち国民には、こんな一文も残してくれている。

「国家が秩序を保ち、国民一人一人が自由を享受するには、清貧が最も有効だ。-中略-
 清貧を尊ぶ気風が、国家や都市やすべての共同体に栄誉を与えたのに反して、富追求の暴走は、それらの衰退に役立っただけなのであった。」

マキアヴェッリは数百年にわたって栄華を誇ったフィレンツェ共和国の衰退期に生きた思想家である。日本が衰退に向かわないために何をすべきかを考えるのに、マキアヴェッリの思想が役立つのではないかと感じている。





『だれも知らない小さな国』 佐藤 さとる

だれも知らない小さな国 だれも知らない小さな国
佐藤 さとる (1980/01)
講談社
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ファンタジーは苦手である。子供の頃から純粋な心が欠けていたのか、どうしても嘘っぽく思えて本の中に入っていけない。それなのに、日本の児童文学の中で最も好きな作品は、ファンタジーの傑作と呼ばれる『誰も知らない小さな国』なのである。

佐藤さとるさんの作品はどれもそうだが嘘っぽくない。やかんやポストは人が見ていなければしゃべり出しそうな顔をしているし、散歩途中の坂道から見下ろすと遠くに浮かぶ秘密の島が見えてきそうな気がする。

『誰も知らない小さな国』の小人たちだって、あれだけ人間に見つからない工夫をしていれば、私が見たことがないのは当たり前だ。本当はいるのだけれど・・・。ものすごくすばしっこくて、何を言っているのかわからないくらい早口で、雨の日や人の近くに来る時はアマガエルそっくりな合羽を着ているそうだから、そばまで来ていても気づかない。その上彼らは悪巧みをする人間を懲らしめたりするから、『小さな国』のある小山は人間から恐れられ近寄る人も少ない。普通の人には見る機会がないのだ。本当はいるのだけれど・・・。

そう信じていたから、すぐに本の中に入り込んだ。そして夢中になって読んだ。何度も何度も。
もう一つ好きだった小人の話『床下の小人たち』とは違う何かを感じていた。もしも私の前に現れるとしたら、床下のアリエッティではなく、『小さな国』のハギノヒメだと確信していた。
当時はなぜだかわからなかったが、今ならその理由がはっきりわかる。

それは私が日本人だから。

『小さな国』が日本のどこかだというだけではない。小人たちの名前は男なら「植物の名前+ヒコ」、女は「植物の名前+ヒメ」と決まっている。先祖はオオクニヌシノミコトの友達であるスクナヒコナノミコト。人間が自然や道理に逆らうことをすればバチが当たるように仕向ける。小人達から信頼できる人間への贈り物は鏡や剣。この『小さな国』にも日本の神様の系譜やしきたりが脈々と流れているのだ。

またアリエッティたちが家族だけでひっそりと暮らし、よその家族のうわさ話ばかりしているのに対して、『小さな国』は長老の世話役が重要な決定を下し、若者が実行部隊となって走り回る。信頼できる人間の力を借りてまずやったことは学校教育だった。個人主義のイギリスと、和を重んじる日本とのコントラストが見事に出ている。

小さい頃はこんなことを考えながら読んでいたわけではない。けれども、ファンタジーを苦手とする私が「こんな小人たちがきっといる。」と強く信じられたのは、日本的なものが色濃く描き出されていたからに違いない。

     

『とんとんとん』 あきやまただし

とんとんとん とんとんとん
あきやま ただし (1997/06)
金の星社
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長子が二歳前後の頃しばらくの間、我が家は家財道具もほとんど持たずに海外生活を送っていたことがある。(逃亡生活等ではありません。念のため。)我が子の唯一のおもちゃは市場で買った栗。台所の棚からそれを出してままごとらしきものをして遊んでいた。そんな孫を不憫に思った私の母が、日本から絵本を送ってくれた。それがこの『とんとんとん』だった。

主人公の女の子は「かずきくん」という友達から遊びにおいでと誘われる。しかしマンションの前で途方に暮れてしまう。ドアがいっぱい並んでいるけれど、どこがかずきくんの家か知らなかったのだ。そこで、一軒一軒ドアを「とんとんとん」と叩いて訪ねて回る。

「とんとんとん」

その度にページいっぱいに描かれたドアを叩くのが我が子の仕事。

ドアが開かれると、パーティー中のうさぎの家だったり、タコの家は水が溢れるといけないから開けられなかったり・・・、そしてとうとう

「とんとんとん、かずきくーん」
「はーい」

出てきたのはおじさん。
ええっ?何で?
「とんとんとん」と本を叩く作業とちょっぴり意外な物語の展開をおもしろがって、子供は何度もドアを叩きたがる。

本を読む楽しさとお客様ごっこのような遊びの要素が相まって、楽しい時間を過ごすことが出来る。おもちゃのない我が家には大変重宝な本だった。

数年後、その頃住んでいた町の図書館に作者のあきやまただしさんが講演にいらした。あきやまさんは子供の頃、病気がちで入院生活が長かったのだそうだ。そしてこう話されていた。

「制限の多い生活でも、頭の中ではどんな所にでも行くことができるし、どんなことでもできる。そうして考えたことをマンガにして、入院仲間に読んでもらった。それが絵本作りの原点です。」

講演後、表紙が取れて角は丸くなってしまった『とんとんとん』にサインを頂いた。あきやまさんの病院での制限された生活と我が子のおもちゃもない制限された生活、その二つが重なり、この本がより近しく感じられた。

『名画にみる國史の歩み』 小堀桂一郎 所功

名画にみる国史の歩み 名画にみる国史の歩み
小堀 桂一郎 (2000/04)
近代出版社
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オーストラリアの学校では、国民の祝日・記念日の前後にはその由来や歴史的なことを学ぶ集会や授業が行われる。1月26日建国記念日の際はファーストフリート(イギリスから最初にオーストラリアに渡ってきた人たち)のことを教わり、4月25日の戦争メモリアルデイには退役軍人の方が講話してくださったり、メモリアルのシンボルであるローズマリーの小枝を胸につけて帰宅したりする。

日本では、歴史のことは歴史(社会科)の時間に、それも古代史から順に学んでいくのが一般的だ。イギリス人入植後のオーストラリアより遙かに古くから続く日本の歴史は、子供にとっては気が遠くなるほど長くて果てしない。だがどうだろう。小さいうちから歴史の中の象徴的な場面をいくつか話してやったら・・・。歴史が長いだけに、子供達の興味を引くようなエピソードには事欠かない。それをきっかけに自国の歴史に関心を持つようになり、その後の歴史の学習がうんと楽しくなるに違いない。

この『名画にみる國史の歩み』は、子供に歴史的場面を印象づけるのに打ってつけの一冊である。「名画」というだけあって一枚一枚の絵の存在感は圧倒的である。
勝海舟の待つ部屋にゆっくりと向かう西郷隆盛、水の中に半分浸かった馬の上から扇を狙う那須与一、それまでは着物姿の絵ばかりであったのに突然洋装の男女が居並ぶ帝国憲法発布。神話の時代にまで遡れば、天照大神がお隠れになった天岩屋戸の前に集まる神々。
断片的にでも、小さいうちにこれらの印象的な場面を知ることは、とても大事なことではないかと思う。実際の年号、政治的な背景、それによって日本がどう変化したのか・・・そういうことは始めから教えなくとも、興味を持てば自分から知りたくなるだろう。

小・中学校のクラスに一冊ずつこの本があって、折に触れて担任の先生がその中の一ページを読み、必要があれば解説してくだされば、歴史好きの子供が増えるに違いない。
子供達には自分の国のことに関心を持って欲しい。「知りたい。」という気持ちを持って学んで欲しい。他の国の人達がうらやましがるような長い歴史を持った国なのだから。

※この本は“新・へっぽこ時事放談”のspiralさんに教えて頂きました。大人にとっても大変読み応えがあり、絵が美しいので何度も読み返したくなります。我が家になくてはならない本になっています。ありがとうございました。

『カロリーヌのせかいのたび』他 ピエール・プロブスト

カロリーヌ

オランダはチーズの国。インドの人はゾウに乗る。カナダでは木から甘いシロップを採る。北極では氷で家を造る。
みんなカロリーヌの本に教わったことだ。

カロリーヌには個性豊かな動物の友達8匹がいる。その仲間達と共に、海へ行ったり、ドライブしたり、外国に旅をしたりする。その先々で仲間達が起こすトラブル。それにもめげずにいろいろなことに挑戦して、楽しい時を過ごすのだ。
シリーズを何話も読んでいると8匹の性格もだんだんわかってきて、自分の贔屓の子が出来てくる。今回は縮れ毛子犬のユピーはどんな目にあうのかな?くろねこノアローのいたずらは何だろう?
このシリーズの楽しさは、仲間達の活躍と自分の知らない世界を同時に味わえることだ。インドってどんなところだろう?雪の降るところではどんな遊びをするんだろう?キャンプって何?インターネットもなくテレビの番組も限られていた時代、カロリーヌの本は子供の私にとって、外の世界に開かれた窓であった。
特に外国についての描写には興味津々で、今でも「ピサの斜塔」と聞けば、倒れそうな塔を綱で引っ張って真っ直ぐにしようとしているカロリーヌと仲間達が思い浮かぶ。

自分に子供が生まれた時から、この愉快なシリーズを子供達にも読ませたいと思っていたが、残念なことに小学館から出されていた『カロリーヌ』シリーズは絶版となっていた。代わってBL出版で復刊されたが、ストーリーが少し変わっていた。悪さをしたトラは草原に火をつけられて懲らしめられるはずだったのに、新版ではカロリーヌ達と仲直りすることになっている。乱暴な描写がなくなった分楽しさも半減したような気がする。イラストの方も昔の勢いのある迫力満点のものから、おとなしくかわいらしいものになってしまった。ああ昔のカロリーヌを子供達に見せてやりたい、と思い続けていた。

ある時、叔母(先日『絵本からうまれたおいしいレシピ』を送ってくれた叔母の姉)から荷物が届いた。開けてみると、中には『ひろすけ童話集』と一緒に『カロリーヌのせかいのたび』『カロリーヌとおともだち』『カロリーヌのつきりょこう』が入っていた。かつて私が愛読し、従姉妹達に譲ったものを再び私の手元に送り届けてくれたのだ。幾冊もの本を譲った従姉妹達は成人したが、これらだけは大事に取って置いたのだという。このときほど、叔母と私の血の繋がりを強く感じたことはなかった。私が取って置くとしても全く同じ選択をしたであろうからだ。


※日本人を主人公に日本中を楽しく旅する絵本があったらいいなぁ。私は素直でない子供だったから、社会の学習マンガなどは「ははぁ、これとこれを覚えさせたいんだな。」と押しつけがましいものを感じて好きになれなかった。心から楽しめて日本を知ることが出来る本、あったらいいなぁ。
あすとろさん、企画してくれないかなぁ・・・。

     

『博士の愛した数式』 小川 洋子

博士の愛した数式 博士の愛した数式
小川 洋子 (2003/08/28)
新潮社
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数学と文学の美しい融合。この作品の感想を一言で表せばこうなる。(もう誰かが使っている表現だろうか?)

これまで、主人公の少年が算数の問題を悩みながら解いていく児童文学や、天才数学者の伝記などを読んだことがあるが、算数や数学の解説部分はそこだけ一度脇道に逸れ、再び本筋に戻ってきて話が次へ進むという具合だった。天才数学者の伝記では「コンパクト」という言葉の定義に引っかかり、読み終わるまでそのことが気になって物語に没頭できなかった。

しかし『博士の愛した数式』は、その物語に没頭してしまう。80分間しか記憶が続かない博士とその義姉に雇われた家政婦親子。彼らのいる空間に、自分もこっそり存在している気分になってしまう。その空間に漂っているのが数字や数式であり、親子が知らず知らずのうちに数学の魅力に取り憑かれているのと一緒に、自分も取り憑かれていることに気づく。そして同時に博士の優しさにも取り憑かれていくのだ。

心温まる物語と数式の美しさが溶け合い、別つことのできないものになっている。「オイラーの公式」のe,π,iと1。この中に物語性を持たせたところで、この文学と数学の融合は頂点に達する。

理系の人にも文系の人にも静かな感動を与えてくれる作品ではないかと思う。


※他の本ブログを見に行く都合上サイドバーに「本ブログ」のバナーを貼ったところ、思いがけずボタンを押してくださる方がいらして、ランキングが上がってきてびっくりするやら、嬉しいやら・・・。押してくださった方、どうもありがとうございます!


『クマのプーさん』 A.A.ミルン、石井 桃子訳、アーネスト・H・シェパード挿絵

クマのプーさん クマのプーさん
A.A.ミルン、石井 桃子他 (2000/06)
岩波書店
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私には理解が出来ないことがある。ディズニーの『くまのプーさん』に出てくるピグレットはなぜあんなに不細工に描かれているのか、だ。もう一つ納得がいかないこともある。あの子の名前は“コブタ”であって“ピグレット”ではない。しかし、これには主人からクレームがついた。
「だって原書ではPigletという名前だから、こちらが本物だよ。」
けれども、私にとっての『クマのプーさん』は、石井桃子訳、アーネスト・H・シェパード挿絵のこの本なのだ。“コブタ”は吹けば飛ぶような姿で一生懸命大活躍しなければならないし、物知りで小難しい言葉で喋るのは“フクロ”でなければならない。決して“オウル”などというへんてこな名前であってはならない。

考えてみると、英語圏の子供が“Piglet(子豚)”“Owl(ふくろう)”という名前を聞いた時の感覚を、日本の子供が同じように感じ取るには“コブタ”“フクロ”の方がふさわしくないだろうか?
この命名も含め、石井桃子さんの訳は素晴らしいと思う。プーやコブタはよく言葉の勘違いをする。また自作の詩や歌を披露する。そんな場面も、違和感のない日本語にしてあるのだ。

プーと仲間たちは、よく何かを思いつき、それを一生懸命遂行する。それ何の意味があるの?と聞いたりしてはいけない。世の中にはあまり意味がないこともある。それに人が真剣に頑張っていることを邪魔したりするのは良くないことだから。それでも時々、あまりの無意味さに「くすっ」と笑ってしまうことがある。そして「みんな一生懸命なのにごめんね。」と心の中で謝ったりする。

『クマのプーさん』は、子供のために書かれたというのは本当だろうか?私は大人になればなるほど「くすっ」と笑う回数が増えてくる本だと思う。




『サイレント・マイノリティ』 塩野七生

サイレント・マイノリティ サイレント・マイノリティ
塩野 七生 (1993/06)
新潮社
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20年ほど前、学生だった私はクラスメートからこの本を薦められた。本を読んでから私たちは急速に親しくなった。なぜなら、その頃私たちは二人とも「サイレント・マイノリティ」だったからだ。

バブル期の学生たちといえば、おしゃれや遊びに詳しい人たちがマジョリティーに見えていた。マスコミでも『朝日ジャーナル』の連載「若者たちの神々」に象徴されるように「新しい感覚を持っている」人たちが持ち上げられていた。そんな中「保守」を自認されている塩野さんの本を薦めてくれたことに驚き、そして「仲間がいた!」と安心したのだ。

塩野七生さんは歴史小説家としての方が有名だ。しかし小説を書く過程で調べたことや考えたことを集めたエッセイは、勿体ないほどの逸話や哲学的な思考を存分に楽しめる。

この『サイレント・マイノリティ』も、専門分野であるイタリアの歴史に付随するこぼれ話-といっても興味深い話が目白押しだ-と、塩野さん独特の切れ味鋭い政治哲学のエッセイから成り立っている。

今日では塩野さんのような考えはマイノリティからマジョリティになってきているように思われる。だから、見た目はボロボロになった本でも中身は全く古く感じられない。
下記の引用部分など、昨年の衆院選挙や皇室典範改正問題を見て取り出してきたのだといわれても違和感がないほどだ。

『真の保守とは』(ジュゼッペ・プレッツオリーニの定義より)
・保守主義者は、新しきものに反対なのではない。ただ、新しきものなら何でもかまわず持ち上げる人々の、無智には荷担したくないだけなのだ。
・保守主義者は、長期にわたって社会で通用してきた制度は、それなりの理由をそなえていると思っている。だから長く続いたからと言う理由だけで、改めることはしない。

他にも『外国ボケについて』『権力について』『全体主義について』など、塩野さんの分析力には感心させられる。塩野さんの歴史小説は、史実を調べ上げ、その国の盛衰の原因を徹底的に分析しているものが多い。その作業から得られたのであろう政治感覚は非常に鋭く、一時期私は塩野さんに外務大臣をやって頂きたいものだと考えていたこともある。その頃は塩野さんが理想とされている“毅然とした外交”を望めそうな政治家はごく少数で、正にマイノリティーであったからだ。これからは、そういう政治家がマジョリティーになってくれることを期待しよう。

『ふたりはいっしょ』 アーノルド・ローベル

ふたりはいっしょ ふたりはいっしょ
アーノルド・ローベル (1972/01)
文化出版局
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アーノルド・ローベルの『がまくんとかえるくんシリーズ』は、子供と一緒に大人も心から楽しめる絵本だと思う。そして時々がまくんとかえるくんの純粋さが羨ましくなる。その純粋さは、溢れるような優しさと呆れるような愚かさから出来ている。中でも『はやく めを だせ』のがまくんの純粋さはとびきりだ。

がまくんが花の種をまく。その晩、芽が出る気配のない地面を見てこう言う。
「ぼくのたね 大きくならないや。
きっと くらいのが こわいんだ。」
そしてロウソクを何本か持って庭に出て、種たちに一晩中長いお話を読んでやる。

他人から見たらどんなに愚かに見えることでも、がまくんやかえるくんはいつも一生懸命だ。そしてささやかなことに喜びを見いだす。私がこのふたりに教わったのは、背伸びをしたり見栄を張ったりしない身の丈にあった暮らしは、自分たちを幸せにし、周りの人を温かい気持ちにさせるだろうということだ。

  

『亡国のイージス』 福井晴敏

亡国のイージス 上  講談社文庫 亡国のイージス 上 講談社文庫
福井 晴敏 (2002/07)
講談社
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先週末に『亡国のイージス』のDVDを観て日本の防衛は大丈夫なのか?と思っていたところへ、北朝鮮が日本海にミサイルを撃ち込んだ。『亡国のイージス』の小説は映画より前に書かれている。映画化が決まった時に石破防衛庁長官(当時)と福井晴敏氏の対談で、お二人の共通認識として次のようなことが話されていた。

今の法律で有事に対処するのは難しい。法律を変えるにしても、現行法の中での対処法を決めるにしても、国民共通の認識が必要だ。共通の認識とは、自衛隊が存在しないと、国の独立や平和、世界平和が犠牲になるということや、自衛隊の出来ることには法的制限がかなりあること。

そして自衛隊協力の下、『亡国のイージス』は映画化された。しかし、あの時から日本の防衛体制は改善されただろうか?国民の共通認識は変わっただろうか?

今回DVDを観て、映画版『亡国のイージス』では伝わらないだろうと感じた。時間制限、海外への営業を考えると、これが限界なのかも知れないが、石破元長官が目論んだような国民の意識改革には至らなかっただろうと思う。

まず、映画では北朝鮮という国名も出しておらずリアリティに欠ける。また、小説では登場するアメリカ政府、国防関係者たちの日本の防衛に対する嘲笑の場面が全く抜け落ちている。私にはここが一番恐ろしく感じられた箇所だ。アメリカに頼っているばかりでよいのか?そういう問題提起をしている重要な場面で、これを扱わないのは致命的だと思う。
そして自衛官たち、一人一人に物語があり、心があり、誇りがある、というところも映画の限られた時間の中では、あまり感じられなかった。自衛官の「公」や「仲間」を大切にするモラルの高さも、あれだけではわからない。
辛うじて「防衛に対する考えが甘い、平和ボケの日本」ということだけは、伝わってきただろうか?

自衛官たちが、個人的にどんなに頑張って、どんなに多くのものを犠牲にしても、日本を守りきれない。北朝鮮からも、アメリカからも、まるで無邪気な赤ん坊のように思われている日本。そんな防衛体制でよいのか?それを切実に感じるには小説版『亡国のイージス』を読むしかない。全ての日本人に読んで欲しい。国民全体の危機感と総意でしか、法律も防衛体制も変えられないのだから。

VIVA読書さんのブログで紹介されていた『兵士に聞け』杉山隆雄は、自衛隊を取材したノンフィクション。こちらも読んでみたいけど日本の本は手に入りにくいので、いつになることやら・・・。

 

『タパス―みんなでつまむスペインの喜び』 おおつきちひろ

タパス―みんなでつまむスペインの喜び タパス―みんなでつまむスペインの喜び
おおつき ちひろ (1997/05)
文化出版局
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子供達は冬休みに入った。休みの間には都会に行っていろいろと用事を済ませてくる。領事館に日本の教科書をもらいに行ったり、病院に行ったり、日本の本や食材を買ったり・・・。そして都会で一番の楽しみは、おいしいものを食べること。
オーストラリアは多民族国家だから、たいていどこの国の料理でも食べられる。よく日本人は外国で中華料理屋があるとホッとすると言うが、ここでは中華料理ぐらいじゃホッとしない。なぜならベトナム料理や台湾料理などの、より日本食に近い味のものがあるから。しかし、いろいろ試してみて私に一番しっくり来たのはなぜかスペイン料理なのである。

今回食べたスペイン料理のメニュー
◇オリーブ(グリーン)のトマトソース漬け
◇赤ピーマンのオイル漬け
◇マッシュルームのガーリック&白ワイン煮
◇鰯のグリル
◇野菜のパエリア

中でも鰯のグリルは鰯の塩焼きに近く、こんなに日本的な味は他の国の料理には出てこない。パエリアに載っていたのは茄子の天麩羅だった!赤ピーマンの調理法は焼き茄子とほぼ同じだし、マッシュルームもいろいろな種類のきのこを食べる日本人向きの料理だと思う。
そして一番違和感がありそうな「オリーブのトマトソース漬け」。我が子の一人はこれが大好き。トマトのみじん切りとレモンを混ぜた中に種を抜いた塩漬けオリーブが漬けてある。オリーブ特有の渋みもなく、トマトソースの方に塩が移ったのか塩辛くもない。無理矢理日本食に例えれば梅干しだけど、梅干しよりしょっぱくなくあっさりしているのでいくつでも食べられる。トマトソースの方もおいしくなっているので、パンを浸して食べ尽くした。
今回の都会行きでも、やはり一番満足がいったのはスペイン料理だった。

おおつきちひろさんの本には、さまざまな地方のスペイン料理が載っていて、家でもスペインの味が楽しめる。スペイン料理は見た目は素朴だけど、丁寧に下ごしらえをしていたり、いろいろな乾物や塩漬けからおいしいダシが出ていたりして、じわじわとおいしさがしみ出てくる。そんな隠し味的要素が日本料理に似ているのかも知れない。



『いたいいたいはとんでいけ』 松谷みよ子


いたいいたいはとんでいけいたいいたいはとんでいけ
松谷 みよ子 (1977/09)
偕成社
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赤ちゃんや小さな子供が、頭をどこかにぶつけたり転んで膝をすりむいたりした時に使う魔法の呪文-「いたいいたいはとんでいけ」。でも飛んでいった「いたいいたい」はその後どうなるの?

いたいいたいはとんでいけ
むこうのおやまにとんでいけ
むこうのおやまはらくらくやまで
うさぎがいっぴきねてござる


こんな調子で、うさぎが「いたいいたい」をどう始末するかまでが歌われている。五七調なので絵本を読み終わった後でもついつい口をついて出てきてしまう。 そうして親子でこの歌を覚えてしまったらしめたもの。子供が転んで泣き出す前に、この歌を歌い始める。

むっちゃんむがつくむーざえもん
ころんでおひざをすりむいた
いたいいたいはとんでいけ
むこうのおやまにとんでいけ


子供は歌の調子の軽妙さに気を取られ、大好きなうさぎの活躍に心を奪われ、転んだことなどすっかり忘れてしまうのだ。

この本に限らず、五七調の絵本は知らず知らずのうちに覚えてしまうことが多い。きっと日本語の調子に合った区切り方なのだろう。

オーストラリアでは、たぶんイギリスの文化だと思うが、詩の暗唱が盛んである。英語ではrhymes(ライムス)=韻を踏むことで言葉の調子を整える。子供達は詩を暗唱しrhymesを繰り返すことで、英語という言語の調子を体に染みこませているようだ。日本では国語力の低下が著しいといわれているが、子供が小さいうちから五七調の歌を聴かせたり五七調の絵本を読み聞かせたりして、日本語という言語の調子を体に染みこませることから始めたらどうだろうか?

『ひろすけ童話集』 浜田広介

こりすのはつなめ こりすのはつなめ
いもと ようこ、浜田 広介 他 (2005/03)
金の星社
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子供の頃、誕生日のプレゼントには本が何冊かドサッと贈られることが多かった。たいていケース入りで表紙が固くて中にはいくつものお話が入っている特別な本だ。「ああ、これで何週間も楽しめる。」そう思うと嬉しくてたまらなかった。
『ひろすけ童話集』をもらったのは一年生の頃だったか。それ以来、何週間どころか何年も繰り返し読み、今でも手元に置いてある。

ひろすけ童話といえば『泣いた赤おに』が有名だが、他の作品を見てみると、あのような劇的な展開のものは少なく、動物や子供を主人公にした穏やかな物語が多い。小さな出来事の中に主人公たちの心の機微がとても上手に描かれている。そして語られる言葉はまるで詩のように美しい。ひろすけ童話を読んでいると、自分も心が優しく言葉遣いが美しくなっていくような気がする。

上に取り上げた『こりすのはつなめ』は、私が好きだったお話の一つだ。くまは手にいろいろな食べ物の汁をすりつけておいて冬眠中になめる習性がある。この話を聞いた小りすがうらやましがる。だってくまさんの手は自分の手よりもずっと厚くて大きいから。そして優しい子ぐまは「なめにおいで」といい、小りすは約束通り目が覚めるとまだ眠っている子ぐまの所になめに行くのだ。こんなたわいないお話も、ひろすけの手にかかると何度も何度も読みたくなるすてきなお話に変身する。

浜田広介さんは、動物や子供が好きでその気持ちがよくわかるのだろう。そして童話への思い入れが強く、使う言葉を丁寧に選んだという。
中には大正時代の作品もあるが、いつまでも子供達に読ませたいものばかりだ。

しかし最近はこういう地味な本は好まれないのだろうか?私の持っている集英社版『ひろすけ童話集』は書店では手に入らず、復刻版が辛うじて浜田広介記念館で入手できるらしい。
冒頭に載せた絵本のシリーズは作品数としては多くないが、いもとようこさんのやわらかな挿絵が『ひろすけ童話』にとても合っている良いシリーズだと思う。

多くの子供達に、「日本のアンデルセン」と呼ばれる浜田広介さんの童話を読んで欲しい。そして優しい心を育み、美しい日本語に触れて欲しい。

  

Appendix

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