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『神の代理人』 塩野 七生

神の代理人 神の代理人
塩野 七生 (1996/03)
中央公論社
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「神の代理人」とはカトリック界の頂点に立つローマ法王のことである。この本で四人のローマ法王を知ると、彼らは「神の代理人」というより「人間の代表」といった方が良いのではないかと思えてくる。それくらい、さまざまな型の人間を見せてくれる。

ピオ2世-教養があり洞察力に優れ現実的な人間も、頂点に立つと大きな夢を見てしまうことがある。
アレッサンドロ6世-血縁を重視し、自分たちの一族が世の中に君臨するためには、どんな邪魔者もあらゆる手を使って排除する。
ジュリオ2世-理想に燃え、信仰のため、教会のため、と盲目的になり、状況判断のための視野と耳を持たず、気づいたときには取り返しの付かないことになっている。
レオーネ10世-人間の欲望、享楽を知り尽くし、神の代理人とてまずは民心を掴むべしと、贅沢の限りを尽くした策を次々と繰り出す。

この中で、最も神の忠実なしもべであろうとしたのは、恐らくジュリオ2世だ。キリスト教界での法王庁の独立と栄光を確固たるものにするため、まずは法王に不従順なイタリアの都市を服従させることにする。最初はボローニャを征服するために、フランス勢と同盟国ヴェネツィアを導入。ここから、戦いに勝利した国や都市の勢力を牽制する、もぐら叩きゲームのような政策が始まる。
対ヴェネツィア戦に、フランス勢と同盟国ドイツ、スペイン、フェラーラ、マントヴァ、フィレンツェを導入。
対フランス、フェラーラ戦に、スペイン勢と同盟国ヴェネツィア、スイスを導入。
対スペイン戦に、ドイツ勢導入を画策。
こうしてイタリアの国土は、近隣国を引き込んだ戦場となり、法王は自分で蒔いた種を必死に刈り続けることになる。このジュリオ2世の物語の書き出しはこうである。

 動機が純粋で真面目であり、利己的でなかったという理由だけで、その行為の結果に対する人人の評価が驚くほど寛容になるのには、暗澹たる気持ちにさせられる。
 そういう人は、一私人として見れば、善人で尊重すべき人物で済むのである。だが、彼が、多くの人の生活に影響を与える立場と力を持つ人物であった場合、はたして、その動機の純粋さを誉め称えるだけで済むであろうか。利己的でないということは、それほど立派な免罪符であろうか。


この言葉の裏には、ジュリオ2世とは対照的なアレッサンドロ6世の姿がある。
チェーザレ・ボルジアの父親であるアレッサンドロ6世は、親子でイタリアに君臨しようとしていた。親は宗教界の、息子は世俗界の頂点に立ち、ボルジア家の繁栄に貢献したかったのだ。
動機は利己的であるが、目的の達成のためには慎重に計略を練り、あらゆる策を弄する。自分が損をしたくないという、よくいる型の人間の代表だ。イタリアが他国に支配されることを許さず、フランスの介入を断固として阻止しようとして、それに成功する。
塩野氏は、イタリアにとって、動機が崇高なのと、結果が円満なのと、どちらが良かったのだろうかという投げかけをしている。

このアレッサンドロ6世の物語には、ある修道士との書簡を通じた戦いが描かれる。フィレンツェの修道士サヴォナローラは教会改革に邁進し、フランス軍と手を組んで法王アレッサンドロ6世の退位を目論む。それを知った法王があの手、この手でサヴォナローラを懐柔しようとする。
ここで私が関心をもったのは、法王の懐柔策ではなく、フィレンツェ市民の態度である。サヴォナローラは演説によってフィレンツェ市民の熱狂的な支持を取り付け、フィレンツェ全体が反法王の様相を呈する。しかし、法王が仕掛けてきた「火の試練」から、のらりくらりと逃れようとするサヴォナローラの姿に市民が失望し、激怒し、暴徒と化し、死者まで出してしまうことになる。愚かしいほど単純で熱しやすく醒めやすいことに呆れながら読んでいたが、私たち日本人だって似たような国民性だと思い出し、呆れるのをやめた。

 だが、民衆のこの畜生性を軽蔑してみたところで、またそれを嘆いてみたところで、いったい何になろう。現実は、それを直視するしかない。
 民衆をある事柄に熱狂させることは、さほどむずかしいことではないはずだ。なぜならば、民衆は、常に何かに熱狂することを欲しているのだから。ただし問題は、民衆のその熱狂を続けさせることである。それはむずかしい。


この民衆の熱狂を、祭りや芸術に向けさせたのが、レオーネ10世だ。
彼の贅沢な宗教行事に反発するかのように、ドイツではマルティン・ルターが出てくる。神と人間は直接結ばれているから「神の代理人」は不要であるという考え方だ。
しかしレオーネ10世は、この新しい潮流は、個人主義的で、単眼的で、人間の感情にそぐわないと語る。ルターは聖人信仰や偶像崇拝も禁じている。しかし、それらは民衆の欲していることで、自然な信仰ではないのか、無理矢理禁じていいものかと。その話を聞いた法王の話し相手は言う。

「それは大変だ。フィレンツェ生れのわたしは、市の守護聖人洗礼者聖ヨハネ様と、生まれ日の聖人マリアーノ様に守られ、床屋の守護聖人聖トマソ様の守護もあるし、旅にでる時は聖クリストファロ様にお祈りすれば、旅の間中守ってくださるし、何か物を失くした時は、聖アントニオ様にお願いすれば、失くし物も早く見つかるというのに、そういう聖人を皆、いけないっていうんですか。私らとしては、とても親しみを感じている聖人様たちなのに」

日本の「学問の神様」や「とげ抜き地蔵」などに相通じるところがあり、聖人信仰には共感できる。
私は、カトリックの国では宗教的なストレスをほとんど感じず、カトリックの行事も気軽に見物できたのに、プロテスタントの国では「神は唯一」という言葉を何度も聞かされ、宗教行事にはほとんど参加したことがない。カトリックには多分に多神教的要素と人間重視の信仰が感じられ、プロテスタントには疎外感を抱かされる。

これからは、殉教か勝利かを、むりやり選ばせられる世の中になるだろうよ。

むりやり選ばせられることはないけれど、常に「二つに一つ」という価値観を突きつけられているような感じがして、落ち着かないのは確かである。
カトリック教会が「人間の代表」を「神の代理人」に据えることの意味が、何となくわかったような気がする。
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『レパントの海戦』 塩野 七生

レパントの海戦 レパントの海戦
塩野 七生 (1991/06)
新潮社
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レパントの海戦の被害
イスラム側  戦死者 約八千人
         捕虜になった者 約一万人 
         解放されたキリスト教徒の奴隷 約一万五千人
キリスト教側 戦死者 七千五百人

レパントの海戦はガレー船での最後の大海戦であり、両軍会わせて五百隻の船と十七万人の人間が激突した。被害が膨大な数字になるのは当然だ。
ガレー船とは甲板に人がズラリと並び櫂で漕いでいく船のこと。上記の「キリスト教徒の奴隷」というのは、鞭打たれながらイスラム側の船を漕いでいた人達である。漕ぎ手・船乗りの他に戦闘員が乗り、海戦とは言っても、船上での白兵戦で勝負をつける時代だったのだ。

人数も大規模なら、キリスト教側連合軍の顔ぶれも大国の王侯貴族から海の傭兵ドーリアやヨハネ騎士団まで、蒼々たるものだ。
地中海での通商をトルコの拡張主義に脅かされて、とうとう立ち上がったヴェネツィアが人員不足を補うため、ローマ法王とスペイン王が参戦を決意するように画策する。その結果、連合艦隊の中央にスペイン王弟ドン・ホアンの乗るキリスト教艦隊旗船、両脇に法王庁の旗船とヴェネツィア海軍総司令官ヴェニエルの旗船がぴったりと付くという布陣になる。それぞれお互いを信用していなかったからだ。最左翼はヴェネチア海軍参謀長バルバリーゴの船、最右翼はスペイン王に雇われたジェノバ人傭兵ドーリアがかためる。

イスラム側は海洋民族ではないので、海賊を召し上げ、右翼・左翼の要に配す。

海戦そのものは、5時間余りでかたが付いた。しかし、キリスト教側の本当の戦いは内部にあった。目的も意識も違う者同士、心を一つにして闘う姿勢をつくるのは簡単なことではない。ところが上手い具合に、開戦寸前に、彼らの心は一つになった。
まず、ドン・ホアンに、この艦隊を任された者としての自我が芽生えたからであり、さらに、キプロス島でのキリスト教徒に対するトルコの残忍な仕打ちが、キリスト教側の知るところとなったからだ。
そして、もう一つの理由は、戦いが終わってから皆が思い知ることになる。カリスマ性のあるドン・ホアンも、海での戦いには卓越した指導力を発揮するヴェニエルも、穏やかな物言いと毅然とした態度で調整役を務めていたバルバリーゴのお陰で、共闘できていたのだった。
結局、どんなに船や人を集めても、どんなに戦闘能力があっても、それらが一つにまとまらなければ、勝利に結びつくことはないのだ。

海戦がこの本の山場ではあるが、大戦に勝ったからといって、世界的な勢力図の変化を止められないこともある。ヴェネツィアの悲哀は、勝利の喜びが、瞬間的なものであったかもしれないところだ。
トルコの拡張主義が西欧にまで及ぶ前に食い止めたこと、ヴェネツィアの平和と経済活動が保たれたことなど、勝利の意味は大きいが、この戦いを境に、地中海が世界の中心ではなくなってしまったというのは、何とも寂しい。

そんな悲哀を感じてか、当時トルコ駐在ヴェネチア大使だったバルバロは、期間後の報告会で政府を痛烈に批判したという。

「国家の安定と永続は、軍事力によるばかりではない。他国がわれわれをどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によるところが多いものである。
 ここ数年、トルコ人は、われわれヴェネツィアが、結局は妥協に逃げるということを察知していた。それは、われわれの彼らへの態度が、礼を尽くすという外交上の必要以上に、卑屈であったからである。ヴェネツィアは、トルコの弱点を指摘することをひかえ、ヴェネツィアの有利を明示することを怠った。
 結果として、トルコ人本来の傲慢と尊大と横柄にとどめをかけることができなくなり、彼らを、不合理な情熱に駆ることになってしまったのである。・・・」


読んでいるうちに背筋が寒くなってくる。「ヴェネツィア」を「日本」に置き換え、「トルコ」を架空の(あくまで架空。怖すぎるから。)広大で人口の多い拡張主義の某国に置き換えてみたら・・・。日本はひとたまりもない。ヴェネツィアの衰退期を書きながら、塩野さんは祖国を思っていたのではないだろうか。

『ロードス島攻防記』 塩野 七生

ロードス島攻防記 ロードス島攻防記
塩野 七生 (1991/05)
新潮社
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「キリストの蛇たちの巣」と呼ばれたロードス島。コンスタンティノープルを陥落させ、次いでシリア、エジプトを征服したトルコにとって、東地中海は自分の自由にできる内海になるはずだった。ロードス島さえなければ。そしてそこをねぐらにする「蛇たち」とは「聖ヨハネ騎士団」の事である。

もともと聖ヨハネ騎士団は、十字軍によってキリスト教徒が一時的に征服したイェルサレムで、病人治療と軍事に奉仕するキリスト教奉仕団体であった。パレスティーナでのイスラム教徒とキリスト教徒の覇権争いに破れ、聖ヨハネ騎士団は軍事的に精鋭化したまま、ロードス島を本拠地とする。そこでヨハネ騎士団は聖戦を続けるという名目で、イスラム教徒の船、イスラム教国と商取引を行うヴェネツィアなどの船を襲い、いわば海賊として暮らしていた。ロードス島はコンスタンティノープルからイェルサレムに向かう中間地点に位置するので、トルコは「喉元のトゲ」を排除すべく、宣戦布告をしたのだった。

海賊という暮らし方にしては、登場人物達が気品に溢れて頭脳明晰なのは、彼らが貴族出身の騎士であり、僧侶であるからだ。当時のヨーロッパでは「武」に関わる仕事をするのは騎士と決まっており、民間人は携われない。また寄付金で成り立つ宗教団体であるので修道僧と同じ規則を守らなければならない。すなわち、清貧、服従、貞潔である。騎士達の出身は西欧各国で、話す言語ごとに、所属する騎士団が違う。フランス騎士団、イタリア騎士団、イギリス騎士団・・・。西欧各国の伯爵家や、男爵家の子息達の集まりなのだ。

当時のヨーロッパは各国の勢力争いが激しく、十字軍の結束力は衰えていた。そのため、トルコの宣戦布告にも本国から援軍を送ってくる気配はない。トルコの陸軍十万に対して、ロードス島側は騎士六百人足らず、傭兵千五百人余り、参戦できる島民三千だけで戦わねばならない。
これで、五ヶ月にわたって持ちこたえたのは、奇跡に近い。聖ヨハネ騎士団のキリスト教への信仰と騎士道精神がそれを可能にしたのかもしれない。

このような特色ある集団であったためか、前作『コンスタンティノープルの陥落』に比べ、人物の描写にすぐれている。
イタリアの男爵家出身のオルシーニは、規則を守らない問題騎士だが、いざ戦闘となると誰よりも勇猛果敢という豪傑だ。

「人間には誰にも、自らの死を犬死と思わないで死ぬ権利がある。そして、そう思わせるのは、上にある者の義務でもある。」

そして世界の情勢をもとにする分析が鋭い。ヨーロッパでは中央集権型の大国主義が進み貴族は君主の臣下に組み入れられ、大砲の出現によって戦いの仕方が変わり騎士の存在意義が薄れるだろうと予測する。鋭いが故に、自分たちの未来への寂寞も感じとってしまうのだ。

「そういうわれわれが、人海作戦と大砲とで強力になったトルコ軍と闘うのだから、皮肉でなくてなんだろう。滅びゆく階級は、常に、新たに台頭してくる階級と闘って、破れ去るものなんだ。」

戦いが終わり、宗教は違えど騎士道精神の持ち主同士が、スルタンの天幕の中で顔を合わせたとき、オルシーニがそこにいなかったのは残念で堪らない。

塩野さんは、小説の中では、いにしえの戦いを現代になぞらえるような野暮なことはしない。だが読者である私は、ついつい今の日本のことを考えてしまう。

ヨハネ騎士団が、圧倒的な数の差がありながらも五ヶ月も持ち堪えたのは、大砲の登場に敏感に反応し、平時に城壁の大改造を行っていたからである。兵器や戦い方の変容に敏感であったり、それに備えることを検討するのは、どんなに小さな国家であろうと重要なことである。「核兵器保有についての議論を・・・。」と言いかけただけで、口を塞がれてしまうような国は、自衛さえ放棄したのと同様ではないだろうか。ヨハネ騎士団が、軍事のことをいっさい話し合わなかったとしても、トルコが宣戦布告を取りやめたとはとうてい思えない。

またオルシーニの言葉から、自分の信じるものや、守るべきもののために勇敢に闘った人達を「犬死」というのは、失礼なことではないだろうかと思った。スルタンは、去っていく騎士達に絨毯を送り、自軍の兵士達に対し「敗者をないがしろにした者は重刑に処す」と通達させた。敗者であっても、異教徒であっても、「ヨハネ騎士団」が勇敢に戦ったことに敬意を表したのだ。勝たなかったから「犬死」だというのは、あまりにむごい。だからこそ、オルシーニは「上の者には犬死だと思わせない義務がある」と考えたのだ。

本当は、こんなことを考えながら読むのは勿体ない。物語に没頭して、16世紀の地中海に旅する方が読後感はさわやかに違いない。さわやかさと同時に哀愁は感じるにしても。

『コンスタンティノープルの陥落』 塩野 七生

コンスタンティノープルの陥落 コンスタンティノープルの陥落
塩野 七生 (1991/04)
新潮社
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戦いの舞台はビザンチン帝国コンスタンティノープル(現イスタンブール)であり、対トルコの戦闘の話なのに、真っ先に登場するのがヴェネツィアの医師ニコロ、続いてフィレンツェ商人テダルディ、そしてセルビアの騎兵隊長ミハイロヴィッチ・・・と様々な出身地、様々な職業の人物が次々と紹介される。彼らは、後にコンスタンティノープルに終結し、敵味方に分かれて戦うことになる。

この戦いの意味合いは実に複雑だ。すぐに思いつくだけでも下に挙げたような要素がある。

①交易の要所コンスタンティノープルの覇権争い。
②「千年以上も続いた歴史ある帝国」対「勢いのある新興国」
③「キリスト教国」対「イスラム教国」
④「海軍の強い国」対「陸軍の強い国」
⑤「人徳のある穏やかな皇帝」対「野望に溢れ冷酷でさえあるスルタン」

それでビザンチン側には、ヨーロッパ各国からの援軍があり、宗教者も関与してくる。しかし一枚岩だったわけではない。ヴェネツィアとジェノバは商売上のライバルであり、なかなか歩調が合わない。同じキリスト教国でも、ビザンチンのギリシャ正教とローマを中心とするカソリックは、それまで反目し合っていたので、合同で戦うことに抵抗があるギリシャ人達もいる。
一方、トルコ側では、奴隷として少年時代に連れてこられたキリスト教徒がスルタンの親衛隊に仕立て上げられているし、セルビアの騎兵隊はだまし討ちにあったような形でキリスト教徒ながらトルコ側の陣営に組み込まれてしまっている。

しかし戦いが始まれば、どちらも勇敢に戦う。ビザンチン側は皇帝の人格に絆されて、トルコ側はスルタンの熱意や冷酷さに逆らうことができずに・・・。

実際の戦いぶりが、まるで見てきたように描かれる。昔々の出来事であり、日本人には馴染みのない世界のことなのに、なぜこうも鮮やかに表現できるのだろう。
一つには塩野さんが、両陣営のさまざまな立場の人達の記録や回顧録を丹念に調べているからだ。各部隊がどのような服を着て、どのような隊列を組み、どのような思いで戦いに挑んでいるかが、今ここで行われているかのように目に浮かぶ。
もう一つは、塩野さんが幼少の頃から映画に親しまれてきたから(『人びとのかたち』より)ではないかと思う。戦況がガラリと変わる転換期の描写は映画の一場面を観ているようだ。丁度満月を迎え、あとは欠けていくだけになることに怯えるビザンチンの人達、聖母マリアのイコンを掲げた行列、転がり落ちるイコン、行列を襲う突然の雷雨・・・。また、最大の山場である白兵戦が一時間も続いた後、勝敗を決定づけた一本の矢。一瞬にして「流れが変わった。」と読者に思わせることができる描写も映画的である。

舞台設定も役者もストーリーもとてもよくできた映画・・・しかし、これは本当はドキュメンタリー映画に近いのだ。なぜなら最初に次々と出てきた人物達は皆実在した人達で、この戦いに関する記録を残していたのだ。道理で活き活きとした物語になっているわけだ。そして戦いが終わった後の章では、コンスタンティノープルが陥落した後の、彼らの生涯まで紹介されている。歴史に翻弄された人間ドラマとしては、そちらの方が興味深いほどだ。セルビア人ミハイロヴィッチの生涯など、それだけで一冊の本になってもおかしくない。

この本は、ヨーロッパ対トルコの攻防を描いた三部作の第一弾。最初の一冊を読むと、『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』も読まずにはいられなくなる。戦いの火蓋は切られたばかりなのだ。


※この本は10年以上前に入手していましたが、時代背景が複雑そうで、何となく読み始められないままでした。今回読むことになったのは、ウナムのまなざしさんのトルコ旅行記を見て、トルコへの関心が高まったからでした。読んでみたら、その複雑さがこの地域、この時代の面白さだとわかりました。この本の存在を思い出させてくださった、ウナムさんに感謝します。ありがとう!

『マキアヴェッリ語録』 塩野七生

マキアヴェッリ語録 マキアヴェッリ語録
塩野 七生 (1992/11)
新潮社
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「自らの安全を自らの力によって守る意志をもたない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。
 なぜなら、自ら守るという力量によらずに、運にのみ頼るということになるからである。」

これはまるで、隣国のミサイル発射があっても「防衛力強化について語ってはいけない。」などと言う政治家に対して誰かが諭した言葉のようである。本当のところ、諭しているのはマキアヴェッリ。書かれたのは16世紀である。

塩野七生さんは、マキアヴェッリのいくつかの著書から抜粋して訳す、という形でこの本を書き上げている。要約や解説は一切無い。その意図として、マキアヴェッリの思想を誰かのフィルターを通すことなく紹介し、時代を超えた普遍性を伝えたいと、書かれている。
その意図は成功していると私は思う。

難解そうな本には食指が伸びない私は、『君主論』などという題名のものを読むなんて考えたこともなかった。しかし、塩野さんの歴史小説『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』『わが友マキアヴェッリ』を読んだら、マキアヴェッリの思想に俄然興味が沸いてきたのだ。
世間ではマキアヴェッリズムといったら極悪非道の代名詞のように言われているのに、なぜ塩野さんはその実践者であるチェーザレ・ボルジアに惚れ込んだのか、そしてマキアヴェッリを「わが友」と呼ぶに至ったのか、それを知るにはマキアヴェッリの思想を理解することが必要だった。

そんな読者の心理を予想してか、小説なら読むが「論」はちょっと・・・という者にも読みやすいマキアヴェッリ語録を作ってくださった。
・抜粋だからひとつひとつの「論」が短い。
・現代日本人には註がないと理解できないような例証は取り払ってある。
・小説家ならではの活き活きとした日本語訳。
これなら私でも読める。そしてとてもわかりやすい。

マキアヴェッリが諭す対象は政治家だけではない。私たち国民には、こんな一文も残してくれている。

「国家が秩序を保ち、国民一人一人が自由を享受するには、清貧が最も有効だ。-中略-
 清貧を尊ぶ気風が、国家や都市やすべての共同体に栄誉を与えたのに反して、富追求の暴走は、それらの衰退に役立っただけなのであった。」

マキアヴェッリは数百年にわたって栄華を誇ったフィレンツェ共和国の衰退期に生きた思想家である。日本が衰退に向かわないために何をすべきかを考えるのに、マキアヴェッリの思想が役立つのではないかと感じている。





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