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『発達障害の子どもたち』 杉山 登志郎

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)発達障害の子どもたち (講談社現代新書)
(2007/12/19)
杉山 登志郎

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題名を見て「自分とは関係ない」と思った方も、是非ともこの本を読んでほしい。
発達障害が増えていると言われるのに、私たちは、発達障害というものを知らなすぎるのではないだろうか。社会全体が無知であることが、発達障害の子供の適切な教育を妨げており、社会に順応できるはずの人々が順応できずにいることに繋がっている。また、子供の発達のための環境という点では、障害のあるなしに関わらず、参考になる点が多い。
発達障害の本の中でも、18万部も売れているこの本は、わかりやすく、また説得力のある内容で、一読に値すると思う。

杉山登志郎氏がこの本を書かれたのは、発達障害の子供をもつ親御さんたちや学校の先生方に、発達障害のことを正しく知ってほしいという強い思いがあったからだそうだ。
杉山氏は多くの発達障害児の成長を手伝う臨床経験を積まれてきた医師である。そのご経験からすると、発達障害は、なるべく早い時期から適切に対応すれば、その発達の方向がより良いものになるそうだ。本書には、その実例が書かれていて、たいへん納得がいく。
しかし、親御さんや小児科医の一部、学校教育の関係者の知識不足や、社会の偏見があり、「特別支援教育」を受けさせてやることができない。理解してもらえない。そういうケースが多く、わかりやすく解説するための本書を書かれたという。

杉山氏によれば、発達障害は、英語ではdevelopmental disorderと表現される。つまり「発達の道筋の乱れ」である。ところが日本では「障害」という言葉が、この本当の意味をわからなくしているという。そして次のように述べている。

子供を正常か異常かという二群分けを行い、発達障害を持つ児童は異常と考えるのは、今や完全な誤りである。発達障害とは、個別の配慮をしたほうがより良い発達が期待できることを意味しているのである。

杉山氏は、「障害」という言葉を使って差別するな、他の子供たちと同じに扱え、と言っているのではない。本当はサポートが必要な子供たちを、冷静に区別した方が良いのに、「障害」という言葉によって、親御さんたちがその診断を認めたがらず、適切な教育が遅れることを、憂えているのだ。

 学校の先生からしばしば聞くのは、クラスの中でサポートが必要な子どもに受診を勧めると「うちの子を障害児にするのか」と激怒する親が少なくないという苦情であるが、これは親の側の思いこみによる誤解に基づいていると言わざるを得ない。
 要するに、本人の責任でないことによって(本人が怠けたり、わざと反抗したりしているのでなく、また親の躾の不備によるものでもなくて)学校生活に支障が起きていることが明らかになったのに、この本人にとって不幸な状態を、医療機関などの助けを借りてなんとか解決しようという申し出を、発達障害という名前に由来する偏見から、拒絶をしてしまおうとしているのである。親が怒ったところで、子供の持つ問題が解決するわけではまったくない。


このことからも分かるように、杉山氏は何よりも、子供のより良い発達を強く望んでいる。そのためには、親御さんからは反論が出そうなことでも、きちんと伝えようとしている。
例えば、「発達障害は親の育て方が悪い」というのは誤解で、生物的な要因(素因)が大きいとしているが、その一方で、人の発達には環境因もかかわっており、親が子供に安心を与えることが大事だということも、丁寧に説明している。そしてこれは、障害の有無に拘わらない問題であるとしている。
これは、何人もの子供たちの成長とその環境を見てきた杉山氏の、示唆に富む言葉である。

発達障害の子供たちが、適切な教育を受け、自立し、適性に合った職業に就くようになれば、社会にとってもメリットは多い。「関係ない」と言わずに、手にしてみてほしい。
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『大御心―明治天皇御製教育勅語謹解』

大御心―明治天皇御製教育勅語謹解 (1980年)大御心―明治天皇御製教育勅語謹解 (1980年)
(1980/07)
明治神宮

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一、親に孝養をつくしましょう
二、兄弟・姉妹は仲良くしましょう 
三、夫婦はいつも仲むつまじくしましょう 
四、友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
五、自分の言動をつつしみましょう
六、広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
七、勉学に励み職業を身につけましょう
八、知識を養い才能を伸ばしましょう  
九、人格の向上につとめましょう 
十、広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
十一、法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
十二、正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

これは私が外国暮らしの中で、子供達の教育や自分の行動の指針にしてきたことである。
キリスト教の国では、公教育でも日常会話の中でも「聖書の教え」が頻繁に出てくる。それは大抵、道徳的な教えを説きたい場合で、共感する内容も多い。しかし「その教えは聖書に教わらなくても知っていたわ。」という事柄も多く、日本人にとって道徳を説いてくれる教科書としての聖書のようなものは何なのだろう?と考えていた。そして突き当たったのが『教育勅語』である。上に抜粋したのは、その中の「十二の徳目」と呼ばれる部分の現代語訳である。

『教育勅語』と聞いて、反感を覚えたり、古くさいと思ったり、全くご存じない方もいるかもしれない。
しかし先入観をなくし、改めて十二の徳目を読んでいただきたい。現代の日本に必要なものばかりではないだろうか。
「家族の絆が薄れている。」「就労意識が低い若者が増えている。」「日本の学生の勉強時間は少なすぎる。」「利己主義で自分勝手な人が多い。」このような日本が劣化していくことを嘆く言葉を見ると、戦後も変わらず『教育勅語』の精神が教えられていれば・・・と思う。
様々な事件が起こる度に、「道徳観念をきちんと教えなければ。」「遵法意識を持たせよう。」という議論がなされるが、具体的な教育方法についてはあまり聞いたことがない。小さい頃から、義務教育の中で『教育勅語』を教えてはどうだろうか。

しかし残念ながら、戦後の日本は『閉ざされた言語空間』の中にあり、「『教育勅語』は、子供の自由や個性や権利を奪い、戦争に繋がる悪い教えだ。」という印象を植えつけられたまま今に至っており、公教育の中ですぐに道徳教育の中に取れ入れるなどということは、あまり期待できないだろう。
そうなると、このような教えは、家庭の中で伝えていくしかないのである。

明治神宮より刊行されている『大御心』には、教育勅語の原文と現代語訳、それにふさわしい明治天皇の御製が書かれている。
例えば、あるページはこのようになっている。

進ンデ公益ヲ広メ世務ヲ開キ

(公益)大衆の利益、
(世務)世の中のつとめ、
(開き)開発し、

さらに一歩すすめて、広く世の人の為に尽し、社会の利益になる仕事を開発して

明治天皇御製 思
国民のうへやすかれとおもふのみわが世にたえぬ思なりけり


『大御心』には、このような『教育勅語』の解説の他、明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌が十五首ずつ抜粋され、やはり丁寧な解説が書かれていて、和歌に馴染みのない人にもとてもわかりやすくなっている。
この御製と御歌の内容も、私は日本の聖書のようなものだと感じている。大人になると誰も意見してくれないようなことを教わることもあるし、何かに悩んだり心が落ち着かないときに、この本を開くと慰められたりほっとすることもある。
昭憲皇太后の御歌には、現代では忘れてしまいがちな女性の慎みの大切さを気づかされるとともに、女性でも向上心を持ち勤勉でなければならないと励まされる。次の御歌などは、その両方が一句の中に表現されている。

謙遜

高山のかげをうつしてゆく水の
ひききにつくをこころともがな

高い山の姿を写して、谷川の水が段々と低い方へ流れて行くように、誰でも理想は高く、身はつつましく、ということを心がけたいものです。


『教育勅語』は、明治23年10月30日に渙発された。今日から丁度120年前である。
この節目の年に、『教育勅語』と明治天皇・昭憲皇太后の教えを、一度見直してみるのもよいのではないだろうか。

※『大御心』は明治神宮のHPから購入することができます。

※明治神宮に行くと『教育勅語』『五箇條の御誓文』『明治天皇御製・昭憲皇太后御歌一日一首』が一冊にまとまったものを無償配布しており、遠方の場合などはHPから郵送料はかかりますが送付をお願いすることもできます。 

『砂漠に創った世界一の学校―学力世界ナンバーワンの生徒を育てた日本人女性校長、涙のビジネス戦記』 スワーダアルムダファーラ

砂漠に創った世界一の学校―学力世界ナンバーワンの生徒を育てた日本人女性校長、涙のビジネス戦記砂漠に創った世界一の学校―学力世界ナンバーワンの生徒を育てた日本人女性校長、涙のビジネス戦記
(2009/02)
スワーダアルムダファーラ

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スワーダ・アル・ムダファーラ氏は、オマーンというイスラムの国で、私立の学校を一から創り、数年後には世界規模の学力テスト(IGCSE A-Level)で世界一位の成績を修める生徒を誕生させた。その「世界一の学校」の創始者であり校長であるスワーダ氏が、日本のラジオに出演され流暢な日本語で語った。

「私のアイデンティティーは『日本人』です。」
「オマーンでは日本人は信用されている。それはこれまでの日本人達のおかげです。」
「校則とは、子供達が我慢を学ぶためにあるのです。」


流暢な日本語を話すのは当然のことで、彼女が東京生まれの歴とした日本人であったからだ。オマーンに移り住み、イスラムに帰依し、名前も変えた。しかし、日本人としての誇りを持ち続け、日本人としてオマーンに生きた証が欲しくて学校を創ったという。

この人物に興味を持ち、また教育方針に共感を覚え、スワーダ氏自らが書かれたこの本を読んだ。

高校生の時から自分の生き方は自分で選び、失敗する度に何かを掴んで立ち上がり、脇目もふらずに前進する。四度の結婚と三度の離婚、数え切れないほどの起業歴、政府と交渉し前例を覆しながら自分の理想を実現させていく交渉力・・・。身近にいたら圧倒され、話しかけることもできないくらいの「強い女」というのが、本を半分ほど読んだ辺りの印象だ。
戦後の進歩的な女性が憧れる、自立していて、何ものにも束縛されず、自由を謳歌し、古い価値観をぶっ壊し、男性並み(実際は男性以上)に仕事がデキる、その代表者のような人物である。

学校の運営について書かれている後半に読み進むと、印象が少しずつ変わっていく。「強い女」であることに変わりはないのだが、全く新しい側面も見せてくれる。
スワーダ氏が教育を語るとき、そこには子供達への強い愛情が感じられる。子供達に何をどう与えたら、よりよい学校生活が送れるか、よりよい未来が開けるか、常に子供に心を寄せている。そして子供に心を寄せるということは、子供の我が儘を聞き入れ子供に迎合することではないということが、はっきりと書かれている。
スワーダ氏の学校では校則に「してはいけないこと」を掲げていて、その中には例えば携帯電話の持ち込み禁止などがあるという。なぜ禁止なのかを考えさせ、理解させ、「けじめ」を身につけさせる教育が大切だと考えるからだ。

自分の心をコントロールして精神力を強くする-。これが私の躾教育の核です。欲しい物が買ってもらえなくても膨れっ面をしない、欲しくても持たない、持っていても自慢しない。そうした精神力を養う時期は子ども時代しかありません。学校とは、校則を通じて子ども達が自分の心をコントロールしていく場所なのです。

このような教育の基本的な考え方は、自分の受けた日本の教育の素晴らしさにあるという。特にオマーンの子供達に教えたい日本の心は、
一、相手を非難する前に自分の行動を振り返り、悪いと思ったらすぐ謝ること。
二、一歩引いて相手の気持ちになって考えること。
三、目上の人に敬意を払うこと。

他にもラジオ体操、運動会、折紙など、私たちが当たり前だと思っている日本的な教育プログラムにも価値を見出し、自分の学校に取り入れているそうだ。

また、子供達だけでなく女性達への提言も書かれている。

ただ、一つだけ言いたいのは、子どもを持つ女性には、仕事を休んで我が子の世話をする時期が必要、ということです。もちろん、女性は働くなと言うのではありません。「よき子どもを育てるための母親の役割」を、よくよく考えてみてほしいのです。
 日本にもオマーンにも言えることですが、今、子ども達が荒れているのは、母親が家庭にいて子どもの話をちゃんと聞いてあげないからではないでしょうか。
 荒れた子どもを立て直すことは、社会を立て直すことにもつながります。蟻や蜂を見ても、“家”にいるのは王様ではなくて女王様。人間社会も同じように、男性が外で働いて収入を家に持ってくる、女性はまずしっかりと家庭を築く。それが自然の原理であり、そのサイクルがうまく回れば社会を築き直せるはずです。


学校では毎朝、スワーダ校長が一人一人の子供と握手をし、子供の様子を知り、心を通わせることに努めているそうだ。

スワーダ氏が世界から注目されるような学校を創り、教育のプロフェッショナルとして成功したのは、高い学歴があったためでも、資産家であったためでもない。必要な資金は自分で稼ぎ、必要な知識は自ら貪欲に学ぶ。その過程で失敗があっても、そこから次に繋がる何かを掴み取る。
スワーダ氏の生き方を見ていると、私たち現代の日本人は、なんと甘やかされているのだろうと思わざるを得ない。不況だから・・・、子育てに手がかかるから・・・、教育にはお金がかかるから・・・、と、国からの支援ばかりに期待するのは、一人一人の自立の妨げになっているのではないかと思えてくる。 

スワーダ氏は、「どんな経験も無駄なものはなかった。」と言う。そういう姿勢で生きることが、いかに未来を希望に満ちたものにしてくれるだろう。スワーダ氏と同じ生き方は到底無理だけれど、「どんな経験も無駄なものはない。」という言葉は、いつも心に持っていようと思う。

『中山成彬はなぜ日教組と戦うのか』 伊藤 玲子 (過去記事)+北教組についての新しい戯言

北教組の政治資金問題が表に出て、国会でもヤンキー先生こと義家弘介参議院議員が北教組の政治活動や偏向教育について鋭く斬り込んでいらしたという報道がありました。義家議員は、北海道の私立高校で教鞭をとっていらした方なので、他人事ではないという思いもあったのではないでしょうか。

昨年亡くなられた中川昭一元衆議院議員は北海道選出の議員でいらして、ずいぶん早くから教育の改善を政策の中心に掲げられていました。

また同じ北海道選出の町村信孝衆議院議員も、46協定や鉛筆年休を批判なさってきましたし、つい最近では北教組の資料に「竹島は韓国領だ」とあるのを指摘しています。

昨年の今ごろ下掲の記事に書いた入学式の体験も、北海道での出来事でありました。

北海道の教育に触れる機会があると、「この教育は何かおかしい。」と気づくことが多いのではないかと思います。このような実態は一般にはあまり知られていないようなので、昨年は書かなかったことも少し紹介したいと思います。

我が子の入学式で君が代が歌われなかった(下記参照)ことに衝撃を受け、当時20代の若者に以前から同様だったのか訊いてみました。
中学の卒業式の前に担任の先生から「君が代のメロディーが流れるときは、先生達退出して会場からいなくなるけどびっくりしないでね。」と言われ、本当にその通りになったそうです。

数年前、友人の子供の学校では、学習発表会(学芸会)の劇のテーマが、兄弟どちらの学年も「戦争」であったそうです。日教組の好む「反戦平和教育」がこのような形で取り込まれているのでしょう。二学年も、というのには思想教育的なものを感じ、学習発表会の場が利用されているのではないかと感じました。

我が家では一時、北海道新聞を取っていたことがあります。46協定のおかしさが指摘されはじめていた時期でしたが、道新の記事では「過酷な労働に耐える教職員に同情する」というような論調ばかりでした。また、その頃起こった卒業式に生徒が国旗を引きずり降ろしたという事件についても、生徒の「気持ち」を大切にすべきだという内容の記事を書いていました。我が家が購読を止めた後も、熱心に「国家・国旗を強制するな。」という記事を書き続けています。
教育とマスコミが一枚岩となって、教育を歪めていく事態を恐ろしく感じました。

北海道の先生方が皆怠けていたり、思想教育に熱心なわけではありません。
我が子がお世話になった先生は、とても教え方も上手でしたし、放課後も子供のスポーツ指導で毎日遅くまで学校に残り、休日も試合の付き添いにいらしているようでした。
知人の中学の先生は、自ら問題のあるクラスを担任し、他の先生方の嫌がるクラブの顧問も率先して引き受けていました。
私が君が代問題で質問をした20代の若者は、公立高校で担任の先生から「日本が悪いとばかり言う偏向した教育や情報を鵜呑みにしてはならない。」と教わったそうです。
こうした先生も少なくないことから、保護者が北教組の問題になかなか気づかないのかもしれません。


※北教組の活動についてはこちら↓に詳しく書かれています。
『北教組の深い闇 学校を支配する諸悪の根源「46協定」とは』

※(21:26追記)日教組と戦い続ける阿比留記者が北教組についての新しい資料を紹介しています。
『北教組の極めて異様な国家国旗反対文書』


以下は、過去の紹介記事です。

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中山成彬はなぜ日教組と戦うのか中山成彬はなぜ日教組と戦うのか
(2008/11/26)
伊藤 玲子

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卒業・入学シーズンになると、我が子の小学校の入学式を思い出す。「懐かしく」とか「微笑ましく」といった感情ではなく、背筋がぞっとするような感覚と共に、である。

入学式だから当然「君が代斉唱」の場面がある。式次第に「斉唱」と書かれていたかどうか定かではないが、ともかく伴奏が始まった。私も歌い始めようと口を半分開きかけたが、左右の保護者はピクリとも動かない。次の瞬間声を出して歌い始めたのは、校長先生と一人の父親だけであった。生徒などまるでいないかのように子供の声はひとつも聞こえない。以前から日教組の強い地域であることはわかっていた。だからこそ、こういう場面では必ず声に出して歌おうと考えを固めていたのに、いざその異様な雰囲気に身を置くと、金縛りにあったように、動くことも声を出すこともできなかった。
さらに不可思議なのは、「校歌斉唱」になると子供達も先生方も保護者もみんな大きな声で堂々と歌うのだ。これが先ほどまでしーんと押し黙っていた人たちかと驚くほどの大声で。ここが母校である保護者が多いこともあり、多くの父母が校歌を歌える。そして君が代は歌わない。普通は逆なのに。
普段日教組は「国歌・国旗の強制はいけない。」というが、あの時、私は「歌わないことを強制されている」と感じた。

歌う、歌わないの問題より(これももちろん大切だが)、このように知らず知らずのうちに、子供達が特定の、それも反国家的な思想に染まっていくということに私は恐怖を感じた。

たかが入学式で何を大袈裟なと思う方も多いだろう。
何か過激で嫌ね、と感じる方もいらっしゃるだろう。
しかし、そう思った方にこそ、この本を読んでいただきたい。
著者の伊藤玲子氏は、長い間ごく普通の専業主婦でいらした。お孫さんの学校での通信簿のつけかたに疑問をもったのがきっかけで、日教組の実態を知ることになり、市議となり実態調査や教育改革に取り組まれてきた。
普通の主婦で、もう子育ても終わり、おばあちゃんになっていた女性をここまでの行動に駆り立てるほどの「悪」とは何なのか。

この本には、もしも自分の子供がこのような学校に通っていたら・・・とぞっとするような事例が、これでもかこれでもかと出てくる。日教組だけでなく共産党系の全教の例も含まれているが、思想的にもやることもほぼ同じである。

小学校の音楽の授業に突然チマ・チョゴリを着た女性が現れ、朝鮮語の謎の歌を一緒に歌わされる。真面目に歌わないと、普段以上にひどく怒られる。その挙げ句、教員がこう語り始める。

「日本がかつて朝鮮を支配していた時代に、その悔しさと苦しみの中で朝鮮の人たちが歌っていた歌です。皆さん、そのときの朝鮮の人たちの気持ちになって歌いましたか」

その後、どのような背景があるのかの説明もなく、本当にあった事かどうかもわからない話が披露される。

「この女性(チマチョゴリの女性)のお父さんの知り合いは、戦前に日本の統治下でひどいことをされました。みな道路わきに並べられ、順番に鉄砲で撃たれていったんです」

溺れた子供を大学生が助けようとして二人とも亡くなってしまったニュースに対して、こう語る社会科の教員。

「この大学生は命を大切にするということさえ分かっていれば、こんな結果にならなかったはずだ。自分の命を大事にするということさえわかっていれば、川に飛び込まなかったはずだ。君たちは自分の命をもっと大切にしなければならない」

自衛隊員の子供がクラスメートの前で、教員からこういわれた例がいくつもあるという。

「○○ちゃんのお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが職業です」

これらのことが、「平和教育」「人権教育」などといういかにも子供にとっても社会にとっても大切であるかのようなスローガンの下で行われているのだ。「生徒の人権」の具体的な内容にはこんなことまで掲げられている。

『遅刻しても授業を受ける権利』『飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利』『セックスするかしないかを自分で決める権利』『子供を産むか産まないかをきめるのは女性自身の権利』・・・

伊藤玲子氏が、日教組の教育で育った人が権利ばかりを主張するモンスターペアレンツになり、今になって自分たちのしたことが跳ね返っていると指摘するのはもっともだ。きちんとした教育をされている先生方がお気の毒でならない。

この他、授業を疎かにした組合活動、労働者の権利への執着、選挙活動に組織を利用する実態、教員同士のいじめ、校長先生を何人も自殺に追い込むような吊し上げ・・・などが事細かに書かれている。
日本の教育問題の根幹は日教組(と全教)の「反国家の政治活動」と「まともな人間をつくらない教育」だという伊藤氏の分析が、決して荒唐無稽でなく、いかに的を射たものかがよく分かる。

これらの実態を知った伊藤氏が、平成六年から歴代の文部・文科大臣に
「日教組支配を断ち切らなければ日本の教育はよくならない」
と訴え続けて十年、初めて、それに応えて真剣に取り組んだのが中山成彬元大臣だったという。大蔵畑で何もわからないからと、現場に足を運び、全国からの報告に目を通し、教育改革に道筋をつけた。
その後、国交大臣に就任された際に「失言」問題で辞任されたのは周知の通り。辞任をしてでも、言わなければならないことを言い続けると決意されたそうだ。

私は、文部科学大臣在職中も含めて何度も日教組について発言しているのに、マスコミは全く採り上げてくれませんでした。しかし、「失言」にして叩けると思った瞬間に、食いついてきましたね。

マスコミだけでなく、日教組については、文部科学省も各地の行政機関や教育委員会も、気を使ったり恐れたり取り込まれたりして、問題点を指摘することが少ない。教育の実態も、政治家との癒着も、酷いことになっているのに、報道されることがない。
中山氏が、国交大臣を辞してまで国民に伝えたいと思った教育の実態を、私達はきちんと知っておくべきではないかと思う。教育が、未来の日本をつくっていくのだから。


※以下は日教組と戦う阿比留記者の記事の一部です。
民主・輿石氏「教育の政治的中立などありえない」
輿石氏の政治信条「逃げない、ウソつかない」と過去エントリ
ミスター日教組、槇枝元文氏と北朝鮮の関係について
日教組女性部によるPTA工作と石坂啓氏の講演



『子どもにスポーツをさせるな』 小林 信也

子どもにスポーツをさせるな (中公新書ラクレ)子どもにスポーツをさせるな (中公新書ラクレ)
(2009/06)
小林 信也

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国際水泳連盟(FINA)は、レースが終わってから水着が認可できるものかを審査し、その結果世界記録を上回っていた日本選手のタイムを公認しないことを決定したという。練習を積み全力で泳いだ後で、記録を反故にされた選手の気持ちを思うと、気の毒で、悔しくて、新聞記事を読みながら涙ぐんでしまった。
FINAの公式スポンサーであるメーカーの水着だけが早々と認可されていて怪しいと、北京オリンピックの頃から言われていた。
一方、まだ認可されていない水着でレースに出ても良いと判断した日本水泳連盟も浅はかではなかったか。
水着メーカーは開発競争を急ぎすぎてはいなかったか。
そもそも、水着に勝敗や記録を左右されるのは、競泳本来の姿だろうか?

選手ではなく周りの「大人たち」の都合で、スポーツがとんでもない方向に向かっている。スポーツライターの小林信也氏は、このとんでもない方向性が、子供達からスポーツ本来の楽しみや自らを人間的に成長させる役割を奪っていることを危惧している。スポーツを本当に愛する小林氏は、スポーツの主体は企業(ビジネス)でも記録でも話題性でもなく人間であるという視点をもっていて、スポーツ関係者にはぜひこの本を読んで欲しいと思う。

ビジネスのために間違った情報を流しても平気なスポーツ関連メーカー、話題性ばかりを重視して選手の評価をミスリードするマスコミ、そして子供達に最も身近な指導者や親たちの見栄や妄想。それらが、スポーツの在り方をゆがめているという。

いまスポーツ界は、「勝てばいい」「儲かればいい」「目立てばいい」、そんな価値観に支配され、毒されてしまっている。

その価値観が、子供達の健全な成長に悪影響を与えているのだ。

例えば、ジュニア・ゴルフ界では、スコアが悪いと親に厳しく叱られるからと、スコアを改竄したりボールをこっそり動かしてしまう子供達がいるという。

「あるがまま」でプレーするのがゴルフの基本だ。それでこそ、ゴルファーは理想通りには行かない現実を学び、自分の弱さ・未熟さを痛切に味わう。

そして「自分との戦い」に打ち勝つことがスポーツの原点ではないのかと小林氏は嘆く。

サッカー少年の親たちは子供に「将来Jリーガーになれるかもしれない。」という夢を託す。

そんな幻想が、サッカー・スクールに子どもを通わせる親たちの心を大きく占めるようになった。練習や試合で一喜一憂する親たち、子どもたちの喜び・落胆を左右する基準は、その日のプレーの達成感、充実感だけでなく、「プロになれるかなれないか」のボーダーラインに照らして揺れ動いている。

全力を尽くして試合を終えても、その日のプレーの達成感・充実感だけではだめなのだ。それは通過点に過ぎず、子供達は「まだまだ」「もっとガンバレ」と言われ続けるのである。毎年Jリーガーになれる人数は東大合格者の数より少ないというのに・・・。

本の後半では、「勝てばいい」「儲かればいい」「目立てばいい」というのとは一線を画したスポーツ関係者のことを紹介し、あるべきスポーツの姿を探ろうとしている。素晴らしい指導者や競技のことが書かれていて、小林氏が本当は「子どもにスポーツをさせるな」などと言いたくないのだということがよくわかる。
小林氏のスポーツに対する考え方には賛同できることがたくさんあるのだが、とくに私の琴線に触れたのは、次の一文だ。

スポーツの感動は、小学校のグランドにもある。

ふと自分自身がスポーツを心から楽しんでいたあの頃を思い出した。
ドッヂボールでスポーツ万能の男の子が投げた速い球をキャッチした瞬間、鉄棒で新しい技をできるようになった瞬間。小さな、しかし何にも代え難い感動が走った。
中学や高校の部活では、「あっ、今上手くなっている!」「きのうより筋力がついている!」、そんな小さな喜びが、辛い練習にも耐える力となっていた。

子供達から「自分との戦い」を奪ってはならない。「達成感」を奪ってはならない。子供のスポーツに関わる人たちは、そのことを忘れないでほしい。

Appendix

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