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『名画にみる國史の歩み』 小堀 桂一郎

名画にみる国史の歩み 名画にみる国史の歩み
小堀 桂一郎 (2000/04)
近代出版社
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この本を紹介するのは三回目になる。
今日は建国記念の日(紀元節)。
なぜこの日が建国記念の日なのか。この本には、美しい日本画と共に建国の由来が説明されている。そしてその絵は『高等小學國史上巻』の挿絵として使われていたそうだ。現在、このような歴史絵画が存在するにもかかわらず、人々の目にあまり触れないのは、とても勿体ないことだと思う。
以下は、過去に紹介した時の記事。また二回目の記事は、天皇誕生日に書いたこちら

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オーストラリアの学校では、国民の祝日・記念日の前後にはその由来や歴史的なことを学ぶ集会や授業が行われる。1月26日建国記念日の際はファーストフリート(イギリスから最初にオーストラリアに渡ってきた人たち)のことを教わり、4月25日の戦争メモリアルデイには退役軍人の方が講話してくださったり、メモリアルのシンボルであるローズマリーの小枝を胸につけて帰宅したりする。

日本では、歴史のことは歴史(社会科)の時間に、それも古代史から順に学んでいくのが一般的だ。イギリス人入植後のオーストラリアより遙かに古くから続く日本の歴史は、子供にとっては気が遠くなるほど長くて果てしない。だがどうだろう。小さいうちから歴史の中の象徴的な場面をいくつか話してやったら・・・。歴史が長いだけに、子供達の興味を引くようなエピソードには事欠かない。それをきっかけに自国の歴史に関心を持つようになり、その後の歴史の学習がうんと楽しくなるに違いない。

この『名画にみる國史の歩み』は、子供に歴史的場面を印象づけるのに打ってつけの一冊である。「名画」というだけあって一枚一枚の絵の存在感は圧倒的である。
勝海舟の待つ部屋にゆっくりと向かう西郷隆盛、水の中に半分浸かった馬の上から扇を狙う那須与一、それまでは着物姿の絵ばかりであったのに突然洋装の男女が居並ぶ帝国憲法発布。神話の時代にまで遡れば、天照大神がお隠れになった天岩屋戸の前に集まる神々。
断片的にでも、小さいうちにこれらの印象的な場面を知ることは、とても大事なことではないかと思う。実際の年号、政治的な背景、それによって日本がどう変化したのか・・・そういうことは始めから教えなくとも、興味を持てば自分から知りたくなるだろう。

小・中学校のクラスに一冊ずつこの本があって、折に触れて担任の先生がその中の一ページを読み、必要があれば解説してくだされば、歴史好きの子供が増えるに違いない。
子供達には自分の国のことに関心を持って欲しい。「知りたい。」という気持ちを持って学んで欲しい。他の国の人達がうらやましがるような長い歴史を持った国なのだから。

※この本は“新・へっぽこ時事放談”のspiralさんに教えて頂きました。大人にとっても大変読み応えがあり、絵が美しいので何度も読み返したくなります。我が家になくてはならない本になっています。ありがとうございました。
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『氷川清話』 勝 海舟/勝部 真長・編

氷川清話 (角川文庫ソフィア)氷川清話 (角川文庫ソフィア)
(1972/04)
勝部 真長、勝 海舟 他

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「まあお聴き。」と語り始める勝海舟の話は、落語のようで気楽に読むことができる。しかも、その内容は、幕末から明治初頭の歴史を生々しく再現しており、下手な小説よりおもしろい。
例えば、咸臨丸でアメリカを視察して帰国した折の話。

浦賀に着いたから、おれは一同を入浴のために、上陸させてやろうとしているところへ、浦賀奉行の命令だといって捕吏がどやどやと船中へ踏み込んできた。おれも意外だから、「無礼者め、何をするのだ」と一喝したところが、捕吏がいうには、「数日前、井伊大老が桜田門外で殺された事件があったので、水戸人は厳重に取り調べねばならぬ」というから、おれも穏やかに、「アメリカには水戸人は一人もいないから、すぐに帰れ」と、ひやかして帰らせたよ。

幕末は物騒で、幕臣であった海舟は度々命を狙われている。ある時、夜中に市内を歩いていると三人の壮士に襲われた。

驚いておれは後へ避けたところが、おれの側にいた土州の岡田以蔵がにわかに長刀を引き抜いて、一人の壮士をまっ二つに斬った。「弱虫どもが、何をするか」と一喝したので、あとの二人はその勢いに辟易して、どこともなく逃げていった。おれもやっとのことで虎の口をのがれたが、なにぶん岡田の早業には感心したよ。
後日、おれは岡田に向かって、「君は人を殺すことをたしなんではいけない。先日のような挙動は改めたがよかろう」と忠告したら、「先生。それでもあのとき私がいなかったら、先生の首は既に飛んでしまっていましょう」といったが、これにはおれもひとこともなかったよ。


司馬遼太郎の『人斬り以蔵』は暗くて孤独なイメージだったが、このエピソードにはユーモアが感じられる。
こんな調子で、自分の生い立ちから仕事ぶり、交流のあった国内外の人物、はたまた徳川歴代将軍を始め、歴史上の人物についても、ざっくばらんに語っていて、江戸以前の歴史をとても身近な物に感じさせてくれる。その当時に書かれた書物で時代を知るという手もあるが、海舟の豪快で活き活きした語り口ほど取っつきやすいものは無いだろう。

また、海舟の視野の広さと行動力には驚かされる。オランダに海軍の技術を習い、イギリス公使と親しく付き合い、アメリカを視察し、朝鮮の政治家が相談にやってくる。これら外国との付き合いで培った国際感覚と、茶屋の女将や火消しの親分など市井の人との付き合いで知った人心のつかみ方、どちらをも兼ね備える人物はなかなかいないのではないか。この付き合いの広さをみてもわかるように、経験主義を信条としていて、机上論を嫌い、現実を見て行動を起こすべきだと考える。

実際に海舟は、対馬に侵入して居座るロシア軍を他国を利用した巧妙な手口で撤退させたり、維新後に八万人にも及ぶ旗本を静岡に移す手はずを整えるため自分で農家の間を走り回ったりと、頭を使い、体を使って国のために奔走する。そのような仕事ぶりだったから、理屈ばかりこねる政治家への舌鋒はするどい。

しかるに、学問にこりかたまっている今の人は、声ばかりむやみに大きくて、肝魂の小さいことは実に豆のごとしで、からいばりにいばるけれども、まさかの場合に役に立つものは、ほとんどまれだ。みんな縮みこんでしまう先生ばかりだよ。

そういう海舟は、難事に身命を捨ててかかるという経験を何度もして、肝魂は据わっている。そして学問は「活学問」に限るという。

活学問にも種々しかたがあるが、まず横に寝ていて、自分のこれまでの経歴を顧み、これを古来の実例に照らして、しずかにその利害損得を講究するのが一番近道だ。そうすればきっと何万巻の書を読破するにもまさる効能があるに相違ない。

海舟は、決して書物での学問を怠っていたわけではない。蘭語を学ぶために蘭語辞書五十八巻の筆写を二部完成させたり、夜間だけ筆写を許された兵書を半年通い詰めて写し取ったりもしている。が、さまざまな経験を積んでいるうちに、経験から導き出される戦略や戦術が正しいと確信をもつようになったのではないだろうか。

勝海舟は、幕臣でありながら大政奉還を促したという立場であり、旧幕臣からは批判が多い。「大逆臣」「徳川を売るイヌ」とまで呼ばれた。また志を一にした坂本龍馬や西郷隆盛は早々に亡くなってしまった。彼らとの比較で、明治の政治家達をあまり高く評価していなかったこともあり、新政府側からも海舟は疎んじられている節があった。
しかし『氷川清話』、一緒に収められている『勝海舟伝』を読んでみると、海舟は並々ならぬ人物であり、考えていることが大きく、長年の鎖国で視野が狭くなっていた当時の人々の理解を超えた発想をしていることがよくわかる。

先日、渡部昇一さんが、人間に必要な精神として「頭(知力)」「心(情)」「胆(胆力)」を挙げられていたのを読み、私は咄嗟に勝海舟を思い浮かべた。海舟には、この三つが備わっていたのではないかと思う。はたして、今の日本にも、このような剛胆な人物はいるのだろうか。

『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』 曽野 綾子 (過去記事)

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! 沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!
曽野 綾子 (2006/05)
ワック
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最近「沖縄集団自決」の検索ワードで当ブログに訪れてくださる方が多いので、過去に紹介した本ですが、もう一度アップいたします。
関心をもたれた方が多いのは、先月末(平成19年6月21日)にNHKの『クローズアップ現代』でこの問題が採り上げられたからのようです。番組の内容については「新・へっぽこ時事放談」さんが書き起こされていますので、そちらをご覧下さい。
「NHKでまた偏向番組が報道されました!」

また、大阪地裁で続いている「集団自決訴訟」で被告側(岩波書店、大江健三郎氏)が「(赤松隊長の命令は無かったと証言した)照屋さんは経歴詐称している」と主張していると沖縄タイムスが報じましたが、照屋さんは辞令を保管していて、その指摘は正しくないことがわかっているようです。こちらは、イザ!の小山裕士記者のブログ記事をご覧下さい。
「【続】5・26沖縄タイムス記事について新証拠を提示 」
同じ小山記者の慰霊祭についての記事には、このようなものもありました。
「無視される靖国参拝希望の声」

ここから先は過去にアップした記事です。




今年(平成18年)の八月末に、『「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん』(←ご存じない方はぜひお読みください。リンク先の中程に新聞のコピーがあり拡大できます。)というニュースがあった。長年、沖縄戦で住民を死へおいやったとされ非難され続けていた赤松元大尉が「自決命令を出した」というのは、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れる援護法申請のための創作であったことがわかった。赤松元大尉も了承されていたことだが、今回証言なさった照屋さんの

「・・・赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。・・・」(産経新聞平成18年8月27日)

という言葉を見ると、やるせない気持ちになる。
せめて赤松元大尉がご存命中に・・・と思うのは、部外者の勝手な感傷で、照屋さんご自身も、お辛い年月を過ごされていたのだろう。
照屋さんの証言にある『鬼だ』などと書いた新聞や本は数知れず、それが定説にもなっていた。ところが、そこに疑問をもち、当事者への徹底的なインタヴューを行い、真相を掘り起こそうとしたのが、曽野綾子さんである。
そして、昭和48年に『ある神話の背景』という題名で出版されたこの本が今では絶版になっていることに気づき、復刻に向けた活動を始めた方々がいらして、再び手に入れることができるようになっている。

曽野さんの緻密な取材で、事実は明らかになるというより、複雑化してくる。赤松元大尉の部隊は船舶特攻隊で、守備隊ではない。ところが諸般の事情で、実態としては渡嘉敷島の守備をすることになる。そして敵前という混乱した状況で、命令体系などは確立して居らず、法的解釈があいまいな事態も起こる。住民の心理状態も正常ではなくなる。読めば読むほど、混沌としてくる。
しかし、確実にわかるのは、当時島にいた住民や軍人の中に「赤松元大尉が自決命令を出した。」と証言した人は、一人もいないということだ。
照屋さんが琉球政府の職員として100人以上の住民にインタヴューをした際も「「一人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」と冒頭に紹介したニュースでも証言されていた。

曽野さんがこの本を書いた時点では、擁護法申請のための創作だったという事実はご存じない。が、うわさ話として取り上げていた。曽野さんも「そういう事情があれば辻褄が合う」と思われたかもしれない。しかし、曽野さんは、感情や推測を排除し、インタヴューから得られる当事者の記憶の断片を繋げていく。それまでの新聞や本に、こうした公正な態度がなかったことが、事実でないことを広め、虚偽の「鬼のような赤松元大尉」像を作り上げたのだ。

事実を知った今、赤松元大尉と旧軍人、遺族が、渡嘉敷島で行われる『二十五周年忌慰霊祭』に出席しようと那覇空港に降り立った昭和45年の光景を読むと、悲しみと怒りでどうしようもなくなる。

 やがて赤松元大尉の耳にも、シュブレヒコールが聞こえる。「赤松帰れ!」「人殺し帰れ!」
 聞こえて来るのはシュプレヒコールばかりではない。
「今ごろ沖縄に来て何になる!」
「県民に謝罪しろ!」
「お前は沖縄人を何人殺したんだ!」
赤松氏は立ち止まる。直立不動の姿勢になり、彼は人々の怒号にさらされた。
 那覇市職労の山田義時氏が、抗議団(平和を守る沖縄キリスト者の会、歴史・社会科教育者協議会、日本原水爆禁止協議会沖縄県支部、日本平和委員会沖縄県支部、日本科学者協議会沖縄県支部)を代表して「渡嘉敷島の集団自決と虐殺の責任者赤松元陸軍大尉の来県に抗議する」という抗議文を読み上げる間、元大尉はじっと無言で立ちつくす。
 やがて朗読が終わり、抗議団から再び声があがる。
「三〇〇人の住人を死においやった責任はどうする」
「罪のない住民をスパイ容疑で惨殺したのにオメオメと来島できるか」
そこでやっと赤松元大尉は口を開く。
「事実は違う。集団自決の命令は下さなかった。捕虜になった住民に死刑を言い渡した覚えもない。」


このような那覇での抗議のため、赤松元大尉は渡嘉敷島には渡れなかった。その渡嘉敷島での様子は、『琉球新聞』に次のように書かれている。

「この日の渡嘉敷村は平日と変わらない静かなたたずまい。赤松元大尉が来島できなかったことや、その部下が初めて来島したことにも反応は少なく、報道陣が詰めかけたのが、異様にさえ感じているような冷静さ。赤松元隊長が本島まで来ていることを知らされても、『肉親を失ったことは忘れられないが、いまさら古傷にふれても仕方がない』と言った言葉が返ってくるだけ。本島でくり広げられた『赤松帰れ!』の騒ぎはウソのような『悲劇の島』二五回忌の慰霊祭-」

この新聞記事は、実に正直に、島民達が抗議団体の人達よりも冷静に、赤松隊の慰霊祭出席を受け入れていることを報道している。それはそうであろう。命令はなかったのだから。そして、関係者は皆、放っておいて欲しかったのだ。
しかし『沖縄タイムス』は、こう書く。

「・・・赤松氏の来島によって戦争の傷跡が鋭くえぐり出された。『いまさら傷にふれても仕方がない』と遺族の人達は言う。しかし筆者は、遺族にとっては酷な言い方であろうが、あえて言う。傷痕から目をそらせず凝視してほしい。血を吐くような苦痛を伴うだろうが、その痛みに耐えてほしい。身悶えするような苦悩をするだろうが、それと真剣に戦ってほしい。なぜなら、そこからしか真の反戦平和の思想は生まれてこない。戦争の傷痕こそ反戦闘争の原点であるから。(後略)」

真実より何より、反戦闘争ありきなのがよくわかる。ちなみに、曾野さん以外の多くの人が取材もせずに赤松元大尉の糾弾記事を書けたのは、元となる三つの資料があるからで、そのうちの一つはこの沖縄タイムス社編の『鉄の暴風』である。
このような「反戦」活動に熱心な、抗議団体やジャーナリスト、作家達が、赤松元大尉だけでなく、真実を知りながら口にできない島民の方々のことも苦しませてきたのだ。

彼らは、次の照屋さんの言葉をどのような思いで読むのだろうか。
 
「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」(産経新聞平成18年8月27日)

企業が不良品や欠陥商品を出したときには徹底的に書き立てる新聞が、このニュースを受けて自分たちの誤報を謝罪しただろうか。『沖縄ノート』で赤松元大尉を批判した大江健三郎氏に至っては、このことが明らかになった直後に北京に赴き「日本は全く反省しない現状を改めるべきだ」などと述べている。そして、いくつかの教科書に記述された「自決を強制された」という記述は、いつ、誰が訂正してくれるのだろう。
曽野綾子さんはよく、人間は罪深いもので自分が罪を犯さないとは言えないと書かれる。この本の中でも、そうした自己意識があれば、他人のことを安易に告発したり、責任を追及したりできないという、ご自身の気持ちが書かれている。
赤松元大尉を糾弾した人達には「自分は間違ったことをしていない。自分は正しい。」という傲慢さが見える。確かに、彼らは当時渡嘉敷島にいなかったのであり、自決命令は出していない。そのことについては間違ったことはしていない。しかし、「もしも自分がそこにいたら。」という視点で、謙虚に考え、取材し、わからないことはわからないと認める公正さがなければ、「誤報」という新たな罪を犯してしまうのだ。


※私の読んだのは平成4年PHP研究所から出版された『ある神話の背景』ですが、現在入手できるのは改題された『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!』の方なので、そちらを題名に使いました。

『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』 江藤 淳

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本
江藤 淳 (1994/01)
文藝春秋
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「何だか怪しい。」と思ったのは、私がまだ学生の頃のことである。ハーシーチョコレートはおいしいかどうかで、母と意見が食い違ったのだ。口溶けが悪くて、ざらざらしていて、脱脂粉乳か何かの独特な匂いがして、私は好きではないと言った。母は「おいしい。」という。しかし普段は味に関する語彙の豊富な母が、そのおいしさを説明できないのだ。ただの好みの違いかもしれないが何か腑に落ちない。そういえば食事は何でも手作りをする母が、キャンベルの缶スープは時々使っていた。「HERSHEY’S」と「Campbell’s」、どちらもアメリカを代表する食品ブランドだ。母が幼い頃「進駐軍」から流れてきたチョコレートや缶詰を食べたと言っていたことも思い出した。

「母は、アメリカに騙されている。」

この半分冗談で考えたことが、実はもっと恐ろしい類のもので、占領軍によって日本全国に隈無く行われ、今の日本社会にその影響が色濃く残っているという事実が、この本によって明らかにされている。

前の大戦で敗戦した日本はアメリカに占領された。そこでは、民間検閲支隊(CCD)によって新聞雑誌から私信に至るまで徹底的に日本人の言論が検閲され、そこから得られた情報を元に民間情報教育局(CI&E)ではラジオや学校教育を通じて日本人の思想改造とも言うべき宣伝工作が行われたのである。

CCDの出した「日本新聞遵則(日本出版法・Press Code for Japan)」は、次の十箇条から成り立っている。(お急ぎの方、面倒な方は読み飛ばしてください。)

第一条 報道は現に真実に則するを旨とすべし。
第二条 直接又は間接に公安を害するが如きものは之を掲載すべからず。
第三条 聯合国に関し虚偽的又破壊的批評を加ふべからず。
第四条 聯合国進駐軍に関し破壊的批評を為し又は軍に対し不信又は憤慨を将来するが如き記事は一切之を掲載すべからず。
第五条 聯合国軍の動向に関し、公式に記事解禁とならざる限り之を掲載し又は論すべからず。
第六条 報道は事実に即して之を掲載し、何等筆者の意見を加ふべからず。
第七条 報道記事は宣伝の目的を以て之に色彩を施すべからず。
第八条 宣伝を強化拡大せんが為に報道記事の些末事項を過当に強調すべからず。
第九条 報道記事は関係事項又は細目の省略に依って之を歪曲すべからず。
第十条 新聞の編輯に当り、何等かの宣伝方針を確立し、若しくは発展せしめんが為の目的を以て記事を不当に顕著ならしむべからず。


これはかなり強引な十箇条で、米極東陸軍総司令部の内部資料においてさえ、次のように指摘されている。

連合国軍隊の動向を報道することを禁じた第五条を除いて、禁止したいどんな記事についてもどんな理由でもつけることができ、かつそれを実際禁止できる合財袋のような十箇条から出来上がっていることが明らかである。

占領軍による検閲が始まるとまもなく、日本政府による検閲を廃止する指令が出された。
この措置によって、日本では、アメリカに都合の悪いことは一切書くことができず、日本政府に都合の悪いことはいくらでも自由に書けることになった。
「アメリカに都合の悪いこと」とはどのようなことかが、検閲現場の指針を見るとよくわかる。

削除または掲載発行禁止対象となるもの
1、SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判
2、極東軍事裁判批判
3、SCAPが憲法を起草したことに対する批判
4、検閲制度への言及
5、合衆国に対する批判
6、ロシアに対する批判
7、英国に対する批判
8、朝鮮人に対する批判
9、中国に対する批判
10、他の連合国に対する批判
11、連合国一般に対する批判
12、満州における日本人取扱についての批判
13、連合国の戦前の政策に対する批判
14、第三次世界大戦への言及
15、ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
16、戦争擁護の宣伝
17、神国日本の宣伝
18、軍国主義の宣伝
19、ナショナリズムの宣伝
20、大東亜共栄圏の宣伝
21、その他の宣伝
22、戦争犯罪人の正当化および擁護
23、占領軍兵士と日本女性との交渉
24、闇市の状況
25、占領軍軍隊に対する批判
26、飢餓の誇張
27、暴力と不穏行動の煽動
28、虚偽の報道
29、SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30、解禁されていない報道の公表


この項目を一瞥すると、今でもこの検閲が生きているのではないかと錯覚する。不思議なくらい中国や韓国に肩入れしたり、愛国心を目の敵にしたり、靖国神社は戦犯が祀られているとか神道の施設だと毛嫌いするマスコミ、その原型がここに見られる。
占領軍が去った後でも、自主規制という形で検閲の中身だけが残っていたのだ。占領軍が検閲の存在を秘匿していたため、検閲者と非検閲者の間で共犯意識が芽生え、自主検閲に向かいやすかったのではないかと、江藤氏は書かれている。
また、もう一つの組織民間情報教育局(CI&E)によって行われた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)」の成果でもある。

「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の目的はSCAPの命令書によれば、

各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知せしめること

である。つまり、その意図はこういうことだ。

「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって「国民」に対する罪を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何ら責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起こった災厄であって、実際に爆弾を落とした米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。

この目的を遂行すべく、日本軍の残虐行為が強調された『太平洋戦争史』の新聞連載をCI&Eが企画し、後にこれが学校での歴史教育の教科書となる。またラジオでも『真実はこうだ』という同様の主旨の番組が放送された。
さらに、極東軍事裁判で最終論告と最終弁論を目前に控え、東條への共鳴や、広島への原爆投下についての非難の気運を危惧して、CI&Eはこのプログラムの強化を打ち出している。

b.一般的方法
一、超国家主義に対する解毒剤としての政治的情報・教育の強化。(現在までに大規模に実施され、現に実施されつつあるが、さらに一層強化された「プログラム」を展開中であり、承認をまっている。)
二、超国家主義運動の復活を示す、あらゆる具体的な動きを暴露し、細大もらさず報道すること。そして、そのことによってそれらの動きを支える謝った思想を指摘し、その不可避な結果を明らかにすること。
三、影響力のある編集者、労働界、教育界および政界等々の指導者とつねに連絡を密にすること。その際、全体主義国家に対する自由主義国家の長所を強調すること。
四、進歩的、自由主義的グループの組織発展を奨励すること。


このようにして、占領軍が去った後も、このプログラムが継続するような布石を打っていたのである。

アメリカの目論見は成功し、日本ではいわゆる「自虐史観」が定着した。上記三や四に挙げられた人々やグループなどの活動が、中国や韓国・朝鮮において「日本がアジアに侵略した」とする主張の広がりを手助けしてきたようにみえる。そしてその主張は、「南京大虐殺」と題した映画や「従軍慰安婦決議案」となって、宣伝を計画した本家本元のアメリカで徘徊するようになった。「閉ざされた言語空間」は、閉ざされたまま日本の外へ出てしまったのだ。
そのことに危機感を抱いている日本人もたくさんいる。

アメリカ下院の慰安婦問題に対して、日本の知識人達がワシントンポストへ意見広告を出した。これに関連して超党派議員の声明も出された。
南京事件では、真実を伝える映画の制作が行われようとしている。
フランスでは、六月十二日に「日本の文化人宣言」が出された。その一部に次のような文言がある。

政治・イデオロギー的歴史観にもとづいて我が民族を恒常的に貶め、悪魔化する行為に対して、断固、我々はこれを拒否する。

これは、世界に向けた発信であるが、日本国内の「閉ざされた言語空間」に気づいていない人々への発信でもあるのではないだろうか。

「影響力のある編集者、労働界、教育界および政界等々の指導者」や「進歩的、自由主義的グループ」の方々は、アメリカの宣伝に乗せられていたことに早く気づき、日本に「開かれた言語空間」を作って欲しい。母親のハーシー好きは笑ってすませられるにしても、自分が母親となった今、子供達には他国から強要された歴史観を持って欲しくないと真剣に思うのだ。

『[歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編>』 ARISAWA KEN

[歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編> [歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編>
ARISAWA KEN (2003/06/11)
学生社
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歴史をおもしろく手軽に学べるのは歴史マンガだと言う人がいる。主人も小学生の時に愛読していたらしい。しかし私は歴史マンガが苦手だ。コマ割りが複雑で、縦に読んでいったら良いのか横に読んだら良いのかわからなくなったり、吹き出し以外に細かな説明が随所にあり、次に進みたいのに足留めを食ってじれったくなってくる。「もう、絵なんかいらない。文字だけにして全部縦書きにして~。」と叫びたくなってくるのだ。

この『[歴史パロディ] 英雄よみがえる!<日本編>』は、そんな「イライラ」を起こさずに「スラスラ」と読め「ケラケラ」と笑える歴史本だ。(マンガではありません。)勉強ではなく娯楽として歴史を楽しめる。
勉強嫌いの私にとって、歴史マンガのイヤなところは、娯楽のふりをして勉強を押しつけてくるところだ。マンガのくせに事細かに解説や注釈をこれでもかというほど入れてあると、「騙して勉強させようという魂胆ね。」と疑心暗鬼になってしまう。
それに引き換え、この本は逆に「えっ?これだけ?」というくらい情報を厳選している。「坂本龍馬」の章では、出てくる名前は「坂本龍馬」「勝海舟」「後藤(象二郎)」くらい。西郷隆盛は「鹿児島県民A」だし、木戸孝允は「山口県民A」、「後藤の親友」と端役扱いなのがかつてお札にもなっていた板垣退助である。「名前を全部覚えなくちゃ。」という強迫観念から解放されて歴史を読むって、何て気楽で楽しいのだろう。

こうして厳選された登場人物の会話を中心に話は進む。第一話の「源義経」の始まりはこんな具合だ。

西暦1180年。
日本では平家一族がいばっていた。源氏一族は不愉快だった。
頼朝「平家、ムカつかん?ちょっとブレークしたからって調子に乗ってさ」
妻まさこ「うんうん」
頼朝「おれら源氏だってけっこうイケてると思うんだけどな・・・」
妻まさこ「思う思う」
頼朝「ねぇ、今度さ、平家に反乱起こさない?」
妻まさこ「おもしろそう!みんなびっくりするね」
頼朝「あ、でもさ・・・反乱って、どうやって起こせばいいのかな?知ってる?」
妻まさこ「ごめん、知らない・・・」
頼朝「とりあえず、なんか建物とか襲う?偉い人の家とか・・・」
妻まさこ「うーん、そうだね」
こうして1180年8月17日、源頼朝は数人の仲間を率いて伊豆の国司代官屋敷を襲った。ところが・・・・・・


「ブレーク」「イケてる」などという言葉遣いに驚いてはいけない。
この本の中では、歴史の英雄たちは、電話もかければ、メールも送る。敵の情勢をテレビニュースで知ることもある。私の敬愛する吉村昭さんなら5ページくらい使って、密使が歩き通してよその武将に用件を伝えにゆくところを、電話一本ですませてしまう。

登場人物たちのずっこけ、気弱、無知なところも、従来の歴史物とは違うところだ。
戦いたくないのに戦っちゃった。
失敗が奇襲として何だか知らないうちに成功した。
リーダーなんて面倒なのにやらされた。
本当にこうだったら愉快だなぁ。いや本当かも。と想像が膨らんでいく。

私たちが子供だった頃の会話を彷彿とさせる台詞も、懐かしい感じがしてとても良い。信長が家来から、根回しをしないといじめられると諭される場面では、「靴を隠される」とか「ふたりずつ組になるときに余される」などと忠告されるのだ。そうそう、子供社会ってこうだったなぁ・・・。

パロディだから何でも有りで、時代考証という発想は一切無い。
しかし最後まで読んでみると、自分が歴史の流れを大まかにではあるが、しっかりと把握していることに驚く。作者のARISAWAさんは、相当な歴史好きで、きちんと史実や歴史の流れを踏まえた上で、パロディを書かれているのだ。

私が、おまけ的に楽しめたのは、時々出てくる北海道弁だ。「なまら」とか「なして」とか意識して入れられているのかもしれないものから、「~しょ」「~さ」「~かい?」など自然に出てきてしまったのではないかと思われる語尾づかい。これが、さらに英雄たちを身近なものにしてくれる。

それぞれの物語のラストは、どれもじ~んとしてしまうようなものばかり。ARISAWAさんはお芝居の脚本を書かれているそうだからか、ラストへのこだわりが感じられる。どのお話も、読後感が爽やかで温かい。笑って、学んで、感動できる歴史パロディ。私の個人的な好みでは、歴史マンガよりもこちらが一押しだ。


※歴史マンガについては、小学校の図書館にあった古いシリーズの印象なので、全てに当てはまるかどうかわかりません。おもしろいものがあれば読んでみたいので、「これは。」というものをご存じの方がいらしたら、是非教えてください。

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