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映画 『樺太1945年夏 氷雪の門』

この映画を見終え、中学生の子が最初に言った言葉は「この映画は(観ることを)義務化したほうがいいね。」だった。
ここに描かれている歴史は、学校の授業で教えられることはなく、しかし子供ながらに「これは知っておかなければならないことだ。」と感じたのであろう。沖縄戦のことは語られるのに、なぜ樺太へのソ連の侵攻と多くの日本人犠牲者のことは語られないのか。その疑問が「義務化」という言葉に繋がったのだ。
本来なら、義務ではなくとも多くの日本人が観たに違いないこの作品は、36年も公開されぬまま埋もれていた。

36年前に、樺太の史実を語り継ごうと五億数千万円もかけて制作され、文部省選定や日本PTA全国協などの推薦も受け、前売り券は70万枚(10月4日訂正)も売れたという『樺太1945年夏 氷雪の門』は、ソ連大使館からの抗議により、公開を断念せざるを得なくなっていた。
その時、ソ連の圧力に屈せず公開していたら、日本人の歴史観や領土についての関心と国防に対する考え方は、相当違ったものになっていたのではないかと感じる。今からでも遅くない、日本人全員に観てほしい。それが無理でも、少なくとも国政を担う政治家達には「義務化」して欲しいと思う。

物語は、南樺太で、終戦直前まで平和に日々を過ごす日本人達の様子から始まる。主人公である電話交換手の女性達も、勤務の合間に皆で久しぶりのお汁粉を食べ、レコードをかけ、にぎやかにお喋りをして楽しそうにしている。
ところが、広島に原爆が落とされた頃から、ソ連軍の動きが慌ただしくなり、長崎に原爆が落とされた8月9日にソ連が宣戦布告。一気に南下してくる。刻々と迫るソ連軍と、その情報に逐一触れながら業務をこなす交換手達。
彼女たちにはもちろん家族や恋人もいて、それぞれが樺太各地でソ連軍の侵攻に遭う。最前線にいる兵士、攻撃を受けながらも仕事を続ける看護婦、大荷物を持ち長い道のりを歩いて引き揚げる女性と子供たち、引き揚げてくる人々をピストン輸送する汽車の運転手・・・。
この引き揚げの様子は衝撃的で、映画を観たあとに親子で「あの場面は今晩夢に出てくるかも」と語り合った。特に印象に残ったのは、名もない役だが、鞄を背負い脇に教科書を抱え、前を真っ直ぐ見て胸を張り、たった一人で黙々と歩いていく、小学生の男の子の姿であった。

この映画は、ソ連軍が自分たちの町に迫っても、引き揚げを拒否して職務を全うした電話交換手達たちがいたという史実に基づいており、その話はどこかで読んだことがあった。しかし主人公達の周辺にも数々の悲劇があったのだということにまで、思いが至らなかった。この映画を観て、この九人だけの美談で済ませてはならないのだと痛切に感じた。
そういえば、「数々の悲劇」の中にはあの人も入っているのかも・・・と思い出した人がいる。
私が北海道に住んでいたとき、町内会の集金に訪れた家の玄関に大きな樺太の地図が貼ってあった。それを見た瞬間、私はハッとした。この家の人の故郷は恐らく樺太なのだ。樺太のことを一時たりとも忘れずに過ごしてきたであろう人の家に、樺太が日本であったことなど全く考えることもなく過ごしてきた私が訪れている。ただ集金に来ただけなのに、もの凄く申し訳ないような気持ちでいっぱいになった。
樺太の歴史を知らないことは、とても恥ずかしいことだと気づかされた一瞬だった。

また、ソ連が不可侵条約を破って侵攻し、日本軍が降伏したことを告げても、次々と攻撃を仕掛け、町を焼き、市民を無差別攻撃したことは、なぜ歴史教育や平和教育の中で教えられないのか、不思議である。降伏したのに攻撃してくるソ連軍に向かって日本側が、
「国際法に反する」
と抗議したのに対し、
「敗戦した国に国際法はない」
といって切り捨てたソ連軍。
このような歴史的事実があるのに、憲法九条さえあればどこの国も攻撃してこないような平和教育をしてきたのはどういうことか。

様々なことを思い出したり考えたりすればするほど、「この映画は(観ることを)義務化したほうがいいね。」という言葉が、重みを増してくる。
全国にはまだ上映中の映画館があり、好評のため再上映が決まった映画館もあるという。ぜひ、機会がある人は観に行って頂きたい。そしてできれば、学校の平和教育には、こういう教材を使って頂きたいと思う。


『樺太1945年夏 氷雪の門』オフィシャルサイト
 ・サイト内の「劇場情報」に、上映の詳細が載っています。
 ・サイト内の「新着情報」(ブログ)に、樺太・軍事史研究家 藤村建雄氏による、とてもわかりやすい「樺太解説」が載っています。

※私が観た東京渋谷シアターN(10/8まで!)では親子で行くと一人1000円になる割引がありました。他にも各種割引有り。
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ピーターラビットの生みの親 『Miss Potter』(映画)

ピーターラビットとビアトリクス・ポターの世界 ピーターラビットとビアトリクス・ポターの世界
カミラ ハリナン、上野 和子 他 (2002/11)
大日本絵画
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友人から是非と勧められて、子供達と一緒に『Miss Potter』を観に行った。ピーターラビット生みの親、ビアトリクス・ポターを描いた映画である。

ピーターラビットの人気の秘密は、お茶目でかわいい動物たちがたくさん出てくるところだが、ミス・ポターもこんなにお茶目でかわいいらしい女性だったとは。

映画は、初めての原稿を出版社に見せに行くときから始まる。本にすることが決まったときの、はにかんだような、それでいて顔全体がはじけそうなる笑顔。この笑顔を見ただけで、ビアトリクス(ミス・ポター)と友達になりたいと願ってしまう。

ビアトリクスは小さい頃から、飼っていた動物の絵を描き、動物のお話を作るのが大好きだった。しかし彼女の家は、メイドが何人もいるほどの上流階級だったため、母親は娘が本を出すことなど望んでいない。早く良いところのお坊ちゃんと結婚して欲しいのだ。そんな母親に反発し、結婚はしないと誓って、本を描くことに邁進する。担当になった編集者ノーマンにとっても初めての仕事。二人は印刷の具合も厳しく熱心にチェックし、素晴らしい本が誕生する。

2冊目、3冊目と、出していくうちに、当然のように二人は恋に落ちる。百年も昔の話だから、それはそれは慎重に思いを育んでいく。プロポーズに返事をする場面が、この映画の中で最も好きなところだ。お茶目で、一瞬であるのにあの満面のはにかんだ笑顔がスクリーンからも溢れ出てきそうになる。

しかしビアトリクスの幸せなときは、そう長くは続かない。笑顔が素敵なだけに、笑顔が消えたときのビアトリクスは魂が抜き取られてしまったかのようだ。

そんな時でもビアトリクスは絵筆を持つ。しかし描いた動物たちが、てんでに動き出してしまう。
それまでの間も、ビアトリクスの描いたピーターは目だけくりくりっと動かしたり、アヒルのジマイマはしっぽをきゅっと振ったりして、ビアトリクスの心の中を映し出していた。他のアニメ映画のように、めまぐるしくて大げさで騒がしい動きとは全く違う、控えめなアニメーション。ほんの一瞬なのに、その一瞬が多くのことを物語っている。すばらしい演出だ。

動物たちが勝手に動き出すほど参ってしまったビアトリクスは、自分の意志で新しい人生を歩き出すことを決断する・・・。


ピーターラビットのシリーズは、たいていはどこの図書館にもあるから、我が家はシリーズのうち一冊しか持っていない。映画を見終わると、ビアトリクスが「私の友達」と呼ぶ動物たちの本、ノーマンが次はどんなストーリーかと楽しみにしていた本を、全部手元に置いてじっくり読みたいと思っていた。


※オーストラリアでは、子供が観ても良い映画は「G」(子供だけで観て良い)と「PG」(親と一緒なら観ても良い)に分かれており、この映画は「G」。けれども、子供だけに観させておくのはもったいない大人も楽しめる映画でした。

※日本には2月24日から配給となっていましたが、公開されているかどうかわからないので、動画が見られるサイト↓を紹介します。
『Miss Potter』
ビアトリクスの笑顔とお茶目に動き出すイラストたちが見られます。(トップページ画面下の「VIDEO」をクリック。)




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